第164話 魔王⑩

 ドラゴンの飛行は速かった。

 空という、障害のない場所を移動できる分、全速で駆ける私よりも速いかもしれない。


 もうすぐ会える。

 もうすぐユーキくんと会える。


 その想いだけで、私の胸は張り裂けそうになる。


 千年以上待った。


 この日を待ち続けていた。


 いきなりこんな世界へ転生させられてユーキくんは分からないことだらけだろう。


 でも大丈夫。


 私がついているから。

 私がいれば、この世界でも安全に幸せに暮らしていける。


 そのまま森の上空を抜け、ようやく人間の王国へ差し掛かった時だった。


ーーゴロゴロゴロ……ドンッ!!ーー


 突然雷鳴が轟き、空を駆ける私とドラゴンへ、雷が落ちてきた。


 そんな雷を、魔法障壁で受ける私。


 それなりの威力はあったが、もちろん私にダメージを与えるには至らない。


 急な発生から考えるに、この雷は自然的なものではなく、何者かの魔法による攻撃だと考える方が素直だろう。


 攻撃の主を探すべく辺りを見渡すと、眼下に二人の人影が見えた。


 無視して飛び去ってもいいのだが、後でユーキくんと一緒にいるところを攻撃されても困る。

 一秒でも速くユーキくんに会いに行きたかったが、後顧の憂いを断つべく、私はドラゴンへ命じる。


「下へ降りなさい。私へ攻撃を加えようとする愚か者へ、罰を与えに行くわ」


 私の言葉に頷くドラゴン。


「まずは攻撃を防いでいただき、御礼申し上げる。我としても、竜たる我の姿を見ても攻撃を加えてくる愚か者は看過できない」


 意見の一致した私とドラゴンは、眼下の人影の下へ舞い降りる。


 目の前に立つのは、たった二人の人間。


「攻撃をしてきたのは貴女たちね。いきなり雷を落とすなんてどういうつもりかしら?」


 ドラゴンの背中から降りた私は、二人へ尋ねる。


 問答無用で殺してもいいのだが、後で次々と仲間から攻められても面倒なので、一応理由は確認しておきたかった。


 私の言葉を聞いてか聞かないでか、二人の人間は身構える。


「ま、魔族? 魔族がドラゴンを操って王国に攻めようとしてたの?」


 黒いローブに身を包んだ黒髪の女がそう声を上げた。


 なるほど。


 この二人が警戒しているのは、私ではなくドラゴンの方のようだ。

 私を狙ったわけではなく、ドラゴンが飛んでくるのを察知し、迎撃しにきたというところか。


「私は人間の国なんて興味ない。会いたい人がこの国にいるから会いにきただけよ。そして、このドラゴンも、そんな私を運んでくれただけ」


 隠すことでもないので、私は正直に話す。

 だが、私の言葉は届かない。


「穢らわしい魔族の言葉なんて信じてはいけません。きっと私たちを騙し、王国に害を成すに決まってますわ」


 白い法衣に身を包んだ金髪の女がそう声を荒げる。


 一秒でも速くユーキくんと会いたい私は、この二人と話をするのが面倒くさくなってきた。


 人間にしては強い部類かもしれないが、所詮私の敵ではない。

 さっさと殺してユーキくんと会う前の腹ごしらえを済ませておこう。

 そう思い始めていた時だった。


「レイカちゃん、それならさっさとやっつちゃおうよ。早く倒さないと、あのメガネくんに嫌味を言われちゃうよ」


 黒髪の女の言葉に、金髪の女も頷く。


「そうですわね。マナさんの言う通り早急に対処しましょう。私と貴女の称号なら、どんな相手にも負けませんし」


 名前と称号。


 この二つに私は反応する。


 明らかにこちらの世界の人間とは異なる名前。

 それに、女神もどきから与えられた称号。


 この二つが意味するところは一つだ。


 私と同じ世界からの転生者。


 私は、殺すのを一瞬躊躇した。

 ……そしてその躊躇が、絶望的なまでに失敗だった。


『壁龕(ニッチ)』


 金髪の女がそう唱えると、私とドラゴンを淡く光るドーム状の透明な壁が覆う。


 私はドラゴンへ命じる。


「トカゲさん。この壁を壊して」


 私の言葉を聞いたドラゴンは、大きく息を吸い、ブレスを吐く。


ーーゴーッ!!ーー


 ドラゴンの口から放たれた高温のブレス。

 だが、壁を破壊すべく放たれたブレスは、壁に反射して私たちを襲う。


 仕方なく、ドラゴンごと守ってあげるために大きめの魔法障壁でブレスを防ぐ私。


「も、申し訳ない……」


 項垂れるドラゴンの足をポンポンと叩いて慰めつつ、私は壁に目を向ける。


 四魔貴族並の攻撃にも耐える壁。

 人間の魔力ではそんな壁は作り出せないはず。


 きっと称号の力なのだろう。

 そうすると、私がより強力な魔法を放つのは、リスクが高い。


 もし全ての魔法を弾く効果を持った壁なら、その強力な魔法が、自分たちの身に降り注ぐことになるからだ。


 ドラゴンに爪や尻尾で壁を攻撃させてもいいのだが、金髪の女は、相手がドラゴンであることを理解した上でこの壁を作った。

 おそらくは無駄になるだろう。


 私は歩みを進め、壁を触ってみる。


 魔力を体に流した状態では反発を感じ、込めていない状態だと、ただの硬い壁のように感じた。


 私は魔法で剣を作り出す。

 お兄様の首を斬り落とした際に用いた剣を。


ーーシュッーー


 魔力を込めずに振るった剣は、壁をバターのように切り裂いた。


「なっ……」


 動揺する黒髪と金髪の二人。


 恐らく、魔力を使った攻撃なら通らなかっただろう。

 そして、魔力を使わずとも威力が低い攻撃なら壁を破壊するには至らなかっただろう。


 千年の備えは無駄ではなかったということだ。


 壁から解放された私は、抑えていた魔力を解放し、剣に魔力を通す。

 私の歩みを止めた罪は重い。

 この二人には思い知らせてやらなければならない。


「な、何この魔力は……?」

「ド、ドラゴンより魔力が多いってありえないんだけど!」


 私は動揺する二人へ剣を向ける。


「安心しなさい。痛みを感じる暇さえ与えないから」


 私は鬼ではない。

 いくら私とユーキくんの再会の邪魔をしたとはいえ、同郷の二人へ悲惨な死など与えない。


 痛みすら感じることなく、速やかで穏やかな死を与えてあげよう。


 私が剣を振い、二人の首を刎ねようとしたその時だった。


『さ、聖域(サンクチュアリ)』


 金髪の女がそう唱えた。


 私とドラゴンを再度覆う透明な壁。

 今度の壁は、金髪の女の髪の色と同じように、金色に輝いていた。


 試しに私は魔力を消して壁を斬る。


ーーガキンッーー


 先ほどとは異なり、壁は斬れない。

 今度は魔力をフルで解放し、魔力を剣に通して全力で斬る。


ーーガキンッーー


 結果は同じだった。


 例え『大魔王』の称号なしでも、私の全力の攻撃は、四魔貴族ですら防げないはずだ。


 これだけの強度を誇る壁を作るには、発動条件か取得条件が、相当難しいはずだ。


 私の『大魔王』のように、無敵とも言える称号の取得条件は、非常に厳しく、恐らく運の要素がなければ取得できない。

 これほどの壁を作るに至るほどの称号を得るための取得条件を満たす運は、誰にでも恵まれるわけではないはず。

 私は、この壁については、取得条件ではなく、発動条件が厳しいものであると推測した。


 それなら発動条件を崩せばいい。

 条件は発動後でも崩せる可能性はあるはずだ。


 だが、そう推測したところで解決策は思い浮かばない。


 いつもならまずじっくり考える。


 でも、刻一刻と過ぎる時間が、私から冷静さを失わせた。


 ユーキくんが生まれた環境は恐らく最低なはずだ。

 私の助けなしには生きていけないかもしれない。


 私が遅れれば遅れる分だけ、ユーキくんに死が迫る可能性がある。


 私は右手を天に掲げる。


『天照』


 ……しかし魔法は発動しない。


 内側からの中途半端な攻撃ではダメなら、外から強力な攻撃を加えようとしたが、この壁は魔力の流れすら断ち切るようだ。


『須佐之男』


 私は、私が知り得る限り、最強の剣を魔法で構築する。

 そして、少しだけ間をおき、体に流れる魔力を最大にまで高めた。


 剣の効果によってさらに高められた漆黒の魔力が、体に収まりきらず、周囲へにじみ出る。


 数百年鍛えた剣技。


 その集大成である斬撃を、私は壁に向かって放つ。


 音を置き去りにし、光でさえも追いかけるのがやっと。


 そんな斬撃が壁を襲う。


ーーガキンッーー


 恐らく、この世界で最速最強のはずの剣撃は、虚しい金属音を残して消えた。


 ここにきて私は焦る。

 このままではユーキくんに会えない。


 ……だが、焦っているのは私だけではなかった。


「マナさん! すぐに貴女の称号の力を使って!」


 金髪の女の声に、黒髪の女が言葉を返す。


「えっ? でも、勝手に使うとメガネくんに怒られるし……」


 乗り気でない返事をする黒髪に、金髪が詰め寄る。


「いいから早くなさい! このままでは二人とも殺されるわ」


 金髪の言葉に、黒髪は渋々頷く。


「わ、わかったよ……」


 そして黒髪は呟く。


『永久(トワ)』


 その瞬間、世界が変わるのを感じた。


「……何をしたの?」


 私の言葉に、金髪はニヤッと笑う。


「私たちと貴女たちを合わせた三人と一匹の時間を止めましたたの。身動きも会話もできますけど、お互いにも世界にも干渉することはできません。この子の能力が切れるまでは」


 私が奥歯を噛み締めると、調子に乗った金髪はペラペラと喋り始める。


「私の『聖域』を持ってしても貴女の攻撃は一回防ぐのが精一杯。そして、私の仲間たちは王選に臨むため、しばらくは援軍も出せない。だから『聖域』を固定し、援軍が来るまで貴女にはそこにいてもらうことにしましたの」


 金髪の女は勝ち誇ったように笑う。


「この子の能力が切れるまで三ヶ月。貴女もそこのドラゴンも、何にも干渉できない。そして三ヶ月後には、私たちからの連絡が来ないことで、王選の終わった仲間たちの援軍がここへ来る。私たちの勝ちよ」


 そう言って高笑いする金髪の女を、私は睨む。


「……今すぐ私たちを解放しなさい。そうすれば殺さずにおいてあげる」


 そんな私の言葉を聞いた金髪の女は笑う。


「私の言葉をちゃんと聞いてました? 援軍が来たら私たちの勝ちになりますの。なぜ解放しなくてはならないのかしら」


 私は茶化して答える心の余裕すらなく答える。


「羽虫がどれだけ沸いたところで、私には敵わない。お前たちが助かる手段は一つ。今すぐこの魔法を解き、私の慈悲にすがることよ」


 知らず魔力が膨らんでいく。

 漆黒の魔力が空間を支配し、今にも飛びかからんばかりに、意思を持っていく。


 そんな魔力を見て少しだけ不安になったのか、黒髪が口を開く。


「わ、私の称号の効果は私にも解けないの。三ヶ月待つしかないんだよ」


 私はその言葉を聞いて、絶望と怒りが複雑に混ざり合った感情に支配される。


 ユーキくんと会えない?

 ユーキくんはこの世界にいるのに?


 三ヶ月。

 千年待った身からすれば、瞬きのように短い時間だ。


 短い時間のはずなのに、今はたったの一秒すら永久にかんじる。


 私が少し遅れただけで、ユーキくんの身に何かあるかもしれない。


 そう考えただけで、心が凍り、身を刻まれたように感じる。


 ユーキくんに何かあれば、私は耐えられない。

 こんな世界は滅ぼして、私も命を断つだろう。


 無限のように感じる時間。


 私はただ、金髪と黒髪を睨み続ける。


 絶望が止まない。

 怒りが収まらない。


 視線で人が殺せるなら、私はこの二人を何千回も殺しているだろう。


 ユーキくん。

 貴方に会いたい。


 焦燥が私の心を蝕む。


 ユーキくん。

 ユーキくん。

 ユーキくん。


 私の愛する人。


 ユーキくん。

 ユーキくん。

 ユーキくん。


 私の全て。


 ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。ユーキくん。


 心がユーキくんへの想いだけで塗り潰される。


 他のことなどどうでもいい。


 ユーキくんと再会し、幸せになる。


 あと八十日。


 あと二ヶ月。


 あと三週間。


 あと三日。


 もうすぐ。

 もうすぐ会える。


 ユーキくんなら、きっと何とか生きているはず。


 この魔法が解けた瞬間、金髪と黒髪の二人は、この世のすべての苦痛を体感させた後殺す。


 あと二日。


 あと一日。


 ……そして、その日が来た。


 黒髪の称号の効果が消えた瞬間。


 私は金髪が作った壁を、細切れにした。


 そのまま息もつかず、金髪と黒髪に襲い掛かろうとした時だった。


 金髪と黒髪が私の視界から突然消えた。


 これも女神もどきに与えられた誰かの称号の力だろか。


 私のことを倒すと言っていたのに、逃げやがって。


 怒りが沸点に達しそうになったところで、私は考えるのを止める。

 あの二匹の人間は後で殺す。

 絶対に殺す。


 それより今はユーキくんだ。

 ユーキくんを探すのが先決だ。


 魔法を遮断する壁がなくなったことで、私は神経を尖らす。

 王国中の気配を探った結果、ユーキくんの気配は何となく分かった。


 百分の一に落ちても、私の能力は誰よりも高い。

 気配を感じる力もそれなりに残っていた。


 ユーキくんが生きてくれていたことに心の底から安堵し、胸を撫で下ろす。


 嬉しさに涙が出そうになるが、泣いている暇はない。


「トカゲさん。行くわよ」


 私は、三ヶ月間私の漆黒の魔力を浴び、その鱗が真っ黒に変色したドラゴンに告げる。


「仰せのままに、魔王様」


 私はドラゴンの背中に飛び乗り、ドラゴンが空高く舞い上がる。


 遥か遠くに見える王都を見据えながら、私は心の中で呟く。


 待っててね、ユーキくん。


 もうすぐ。

 もうすぐ会えるから。

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