第156話 魔王②
私の胸からゆっくりと剣が引き抜かれ、それと同時に血飛沫が飛び散る。
私は右手で胸を押さえ、魔力での回復を試みる。
だが、血が止まる気配は全くない。
「こちらの剣には神の加護がございます。この剣で受けた傷は、穢れた魔族の血に作用し、回復を遅らせる効果があるとのことです」
私は、流れ出る血をそのままに、声の主へ視線を向ける。
「穢れた血ね……。あなたにも同じ血が流れてるのかと思ってたわ」
私の言葉に、声の主は声を上げて笑い出す。
「キャハハ」
今まで聞いたことのない耳障りな声で笑う。
「そう思わせるように動いてましたからね。汚らしい魔族のフリをするのは、精神衛生上良くありませんでしたが、全ては今日この日のため。うまくいってよかったです」
私は、平静を装いながら、声の主に尋ねる。
「……それで? 今頃になって私を殺そうとしたのはなぜかしら?」
私の質問に対し、待ってましたとばかりに答える声の主。
「最初から殺すつもりでしたよ。魔王になったらですけどね。私が殺さなければならないのは魔王ですから。ただ、貴方のお兄様にも。そして貴女にも。まともに戦ったら勝てませんからね。どちらが勝ち残るにしても苦戦は必至。魔力を使い切って疲れ果て、そして魔王になったことにより、ホッと息をつくそのタイミングを狙わせていただきました」
その返事を聞いた私は、素直な疑問を口にする。
「私はともかく、お兄様が勝っていたら、どうやって殺すつもりだったの?」
私の質問に、いやらしい笑みを浮かべる声の主。
「あの方は、強さが全てと考える方ですからね。私が四魔貴族に負けないくらいの実力を持っていることを見せてあげたら、簡単でした。ベタ惚れでしたよ、この私に」
そう言って微笑む彼女の醜い顔は、見るに耐えなかった。
「魔王になったら抱かせてあげる、と言ったら、喜んでましたよ。普段は偉そうにしているくせに、惚れた女の前だと、ただの思春期の男でした。まあ、汚らしい魔族なんかに、抱かれるつもりはありませんでしたけど。ベッドで無警戒に、無防備になったところを始末するつもりでした」
彼女はそう言いながら私の方へ近づくと、笑顔のまま私を蹴り倒した。
普段ならこんな攻撃食らわないし、食らっても効かない。
だが、疲れ果て、血を流し、弱り切った私は避けることができずに尻餅をつく。
そんな私の顔に靴をつけ、更に足で仰向けに押し倒すと、思い切り私の顔を踏みにじる彼女。
「私は貴女が大嫌いでした」
そう言いながら、足に込める力を強める。
「全てを持っている貴女が。貴女はきっと元の世界でも組織のトップに立てたでしょう。そして、惚れた男も手に入れたでしょう。……私は貴女の警護で、青春も、人生も犠牲にしなければならないのに」
そこまで言った彼女は、私の顔から足をどけ、私の顔へ唾を吐きかける。
私は、左手で唾を拭いながら、上半身を起こし、彼女の目を見る。
「シトリ……」
そうなを呼ぶ私の顔を、シトリは思い切り蹴り抜く。
「気安く呼ぶな!」
激しい痛みが左の頬を襲う。
首が曲げそうになるほど痛い。
そんな私を見て、シトリは暗い笑みを浮かべる。
「でも、女神様が私に崇高な使命を与えてくださった。魔王になった貴女を倒すという使命を」
シトリはそう言って恍惚な表情に変わる。
「魔王を滅ぼすのが女神様の望み。でも、女神様は下界の者に直接手は下せず、人間が倒すには魔王は強力過ぎる。まあ、保険として他の人間たちも手配されたけど、本命は私」
シトリは私がいるのも忘れたかのごとく、一人芝居のように語り続ける。
「誰にも倒せない強力な魔王。その魔王になる予定の魔族の少女へ貴女を転生させて魂を上書き。元の世界で貴女と近い関係にいた私を貴女の側に送り込み、信用を獲得。そして、魔王になって気が緩んだ瞬間に、神の加護を得た剣で殺す」
そう言ってニヤリと笑うシトリ。
その笑みは酷く欲に塗れていて、私を性欲の対象にしか見ない馬鹿な男どもとよく似ていた。
「それが女神様のシナリオ。一応、千年後に保険のメンバーが来ることになってますけど、やはり不要でしたね。私の本当の称号は暗殺者。貴女を殺すために、貴女の情報が手に取るように分かりました。おかげで貴女は私を護衛者だと信じ、楽に仕事ができました。後から来る彼らには悪いけど、報酬である願いは私が叶えさせていただきます」
そこまで話すと、私のことなど見えていないかのように、勝手に夢を語り出すシトリ。
大方、私を殺せば願いを何でも叶えてやるとかいう、ありきたりな手で、シトリを始め欲深い人間を釣ったのだろう。
神を語るだけあって、そのやり口は、欲に塗れた人間の動かし方をよく分かっている。
「元の世界に戻って組織のトップになるのも悪くないし、この世界でこのまま魔王になるのも悪くない。でも、青春を無駄にした分、世界中のイケメンに囲まれて暮らすっていうのもありでしょうか」
私は、シトリという女のくだらない夢を一通り聞いた後、口を開く。
「最後にもう一つだけ確認させて。師団長たちはどうしたの? いくら貴女が私の右腕だったといっても、私が一人で籠るこの部屋へ、彼らがそう簡単に通すとは思えないんだけど」
私の言葉に、夢から現実へ引き戻されたシトリは、ひどくめんどくさそうに答える。
「ああ。あの穢らわしい魔族たちには、もちろん消えてもらいました。正確には致命傷を与えて放置しているので、しばらく苦しんだ後、そのうちに死ぬ、というのが正しいのですが。魔族には最大限の苦しみと死を。それが女神様の望みですから」
それだけ聞いた私は、胸の傷を回復するそぶりを止める。
「それが聞けて安心したわ。あの子たちまで敵だったとしたら、自分の間抜けさが許せなくなるところだった」
私の言葉を聞いたシトリは笑みを崩さずに、私へ語りかける。
「最後まで貴女を守ろうとする姿は滑稽だったわ。強さが売りの魔族の癖に、この剣を持っただけで、人間の私相手に手も足も出なかったから。まあ、今はその手も足も、体についてないんだけど」
そう言ってキャハハと笑い声を上げるシトリ。
私はつくづく、己の無能さを嘆きたくなる。
百年以上一緒にいて、この女の本質に気づくことができなかったなんて。
私は回復に回していた魔力を、右手に込める。
「あれ? 最後の足掻きですか? 万全の貴女には敵いませんが、魔力を大きく消費した死にかけの貴女では、この剣を持った私には敵いませんよ」
私はシトリの問いには答えず、右手を自らの胸に向けて添える。
「何を?」
私は、その問いには答えず、風の魔法で作った槍で、未だ血を流し続ける傷口を抉り抜いた。
ーービチャッーー
夥しい量の血が、地面へと落ちる。
「ここに来て自殺ですか? まあ、これから私に遊ばれるより、賢明な判断かもしれませんが」
シトリの言葉に、私は笑みを返す。
「誰が自殺なんて。ユーキくんともう一度会って結ばれるまで、私は死なない」
ここに来てようやく、怪訝そうな顔を見せるシトリ。
そんなシトリの表情を見て、思わず笑みを浮かべてしまう私。
「貴女の神様の加護とやらでつけられた傷は、治りにくいのよね。だったら私が自分でつけた傷は?」
私の言葉を聞いたシトリの顔から、先ほどまでたっぷりとあった余裕が消える。
私は、多量の出血により、朦朧とし始めた意識の中で、残り限られた魔力を胸の真ん中へ集中させた。
肉が蠢き、血が踊る。
目で見ずとも、傷が埋まっていくのが、感覚で分かる。
予想通り、神の加護とやらは、私が自分でつけた傷には作用しなかった。
その様子を見ていたシトリの表情が、みるみるうちに青ざめていく。
傷が完全に塞がる頃には、シトリの表情が恐怖に包まれていた。
私は、傷が塞がった胸の真ん中に手を添え、視線を向ける。
「痕も残っていないようね。ユーキくんに綺麗な体を残せそうでよかったわ」
私はそう言って傷跡をさすった後、シトリに視線を向ける。
私の視線にビクリとし、怯えを隠せないシトリは、口をパクパクさせているが、言葉を発することができないようだった。
そんなシトリに、私は告げる。
「貴女とは付き合いも長いし、選ばせてあげる」
私の言葉に、僅かでも光明を見いだしたらしいシトリは、死んだようだった目に少しだけ輝きを取り戻して、私の目を見返す。
「抵抗して、死ぬより苦しい思いをして死ぬか。素直に殺されて楽に死ぬか。好きな方を選びなさい」
期待していた言葉と違う言葉を投げかけられたシトリは、少しだけ惚けたような顔をした後、徐々に表情を変える。
「ふ、ふざけるな! なぜ私が死ななきゃならないの?」
ヒステリックにそう叫んだ後、深呼吸をしたシトリは少し気を落ち着けて言葉を続ける。
「確かに万全な貴女には手も足も出ないけど、よく考えたら傷が塞がったとはいえ、今の貴女なんかに負けるわけがないです」
シトリは神の加護とやらが授けられた剣を構える。
「一回でダメならもう一度斬るまで。回復なんてできないくらい、斬り刻んであげます」
シトリの言葉を聞いた私は、ため息をつく。
潔く死を選んだなら、多少痛めつけた上でだが、生かしてあげてもよかったのに。
確かに今の私に残った魔力は、ごく僅かだ。
今は、シトリの魔力量の方が、総量では多いかもしれない。
そして、百年一緒に鍛えてきたシトリの実力はよく知っている。
シトリが勝てると思ってしまうのも無理はない。
私は、百年共に過ごしたシトリにさえ力の全てを見せたわけではないのだから。
「シトリも元日本人なら、天照、月詠ときたら、次は分かるわね?」
私の問いかけに、シトリは答える。
「もちろん分かりますけど、貴女にはもう、あれほど大規模な魔法を放つ魔力は残っていないはずです。それに、もし同様の複雑な大規模魔術の訓練をしていたなら、私が気づかないわけがありません。ハッタリなら通用しませんよ」
私はシトリの言葉に、思わず失笑してしまう。
「な、何がおかしい!」
余裕をなくしたシトリは、私の態度に激昂したようだ。
「貴女は私の何を見て来たの? 魔力の量だけが魔法の強さなら、私はお兄様に勝てていない。もちろんある程度の魔力は必要だけど、それ以上に大事なのは、科学の知識と発想よ」
私は、残った魔力を振り絞り、右手に集中させる。
『須佐之男(スサノヲ)』
須佐之男は、正確には攻撃魔法ではない。
物質の生成魔法だ。
武器にふさわしい物質を生成し、剣にする。
言ってしまえばそれだけの魔法。
だが、何よりも丈夫で、しかも魔力を増幅させるこの剣は、近接戦闘においてこれ以上ないほどに強力だと私は考えている。
魔法を考え始めた当初は、ダイヤモンドをイメージし、炭素を高密度で生成した。
だが、ダイヤモンド同様、瞬間的な衝撃と熱に弱い特性は、魔法を用いた戦闘には不向きだった。
ダイヤモンドより丈夫な物質を試行錯誤した結果、出来上がったのがこの剣の素となる物質。
元の世界なら、ミスリルやオリハルコンとでも呼ぶべきこの物質は、ダイヤモンドより丈夫なだけでなく、副産物的に、魔力を増幅する効果まで備えていた。
物質を生成するのに、かなりの熱量と圧力が必要なので、魔力はそれなりに消費する。
だが、魔力増幅効果を備えたこの剣は、魔力量が減って来た際に、少ない魔力量で効率的に戦う際の切り札だ。
私は、最強の剣を手に、シトリと向かい合う。
兄を殺したものよりさらに性能の良い剣。
この最強の剣で殺すことは、最終的には私を殺すためとはいえ、これまで長い間付き合ってくれた彼女への、せめてもの情けだ。
その時だった。
『貴殿は条件を満たした。親を殺すこと。腹心に裏切られること。大事な配下を殺されること。神の武器で斬られること。魔王であること。そして、最強の武器を手にすること。これらの条件を満たしたことにより、貴殿の称号は魔王より大魔王へと昇格。全ての能力が百倍となる』
頭の中で響いたその声と同時に、体が熱くなり、魔力が溢れ出るのが分かった。
残り僅かだったはずの魔力は、元の状態以上に膨らんでいた。
その様子を見たシトリの顔が恐怖で歪む。
「な、何、その魔法は。そ、そんな魔法聞いてない」
実際は、魔法の効果以外の要素も含まれているのだが、この際関係ない。
「ふふふっ」
私が笑みを浮かべ、一歩踏み出すと、逃げるように後ろへ後退りするシトリ。
「ヒッ」
そのまま後ろへ尻餅をつくと、怯える目で私を見上げるシトリ。
「くくくっ」
少しだけ魔力の出力を上げてもう一歩踏み出す私。
枯渇する前だった魔力は、全回復せずとも兄以上になっており、もはや魔力を浴びるだけで災害に遭遇したようなものだろう。
そんな私を見て、ガクガクと震えながら失禁するシトリ。
「そう言えば返事を聞いてなかったわね」
私は笑みを浮かべながら質問する。
「抵抗して、死ぬより苦しい思いをして死ぬか。素直に殺されて楽に死ぬか。好きな方を選びなさい」
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