第138話 亡国の奴隷⑥

 俺は『青女』と言う言葉が何を指すのかは知らなかった。


 だが、いつの間にか空を覆っていたぶ厚い雲から、しんしんと降り始めた白いものを見て、なんとなく推測する。

 降り始めはゆっくりとした雪だった。

 その雪が一瞬で吹雪に変わる。


 吹き荒れる雪が、魔族たちを襲った。


 視界が白く染まり、前の様子は全く見えない。

 気象を操る強力な魔法なのは確かだ。

 さすがリン先生ではある。

 だが……


「リン先生。この短期間で新しい最上級魔法を開発するなんて、本当に凄いと思います。でも、この魔法で本当に敵を倒せるのでしょうか?」


 俺は疑問をそのまま口にする。


 確かに強力な魔法ではあるが、手練れの魔族が、この攻撃で倒されるとは思いにくい。

 相手の魔力が切れるまでこの攻撃を続けるなら別だが、単なる吹雪では、魔法障壁で防御している相手にダメージを与えるのは難しいだろう。


 俺の質問を聞いたリン先生はニコッと笑う。


「さすがエディさんです。この魔法、単体では大した威力はありません。攻撃力としては、上級魔法に毛が生えた程度です」


 リン先生の言葉に、俺は驚く。


「そんな。それじゃあどうやって……」


 俺の言葉に、リン先生は笑顔を崩さずに答える。


「まあ、見ていてください」


 リン先生はそう言うと、呪文を唱え始める。


「疾風の如き迅雷よ。空を駆け、敵を切り裂きし、光弾よ。神速のその身をもって、全てを穿通し、その力を我が前に示せ」


 リン先生の右手が何も見えない吹雪の中に向けられる。


『雷公!』


 光のレールが後方に伸び、圧倒的な電力で弾き出された光弾が、プラズマとなって雪を切り裂いていった。


 引き続き続く猛吹雪のせいで音も光も吸い込まれ、結果がどうなったかは分からない。

 だが、リン先生は魔法を放ち続ける。


『雷公!』


『雷光!』


『雷公!』……


 計九発の光弾を放ったところで、リン先生は魔法を放つのをやめる。


「うーん。やっぱり、同格以上には通じませんね」


 未だ吹き荒れる吹雪のせいで、俺には相手の様子が分からない。


 だが、リン先生の言葉からすると、同格、つまり旅団長以上の魔族以外には、これまで放った魔法が通用したということだ。


 リン先生は、『青女』に供給していた魔力も止める。


 徐々に晴れていく吹雪の向こう側で、未だ立っている人影は三つだけだった。


「くそがっ!」


 立っている三人のうちの一人が、炎の魔法で辺り一面を燃やす。

 未だ積もったままの雪と、首から上を失って倒れていた八つの遺体を燃やし尽くす。


 少し離れたところにいたリン先生と俺にもその炎は迫ってきだが、魔法障壁で難なく防ぐことができた。


 今の魔法は俺たちへの攻撃ではなさそうだった。

 邪魔な雪を消すのと、もしかすると仲間の火葬のために使ったのかもしれない。


 リン先生は、あの視界ゼロの吹雪の中で、相手の頭を正確に打ち抜いていた。


 相手も、吹雪に対する防御をしながら、見えないところから迫る最上級魔法魔法による射撃を、防ぐことはできなかったのだろう。

 視覚もできず、情報共有もできない状況では脅威に過ぎる攻撃だ。


 だが、相手からこちらが見えないのなら、リン先生はなぜ相手の位置が分かったのか。

 この凶悪なコンボ攻撃には、何かリン先生にしか分からない仕組みがあるのかもしれない。


「リン先生、魔力の残量は大丈夫ですか?」


 敵の数は削れたが、最上級魔法を十発も放ったリン先生の魔力もかなり減ってしまったはずだ。


 この戦いはむしろこれからが本番だし、この三人を倒した後も、さらなる強敵である将軍クラスが待ち構えている。

 ここで魔力を使い過ぎてしまうと、この先の戦いで不利になってしまうのは間違いない。


 リン先生は少しだけ考えて答える。


「残り半分くらい……でしょうか。『雷公』の出力は抑えたので、まだそれくらいは残っています」


 残り半分というのは、正直言って赤に近い黄色信号だ。

 これから格上との戦いを連続して行わなければならないのに、魔力の残量を計算しながらというのは、大きすぎるビハインドになる。

 それが分からないリン先生ではないだろう。

 全力で戦ってもまだ足りない相手に、これからどうやって挑もうというのか。


 そんな俺の心配が伝わったのか、リン先生は親が子供に話しかけるように、俺へ告げる。


「私の魔力量なら気にしないでください。絶対にエディさんの足は引っ張りませんから」


 根拠のない言葉。

 だが俺はそれを信じる。


 リン先生は、信頼に足る人だから。

 理由はそれだけだが、その理由は命をかけるに足る理由だ。


「分かりました」


 頷く俺にリン先生は言葉を続ける。


「とりあえず、エディさんも先のことを考えるのはやめましょう。将軍クラスの前に、この三人に勝たなければ先はありません。後先考えず、今全力を出すしかないです」


 リン先生の言うことも分かるが、それでは最終的に生き残れない。

 ただ、リン先生がそれを分からないわけがない。


 ここで死ぬ気じゃなければ、きっと何か考えがあるに違いない。

 ただ、もしかすると、戦いの前の言葉通り、戦うだけ戦って死ぬつもりなのかもしれない。


 それならそれで一緒に死ぬだけだ。

 この場に臨んだときに命は捨てていた。

 やることは何も変わらない。


 とにかく、リン先生の言葉に従うことにしよう。


 思考の放棄かもしれないが、迷うよりよっぽどいいはずだ。


「分かりました。この戦いで全て出し切るつもりで頑張ります」


 頷く俺に対し、リン先生が何かを言いかけた時、魔力の高まりを感じた俺は、すぐさま全力で魔法障壁を張る。

 リン先生も同じタイミングで魔法障壁を張ったようだ、


ーーゴウッーー


 魔法障壁を囲うように、俺とリン先生を大きな火柱が包む。


 魔法障壁のおかげで無傷ではあったが、かなり強力な魔法に襲われたのは間違いない。


 単純な魔法の打ち合いになればこちらが圧倒的に不利だ。

 人間と魔族では強さは同格でも、魔力量は間違いなく魔族の方が多い。

 その上、人数はこちらが少ないし、リン先生は半分しか魔力が残っていない。

 うまく戦略を立てなければ、あっという間に魔力切れで殺されてしまうだろう。


「家畜風情が……よくもやってくれたな!」


 炎の魔法を放った魔族が、吠えるように怒鳴る。


 この魔族のように怒鳴ってこそいないものの、残りの二人からも、仲間を殺された怒りが伝わってくる。


 怒って理性を失ってくれればいいものの、炎の魔族以外は、怒りつつも冷静さを保っているように見えた。


 旅団長格の魔族二人は、これまでの攻撃を見るに、それぞれ炎の魔法主体と、近接戦闘主体のようだ。

 一番厄介な師団長クラスの魔族の戦闘スタイルが未知数なのが痛いが、贅沢を言っても仕方ない。


 これだけの情報から戦略を立てようとしていた俺に、リン先生が告げる。


「師団長クラスの魔族は、水の魔法主体で戦うのが得意なようです。近接戦闘はあまり得意ではなく、中距離から高圧力の水をレーザーのように使って来ることが多いでしょう」


 俺は思わずリン先生の顔を見る。

 なぜ同じ情報量しかないのに、リン先生にはそこまで分かるのか。


 今は疑問を持っても仕方ない。

 敵の手札の一つが分かったのだ。


 あとはこちらの手札で戦うしかない。

 

 思いつく手段は一つ。

 刀があれば他にも戦いようがあるが、ないものをねだっても仕方ない。


 ここは『とっておき』を使う。

 それ以外に方法は思いつかなかった。


 ーーよし、行こう。


 心の中でそう思った時だった。


「エディ!」


 聞き慣れた声がした。


 俺は声がした方を振り返る。

 声の持ち主から放たれた飛来物が、俺の方へ飛んでくる。


ーーガチャッーー


 俺が掴むと、中の刃と鞘が触れて音がした。


 よく手に馴染む愛刀。

 ダイン師匠から譲り受けたそれが、俺の手の中にあった。


 刀が飛んできた方向を見る。


 そこには、先ほど別れてきたはずの少女の姿があった。


 真っ直ぐに立つその姿には、どこか気品がある。

 だが、その表情は険しく、何かしらの覚悟を秘めたものに見えた。


「……エディ。私も戦うわ」


 少女は俺にそう告げる。


「レナ……」


 俺は憎むべき自らの主人の名を口にした。

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