第162話 魔王⑧
ヨミを完全に配下にした後、私の障害と呼べる者は現れなかった。
その後の百年くらいは、まだ私に挑もうとする魔族がチラホラいたが、ヨミほど私の手を煩わせる者もなく、暇つぶしにすらならなかった。
そしてすぐに、私へ挑んでくる者すらいなくなった。
女神もどきの息のかかった人間たちの攻撃も、しばらくは定期的に行われていた。
だが、私への質の良い食事提供にしかならないことに気付いたのか、同じく百年くらいで攻めてこなくなった。
平和で何も起こらない日々。
そんな日々が、百年、二百年と続いていく。
そんな日々の中で、私は一日の大部分を己を鍛えることに費やしていた。
ヨミとの戦いは、私に自分の甘さを認識させた。
女神もどきの息のかかった者たちは、皆、称号を持っているはず。
称号の能力一つで、戦局はひっくり返る。
どれだけ強くなっても、完璧ということはない。
どんな敵が相手でも。
どんな状況に陥っても。
絶対に負けないために己を鍛える。
幸い、時間はたくさんあった。
まずは、ヨミに煮湯を飲まされた近接戦闘の腕を磨いた。
次には、魔力が使えない状態でも戦えるよう、素の肉体も鍛えた。
あらゆる事態を想定し、己を鍛える日々。
国の政治は、ナギとナミに任せておけば問題なく、王としての私の職務はないに等しかった。
戦争でも起これば、先頭に立って戦うのだが、前述の通り、もはや私や私の国と戦おうという者はいない。
己を鍛えている以外の時間、私はいつも想像していた。
ユーキくんと再会した後の日々を。
ユーキくんはこちらの世界にきたらどのような姿だろうか。
元々カッコ良かったから、こちらでもカッコ良いのは間違いない。
こちらの世界に来たら、目や髪の色は変わるのかな。
でも、どんな姿でも私は構わない。
例えドブネズミのような姿でも、私はユーキくんを愛するだろう。
歳は幾つの人に転生するのかな。
でも、幾つであっても構わない。
0歳の赤ちゃんでも、老衰手前の老人でも、私はユーキくんを愛するだろう。
ユーキくんがこちらの世界に来たらどんな家で暮らそうか。
とびきり素敵な家に住みたい。
魔王の城が一番無難かな。
その場合、王座にはユーキくんに座ってもらおう。
街中に暮らすのもいいな。
市場の近くで新鮮な食材をいつでも買えるようにしよう。
ツリーハウスなんてどうだろう。
新鮮な感じがして楽しいかも。
時間さえあれば、ひたすらにユーキくんのことを考えた。
ーー百年。
ーー二百年。
ーー三百年。
ーー四百年。
どれだけ時が経ったって、思いが薄れることはない。
むしろ思いは募るばかり。
人間ならば何度も産まれて、何度も死んでしまうだけの年月。
その永遠とも感じる時の中で、私はひたすらにユーキくんのことを思っていた。
ユーキくんだけが私の全て。
ユーキくんへの想いだけが私を生かしていた。
恋は錯覚。
愛なんてあやふやなもの。
誰かがそんなことを言った。
だから何だというのだ。
他人にとっての恋愛なんてどうでもいい。
生物学上の定義付けすら関係ない。
私のこの想いは何ものにも変えられない。
誰にも何にも負けない。
元の世界の他の人の存在は、かなりの割合で顔も名前も忘れてしまったが、ユーキくんに関する記憶は、交わした会話の一つずつまで覚えている。
普段の無表情な顔も。
私だけに見せる、少し照れたような顔も。
全て覚えている。
ユーキくんを想うと、温かい気持ちになる。
ユーキくんを想うと、胸が締め付けられる。
想いも。
唇も。
純潔も。
全てユーキくんのためにとっておいた。
何百年も、誰にも奪わせずにとっておいた。
全てはユーキくんのため。
私の全てはユーキくんのため。
今、この世界で私に敵う者は一人もいない。
四魔貴族も。
それ以外の魔族も。
魔族の中で、私に匹敵する者はいない。
王国最高の騎士も。
帝国最強の重騎士も。
商国最高値の傭兵も。
神国最高位の聖女も。
多少力をつけたとはいえ、人間の中で、私を前にして戦意を保てる者はいない。
例え、百人束になったとしても、勝負にすらならないだろう。
エルフも。
ドワーフも。
獣人も。
魔物も。
ドラゴンも。
どんな種族も私には敵わない。
強さに関しては、神ですら私には及ばないに違いないはずだ。
女神もどきの息のかかった者たちが、どんな称号を持っていたとしても、返り討ちにするだけの力を、私は身につけたと思う。
私のこの力は、たった一人のためだけのもの。
愛してやまない、最高の男性のためのもの。
時間の感覚がおかしくなるだけの長い期間。
狂おしいほどの愛が育まれてきた。
ユーキくんへの想いが、濃縮されていく。
ユーキくんを想うもどかしい気持ちが、私の胸を締め付ける。
胸を掻き毟りたくなるほどの情動。
触れられる想像をしただけで、絶頂を迎えてしまいそうになるほどの激情。
苦しい。
ユーキくんのことが、好きすぎて苦しい。
ーー五百年。
ーー六百年。
ーー七百年。
ーー八百年。
溢れんばかりのユーキ君への想いが、私の心を支配する。
毎日。
毎日毎日。
毎日毎日毎日。
毎日毎日毎日毎日。
毎日毎日毎日毎日毎日。
毎日毎日毎日毎日毎日毎日。
毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日。
毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日。
毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日。
私はユーキくんへの想いで身悶える。
会いたくて仕方ない。
愛おしくて仕方ない。
抑えきれない感情。
好きで。
好きで。
好きで。
堪らなく好きで。
ユーキくんのためなら世界など。
私には世界を滅ぼす力がある。
私には世界を意のままする力がある。
私の力の全てはユーキくんのために。
ユーキくん。
ユーキくん。
ユーキくん。
その名を呟くだけで、私の心は幸せに満たされる。
その名を口にするだけで、私の体は火照り、発情した動物のようになる。
私は焦される。
ユーキくんへの愛で心が焦される。
強力な炎の魔法でその身をつつまれたかのように、私の心が焦されていく。
ーー九百年。
あとたったの百年で、ユーキくんがこの世界に来る。
待ち遠しくて仕方がない。
ユーキくんを迎える準備は万全だ。
いつユーキくんが来ても、最高の状態で迎え入れることができる。
魔族の国の管理は完璧。
人間たちも、増え過ぎたり減り過ぎたりしないよう、そして、文明や魔法が発展し過ぎないよう上手く調整できている。
全てはユーキくんのため。
ユーキくんと私が愛し合い、末長く幸せに暮らすため。
そのための世界が出来上がっていた。
あとたったの三万六千五百日くらいで、ユーキくんと会える。
そう考えると、幸せな気持ちでいっぱいになる。
ユーキくんのことを考える幸せの時間。
そんな時間を邪魔するナギの声。
「魔王様。御公務のお時間です」
私に与えられた数少ない仕事の一つ。
名前を授けるべき魔族の見極め。
もはや、反乱を起こされたところで、傾く国ではなかったし、暗殺を企てられたところで殺される私ではなかったが、念には念を入れるため、有力な魔族には名前を与え続けていた。
ただ、名前を授けるべき相手は数年に一人しか現れないとはいえ、千年近くも続けていると、名前のストックも切れてくる。
ヨミ以来の重力魔法の使い手。
本来なら神の名や、神獣精霊の名に肖りたいところだが、思いつかなかった。
仕方なく、彼女に対してはこう名付ける。
重力だからふわふわ浮くこともできる。
ふわふわした外見をしている。
漢字にしたらカッコいい『不破』になるからフワ。
テラ以来の炎の使い手になりそうな少女。
灼熱の炎のような瞳。
灼熱ではさすがに、女性につける名前としてはかわいそうだから、語尾のツを取ってシャクネ。
我ながらネーミングセンスがないとは思ったが、他に思いつかないのだから仕方がないと割り切ることにしていた。
だが、そんな考えを捨てざるを得ない相手が現れる。
フワやシャクネと同じ歳ぐらいの美しい少女。
燃えるような紅い瞳はシャクネと名付けた少女と変わらない。
強さのポテンシャルという点でも大きくは変わらなそうだった。
それなのに。
私の中の何かが告げる。
百倍になった第六感が告げる。
……この少女には何かがあると。
魔族の外見は基本的に人間と比べて整っている。
一定以上の魔力を持った者なら、己の顔を潰すという痛みにさえ耐えれれば、ある程度自由に外見を変えることすらできる。
もちろん、私ほど神がかった外見にするのは、どんなに魔力を注いだとしても不可能だろうが。
だから、魔族が外見で人の目を引くということは、私を除けばほとんどない。
この少女も美しいとはいえ、私ほどではない。
だから、私が彼女に関心を持ったのは、外見によるものではないはずだった。
しかし、私は彼女から目が離せない。
あえて言うなら、魂が違う。
燃え盛る炎のように熱く。
鍛えられた鋼のように強く。
それでいて包み込むような優しさを感じる魂。
そんな印象を彼女から受けた。
他の魔族とは明らかに異なる存在。
異物は排除するに越したことはない。
このまま殺そうか迷ったが、いくらなんでもなんとなく受けた印象だけで殺してしまうほど、私は暴君ではない。
だが、決してこの少女の存在を忘れないよう、相手は少女であるにもかかわらず、男の名前をつけることにした。
「グレン。それが貴女の名前よ」
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