第147話 魔王の娘③

 自分の気持ちに気付いた日から、私はユーキくんに接近するようになった。


 まずは落書きされた机を掃除したり、ゴミ箱へ捨てられた私物を回収したりした。


 他の人が同じことをすれば、その人もいじめの対象になるだろうが、私はそうならないだけの地位を、これまでに築いてきた。


 いじめを行なっているメンバーも学内ヒエラルキーの頂点にいる私には手を出さない。

 私に手を出せば、学校側も黙っていないだろうし、私のファンの生徒たちも黙っていないだろうからだ。


 私は、いじめられている生徒をケアする優しい生徒を演じた。


 そのせいで、ユーキくんへのいじめはより一層苛烈なものになっていったが、それはむしろ好都合だった。


 ……より酷い境遇の方が、私への感謝の気持ちが大きくなるだろうから。


 私は酷い人間だ。


 好きな人と結ばれるため、好きな人が傷つけられるのを許容する。

 それどころか、このことを利用しようとしている。


 私がドラマや少女漫画の主人公なら大顰蹙を買うところだろう。

 ユーキくんにそのことが知られたら、きっと幻滅され、嫌われるだろう。


 純愛とは程遠い。


 どんな手段を使ってでもユーキくんと結ばれようとする私は、結ばれたとしても地獄に落ちるのかもしれない。


 でも、どうせトップになれなければ生き地獄に落ちるのだ。

 トップになるには優秀な夫を見つけなければならない。


 ユーキくんは私を凌駕するほど優秀な人だ。


 だからこれは、仕方のないことだ。


 私は自分にそう言い聞かせ、ユーキくんへのいじめを許容した。


 正攻法で攻めてもユーキくんを落とすことは可能かもしれない。

 だが、より確実に自分のものにするため、最善を尽くす。

 それは、私にとって当然のことだった。


 綺麗事を言ってユーキくんを自分のものにできなければ、意味がない。


 私はユーキくんを確実に手にする。


 好意は持ってもらった、でも、告白したらフラれた、では話にならない。


 綺麗じゃなくても。

 真実の愛じゃなくても。


 ユーキくんを自分のものにできるならそれでいい。







 ただ、最善を尽くしているつもりでも、ユーキくんはなかなか落ちてくれなかった。


 精神的に弱っているところにつけ込んでも。

 孤立無援な中で救いの光を差し込ませても。


 ユーキくんの心が私に開くことはなかった。


 私がただ微笑むだけで、ほとんどの男は虜にできた。


 彼女持ちでも。

 妻子持ちでも。


 手を重ね、少し体を寄せるだけで、私に夢中になった。


 ……それなのに。


 真冬の冷たい水に手を濡らして机を拭いてあげても。

 汚物塗れになってしまった靴を綺麗にしてあげても。


 ユーキくんの心は私に靡かない。


 私は焦る。


 勉強には答えがある。

 スポーツも努力すれば成果が返ってくる。


 人間関係も、手順さえ間違えなければ思い通りにできるはずだった。

 色恋が絡むのならば、より簡単なはずだった。


 きっと私のやり方は間違っていないはずだった。


 それなのにユーキくんが私に心を開くそぶりが見えない。


 なんで?

 どうして?


 いくら考えても私には理由が分からない。


 分からないまま。

 先が見えないまま。


 私はユーキくんのことを助け続ける。


 もはや打算的なことなど考える余裕すらなく、ただ振り向いて欲しい一心で、毎朝ユーキくんの机を拭き、ゴミ箱の中身を確認する。


 私はこれまで、恋愛にうつつを抜かすバカな同級生の女子たちを軽蔑していた。


 十代の大事な時期に、己の成長ではなく、色恋に時間を割くなんて、目先のことしか考えられないバカが行う愚行だと思っていた。


 ……まさか自分が同じ状態になるなんて思いもしなかった。


 ユーキくんのために費やす時間は、今のところ何も生んでいない無駄な時間だ。


 この時間があれば、もっと勉強だってできていたはずだ。


 このままでは私が私でなくなる。


 ただのその辺にいる女子高生と同じになってしまう。


 誰かを好きになんてなるんじゃなかった。


 こんなことなら、ユーキくんと出会わなければよかった。


 頭の中でそう呟いても、心がついてこない。


 常にその存在を思い浮かべてしまうほどに、私はユーキくんに恋をしていた。






 そんな状態がしばらく続いたある日、放課後二人だけの状態で、ユーキくんが珍しく話しかけてきた。


 内心ドキドキしながらユーキくんの目を見る私に、ユーキくんは残酷な言葉を告げる。


「迷惑だからやめてくれ」


 その言葉に激しく動揺する私。


 なんで?

 どうして?


 答えが分からないまま、正しい返答を探す。


 偽善だと思われたのだろうか。


 本当に迷惑なのだろうか。


 ……私はそうは思えなかった。


 ユーキくんは優しい男性だ。


 ほとんど接点のないすずちゃんを、自分を犠牲にしてでも助けたことから、それは明らかだ。


 だからきっと、ユーキくんは私を気遣ってくれたに違いない。

 そうに違いない。

 そうじゃなければ私は耐えられない。


 それならその前提で話をしよう。


「それはごめんなさい……でも、やめるわけにはいきません。ここでユーキくんを見捨てたら、私は私のことを許せなくなりますから」


 あくまで偽善ではない。


 そして、絶対に止める意思はない、ということを視線に込めて、私はユーキくんに答えを返す。


「矛先があんたに向かうぞ?」


 やっぱりそうだ。


 ユーキくんは優しいから、私のことを思ってくれているんだ。


 私は思わずにやけてしまいそうになるのをこらえながら言葉を返す。


「望むところです。それでユーキくんへの負担が少しでも和らぐなら」


 最初はユーキくんを落とすための作戦だった。


 でも今は、本心となってしまっている想いを言葉に乗せて答えた。


「……なぜ俺なんかのためにそこまでしてくれる?」


 そんなの答えは決まっている。


「あなたのことが好きだから」


「えっ?」


 思わず本心を告げてしまい、私は内心激しく動揺する。


 ユーキくんはまだ私に心を開ききっていない。

 告白するにはタイミングが早すぎる。


 私は慌てて取り繕うように言葉を続ける。


「……って言ったら納得します?」


 そう言ってなるべく悪戯っぽく見えるように笑顔を作った。


 うまくごまかせたか分からない。


 そこは対人能力だけは低いユーキくんの、人の感情を読み取る能力の低さに期待するしかない。


 私は気を取り直し、真面目な表情を作る。


 ようやく訪れたユーキくんと話をする機会。


 今はまだ、女性として落とせないなら、人として落とす。


「ユーキくんみたいに誰よりも頑張って、誰よりもすごい人が認められないなんて、そんな世の中間違ってると思うんです。私には世の中までは変えられないので、せめて自分にできることをやりたいと思っているだけです」


 嘘偽りない本心。


 自分のことを重ねながら伝えた心からの言葉。


 初めは打算だけで手を差し伸べていたが、今はそれだけではなかった。


 これで伝わらないなら、後はもう、服を脱いで押し倒すくらいしか手が思いつかない。


 しばらく見つめていると、ユーキくんの瞳から涙がこぼれた。


 無意識のうちに私の手が伸び、涙を拭う。


 私の言葉が。

 想いが。


 ちゃんと伝わったようだ。


 まだ恋人になれたわけではない。

 でも、私たちの関係が一歩前進したのは間違いない。


 これから、さらに関係が深まるよう頑張ろう。


 ……そう思った時、私たちは光に包まれた。







 辺り一面真っ白な空間。


 明らかな異常事態。


 そんな空間の中で、私の隣にはユーキくんがいた。


「ユーキくん……」


 私は思わずそう呟いていた。


 不安が口から溢れてしまった。


 この異常事態そのものによる不安ではない。


 せっかく近づけたユーキくんと離れ離れになってしまいそうな、そんな嫌な予感が不安となって漏れた。


 ユーキくんが、私の手を握ってくれる。


 男性に手を握られたのは初めての経験だ。


 いや。


 男性どころか女性にも握られた記憶はない。


 初めて触れる暖かな手。


 大きく。

 強く。

 優しい手。


 さっきまで感じていた不安が吹き飛ぶ。


 異常事態が何だというのだ。


 私の隣にはユーキくんがいる。

 ユーキくんがいれば何が起きてもどうにでもなる。


 私は絶対にこの手を離さない。


 私はユーキくんと手を繋ぎながら、女神のような格好をした胡散臭い女の話を聞く。


 大した情報も話さないまま、女の話が終わり、再び辺りが光に包まれる。


 ……それだけならよかった。


 再び何処かへ飛ばされても、ユーキくんが一緒なら、どんな危険なところでもよかった。


 それなのに。


 私は、ユーキくんから引き剥がされるように、強力な引力に引っ張られた。


 絶対に離さないと決めていたのに。

 そう決めていたのに。


 私はあまりに強力なその力に負け、手を離してしまった。


 ユーキくんの手を離してしまった。







 ……そして私は、ユーキくんと離れ離れになった。

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