第142話 亡国の奴隷⑩
『サクリファイス』
リン先生がそう唱えると、リン先生の体が輝き、魔力が溢れ出してくるのが分かった。
以前、アレスと戦った時と同じ、いや、それ以上の魔力。
そんなリン先生を見た女性は呆れたような顔をする。
「それ、神国のバカたちが考えた魔法じゃない? それを自分に使えるように式を組み替えたの?」
女性の言葉に、リン先生は頷く。
「はい。だから私には勝っても負けても先はありません。全力で貴女を止めるだけです」
女性はため息をつく。
「……理解できないわ。ユーキくんのこと、好きなんでしょう? 好きなら結ばれたいと思うのが普通じゃない?」
女性の言葉に、リン先生は首を横に振る。
「それは違います。そんなの、愛じゃありません。……でも、貴女と相容れないのは分かってます。だからこそ、死んでも貴女にエディさんを渡すわけにはいきません」
リン先生はそう言うと、女性へ向かって右手を向ける。
『雷帝!』
呪文の詠唱もなく、俺が知る限り最強の最上級魔法を放つリン先生。
いく本もの光のレールが、リン先生の右手から後ろへ伸びて回転を始め、そして光弾がマシンガンのように発射された。
ーードドドドドッーー
その一つ一つが最上級魔法に相応しい威力を秘めたその魔法を、女性はノーガードで受ける。
かなりの数の弾丸が打ち込まれたはずだったが、無傷で立ち続ける女性。
「少しだけ痛かったかな。それがとっておき?」
女性は、首を傾げながらリン先生へ尋ねる。
「まさか。今のは貴女がどれほどの高みにいるのか調べただけです。……余りに高すぎて嫌になりますが」
リン先生はそう言って心底嫌そうな顔をする。
「それならさっさと諦めたら? 神国のバカの考えたその魔法も、今止めれば、もうしばらくは生きられるんじゃない? すずちゃんの思いに免じて、今攻撃を止めるなら殺さないであげてもいいけど。結婚式にも、一人くらい元の世界の人を呼びたいし。友人代表のスピーチをさせてあげるわ」
女性からの提案に対し、鼻で笑うリン先生。
「冗談を。今諦めるくらいなら、首を切って自殺します」
リン先生の言葉に不愉快そうな顔を見せる女性。
「あっそ。それならすずちゃんの望み通り殺してあげる」
そう言うなり、右手を振る女性。
何気ない動作だったが、おそらく音速を超えているだろうその動きにより、空気がソニックブームとなり、リン先生の首を襲う。
最上級魔法並の威力を秘めたその攻撃を、魔力を込めた左手でかき消すリン先生。
「舐めないでください」
女性の攻撃を防いだリン先生は、女性に向かって跳躍する。
女性のすぐ目の前まで迫ったリン先生は、その拳に最上級魔法並の魔力を込めて、女性へ殴りかかった。
ーーベキッーー
殴りかかったはずのリン先生の拳から、ヒビ割れる音がする。
「バカじゃないの、すずちゃん。私と貴女の魔力差を考えたらそうなるのは当たり前じゃない」
女性の言葉に、なぜか笑みを浮かべるリン先生。
「バカは貴女です。何の策もなく貴女に触れると思いますか? どうせ私に先はありません。右手くらい、貴女にあげましょう」
不適に笑いながら、リン先生の魔力が爆発的に高まっていく。
「これがとっておきです。『デストラクション!』」
リン先生がそう唱えると、膨大な魔力が収束し、女性に触れていた右手へ集中する。
そして、大河が氾濫したかのような魔力の奔流が女性を襲う。
溢れる魔力が光となり、あまりの眩しさに視界が奪われた。
視界が戻ってくると、そこには右手を失ったリン先生と、半身が吹き飛んだ女性の姿があった。
「どうですか? 私の人生、軽くはないですよね?」
少しだけ勝ち誇った様子のリン先生。
リン先生がそう思うのも無理もない。
俺たちより圧倒的に強いはずの魔族の将軍ですら逃げ出す相手に、致命的と思われるダメージを与えたのだから。
だが、半身を失い、瀕死であるはずの女性は、呆れたような仕草を見せる。
「はぁ……。こんなことしても無駄なのに」
女性はそう言ってため息をつくと、残った右半身だけで立ちながら、俺の方を向く。
「……ユーキくんに裸を見せるのは、もう少し先にしようと思ってたんだけど」
女性がそう言った瞬間、失われた半身の部分に赤黒い肉が生まれ出した。
グロテスクに蠢くその肉は、徐々に人体を形取る。
数秒後には、人の形を取り戻し、淡く光るかのような、白く美しい肌が露出していた。
「再生の力を使ったのは何十年ぶりかな。少なくとも人間相手に使ったのは初めてか」
そんな女性の様子を見て、愕然とするリン先生。
「そ、そんな……。私の一生分の魔力を使ったのに……」
膝をついて戦意を喪失するリン先生。
そして、それを見下す女性。
「貴女の人生なんて精々あと数十年でしょう? たかだかその程度の年月を対価にしたところで、私に勝てるとでも?」
しゃがみ込んでリン先生の顔を見る女性。
「ユーキくんを思い続けて十年? それでよく偉そうに言えたわね。私は、この世界に来てから千年以上、片時も忘れることなくユーキくんのことを思っていたわ」
リン先生の心を折るかのように畳み掛ける女性。
弱々しくなっていく魔力と共に、表情から力がなくなっていくリン先生。
「多少がんばったのかもしれないけど、所詮、魔力を抑えた状態の私すら倒せない程度の力しかない。……貴女にユーキくんの隣にいる資格はないわ」
確かに、女性とリン先生の間に、圧倒的な力の差があるのは間違いないだろう。
だが、リン先生を侮辱するのは許せない。
俺に魔法を教えてくれたリン先生。
人として尊敬できる存在であるリン先生。
例え、元の世界での同級生でも。
目の前の女性には戦闘能力では敵わなくても。
俺にとってのリン先生の存在は変わらない。
俺を認め、育ててくれた恩人。
今、この場で最も大事な、命を賭けてでも守りたい人だ。
俺は女性を睨みつける。
「その人を侮辱するのはやめろ。あんたが誰かは知らないが、これ以上リン先生を貶すのは、俺が許さない」
俺の言葉にきょとんとした表情を見せる女性。
「……さっきは空耳かと思ったけど、私が誰か分からない? 私は片時も貴方のことを忘れたことはないのに」
女性の漆黒の瞳が、感情の変化でより黒く染まっていくのが分かる。
「知り合いのいないこの世界へ、一人飛ばされてきた時も」
「力がないからと兄弟からいじめれていた時も」
「人間から五人がかりで襲われそうになった時も」
「私の美しさへの嫉妬から殺されそうになった時も」
「信頼していた人から裏切られた時も」
「私の存在を認めない魔族たちから反乱を受けた時も」
「どれだけ強くなっても孤独しか感じていなくても」
女性から魔力が滲み出てくるのが分かる。
仄暗く重いその魔力は、今まで見てきたどの魔力より、黒かった。
間近でその魔力を浴びたリン先生が苦痛に顔を歪める。
「ユーキくんの存在で救われてきたのに。こんなにユーキくんのことを想ってきたのに。ユーキくんは私のことなんて忘れちゃったの? 私のことなんてなんとも想っていなかったの? ……何で私のことを、知らないなんて言うの?」
魔力が漏れ出てきたことに気付いていない女性。
この女性の魔力は猛毒だ。
普通の人間は、この魔力にあてられただけで息絶えてしまうだろう。
俺は女性の方を向く。
カレン以外で、俺のことをこれほど想ってくれそうな女性は、一人しか思い当たらない。
元の世界で、俺に手を差し伸べてくれた唯一の女性しか。
「俺はあんたなんて知らない。俺に手を差し伸べてくれた女性は、自分の恋愛のために、関係のない人を殺したり、俺の大切な人を傷つけたりする人じゃない」
徐々に強くなる女性の魔力に、膝が震えそうになるのを堪えながら、俺はそう言った。
「……何も知らないくせに。私がどれだけ苦しんできたか分からないくせに」
女性はふらつきながらリン先生の胸元を掴むと、無理矢理立ち上がらせる。
「この女がいけないの? それとも他の女がいけないの? ユーキくん以外、全ての存在がいなくなれば、私のことを見てくれるの?」
女性から溢れ出る魔力は、もはや災害レベルと言ってもよかった。
魔力に対してはそれなりに抵抗があるはずの俺ですら、立っているので精一杯なほどの魔力。
この女性の存在は、ただそこに立っているだけでも厄災と呼べるほどだろう。
この女性の怒りを買ったのは間違いない。
だが、このままこの女性を野放しにすれば、この世界の全ての人が殺されかねない。
殺される人の中には、カレンやヒナも含まれるだろう。
そんなこと許すわけにはいかない。
リン先生が見せてくれたように、俺も俺ができる全てをもって、この女性を止めなければならない。
……焼け石に水にすらならないことが分かっていても。
俺が心の中でそう決意し、『とっておき』を使おうとした時だった。
「……ダメです」
今にも消えそうな弱々しい声で、リン先生がそう言った。
「エディさんは生きてください。この人も、何もしなければエディさんだけは殺さないでしょう。何があっても、エディさんにだけは生きてほしい。……そうじゃなきゃ、私の命が無駄になっちゃいます」
リン先生はそう言って力なく微笑む。
「これは私の遺言です。絶対に守ってくださいね」
リン先生を纏う魔力が消えていた。
そして、命の灯火も消えかかっているのが分かった。
「生きて。生きて幸せになってください。それが私の願いであり、生きてきた意味です」
虚な目をしたリン先生。
そんなリン先生が、少しだけ間を置いて最後の言葉を呟く。
「……エディさん。私の大好きな……エディさん……」
ーーパリンッーー
タイミングよくリン先生の首元で光っていたネックレスの石が砕けた。
そしてそれが、リン先生の命の終わりを告げる音だった。
だらんと力の抜けたリン先生の体。
リン先生の胸元を掴んでいた女性は、リン先生が生き絶えたことを確認すると、飽きたおもちゃを投げ捨てる子供のように、リン先生を投げ捨てた。
その扱いを見て、怒りのままに女性へ襲いかかるのは簡単だった。
だが俺は、リン先生の命と言葉を無駄にはできなかった。
歯が擦り切れてしまうほどに奥歯を食いしばり、俺は女性の方を向く。
「……ミホ」
名前を呼ばれたことで、女性の表情がパッと明るくなる。
「ユーキくん……。やっぱり覚えていてくれたのね」
喜びに涙を流しそうな女性の言葉には返事をせず、俺は女性に告げる。
「俺はあんたの物になる。その代わり、一つだけ約束して欲しい。俺の大事な人には手を出さないでくれ。……大事な人をなくすのは、もうごめんだ」
女性はリン先生の亡骸をチラッと見た後、笑顔で頷く。
「分かった。本当はユーキくんを惑わした奴らは皆殺しにするつもりだったけど、ユーキくんがそう言うなら我慢するよ」
俺は自分の歯によって切れた下唇から、流れ出る血を拭いながら、レナの方を向く。
「……そういうわけで、俺はこの人の物になった。ヒナやローザが生きていても。カレンが俺を思い出したとしても。俺のことは忘れるように言ってくれ。お前も見て分かった通り、この人に勝てるやつなんてこの世に誰もいない」
四魔貴族すら霞んでしまうほどの圧倒的な存在感。
そんな存在、天地がひっくり返っても勝てない。
呆然としているレナは、返事をしなかった。
「頼んだぞ」
俺はリン先生の亡骸に目を向ける。
思わず涙を流し、叫びたくなるのを堪える。
「ユーキくん!」
いきなり俺の腕に抱きついてくる女性。
「それじゃあ、すぐに式をあげて、その後、新婚旅行に行きましょう! 帝国の北のオーロラも見たいし、商国の南の方でビーチに行くのもいいな。あっ。ユーキくん今、ビーチって聞いてエッチな想像したでしょ。でも、ユーキくんなら私を好きにしていいんだよ」
無邪気に笑う女性を見て、俺は俯く。
……この日、俺は魔王の奴隷となった。
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