第148話 魔王の娘④
次の瞬間、目を覚ました私は、身に覚えのない体の痛みを感じていた。
身体中が擦り傷だらけでヒリヒリ痛む。
腕や脚も打撲だらけで、鈍く痛む。
怪我が熱を持っているのか、全身が熱い。
骨は折れてはいないと思うが、私は痛みには慣れていなかった。
思わず呻き声を上げてしまいそうになった私へ、突然誰かが声をかけてきた。
「……ごめんね。ママのせいで」
そう言って手で顔を覆い、嗚咽を流す女性を見るのは初めてのはずだった。
だが、この世界で二番目に大事な人の涙に、私は心が痛む。
「大丈夫だよ、ママ。あいつら、ママに似て美人な私に嫉妬してるだけだから」
私の母親は、この女性ではないはずだった。
だが、私はこの女性が、この体のママであると分かっていた。
この体の中に記憶が二つある。
私の記憶と、この体に宿る記憶。
その二つがあった。
先ほどの胡散臭い女神のような格好をした女の言葉通り、私はこの少女の体を奪い、転生したのだろう。
私の言葉を聞いても泣き続けるママを、私は自分の体の痛みを我慢しながら、優しく抱きしめる。
「大丈夫だよ。私がついてるから」
体感時間としてはほんの少し前、初恋の人からかけてもらったのと同じ言葉を、私はママに向ける。
この言葉で自分が救われたように、ママも救われて欲しいと願いながら。
しばらく抱きしめると、泣き止むママ。
その美しい双眸は、涙に濡れて輝き、泣き顔ですら芸術品のように美しかった。
絶世の美女。
その言葉がママ以上に似合う人間はこの世界にいない。
そう思わせるほどの美貌。
おそらく完璧な容姿であるはずの、胡散臭い女神のような女性よりもなお美しいママ。
そんなママには、この国で生きていくには致命的な欠点がある。
それをこの体の記憶が教えてくれた。
『弱い』という、魔族の国で、魔王の妻として暮らすには最悪の欠点が。
突然の異常事態。
そんな状況自体は、自然と受け入れられている自分がいた。
さすがに転生させられることは想定していなかったが、いつ何が起きても不思議ではない環境で暮らしていたからだろう。
過激な兄弟の支持団体から拉致されたこともある私は、突然見知らぬところでその後の対応を迫られるのも初めてではない。
元の世界の時は結局、父の組織の人たちが助けてくれて、私は何もせずに救われた。
だが、今回はそういうわけにはいかないだろう。
ユーキくんのことがチラッと頭に浮かんだが、彼はきっと私を助けるどころではないはずだ。
こちらの世界には、元の世界の地位が影響すると、女神の格好をした女が言っていた。
反社会勢力のトップの娘が魔王の娘なら、女の言葉は真実なのだろう。
そうすると、貧しい母子家庭だったユーキくんは、きっとこちらでも苦しい生活を送ることになるはずだ。
寧ろ、私が助けなければならないだろう。
私はこの体に眠る記憶を呼び起こし、まずは自分の置かれた状況の理解に努める。
記憶を探って分かったことは、衝撃的なことばかりだった。
私が魔族の王たる魔王の娘であること。
魔族は強さが全てであること。
父である魔王は、強い子供を産むため、魔族だけでなく魔族以外の様々な種族に子を産ませ、交配の実験を行なっていたこと。
そして、私は人間の代表として拐われてきたママから生まれた、交配実験の結果であること。
ママは人間の中ではトップクラスに強かったみたいだが、魔族は人間より遥かに強い。
低位の魔族にはママでも勝てるかもしれないが、上位の魔族には全く歯が立たなかった。
魔族の世界は強さが全て。
最も強い魔族である魔王の父は、魔族でも有数の実力者である女性を何人も妻にしていた。
ママはそんな他の妻たちから蔑まれている。
ほぼ全ての者が美しい容姿をしている魔族の中おいても、ママは飛び抜けて美しかった。
そのことがさらに、ママへの蔑視に拍車をかける。
外見だけで弱い女。
魔王の子を産むのに相応しくない下等な生き物。
魔王の妻たちはもちろんのこと、魔王の子を産む機会に恵まれない他の有力な魔族たちからも、ママは差別の対象になっていた。
本来、人間であるママは、魔族の食料に過ぎない。
そんなママが、交配実験のためとはいえ、魔王の子を産む。
それは他の魔族たちにとって屈辱でしかなかった。
人間の中ではその容姿と強さから周りからチヤホヤされる存在だったようであるママ。
その時とは正反対の、周りは敵だらけのこの過酷な環境の中で、何とか私を育ててきたママの精神は、いつ壊れてもおかしくなかった。
そんなママを今の境遇から抜け出させるため、まだ幼いこの体の前の持ち主の少女は、限界まで自分を鍛えていた。
人間の体なら幼い子供のオーバートレーニングは褒められたものではないが、強度も回復力も段違いの魔族の体は、人間の体のような心配はいらない。
私はこの体の前の持ち主に感謝しなければならないだろう。
自分で学ぶ前から、強くなるための基礎知識と、土台となる仕込みは進められていたからだ。
私は絶対に強くなる必要がある。
この魔族や魔物が蔓延るこの世界で、ユーキくんを守らなければならない。
そのためには力が必要だ。
どんな敵が現れても、ユーキくんを守り切れるだけの力が。
そして、その目的はこの体の前の持ち主の想いに反しない。
強さが全ての魔族の社会では、強くなりさえすれば、後ろ指差されることもないからだ。
そうすれば、強い娘を育てたママだって、今ほど蔑まれることはないはずだ。
今すぐユーキくんを探しに行きたい。
でも、まずは強くなることだ。
強くなってこの生活から抜け出し、自分の身を守れるくらいにはならなければ、ユーキくんを探そうとしてもどこかで野垂れ死ぬだけだ。
強くなれば副次的に、もはや他人とは思えない、この世界でのママをも助けることになると信じて、私は決意した。
私が強くなるための道は果てしなく険しかった。
半分人間の血が流れている私は、魔族の強さの源である魔力の量が、他の異母兄弟たちに比べて圧倒的に少なかった。
半分は父の血のが流れているおかげで、魔族の平均魔力量よりは多いと思うが、高位の魔族を母親に持つ他の兄弟とは雲泥の差だった。
特に母親が四魔貴族や将軍クラスの兄弟たちは別格で、私の元の体の持ち主は、潜在的な恐怖心を植え付けられていたようだ。
多種族を母親に持つ他の兄弟たちも、純粋な魔力量では上位魔族を母親に持つ者には敵わない者が多かったが、その分、その種族特有の能力を引き継いでいた。
剛力と鋼の肉体を持つ獣人。
水中では敵なしの人魚。
空を自在に駆ける鳥人。
魔族に負けない魔力を持つエルフ。
彼らもまた、魔王の血を継ぐに恥じない力を持っていた。
弱いのは私だけ。
そのせいで他の妻たちから虐げられているのもママだけ。
特に魔族以外の亜人たちは、純粋な魔族たちから蔑まれていることもあり、より強く私やママを迫害してきた。
私自身も兄弟たちからの執拗な暴力でいつも傷だらけだった。
特に異種属との交配実験で生まれた、獣人と鳥人の血が流れる兄二人の暴力は苛烈で、加減を知らない彼らのせいで、死にかけたことは一度や二度じゃない。
「お前に本当に魔族の血が流れているから調べてやる」
そう言って爪を剥がされ、腕をちぎられ、目をくちばしでくり抜かれ、回復力を試されたこともしばしばだ。
結果、自分では回復しきれず、人間の国で回復魔法を学んでいたママのおかげで、目や腕は失わずに済んだのは不幸中の幸いだったが。
人間の回復魔法は、自分の魔力で行うこと以上のことをすると、その代償を術者に求める。
ママは、私を助けたせいで、右目の視力が大きく下がり、左腕に麻痺が残っていた。
獣人も鳥人も人間に比べて身体能力が高い上に、魔力量も人間以上だ。
私はいつも一方的にやられるのみだった。
女に暴力を振るうのは良くないなんていう常識は、野蛮な彼らの中にはない。
それどころか、成長するにつれ、卑猥な色を帯びてくる彼らの視線は、けだものそのものだった。
このままでは貞操の危険すらあった。
頭まで獣の彼らに、近親相姦の愚などという概念なんて理解できないだろうから。
ユーキくんと再会して幸せに暮らすこと。
それが人生最大の目的なのは変わらなかったが、娘の私ですらこのような状況だから、ママはもっと辛い状況にあらはずだった。
ユーキくんの次に大切なママも、今の境遇から救わなければならない。
私は強くなるための方策をさらに真剣に考えた。
魔族が強くなる手っ取り早い方法は、人間を食べること。
それも、出来るだけ大量に。
出来るだけ魔力を多く持った者を。
そもそも、普通の魔族は、生きるために、そして魔力を維持するために、定期的に人間を食べなければならない。
人間の血が半分流れている私は、幸いなことに、人間を食べなくても死なないし、魔力がなくなることはなかった。
だから、私は人間を食べてはいなかった。
いくら強くなるためとはいえ、人間を食べてしまえば、後戻りできない気がしていた。
ユーキくんと結ばれる資格がなくなる気がしていた。
体は半分魔族でも、心は人間のままでいたい。
それが私の願いだった。
だから、私が考えたのは、人間として強くなる方法だ。
純粋な人間は魔力量が少な過ぎて高位の魔族の敵ではなかった。
だが、幸い、私は魔族の平均値以上は魔力量がある。
弱い生き物というのは、工夫をするものだ。
私が知っている人間という生き物は、知恵だけはある。
少ない魔力量で戦う術を持っているはずだ。
私が人間の戦い方を学べば、きっと何か強くなるためのヒントを得られるはずだ。
魔族の戦い方は、その有り余る魔力をそのまま体に流して身体能力を上げるか、自然の力に燃料として魔力を注ぎ、魔法的な現象を引き起こすかのどちらかだった。
人間の戦い方も基本は同じだったが、人間は魔力量が少ないので、何とか魔力を節約しようとしていた。
ママに聞いた話だと、魔力を効率よく体に循環させる訓練を行なったり、より自然に影響を与えることができた時の魔力の流れを記憶したりしているようだった。
ただ、その考え方が、先進的とは言い難かった。
ママと会話している限り、人間の文明レベルは、元の世界でいうところの紀元前のレベルだった。
女神の格好をした女の話では、中世から近世くらいとのことだったが、認識にズレがあるようだ。
この世界の人間たちの人体や自然に関する知識がかなり低レベルなため、魔法の効率化や自然への干渉がうまくいっていないのだろう。
もっと改善の余地はありそうだった。
そう考えた私は、自分なりに魔法の研究を進めることにした。
兄弟たちから振るわれる理不尽な暴力に耐える傍ら、私は魔法の研究に没頭した。
火、水、風、雷、土、氷、光……
元の世界での知識を総動員し、あらゆる自然現象に働きかける方策を考える。
没頭できることがあるというのは素晴らしい。
苦痛で仕方がなかった暴力も、その時間さえ過ぎれば、なんてことはなくなる。
彼らに復讐することを考えながら研究すると、自然と笑みさえ浮かんでくる。
だが、ある日、私の研究にはそんなに時間がないことに気付く。
ママの精神が限界を迎えていることが伝わってきたからだ。
父である魔王の寵愛があるからこそ、これまで生かされてきたママのもとに、最近父が訪れなくなっていたからだ。
未だ十分な美しさを備えているママだったが、加齢により、少しずつその容姿が衰えてきているようだった。
どんな女性でも選びたい放題の魔王にとって、衰えの見え始めた女性など、もはや眼中にないのだろうか。
そもそも、魔族の恋愛の基準は、容姿より強さのようなので、美しいだけのママに、今まで魔王が固執していたのが異常だったのかもしれないが。
魔族は基本的にみんな美しい。
そして十分な量の人間を食べてさえいれば、常に全盛期の肉体を維持できる。
魔王が別の女に乗り換えても不思議ではない。
でも、乗り捨てられる本人はそう簡単に割り切れない。
ママを生かしている唯一の支えである魔王。
その魔王の寵愛を受けられないということは、ママにとっての死を意味していた。
魔族の血が流れている私にとって、時間は問題ではない。
でも、ママは違う。
私は、ママが生きている間に、安心して暮らしてもらえるよう、すぐに強くならなければならない。
それに、ユーキくんだって、いつまでも無事でいるか分からない。
すぐにでも助けに行かなくちゃいけない。
研究のおかげで、少しは強くなった自覚がある。
並の魔族相手なら負けることはないだろう。
だが、魔王の血を引く兄弟たちに対してどこまで戦えるかは未知数だ。
そもそも私は、誰かと戦った経験がない。
幼少の頃から戦いの中に身を置く魔族の中にあって、このハンデは大きすぎる。
まずは自分の実力を測ってみたい。
そのためには、誰かと戦うしかない。
そう考えていた私に、戦いの機会が訪れる。
その機会は突然に。
……そして残酷に。
私の身を襲った。
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