第163話 魔王⑨
グレンに名前を与えてから、私は彼女のことがどうしても気にかかった。
ユーキくんを除いて、誰かのことが気にかかることなど、これまで一度もなかったのに。
このままでは、私の精神安定上よろしくない。
私の不調はこの国の不調だ。
私は、この国のため、魔族グレンを排除することにした。
表立って殺すわけにはいかないので、策を考えているところに、ちょうど神国のバカたちが、数百年ぶりに攻めてくるとの情報が入った。
グレンは、私が直接名前を与えるほどの才能を秘めた魔族ではあるが、今はまだひよっこ。
この数百年、力をつけてきた人間の軍勢を前に、無事では済まないだろう。
私は彼女を出陣させようとナギへ命ずる。
「この間名前をつけたグレンって子を今度の戦いへ参戦させなさい。彼女の力を試したいの」
私の指示に、ナギは肯く。
「かしこまりました。ただ、死んでしまう可能性が高いと思いますが、構いませんか?」
私は頷く。
「もちろん構わないわ。死んだらそれまでよ」
むしろ、殺すために戦場に向かわせるなどとは、流石に言えない。
人間は今回もそれなりの戦力を揃えてきたようで、師団長まで戦死者が出た。
だが、一万人の命を使ったサクリファイスを使ってくるわけではなく、目的が今ひとつ曖昧だった。
良質な食材が大量に手に入ったから、こちらとしては悪くないのだが。
ただ、肝心のグレンについては戦争にすら参加しなかったようだ。
彼女の両親が代わりに参加し、両親ともに戦死したらしい。
私は軽く舌打ちする。
確かに、まだ軍に所属していない彼女に対しては、法的には従軍に対する拘束力はない。
それに、戦力的には、今はまだ彼女の両親の方が実力が上なので、こちらからは文句は言えない。
私は、合法的に彼女を排除する次の機会を窺っていたが、その必要はなかった。
両親を失った彼女は、狩りの際に人間を殺すことができず、はぐれ魔族になったとこのことだったからだ。
はぐれの未来は決まっていた。
一人で人間の国へ赴き、人間を狩り、いつか人間に討伐される。
少し時間はかかるが、勝手に死んでくれることだろう。
この時点で、彼女のことは、私の頭から消えた。
残る私の憂慮は、女神もどきの息のかかった人間たちだけだ。
それももはや、様々な称号を想定し、対策を考えてきた私には、何の障害にもならないだろう。
あと少し。
あと少しでユーキくんとの幸せな生活を送れる。
ユーキくんとの再会を指折り数えて待ち望む日々。
ーーあと三万日。
ーーあと二万日。
ーーあと一万日。
これまでの千年はあっという間だったのに、ユーキくんとの再会が近づくにつれ、一日一日が長く感じられるようになる。
早くユーキくんに会いたい。
会って抱きしめてもらいたい。
抱きしめてもらい一つになりたい。
そんな時、四魔貴族の一人、スサが人間に退けられたとの話が入ってきた。
そんなことができる人間はユーキくんしかいない、と思ったが、調べてみると違ったらしい。
神国の侵攻を止めるために造った王国の一人が、かなり力をつけているようだった。
王国の最新状況はここ数百年放置していたからよく分からなくなっていた。
調べさせてみると、神国の手がかなり侵食しているようで、もはや当初の機能は果たせない国となっていた。
女神もどきはウイルスか細菌のような存在なのかもしれない。
せっかく作った国ではあるが、仕方なく、人肉好きの魔族を何人か放って、人間の戦力を多少削っておくことにした。
軍を差し向けて国を潰すのは簡単だが、それではユーキくんが転生してきた時困るだろうし、今後の食糧のことを考えると、むやみに国は潰せない。
放ったのは、それなりの実力はあるが、規律に従わず、軍に所属できないような者ばかり。
成果はあまり期待できないが、適度に国を荒らしてくれるだろう。
まだユーキくんがこちらの世界に来た気配は感じないから、誤ってユーキくんが食べられてしまうなんて心配もないはず。
ユーキくんがこちらの世界に来たらすぐに分かるよう、私は毎日、世界中の気配を伺っていた。
大魔王の称号により百倍になったのは、戦闘に関する能力だけではない。
普段から能力垂れ流しだと生活しづらいから、能力のオンオフを行う必要があるが、オンにすれば、直感力や勘といった能力も百倍になっていた。
現に、ここ数年、私と同じ世界からこちらの世界に転生してきた人間がいることは感じられている。
ユーキくんがこの世界に来れば、きっと気付くことができるだろう。
次々とこちらの世界へ転生させられてくる人間たち。
その気配を感じる度に、ユーキくんじゃないかと期待に胸を膨らませては失望するということを繰り返す。
ユーキくんのことを思うと、他のことが手につかない。
ユーキくん。
ユーキくん。
ユーキくん。
早く会いたいよ。
ユーキくん。
ユーキくん。
ユーキくん。
心の底から愛してるよ。
……そして、ついにその日が訪れる。
毎日の日課であるユーキくんの気配探知。
その日、探知を行った瞬間に私には分かった。
ーーユーキくんだ!!!
千年以上経っても変わらない、強く優しい気配。
その気配を感じた瞬間、私の頬を熱く透明な液体が伝う。
待ち望んだ、本当に心の底から待ち望んだ気配。
私は、ナギとナミへ告げる。
「今から私の愛する人を迎えに行く。後は任せたわ」
それだけ言い残して、すぐに玉座を離れようとする私を、ナギが慌てて引き留める。
「お、お待ち下さい。どこに行かれるのですか? 王としての公務はどうなされるのですか?」
私は振り返り、ナギの目を見ながら答える。
「隣の人間の王国の外れにいるみたいだからそこへ。王としての公務は、私がいなきゃならないものなんてほとんどないし、貴方たちに任せるわ」
事実、そうだった。
私がいなくても国は回る。
そうなるようにこの千年、手を尽くしてきた。
それでもナギは、珍しく食い下がる。
「貴女様がいらっしゃらなければ、この国は国として成り立ちません。それでもその椅子から降りられるということなら、魔王の名も置いていっていただきたい」
私はナギの目を見据える。
「……嫌だと言ったら?」
ナギも真っ直ぐこちらを見ながら答える。
「私の名前を返上します」
ナギの言葉に、私は少しだけ考える。
魔王の座を降りると、条件が崩れるので『大魔王』の称号の効果はなくなるだろう。
だが、もともと『大魔王』の称号はラッキーで手に入ったものだし、そんなものがなくてもどうにかなるだけの備えはやってきたつもりだ。
ただ、ナギが名前を返上すると、それに追随する魔族も後を立たないだろう。
そうなると、せっかく千年かけて築き上げてきたユーキくんと私のユートピアが崩れてしまう。
ユーキくんと再会できた後はこの国が必要だが、それまでは不要だ。
ナギがどうしてもと言うなら、一旦、魔王の地位は捨ててもいいのかもしれない。
もちろんリスクはあるが、ナギの説得に時間を費やし、ユーキくんとの再会が遅れる方が、嫌だった。
私が会いに行くのが遅れたせいで、もし、ユーキくんに何かあれば、目も当てられない。
有力な魔族の名前がそのままなら、後でなんとでもやりようがある。
「分かったわ。今から私は、魔王を辞める。分け与えた力を返せなんてことも言わないから、名前はそのままにしておきなさい。ただ、私が愛する人を見つけた後はこの国が必要だから、取り戻しにくるわね。もちろん実力で私が戻るのを防ぐなら相手になるわ」
私の言葉に慌てるナギ。
まさか本当に魔王を辞めるとは思わなかったのだろう。
泣きそうな目ですがってくる。
「お、お待ちください。先ほども申し上げましたが、貴女様がいらっしゃらないと、この国は国として成り立ちません」
私はそんなナギに背を向け、手をひらひらと振る。
「魔王なんて誰がやっても同じよ。私が戻るまでは、貴方かナミ、もしくはテラかスサにでもやらせればいいんじゃない?」
私はそれだけ言い残し、王の間を後にした。
その瞬間、恐らく『大魔王』の称号が失われたのか、魔力が減り、体が重くなるのを感じたが、私は気にせず歩みを進める。
ナギがしばらく後ろをついてきて、背中で何か喋っていたが、私は耳を貸さず、寝室へ荷物を取りに行く。
一刻も早くユーキくんに会いたい。
その一心で、私は出かける準備をする。
ユーキくんがこちらの世界でどんな姿をしているかは分からない。
分かっているのは、大まかな場所だけだ。
『大魔王』の称号の効果を失えば、おおよその場所すら分かりづらくなるのかもしれない。
でも、私には確信があった。
一目見さえすれば、例えどんな姿だろうと、誰がユーキくんかはすぐに分かる。
千年以上想い続けた愛する人を、見つけられないわけがない。
私は簡単に荷物をまとめると、すぐに寝室を出た。
この千年、一人で旅することはなかった。
愛する人に会いに行くための一人旅。
考えるだけでもワクワクする。
城の外に出た私は、王都の外に出ると、広大な魔族の国を、全力で駆けた。
魔力を込めた私の足なら、一瞬で国の端まで辿り着く。
ただ、ここから先は、多少時間がかかる。
魔族と人間の間に横たわる巨大な森。
木を薙ぎ倒しながら走るか、森を全て消し去れば一瞬で進めないこともない。
ただ、そうすると人間との国との間に障壁がなくなり、人間たちが容易く私の国へ侵攻してくることになる。
一日でも早くユーキくんと会いたい気持ちをなんとか抑え、私は木を避けながら、時間をかけて森の中を進む。
一歩一歩がもどかしい。
千年以上待った再会がようやく叶うのに。
気持ちだけが逸る。
木を枯らさないよう、魔力を抑えながら進む私に、生物としての本能の欠けた馬鹿な魔物が時折襲ってきた。
煩わしくて仕方がないそんな魔物たちを殺しながら進むことで、私の歩みがまた遅くなる。
後でその魔物は種族ごと滅ぼすことを誓いつつ、私は歩みを進めた。
それでも何とか半分ほど進んだところで、今度は巨大なドラゴンが姿を現す。
「我が領域に立ち入る愚かな虫はお前か?」
そのドラゴンの言葉に、私はカチンときた。
言葉を喋れるということは、三階位より上のドラゴンのはずだ。
にもかかわらず、私の強さが分からないとは……
ドラゴンは魔族並に長生きのはずだが、長く生き過ぎて脳が腐ったのだろうか?
いつもなら流してあげるところだが、生憎私は急いでいるために気が立っている。
「トカゲさん。私は急いでいるの。土下座してそこをどけば許してあげるから、さっさとどきなさい」
ドラゴンの土下座なんてどうやるのかは分からないが、とりあえず私は、苛立ちのままにそう命じた。
「虫が。あの世で後悔するがいい」
ーーゴーッ!ーー
ドラゴンのブレス。
天災に近い攻撃。
恐らくテラの炎魔法並の威力を秘めた、高温の炎が私を襲う。
もちろん、そんな炎が私に効くわけがない。
能力が百分の一に落ちても、この世界で私に敵う者はいない。
さすがにノーガードで受ければ軽い火傷くらいはするかもしれないので、魔法障壁を張ってその攻撃を防ぐ。
無駄に長いブレスを浴び続けた後、私はため息をつく。
せっかく森を傷つけないように進んできたのに、その森のかなりの部分が今のブレスで焼かれていた。
「ば、馬鹿な……。我のブレスは魔王ですら恐れるものなはずなのに……」
私は苦笑する。
「いつの時代の魔王かしら? 即刻その認識を改めなさい。その程度の炎じゃ、私の配下の四魔貴族ですら倒せないわ」
私の言葉に、初めて動揺を見せるドラゴン。
「よ、四魔貴族が配下? もしやお前は……」
私はニヤッと笑う。
「魔王よ」
正確には今はただのはぐれ魔族だったが、説明がめんどくさかったので魔王を名乗ることにした。
私の言葉に慌てた様子を見せるドラゴン。
「ま、まさか! 魔王がなぜこんなところへ一人で……」
ドラゴンの言葉に、私は目的を思い出す。
「そうだった。私は急いで人間の国へ行かなきゃいけない。こんなところでのんびりしている暇はないの。とりあえず、私の邪魔をした貴方には消えてもらうわね」
私はそう言って右手を前に出す。
「お、お待ち下さい。お急ぎで人間の国へ向かわれたいということなら、私がご案内します」
ドラゴンはそう言うと、背中の大きな羽を広げた。
私は考える。
このままこのドラゴンを怒りのままに殺すのは簡単だが、森はまだ長い。
このドラゴンの背中に乗って人間の国へ行ったほうが早いだろう。
私は合理的だ。
感情に身を任せ、損をするようなことはしない。
「分かったわ。特別に許してあげる。その代わり、すぐに連れて行きなさい」
そう告げた私は、ドラゴンの背中へ飛び乗る。
乗り心地がいいとは言えないが、贅沢は言っていられない。
「全速力で飛びなさい」
私がそう命ずると、ドラゴンはその大きな翼を広げて飛翔する。
広大な森を眼下に置きながら私は心の中で思う。
待っててね、ユーキくん。
もうすぐ。
もうすぐ会えるから。
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