第137話 亡国の奴隷⑤
リン先生が放った無詠唱の上級魔法。
無詠唱での魔法は威力が大幅に下がるはずだった。
だが……
ーーゴウッーー
燃え盛る火炎が魔族たちを襲う。
上級魔法の名に恥じない威力を保った炎は、眼前に広がる魔族たちを飲み込んだ。
呪文を詠唱するそぶりを見せていなかったリン先生からの攻撃に、不意をつかれた魔族たち。
きちんと備えられていれば、雑兵にすら効かないはずだったが、不意打ちなら別だ。
人間は無詠唱では魔法が使えない。
その先入観を利用した奇襲。
人間より遥かに高い耐久性を持った魔族でも、実力の低い者が無防備に焼かれれば、かなりのダメージを受ける。
焼け焦げてのたうちまわっている者は二十人ほどだが、何かしらのダメージを負っている者は半数に迫りそうだった。
先ほどもそうだったが、リン先生は魔法の理を曲げているかのごとく、無詠唱で強力な魔法を使う。
俺の顔に疑問の色が浮かんでいたのが分かったのか、リン先生は俺に微笑みかける。
「私も引きこもっている間、魔法について考える時間がありました。今すぐは無理ですが、エディさんなら時間さえかければ、私と同じように無詠唱で威力を落とさずに魔法を使えるようになりますよ」
俺の心を読んだかのようなリン先生の言葉。
リン先生は、俺の考えまで本当によく分かってくれている。
一流の教師というものは皆そうなのだろうか。
ただ、今はその疑問より、リン先生の言葉の中身の方が気になる。
人間が使う魔法の一番の弱点は、呪文の詠唱に時間がかかることだ。
そのタイムラグを埋めることが、魔術師の永遠の課題とも言える。
耐久力を上げる者。
回避力を上げる者。
武器戦闘を覚える者。
別の誰かに守ってもらう者。
方法は人それぞれだが、何かしらの対策を講じている。
俺の場合は、刀で戦えることが、結果的に時間を埋めることにつながっていた。
だが、もし呪文詠唱の時間をなくすことができれば、戦術の幅は大きく広がる。
それこそ、まるで魔族のように。
リン先生は笑みを止めると前を見据える。
「すぐに敵の攻撃が来ます。できればもう少し数を削りたいところですが……」
警戒している相手に、先ほどのような不意打ちは通用しないだろう。
「俺も試したいことがもう一つあります。成功するかどうかは分かりませんが、試してみてもよろしいでしょうか?」
俺の言葉に、迷うそぶりなく頷くリン先生。
「なんでも試してください。どうなっても、私がしっかりサポートします」
リン先生の言葉に頷く俺。
リン先生のサポートなら安心だ。
今、この世界でリン先生以上に頼りになる人はいない。
俺は引きこもっている間に考えたもう一つの魔法を試すことにする。
仕組みは簡単。
今や俺の戦闘の基本戦術になっている『雷光』からヒントを得た魔法。
脳からの電気信号を記憶するのが『雷光』なら、その電気信号を遮断するのがこの魔法。
『雷斧(らいふ)』
ギロチンが開発される前、斬首刑の際に使われていた斧よろしく、首から上と下を遮断する電気の斧。
俺はその斧を、庭を埋め尽くす大勢の魔族相手に振るった。
見た目は範囲が広いだけの初級レベルの雷の魔法。
ある程度の強さを持った魔族からすれば、防御の価値もない低レベルな攻撃。
だからこそ効果があるはずだった。
そしてその読みは当たった。
バタバタと倒れていく魔族たち。
人間相手ならこう上手くはいかない。
なぜなら人間は、初級レベルの魔法でも受ければ致命傷になりかねないから、必ず防御か回避されるからだ。
一方で人間より遥かに魔力耐性の高い魔族は、通常なら初級レベルの魔法を受けてもかすり傷すら負わない。
戦闘に慣れた魔族ならなおのこと、魔力を無駄にしないため、防御行動すら取らない。
そのことはカレンと一緒に模擬訓練をしていた際に学んでいた。
陽動に使った初級魔法を、カレンは回避せずにその身で受けても、ノーダメージだったからだ。
カレンの話では魔族は幼少の頃から魔法に込められた魔力量を瞬時に見極め、回避もしくは防御が必要か判断する訓練を行うとのこと。
だから、俺の攻撃もほとんどの魔族がノーガードで受けると踏んでいた。
そしてそれは的中した。
リン先生の攻撃で弱っていた者や、明らかに魔力の低い者は防御したため、逆に俺の攻撃は通じていなかった。
だが、リン先生の上級魔法を余裕で耐え抜いた者たちの多くが、地に伏していた。
俺が放った『雷斧』の原理は簡単だ。
相手の首に当たった瞬間、その場にしばらく止まり、微弱な電流を放ち続ける。
その電流が脳から神経を通って伝わってくる電気信号を吸収してしまうのだ。
脳からの電気信号が伝わらなければ、首から下は動けなくなる。
生命維持に欠かせない心臓などの臓器も含めて。
科学的に発生させた電気ではすぐに逃げてしまうので、同じことを行うのは非常に難しいが、魔力で発生させた電気は、式に組み込むことでその動きを操れる。
強力な最上級魔法が核兵器なら、この魔法は化学兵器といったもころだろうか。
我ながら恐ろしい魔法を考えたものだと思う。
だが、これは生きるか死ぬかの戦いだ。
自分が死にたくなければ、いかに効率よく相手を倒すかを考え抜かなければならない。
この魔法を放った結果、残っているのは明らかな格下を除けば十名程度。
その誰もがかなりの手練れであるのは間違いなかった。
きっと俺の魔法に本能的な危険を感じ、防御か回避を行なったのだろう。
その中でも最も魔力の高い青い瞳の三十歳くらいの冷酷そうな顔をした男が声を上げる。
「中隊長以下は退却! 大隊長以上の者は密集せず、相手を囲うように展開せよ!」
的確な指示を出す冷酷そうな男。
魔力量はアレスほどではないものの、リン先生や俺よりは遥かに多い。
そんな男が指示を飛ばしながら明確な殺意を俺に向けてくる。
一筋縄ではいかないことを察し、俺のこめかみを汗が伝う。
そんな俺ににっこりと艶やかに笑いかけるリン先生。
「大丈夫です。エディさんには私が付いてますから」
リン先生はそう言うと、俺を守るように俺の前に立つ。
その小さな背中で、俺を背負おうとしてくれている。
情けない。
守るべき存在に気を遣われ、その背中に隠れるなんて。
絶対的に不利なのは初めから分かっていたことだ。
今更何を怖気付くことがあるだろうか。
俺は気合いを入れ直し、リン先生の横に立つ。
「ありがとうございます、リン先生。でも、リン先生を守るのが俺の役目ですから」
そんな俺に、敵の冷酷そうな男が口を開く。
「家畜風情がやってくれたな。メスは壊れるまで魔獣に犯させる。オスは手足をもいでその光景を見せた後、生きたまま食ってやる」
男の言葉を聞いた俺は、鼻で笑う。
「ふっ。魔族の脳みそも人間と変わらないんだな。脅し方が人間のチンピラと一緒だ」
人間と一緒。
その言葉にカチンときたらしい冷酷そうな男。
「家畜の分際でふざけた口を利くな!」
言葉とともに、肌を突き刺すような冷たい魔力が俺を襲う。
恐怖を感じてもおかしくない圧倒的な魔力。
でも俺は、それより強い魔力を知っている。
気高く強かった俺の恩人。
その恩人の魔力の方が強く、恐ろしかった。
「敵の残存戦力は師団長級が一人に、旅団長級が二人。あとは連隊長級と大隊長級がそれぞれ四人ずつです。エディさんと私の実力は恐らく旅団長くらいなので、単純な戦力で見るとかなり不利です。でも……」
リン先生はそう言うとにっこりと微笑む。
「エディさんと一緒ならどうにかなる気がします」
リン先生の表情と言葉に、思わず俺も笑みが溢れる。
「俺もです」
そう答えた後、俺はリン先生に提案する。
「まずは連隊長以下の八人を削りましょう。強敵と対峙している間に、不意を打たれたらたまりません」
俺の提案に、リン先生は少しだけ考えた後、肯く。
「分かりました。セオリーだと指揮官から潰したいところですが、こちらの戦力的に厳しそうですしね……。一気に掃討したいと思いますので、少しだけお一人で時間を稼いでいただけますか?」
リン先生の質問に、俺は胸を叩いて答える。
「もちろんです。いくらでも稼ぎましょう」
「こんなに頼もしい教え子を持って、先生冥利につきます」
リン先生は感慨深げに微笑むと、すぐさま呪文を唱え始める。
そんなリン先生を見た魔族たちが、揃って魔力を練り始めた。
明らかに大規模魔法を放とうとしているリン先生を、まずは排除しようというのだろう。
もちろん、俺がそのまま攻撃を許すわけがない。
「お前たちの相手は俺だ」
俺は両手の拳と両足に魔力を込めると、今は生きていないであろう、俺の唯一の騎士から教えてもらった技を放つ。
『閃光』
輝きを残してその場から消えた俺を、敵の数人は一瞬見失ったようだ。
まずは一人。
そう思いながら、魔力の刃で大隊長クラスの魔族を串刺しにしようとしたが、そんな俺の攻撃は止められた。
ーーバシッーー
少し離れたところにいた旅団長クラスの魔族が、魔力を込めた腕で代わりに止めたのだ。
「舐めるなよ、家畜が!」
そう言って振るわれた剣には、俺の一撃を遥かに凌駕する量の魔力が込められていた。
受けたら怪我をするのはこちらの方。
いや、怪我どころでは済まないだろう。
そう判断した俺は、すかさず自作の魔法を使って回避する。
『雷光』
攻撃を空振りした無理な体勢のまま、魔法によって飛ばした電気信号で、体を無理矢理後退させる。
ーーブンッーー
直撃すれば真っ二つに斬られてしまいそうな強力な一撃が、俺の目の前を通り過ぎる。
後退して着地した俺を待っていたかのように、今度は大量の魔法の矢が俺を襲う。
ーードドドドドドドッ!!!ーー
マシンガンのように降り注ぐ魔法の矢。
その一つ一つが致死級の威力を秘めている。
やむを得ず、再度『雷光』で回避する俺。
そんな俺から、再びリン先生の方へ視線を戻す魔族たち。
逃げてばかりでは引きつける役目を果たせない。
かと言って、無理な特攻をしても死ぬだけだ。
せめて刀を持っていればまだやりようがあるが、ダイン師匠から譲り受けた刀は、残念ながらレナの屋敷でお留守番だ。
リン先生のように威力を落とさず無詠唱で魔法を放てれば戦術の幅は広がるが、それも今はまだ使えない。
だが、ないものをねだっても仕方ないだろう。
今の手持ちの札で戦うしかない。
大隊長以上の魔族に通用しそうな俺の手持ちの札は『閃光』、『雷光』、『雷斧』に、最上級魔法『劫火(ごうか)』、『火雷(ほのいかづち)』、『雷公(らいこう)』だ。
あとは、未だ実戦で使ったことのない『とっておき』。
リン先生が詠唱を終えるであろうあと数秒の時間が永く感じる。
時間的に呪文の詠唱が必要な最上級魔法は選択肢から外れる。
不意打ちですら今残っている相手には通用しなかった『雷斧』も同様。
結局のところ、『閃光』と『雷光』の組み合わせで戦うしかない。
俺は魔力が高まり、今にも攻撃してきそうな魔族を順に『閃光』で襲う。
『閃光』
攻撃を防がれた後は、回避。
『雷光』
相手も馬鹿じゃない。
二、三回繰り返すと、俺が攻撃寸前の魔族だけを狙って攻撃しているのがすぐにバレる。
そんな俺を迎撃するために待ち構えている旅団長クラスの魔族。
頭の中で『雷光』を唱える間もない攻撃に、俺は緊急回避的に魔法障壁を張る。
ーードンッーー
対戦車ミサイルでも受けたかのような衝撃に、全力で魔力を込めたはずの魔法障壁は、ヒビ割れる。
二撃目は受けられないだろうが、一撃耐えられれば役目は果たしてくれた。
俺は障壁をその場に残し、すかさずその場を離脱する。
『雷光』
後退した俺が一瞬前までいた場所に、別の旅団長クラスの魔法が襲った。
ーーゴウッーー
少し離れたここまで熱気が伝わってくるほどの、高温の火柱が立ち上がる。
「おいっ! 俺まで熱いだろうが!」
文句を言う旅団長クラスの魔族を無視して、魔法を放ったもう一人の旅団長クラスの魔族は、リン先生に向けて手を向ける。
ーーまずい。
俺の足は『閃光』と『雷光』の連発で悲鳴を上げている。
だが、ここでリン先生を攻撃されると、これまでの時間稼ぎが無駄になる。
ーー仕方がない。
俺が『とっておき』を使おうと、腹を括ったその時だった。
「エディさん! 回避してください!」
聞こえてきたリン先生の言葉に、俺は『雷光』を用いた『閃光』で、大きく後ろへ後退する。
回避したその場で聞こえてくるリン先生の言葉。
『青女(せいじょ)!』
そしてこの場は、リン先生の魔法に支配された。
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