第145話 魔王の娘①

 私の家は、反社会的勢力、所謂ヤクザの家だった。


 しかも、ただのヤクザではない。


 日本で一番大きい広域指定暴力団のトップ。

 つまり、日本一のヤクザの親玉が私の父親だった。


 日本のフィクサー。

 現代の魔王。


 名前を聞くだけで、震え上がる者が数多くいる存在。

 そんな人が父親だった。


 こう言うと、私がさぞすごく聞こえるかもしれないが、残念ながらそんなことはない。


 母親はただの妾。

 数多くいる愛人の一人に過ぎない。


 子供だって、私以外に両手で数え切れないほどいることを私は知っている。


 この暴力団、実は世襲制をとっていた。

 子供のうちの誰かがトップを継ぐわけだが、一番年長の者が継ぐわけでも、正妻の子が継ぐわけでもない。


 子供のうち、最も実力がある者が継ぐのだ。


 頭脳。

 体力。

 外見。

 政治力。

 人心掌握力。

 カリスマ性。


 それらを総合して、最も優れた子供が次期トップに選ばれる。

 選ぶのは、本家の幹部たちと、直参の組長たち。


 不正が行われないよう、次期トップには、自分と密な繋がりを持つ者を推薦することはできない。

 もし権力にありつくべく不正を企てた場合は、支援者も候補者も文字通りこの世から消される。


 そんな血の制約のもと選ばれる世襲制度は、一般の世襲とは異なり、無能な者がトップになることを許さない。


 したがって、子を生む母親となる愛人たちも闇雲に選ばれるわけではなかった。


 若くして大学教授にまでなった秀才。

 オリンピックにも出場したアスリート。

 元国民的アイドル。

 元ワールドクラスのモデル。

 若手政治家。

 ビジネスに成功した資産家。

 銀座のナンバーワンホステス。

 新進気鋭の芸術家。


 その道で名前を知らない者がいないトップレベルの女性が選ばれていた。


 遺伝的にも恵まれた子供たちが、最高の環境を与えられ、その中で凌ぎを削る。

 必然的に、優秀でない者がトップになることはない。


 そんな中で、私の母だけは別枠だった。


 優れていたのはその外見だけ。


 基本的には、外見だけでなく能力も考慮して選ばれるはずの愛人たちの中で、母だけは例外だった。


 一夜限りの遊び相手は外見だけで選ばれることもあるかもしれない。

 だが、将来血で血を洗う闘争の中でトップ争いをする子供を産む母親に、無能な者を選ぶのは酷だ。


 世の中には努力だけでは乗り越えられない壁がある。


 トップになれなかった者たち、その中でも女の子供の末路は悲惨だ。


 男ならトップになれずとも幹部や傘下の組長として生きていく道がある。


 だが、女は基本的にはそうではない。

 ジェンダーフリーが謳われる現代において、力がモノを言うこの業界には、旧態然とした男尊女卑の考え方が根強く残っている。


 トップになれなかった女は、よくて幹部や傘下の組長の妾。

 悪ければ薬漬けにされて体を売り、組織の収入源の一部になる。


 私はそんな人生はごめんだった。


 母の血のおかげで、外見だけは良かった私は、好色で欲望の塊である組のお偉方たちから狙われていた。

 例え一時は妾になったとしても、飽きられたり不興を買えば、すぐに薬漬け売春コースだ。


 私はそんな人生は受け入れられない。


 逃げると言う選択肢も存在しなかった。


 この国の警察のトップも、総理大臣でさえ、父の指示には逆らえない。

 逆らった瞬間、その首が飛ぶだけだと言うことを知っていたからだ。

 比喩的な意味ではなく、物理的な意味で。


 私に残された道は、誰よりも優れた人間だと言うことを証明し、トップになる以外にない。


 幸い、ただの女はモノ扱いだが、トップにさえなれば例え女であったとしても重宝されるのが、この組織の唯一の救いだった。


 物心ついた頃には私は、すべての時間を己を磨くことに費やすようになっていた。


 勉強や運動だけではない。

 人との接し方や外見についても、しっかりと学び、磨いた。

 心理学も、人心掌握術も、詐欺師の技まで学んだ。

 小さな頃から美容にも気を使い、食事管理も肌へのケアも怠らなかった。


 他の子供たちのように、親から何かを引き継いでいるわけではない。

 だからこそ、誰よりも学びに時間を費やした。


 私が中学生になる頃には、兄弟の中である程度実力に差がつき始めていた。

 母親違いの姉たちの中には、すでに妾にされたり、薬漬けにされている人もいた。


 基本的に外見は整っていて、しかも何かしら秀でるモノを持っているから、取引先や関係する組へのいいプレゼントになるようだった。


 そんな姉たちの姿を見る度に、私は気を引き締める。


 私は絶対にそうはならない。


 勉強も運動も学校では常にトップ。

 生徒たちから慕われ、先生たちからも一目置かれる存在。


 それが私だった。


 だが、それだけでは足りない。


 女性がトップに立つためには、実はもう一つ条件がある。


 優秀な夫を見つけることだ。

 女が一人で産める子供の数は知れている。


 それでは、無能な者がトップになってしまうリスクがあった。


 だから、優秀な夫を見つけ、その夫と別の女の間に子供を産ませる。


 妻公認の不倫だ。

 しかも、当てがわれるのは極上の女性。


 一見、女性が不利に見えるこの制度だが、そんなことはない。


 幹部や傘下の有力な組長の中には、自らが夫になるのを夢見る者も多いからだ。


 推薦権さえ放棄すれば、夫になるのは可能だった。


 この制度のおかげで、むしろ男性と同じくらいの優秀さであれば、女性の方がトップになりやすいのでは、と思えるほどだ。


 女性の幸せのことなどカケラも考えられていないこの制度だが、もちろん私は大歓迎だ。


 普通の女性のような幸せなど、物心ついた頃から諦めていた。

 この組織のトップに立ち、使い捨ての玩具にならないことだけが、唯一の望みだ。


 学校では身分を隠し、表の世界の人間として過ごしていた。

 妾の子とはいえ、国内最大の広域指定暴力団のトップの娘が学校に通っているとなると大騒ぎになるからだ。


 学校での私は驚くほど異性にもてた。

 学校中の男子生徒が私のことを好きなのではないかと思うくらいに。


 ただ、残念ながら自分に釣り合うと思える男子に出会うことはなかった。


 お目付役としてついている女子生徒の目があるというのもあったが、そもそも私は自分よりレベルの低い人間とは、遊びでも付き合うつもりはなかった。

 

 私は自分を磨くために一日のほぼすべての時間を費やしている。

 くだらない男に費やしている時間など一秒もなかった。


 付き合うなら、将来夫となり、一緒に組織を支えてくれるだけの実力と胆力を持つ男だけだ。


 だが、そんな男は皆無だった。


 あまりにも子供すぎる同級生たち。

 性欲しか感じられない先輩や教師たち。


 中には力で迫ってくる馬鹿な男もいたが、お目付役の女子にねじ伏せられるか、護身術も身につけている私自身に腕を捻られるかどちらかだった。


 恵まれた環境でヌクヌクと過ごす周りの人たち。


 こんな人たちが将来のこの国を担うのだから、国の競争力がなくなってきているのは仕方ないだろう。

 明日の命も知れぬ中で限界まで己を磨く人間たちがいる他国に、勝てるわけがない。

 そのおかげでこの国では自分が際立つのだから、私としてはありがたい話ではあるのだが。


 ただ、半分だけ血の繋がった兄弟たちは違う。


 実力がない者は淘汰される。

 実力があっても一番になれなければ排除される。


 完全実力主義の厳しい世界。


 今周りにいる、ゆるい人たちに合わせてはいられない。

 私が競い、比べるべきは、見えないところで力を蓄えている兄弟たちだ。


 だから私がクラスメートたちに気を取られることなんてないはずだった。

 多少勉強ができるだけのお坊ちゃん、お嬢様の集まりの学校で、私のライバルになり得る人間などいないはずだった。


 事実、中学までは、全てにおいて私はトップだった。


 勉強。

 運動。

 容姿。

 人望。


 その全てで私に匹敵する人はいなかった。


 県内有数の私立の進学校。

 その中に置いて、私は盤石の地位を築いていた。


 そう。

 中学までは……。






 高校最初のテスト。


 前時代的にテストの結果が張り出される学校で、私の名前は当然一番上にあるものだと思っていた。

 エスカレーター式のこの学校では、ほとんどの生徒が中学からの持ち上がりだ。

 中学時代、常に一位だった私が誰かに負けることなどあり得ない。

 そもそも、私の成績は全国でも三桁を数えたことはない。


 そんな私の名前が上から二番目に載っていた。


 自惚れではなく、私に勝つなんて、この一位の人は只者ではない。


 私は、私の上にあったその名前について記憶する。


 周りの生徒からユーキと呼ばれている男の子。


 この男の子は中学まではいなかった。

 例え急に成績が伸びたのだとしても、私は中学時代の同級生は、全員の名前と顔と成績とおおよその経歴や性格を記憶している。


 彼らに興味はなかったが、人望を得るために情報は必須だ。

 人は、己を知ってくれている人に好感を抱く生き物だからだ。


 だが、彼らについては、データ以上のものに興味はなかった。


 でも、この男の子は違う。


 私は知らずのうちに、この男の子に興味を持っていた。


 ……今まで学校の誰かに興味を持ったことなど、一度もなかったのに。

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