第146話 魔王の娘②

 私は学校内で積み上げてきた人脈を駆使して、ユーキと呼ばれる生徒について調べた。


 彼について分かったことは、いくつかある。


 高校から編入してきた特待生であること。

 セレブ揃いのこの学校の中で、極めて異例な、貧しい母子家庭世帯であること。

 

 そして、これは調べるまでもなく分かったのだが、彼は私のクラスメートだった。


 自己紹介では聞いていたはずだし、クラスでも何度か顔を合わせているはずだったが、記憶に残っていなかった。


 だが、その理由はすぐに分かる。


 彼がいじめの対象だったからだ。


 私は、自分に必要のない情報は、覚えない傾向にある。

 記憶量には限界があり、すべてを覚えるのは困難だからだ。


 容姿については遺伝のおかげで恵まれているが、それ以外の能力は遺伝的に優れているわけではない。

 私は神童や天才ではなく、どれだけ頑張っても秀才の枠を出られない。

 だから、限られた記憶力を最大限活かすため、覚えるべきことは取捨選択する。


 そんな中で、いじめの対象という、今後の私の人生の中で役に立たなそうな人は、無意識に優先順位を落としてしまっていたようだ。


 中学の頃のように高校でも生徒会長になれば、生徒全員からの信頼を得るため、全員を覚える必要がある。

 でも、今はまだただの一生徒。

 限られた脳の許容量の中に、彼に関する記憶を割く必要はないと無意識に判断したのだろう。


 私は本人や周りには気付かれないように、このユーキという生徒を観察することにした。


 単に勉強ができるだけの天才なら興味はない。


 だが、そうでないなら……。






 しばらく彼を観察して分かったことはたくさんある。


 まず彼には友達がいない。


 学校に来てから帰るまで、事務的なもの以外の会話を誰ともしない。

 部活にも入っておらず、昼食も一人。

 休み時間も本を読むか勉強している。


 意外なのは、運動神経が抜群にいいこと。

 帰宅部にもかかわらず、体育の授業では運動部にも負けない活躍を見せる。


 部に所属していないのに、バスケ部やサッカー部とバスケやサッカーで張り合えるのは、異常に近い。

 私たちの高校は進学校であると同時に、スポーツにも力を入れており、バスケやサッカーは県でもベスト四に入るほどの強豪だからだ。


 身体能力も高く、陸上競技の記録は、ほぼ全種目で学年で一番。

 勉強だけでなく運動も学年一と言って過言ではなかった。


 振り返りたくなるほどのイケメンというわけではなかったが、容姿も悪くはなく、引き締まった体に精悍な顔つきは、女子たちに騒がれてもおかしくない部類だろう。


 だが、そんな彼に惹かれている女子生徒は、私が知る限り皆無だった。


 勉強も運動も学年一で、容姿も悪くなければ、普通なら女子生徒たちの憧れの的だ。


 それでも彼がモテないのは、貧しさといじめのせいだ。


 セレブ揃いのこの学校の生徒の中では、貧しい家庭というのは大きなディスアドバンテージだ。

 金持ちは貧乏人をどこかで蔑む。

 そして、蔑んだ男のものになろうという女子は少ない。


 ただ、少ないだけで、彼ほどのスペックを持った男子なら、ゼロではないはずだった。


 それでも彼が女性から見向きもされないのは、いじめのせいだ。


 入学当初は軽いものだったいじめが、日を追うごとに苛烈なものになっているようだった。


 貧しい家庭にもかかわらず、勉強も運動も学年一位。

 そして、そのことを鼻にかける様子もなく、当たり前のことのように過ごしている。


 これまでチヤホヤされてきた、いいところのおぼっちゃまたちには、許せないことだったのだろう。

 男の嫉妬ほど見苦しいものはないが、いじめの要因は紛れもなく嫉妬だった。


 率先していじめを繰り返しているのは数人だったが、周りの誰も助けようとはしない。


 誰もが知っている大手メーカーの社長の息子。

 有名政治家の息子。

 地域一の大病院の息子。


 そんな彼らに逆らおうという生徒はいなかったからだ。


 スクールカースト。

 そのヒエラルキーの頂点に立つ彼らに逆らうことは、学校内での自分の地位を放棄するに等しい。


 次の日には、彼の代わりにいじめられるのは自分になるかもしれない。


 そんなリスクを負ってまで彼を助けるような人間は、ドラマや漫画の虚構の世界にしか現れない。


 彼を見ていて、彼が才能のおかげで優れているわけではないことはすぐに分かった。


 想像を絶する努力。


 それが彼を彼たらしめている所以だ。


 同じく努力で自分を築き上げてきた私にとって、彼は驚愕に値し、尊敬すべき存在だった。


 私は努力しなければ人生が終わる。

 その一方で環境には恵まれている。


 彼は努力しなくても死にはしない。

 そして貧しく、いじめまで受けており、環境は最悪だ。


 そんな中で今の彼を築き上げてきたその意思と努力に、私は心打たれた。


 こんな経験は初めてだった。


 他人は自分をより高みへ導くための単なる肥やし。

 自分が良く思われるために気を引くべきもの。


 そう割り切っていた私の前に現れた、未知の存在。


 知らずのうちに、私の彼への興味は高まっていた。


 生まれて初めて持った他人への興味。


 気付けば、常に彼を目で追っている自分がいた。

 彼がいじめを受けるたび、胸が痛み、怒りを感じている自分がいた。


 私もまた、この学校ではヒエラルキーの頂点にいる。


 親は父の組織が隠れ蓑にしている会社の社長ということになっていたし、勉強も運動もできて、容姿も恵まれ、人望もある私もまた、学校の中ではかなりの力を持っていた。


 その上で、これまで磨き上げてきた対人能力を使えば、彼をいじめから救い出すことは容易だろう。


 でも、私はそうしなかった。


 彼がもっと今より弱り切ったときに、そっと手を差し伸べよう。

 そして優しく寄り添ってあげよう。


 そう考えた。


 今まで会ったことのない存在である彼に、自分の方を向かせたい。


 人を落とすのは簡単だ。

 敵だらけの中で一人だけ味方がいれば、勝手に落ちてくれる。


 だが、いつまで経っても、彼は折れなかった。

 どれだけ苛烈ないじめにあっても、決して屈しなかった。


 私はただ見ているだけで、何もできない。

 折れない彼に対して、手を差し伸べるタイミングが分からなかった。


 こんなことは初めてで、私は動揺する。


 迷うことなんてない。


 多少強引でも、私の力を持ってすれば、彼を助け出すことなど簡単なことだ。

 いつまでも折れないのならすぐに助ければいい。


 でも、踏み出せない。


 そして、なぜ自分が踏み出せないか分からない。


 ただ、時間はいくらでもある。


 どうせ誰も彼には手を差し伸べはしないし、いじめが終わることもないだろう。


 そう思っていた。


 ……そして、それは私の油断だった。






 最近、彼以外にいじめのターゲットになった女子がいるのは気付いていた。


 ただ、私には関係ないと思っていた。


 その女子は、弱みを握られ、売春のようなことをさせられそうであるようだった。


 趣味の悪いいじめだとは思ったが、私は私に害が及ばなければそれでいい。


 でも、彼は違った。


 ほぼ話したこともないだろう彼女のために、自らへのいじめが更にひどくなるだろうことを意に介さず、彼女を助け出した。


 そして、その日から、彼に助け出された女子生徒、すずの目が彼を追っていることに気付いた。


 私以外で彼に惹かれる人物が出てきたのだ。


 スペックで彼女に負けているとは思わない。

 でも、恋愛がスペックだけでは決まらないことを私は知っていた。


 純粋な気持ちは、ときに全てを凌駕する。


 今は彼女も彼を見つめているだけだ。

 ただ、いつ彼女が一歩踏み出すかは分からない。


 そこで私は気付く。


 彼を取られたくない。

 彼を自分のものにしたい。


 そう思っている自分に。


 何か特別な理由があるわけでも、特別な出来事があったわけではない。


 それなのに、感情のコントロールがうまくいかなくなっている。


 これまで、他人の恋愛感情はうまく利用してきた。

 でも、自分が誰かに恋をすることを想定していなかった。


 答えがわかった瞬間、私は自分の気持ちが制御不能になっていることに驚愕する。


 これまで全てをコントロールしているつもりだった。


 自分のことも。

 他人のことも。


 ……なのに。


 今は一番簡単なはずの自分の感情のコントロールさえできない。


 気付くと、目がユーキくんを追っている。


 ユーキくんが体育の授業で活躍すると心が弾む。

 ユーキくんがいじめられると心が痛む。


 自分を磨くことが全てだったはずなのに。


 ……それなのに。


 ユーキくんのことが頭から離れない。


 ユーキくんの一挙一動を見逃さずないよう目で追い続け、その一挙一動で感情が大きく揺さぶられる。


 視線が合いそうになる度に、思わず目を逸らしてしまう。


 灰色だった世界が色づくように。


 私の世界は変わった。


 ただ組織のトップになることだけを考えていた日々が終わった。


 毎日がドキドキの繰り返し。


 まるで少女漫画の主人公のように。


 心がときめいてしまう。

 私が私でなくなってしまう。


 私は自覚せざるを得ない。


 私は彼……ユーキくんのことが好きだ。


 生まれて初めて人を好きになった。


 今はもう、この気持ちに嘘はつけない。

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