第157話 魔王③

 涙に涎に汗に尿。


 身体中の体液を垂れ流しながら、怯えた目でこちらを見るシトリに対して、私には何の情も湧かなかった。


 先ほどの言葉通り、ついさっきまでは殺す以外の選択肢を考えていなかったが、大魔王の称号とやらの力で、余裕ができた私は、少しだけ冷静に考える。


 シトリを殺したところで、得られるのは、一時の爽快感のみだ。


 一方で、シトリはあの女神の格好をした詐欺師女と近い距離にいた。

 あの女の考えや戦力についてもっと引き出すべきかもしれない。


「シトリ。貴女に生きるチャンスをあげる。あの女神風の女について知ってることを全て話しなさい。そうすれば殺さずに置いてあげるわ。……まあ、多少お仕置きをさせてもらった後、二つやってもらうことがあるけど」


 私の言葉に、恐怖でボロボロになった顔を上げ、シトリがこちらを向く。


「も、もちろんです。何でもお話ししますし、何でもやります。だから、命だけはお助けください」


 必死の形相でそう話すシトリを、もちろん私は信用していない。

 ……そして、許しもしていない。


 シトリの言葉に笑顔を返すと、つられてシトリの顔が笑顔に変わる。

 これで助かるんだという安堵感とセットで。


 私は笑顔のまま、そんなシトリの顔面を殴り付ける。

 ……頭が弾け飛ばないように加減しながら。


 数発殴り付けると、クールな美人という印象だったシトリの顔は原形を留めていなかった。


「ちょっとやり過ぎちゃったかしら。冷静になったつもりだったのにまだまだ感情のコントロールができてないようね。反省だわ。でもまあ、四魔貴族並の強さがあるなら、その程度の怪我、すぐに治せるでしょう? 待っててあげるから治ったら声をかけなさい」


 私はそう言って、グチャグチャになったシトリの顔面を見下ろしながら、シトリの回復を待つことにした。


 しばらくして回復したシトリは、怯えながら片膝をついて私に報告する。


「か、回復が終わりました。そ、それでは女神様についてお話しすればよろしかったでしょうか?」


 私は首を横に振る。


「それは後にしましょう。まずはやってもらうことの一つ目よ」


 お仕置きがこれで済んだと思ったシトリは、安堵の表情を浮かべながら答える。


「承知致しました。何なりとお申し付けください」


 シトリは思ったより馬鹿な女だ。

 私が一度裏切った者を信用するわけも許すわけもないのに。


 だけと、私が彼女を信用できるようになる手段が一つある。


 人間だからこそ思いついたであろうこの魔法。

 単純な術式の割に拘束力が高い。

 魔王級の魔力がなければ解除もできないだろう。


 そう、奴隷契約魔法だ。


 この魔法で契約すれば、どんな相手でも信用できるようになる。

 契約違反即ち死という契約を結べばいいだけだから。


「それじゃあこれから額に魔法陣を描くから、貴女は私に全てを捧げ、どんな命令にも従うと心で念じなさい。もしそう思ってなかったらすぐに分かるから」


 人間と一緒に暮らしてきた中で、殆どの人間はこの魔法について知らなかった。


 だからシトリも、奴隷がいることは知っていても、奴隷契約の魔法がどのような仕組みになっているか理解していないはずだ。

 していれば、素直に従いはしないかもしれない。


「もちろんです。私は貴女へ忠誠を誓います」


 私は内心笑ってしまいそうになるのを堪えつつ、右手の人差し指を魔族特有の牙で切って血を流す。


 そしてその血でシトリの額へ魔法陣を描き、奴隷契約を結ぶべく魔法を発動する。

 シトリは素直に従ったらしく、契約魔法はすんなりと成功した。


 命と引き換えに魂を差し出したようなものだ。

 本当に馬鹿な女だ。


 奴隷契約魔法が成立した以上、どんな命令でも従わせることができるが、もう一つのやってほしいことについては、ぜひ自分の意思でやらせたい。


「一つ目のやってほしいことはこれで終わり。あと一つをやってもらう前に確認だけど、貴女は魔族でもないのに、どうして百年も姿を変えずに生きてこられたのかしら? それと、瞳の色や牙はどうしたの?」


 私の問いに、すぐに答えるシトリ。


「神国の魔法のおかげです。サクリファイスという魔法で、誰かの命を捧げることにより、命を魔力に変え、他者の寿命に充てることができるのです。二、三年に一度、誰かの命を捧げてもらうことで、私は若さを維持したまま生きることができました。瞳の色や牙は、暗殺者の称号の能力です。バレないよう暗殺するために己の外見や魔力量を多少いじれます」


 シトリがそう言うと、青い瞳は黒くなり、牙は八重歯となった。

 魔力量も増えたり減ったりしている。

 外見だけでなく、人間を食べた後、魔力が増えたように見せたのもこの能力のせいということか。


 人間なのに、何の抵抗も感じさせず、少量とはいえ同じ人間を食べる徹底ぶり。

 私はまんまと騙されていた。


 それにしても、あの女神風の詐欺師女はつくづくクズらしい。

 目的のために生贄を必要とするような相手を、私は神とは認めない。

 まあ、人間を食事にする魔族が言えた義理ではないが。


 そんな詐欺師女が相手だからこそ、私も遠慮なく敵とみなして備えることができる。

 もし、相手が慈悲に溢れ、真に人間のことを思う神であったならば、僅かに残った私の良心も呵責を覚えたかもしれない。


 だが、そうでないならば全力をもって戦うまで。


 千年後に私を殺しに来る詐欺師女の手先たち。

 だが、千年もあれば備えるには十分だ。


 おそらく、それまでにもちょっかいはかけてくるだろうが、生半可なことでは、負けないだけの実力は現時点で既にある。


 いずれにしろ、ユーキくんを迎えるため、世界を私たちのために創り替えるつもりではいた。


 そこに詐欺師女に備えるという理由が、もう一つ加わっただけだ。


 備えの一歩目として、まずはシトリを造り替える。


「それじゃあシトリ。もう一つのやってもらわなければならないことの準備よ。貴女から見てコイツは不要だという将軍以上の魔族を一人連れてきて」


 私の簡単な指示に、あからさまにホッとした顔を見せるシトリ。

 ……これからその身に施されることを知りもせずに。


「承知しました。すぐに連れて参ります」


 シトリがその場を離れたのを確認した私は、部屋を出る。


 部屋の扉の外には、シトリに斬り散らされた師団長たちの姿があった。

 私に気付かれず、これだけの殺戮行為を行えるとは、シトリの暗殺能力は恐るべきと言える。


 ほとんどの者が息絶えていたが、師団長だけはまだ、微かに息をしていた。

 四肢を切り離され、内臓をぶちまけられ、神の加護とやらのせいで回復もできず、苦しんでいる。


 私は神ではない。

 だから、死んだ者を蘇らせることはできない。


 だが、おそらくこの世界の神にも匹敵する魔力と、魔法の知識がある。

 瀕死状態の者でも、回復させることはできるかもしれない。


 私は、師団長へ回復魔法を施す。

 既存の回復魔法の式を書き換え、通常より遥かに多い魔力を注ぎ込む。

 兄以上になっているはずの魔力が、ごっそり持っていかれる感触があった。


 柔らかい光に包まれた師団長。


 斬り刻まれた四肢が蠢く肉で繋がっていく。

 はみ出した内臓が腹の中へ収まっていく。

 肉体が元の状態へ戻っていく。


 私に残っていた魔力のうち、半分ほどが消費された頃、師団長の体は元の姿へ戻っていた。


「気分はどうかしら?」


 私の問いかけに師団長は暗い表情で答える。


「最悪です。守るべき主君を守れなかったばかりか、その貴重な魔力を使わせてしまいました」


 そんな師団長へ私は微笑みかける。


「そうね。貴方は弱い。このままじゃ私の片腕は務まらないわ」


 私の言葉に、表情を歪める師団長。

 悔しさのためか、その瞳には涙すら浮かんでいた。


 普段感情の起伏に乏しい男性のこのような表情には、正直グッとくるものがある。

 だが、私は今回の件で反省した。


 どれだけ口で忠誠を誓ってくれても、本心は分からない。

 この師団長の表情も、絶対に演技でないとは言い切れない。


 全幅の信頼を置いていたシトリの裏切りは、私へ教訓を与えた。


 他人は信用できない。

 信用できるのは己とユーキくんのみだ。


 私は師団長へ告げる。


「貴方へ名前を与えるわ。その名前を捨てない限り、貴方は私の眷属となり、私の力の一部を使うことができる。その代わり、私へ危害を加えることはできない。名前を与えた後、その名前を捨てるということは、私への反逆と見做す。それで構わないなら名前を受け取りなさい」


 私の言葉に、師団長の目が生気を取り戻す。


「主君から名前を授かるのは魔族として最上の誉。しかも、魔王様自ら、私に魔王様を守る力を与えてくださる。私が魔王様へ危害を加えることは決してありません。だから私にとって利点しかございません」


 師団長の真剣な眼差しに、私もしっかりと視線を返す。


 私が考えた方策は、名前と力という魔族にとって何ものにも勝る果実により、忠誠を強制するものだ。

 そんな方策を、表面上だけかもしれないとしても、肯定してもらえるのは、正直嬉しかった。


 私はもう、ユーキくん以外、誰も信じることはできない。


 ……いや。

 信じないと決めた。


 この師団長に対しては失礼かもしれないが、こればかりは仕方ない。

 その代わり、最高の地位と力を与えよう。


 私は、名前のランクによって私から与える力を変えることにした。


 神の名の一部を与えた者には強い力を。

 それ以外の者にはそれなりの力を。


 当然、魔族全員には名前を与えることは、いくら私の魔力量でも限界があるので、私に害を及ぼしかねないほどの力や、潜在能力を持った者に、名前を与える。


 師団長はその一人目だ。


 もちろん、師団長へは、神の名からその一部を借り受けた名を与える。

 私の母国日本を産んだ、国産みの神、伊邪那岐(イザナギ)の名から。


「師団長。貴方の名は今から『ナギ』よ。私の片腕として、共に魔族の国を治めましょう」


 名前と共に、私は私の魔力の一部をナギへ渡す。

 力と共に、私との繋がりを作る為に。


「ありがとうございます。今度こそ、命に替えても貴方を守ります」


 そう決意を口にするナギの瞳が金色に輝き、そしてその光が収まった頃、シトリが戻ってきた。


 連れているのは、顔を見ることすら嫌悪したくなる鳥頭の兄だ。


 その姿を見た私は、思わず微笑んでしまう。


 よりによって連れてきたのがこの男とは。

 今回の裏切りを思わず許してあげたくなるほどに、シトリが連れてきた男は、これから行うことに適していた。


「お前、どんな卑怯な手を使って兄上を嵌めた? お前ごときが、卑劣な手を使わずに兄上に勝てるわけがない」


 第一声からピーチクとうるさい鳥頭。


 魔王である私への無礼な態度に、いまにも鳥頭へ飛びかかりそうなナギを右手で制して、私は鳥頭へ微笑みかける。


「そんなことよりお兄様。今日はお兄様にお願いがございます」


 お願いと聞いて卑猥な笑みを浮かべる兄。


「何だ? やっぱりお前じゃ力不足だから強者であるこの兄に、支えてほしいということか? まあ、可愛い妹の為だ。条件次第では考えてやらんことはない」


 私の体を舐め回すように見る鳥頭。


 どんな思考回路があればそうなるのか分からないが、性欲と権力欲の塊のこの鳥頭にいい加減うんざりしてくる。


 だが、私はそんな感情を表に出さずに言葉を返す。


「そうですね。側で支えて欲しいというのは合ってます。その条件というのが、この娘と一緒になってもらうことですが、いかがでしょうか?」


 私の言葉を聞いた鳥頭は、今度はシトリの体を舐め回すように見る。


 シトリも、私ほどではないが、外見には恵まれている。

 何より、強さが並ではないことは、魔族ならば誰でも分かるだろう。


 その卑猥な目での吟味が終わったのか、鳥頭が笑みを浮かべながら私の方へ視線を戻す。


「仕方がない。兄が手を貸してやろうではないか」


 きっと今、鳥頭の頭の中では、シトリを犯す卑猥な妄想と、魔王の権力をいかに利用するかということでいっぱいだろう。


 私はそんな鳥頭に歩み寄り、とびっきりの笑顔を作る。


「それでは、よろしくお願いしますね」


 私はそう言って、元の世界での握手のように、右手を鳥頭へ向かって伸ばし……そのまま鳥頭の胸を貫いた。


 血飛沫が降りかかるのも厭わず、私は鳥頭の胸の中を探ると、ドクンドクンといまだ鼓動をやめない心臓を取り出す。


「な、なぜ……」


 そう言いかけて、そのまま仰向けに倒れる鳥頭には目もくれず、私はシトリへ近づく。


 恐怖に顔を引きつらせるシトリの前で、私はもう一度笑顔を作る。


「次は貴方の番よ」


 私の言葉に、動揺し、後ろへ下がろうとするシトリ。


「わ、私は貴女へ忠誠を誓いました。だからお願いです。本当に何でもしますから、殺さないでください」


 そんなシトリに対し、私は首を傾げる。


「殺す? 私は貴女を殺す気はないわ。さっきその鳥頭に言ったでしょ。貴女と一緒になってって。だから、言葉通り一緒になってもらうだけ」


 私は掌に乗せた心臓をシトリに見せる。


「さっき話したもう一つのお願いは、貴女に魔族になってもらうこと」


 私はそう言いながら、シトリの胸にそっと手を添える。


「私という存在が産まれたことから、魔族と人間の遺伝子情報はほぼ同じはず。だったら魔族を魔族たらしめているのは何か」


 そこで私は思わず笑ってしまう。


「ファンタジーの世界だから、魂なのかもしれないけど、魔法ですら科学に基づく世界だからね。きっと臓器か血液だと思うの。だから、心臓から順番に臓器を魔族と取り替えて、それでもダメなら血液を入れ替えれば魔族になるるんじゃないかと思って」


 私の言葉を聞いたシトリが、私の手を振り解き、この場を走り去ろうとする。


「動くな!」


 私の言葉で、ピタリと止まるシトリ。


「そうそう。さっき施したのは奴隷契約の魔法。貴女は私の言葉に従うしかないの。……逆らったら死よ」


 私は恐怖で震えるシトリの頬を優しく撫でる。

 シトリの白く美しい頬が、私の手についた鳥頭の血で赤く濡れた。


「私は一度裏切った者を決して信用しない。でも、貴女は優秀だし、聞きたいこともいっぱいあるから殺さない。絶対に私に逆らえないようにした上で手元に置いておきたいの。奴隷契約魔法も、どこに穴があるか分からないからね。魔族にしてしまえば、人間や貴女が言う神にもう一度寝返ることは出来ないでしょう?」


 私は再度、シトリの胸に触れる。


「安心して。細菌の感染や拒絶反応が出ないように、魔法で万全な医療サポートを施してあげるから。ただ……」


 私は笑う。

 笑ってしまう。


「麻酔はないから、死ぬほど痛いのは我慢してね」

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