第141話 亡国の奴隷⑨
その声は鈴の音のように美しく。
真綿のように柔らかく。
それでいて聞く者全ての背筋を凍らせるような残酷さでそう言った。
声の持ち主は、首から上を失った魔族たちの中心に、忽然と現れた。
その姿を見た俺が感じたのは、神秘的に美しい、ということだ。
これまで見たことのある、どの女性よりも整った容姿。
美しいというより、神々しさを感じた。
光沢を帯びた艶やかな黒髪と、大きな目に映える漆黒の瞳。
それとは対極的に、淡く光っているかのように見える純白の肌。
絵画ですらこれ以上の美は表せないだろう究極の美しさ。
美の女神がいるならまさにこのような姿であると思わせる女性が、俺の方をまっすぐに見つめながら立っていた。
恍惚な笑みを浮かべたその女性は、その瞳から涙を流す。
そんな女性の姿に、その場にいた全員が目を奪われている中、魔族の一人が我に帰った。
「お、お前がやったのか!」
旅団長クラスのその魔族は、怒りを露わに、その魔力を放出する。
魔力の総量では俺やリン先生よりかなり多いであろうその魔族の魔力は、肌にビリビリと伝わってくるほど、強力なものだった。
対する美の女神のような女性からは、全く魔力を感じない。
触れただけで折れてしまいそうな、華奢でガラス細工のような女性は、外観だけでは全く強そうには見えない。
だが、生物としての本能が告げていた。
この女性に手を出しては、絶対にいけないと。
おそらく、この場にいる全員が同じことを感じていたはずだった。
そんな中、女性に対して敵意を見せたこの旅団長クラスの魔族には、敵ながら称賛を送りたくなる。
しかし、魔族の将軍ナツヒは違った。
「やめろっ! このお方は……」
将軍ナツヒの静止も間に合わず、無反応な女性に苛立った旅団長クラスの魔族は、拳に魔力を込めて、女性になぐりかかる。
唸りを上げる旅団長クラスの魔族の拳。
この攻撃を受けるには、かなりの魔力を込めて魔法障壁を張らなければならないはずだった。
だが……
ーーベキッーー
音を立ててあらぬ方向へ曲がる旅団長クラスの魔族の腕。
「……えっ?」
一瞬、何が起こったか分からず、惚ける旅団長クラスの魔族。
次の瞬間、女性の右手が真っ直ぐ旅団長クラスの魔族に向けられる。
「お、お待ちください!」
将軍ナツヒの声も虚しく、旅団長クラスの魔族の頭が、音を立てて弾ける。
ーーポンッーー
そして、首から上を失った旅団長クラスの魔族の体が地面に倒れる様子には目も暮れずに、女性は将軍ナツヒの方を向く。
「久しぶりね、ナツヒちゃん」
まるで近所の子供に話しかけるような気軽さで話しかける女性。
一方、初めて社長に会った新入社員のように恐縮する将軍ナツヒ。
「お、お久しぶりでございます」
そう言って片膝を折り、拝謁の姿勢を見せる。
「随分偉くなったみたいだけど、部下の指導が行き届いていないんじゃない?」
女性の言葉を聞き、顔を青ざめさせる将軍ナツヒ。
「お前たち! すぐに姿勢を正せ!」
ナツヒの言葉で、何が起きたかもよく分からない様子のまま片膝をつく生き残りの魔族たち。
「姿勢の問題だけじゃないわ。……あの人に傷を負わせるなんて、万死に値するわ」
そう言って俺の方へ視線を戻す女性。
絶世の美女と言う言葉がこれ以上ないほど似合う女性に見つめられ、思わずどきっとしてしまう俺。
だが、俺にはこの女性に全く見覚えがなかった。
俺に対して微笑みかけた後、将軍ナツヒへ視線を向ける女性。
「本当は全員八つ裂きにしてあげたいところだけど、今日はずっと会いたかった人にようやく会えて気分がいいの。五秒あげるから視界から消えて」
女性の言葉に、苦い顔をする将軍ナツヒ。
「お、お言葉ですが、あの者たちは我々魔族にたてつきました。ここで見逃してしまうとスサ様から何と言われるか……」
そんな言葉を発する将軍ナツヒに、再び冷酷な目を向ける女性。
「……貴女はあの小娘と私、どちらの言うことを優先すべきなのかしら?」
女性の逆鱗に触れかけたことを感じたらしい将軍ナツヒは、慌てて土下座し、額を地面に擦り付ける。
「も、申し訳ございません。もちろん貴女様でございます」
汚物でも見るかのような冷たい目でその様子を見下ろした後、女性は魔族たちに命じる。
「そう。それなら今すぐ消えて」
女性の言葉を受けた将軍ナツヒは跳ねるように立ち上がると、魔族たちに命令する。
「お前たち! 全速でこの場を離れるぞ!」
ナツヒの言葉に、理由は分からないながらも従う魔族たち。
「は、はい!」
仲間の屍もそのままに、魔族たちはその場を去っていった。
魔族たちがさった後、正体不明の女性と俺たち三人だけが残され、沈黙がその場を支配した。
女性の正体は分からないが、一つだけ言えることは、この女性は、俺たちより、次元を超えて遥かに強いということだ。
俺たちより圧倒的に格上の魔族の将軍が恐怖し、四魔貴族を小娘扱いする者が、弱いわけがない。
沈黙している間も、女性は俺を見つめ続ける。
絶世の美女から見つめられれば、普通なら悪い気はしないのだろうが、今は得体の知れない女性に見つめられる気持ち悪さしか感じなかった。
ずっと俺を見つめていた女性が、ふと気付いたように、リン先生の方を向く。
「あら? 貴女はすずちゃんじゃない? 私がいない間、ユーキくんを守ってくれていたの?」
すず、という名前には心当たりがあった。
元の世界にいた頃、クラスメートのイジメに遭い、犯されそうになっていたのを助けた時の子の名が、すずだったはずだ。
それより、俺の元の名を知っているということは……
女性へ話しかけようとした俺より早く、リン先生が取り乱した様子で声を荒げる。
「な、何で! どうして貴女が……」
初めて見るリン先生の動揺した様子に戸惑う俺をよそに、笑みを浮かべる女性。
「ふふふっ。悪い子ね。私がいない間に、ユーキくんを盗ろうだなんて」
女性の言葉に取り乱したまま反論するリン先生。
「ユ……エディさんは誰の物でもない! そもそも私とエディさんは、盗るとか、盗らないとか、そんな関係じゃない!」
リン先生の言葉を聞いた女性は、スッと移動し、俺もリン先生も反応すらできない速さで、リン先生のすぐ前に現れる。
そして、手を後ろで組み、少しだけ前屈みでリン先生の目を見つめる。
……まるで、普通の女子高生のような姿勢で。
「でも。すずちゃん、元の世界でも今でも、ユーキくんのこと、好きでしょう?」
女性の言葉に固まるリン先生。
明らかに狼狽し、みるみる青ざめていくリン先生は、今まで見たことがなかった。
「リン……先生?」
俺がリン先生の方を向くと、泣きそうな目でリン先生は俺の目を見る。
「エディさん。私は……」
話を続けようとするリン先生の言葉を遮るように、女性が口を開く。
「あれ? 同じ世界から来たことも、好きだってことも隠してたのかしら。でもまあ、そんなことは私には関係ないわ。そして、ユーキくんを好きになったのは私が先。ユーキくんと結ばれるのも私」
そう言うと、女性はにいっと笑う。
その笑顔は美しいはずだったが、女神のような美しさではなく、悪魔の如く歪んでいるように見えた。
「すずちゃんの役目はこれでおしまい。ユーキくんは私が幸せにするから、貴方は新しい人を探しなさい」
勝手に話を進めようとする女性に、俺は口を開く。
「あんたが誰かは知らないが、俺には心に決めた人がいる。あんたの物になる気はない」
女性の逆鱗に触れかねないことは承知していたが、これだけは譲れなかった。
死んでも譲れないもの。
それがカレンへの想いだった。
俺の言葉を聞いた女性は、怒るでもなく、納得したそぶりを見せる。
「なるほど。しばらく会えないうちに、悪い虫がいっぱいついたみたいね。まあ、ユーキくんは、私が世界中の男の中から選びぬいた、世界一魅力的な男性だから、仕方ないけど」
女性はそう言うと、無邪気な子供のように微笑む。
「それじゃあ、ユーキくんには、どれだけ私が必要か思い出してもらわないとね」
女性はそう言うと、リン先生とレナへそれぞれ右手と左手を向ける。
「ま、待て! 何をする気だ?」
俺の質問に、女性はさも当然のように答える。
「何って邪魔者を排除するだけよ? 人の恋路を邪魔する悪い虫には消えてもらわないとね」
何か間違ってますか、とでも言いたげな女性に、俺は心底恐怖を覚える。
俺は考えた。
このままではリン先生もレナも殺される。
だが、この女性は俺にご執心だ。
俺がこの女性の物になれば、二人は救われるかもしれない。
俺が自分が犠牲になる提案をしようとした時だった。
「ダメです!」
リン先生が叫んだ。
俺の思考を読んだかのような叫び。
リン先生は言葉を続ける。
「エディさんには幸せになってもらわなくちゃいけません。それが私の人生の意義です。この人と一緒になることがエディさんの幸せなら、私は身を引きます。……エディさんはこの人と一緒になりたいんですか?」
リン先生の問いに俺は答えられない。
俺が一緒になりたいのはカレンだけだ。
「隠していて申し訳ありませんが、この人が言う通り、私も異世界から来ました。そして私は、元の世界で無理矢理処女を奪われそうになったのを助けてもらった時から、エディさんに感謝し続けています。こちらの世界に十年前に転生してからも、ずっとエディさんのことを思い続けてきました」
リン先生はそう言って笑顔を見せる。
脳裏に焼き付いて離れなくなるくらい、綺麗な笑顔を。
「私からの最後のお願いです。エディさんは生きて、幸せになってくださいね」
……そしてリン先生は、絶望的な戦いにその身を投げた。
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