第135話 亡国の奴隷③

ーードシャッーー


 胴体から切り離され、宙を舞っていた首が、足元に落ちてきた。


 門から屋敷まで続く美しく白かった路は、血と肉片で、赤黒く染まっていた。


 原型をとどめていない者がほとんどの中で、三人の男が、震えながら剣を構え、一人の少女に向かっていた。


 そんな男たちに向けて、少女は右手を向ける。


「……窮奇」


 少女が呟くようにそう言葉を発すると、魔力を帯びた風が鋭い牙となり、三人の男たちを襲う。


 無詠唱の上級魔法。

 それは、威力が弱まり、初級魔法並の破壊力しか持たないはずだった。


 だが……


ーーズシャシャッーー


 少女が放ったその魔法は違った。


 真空の刃となった風の牙は、上級魔法に相応しい威力を保ったまま、猛威を振るう。


 三人の男たちも、魔力量を見る限りでは、雑兵というわけではなさそうだった。

 だが、時間的な猶予がないまま迫ってくる上級魔法に、的確に対処できたのは二人だけだった。


 魔法障壁を張るのが遅れた一人が、なすすべなく切り刻まれる。

 骨ごと切り刻まれた男は、生きたままミキサーにかけられたようなものだった。


 その血肉は広範囲に撒き散らされ、魔法を放った少女はもちろん、それなりに離れた距離にいたレナと俺のところまで、血飛沫が飛んできた。


「くそっ。悪魔め!」


 そう叫びながら、少女へ向かって斬りかかる生き残りのうちの一人の男。

 鋭い突進から、上級魔法並の魔力を剣に込め、小柄な少女の頭の上へ剣を振り下ろす。


 高位の魔族でもない限り、どんな手練れでも、この攻撃を受けるには魔法障壁を張るか、武器や防具に魔力を込めるしかないはずだった。


 だが、少女はそんなそぶりを見せず、無防備に見える左手でその攻撃を軽く受け流すと、空いた右手を煩わしそうに振る。


ーーバシャッーー


 針で刺された風船のように弾け飛ぶ男の頭部。

 血と脳と骨を撒き散らしながら、男の首から上が一瞬にして消えた。


「ば、化け物……」


 悲惨な光景を目の当たりにし、背を向けて逃げようとする残り一人の男。

 そんな男の背中に右手を向ける少女。


「風槍」


 無防備な人間を殺すのに、高度な魔法は必要ない。


 まるでそう言っているかのように、最後は初級魔法で男の胸を貫いた。


 男は、まるで助けを求めるかのように、俺とレナの方へ手を伸ばしながら、音を立てて地に伏す。


ーードサッーー


 男が動かなくなっつのを確認した俺は、屋敷の庭を見渡す。

 美しかったはずの庭には、夥しい数の血と肉片があふれていた。

 殺された人の数は、十や二十ではきかないだろう。


 最後の一人を片付け、レナと俺の存在に気付いた少女は、申し訳なさそうな顔をする。


「すみません、レナさん。レナさんのお屋敷を汚してしまいました」


 そんな少女に、レナはかなりの剣幕で言葉を返す。


「そんなことはどうでもいいです。それよりなぜこのような惨事になったんですか、リン先生」


 レナに質問された少女、リン先生は、言葉を選ぶようにゆっくりと返事する。


「えーと、エディさんと私が、その……子供を作る行為をしていないのが、どこからか漏れたみたいで」


 そう言って恥ずかしそうに頭をかくリン先生。

 その表情は、部屋に引きこもる前のリン先生そのもので、あまりにも無垢だった。

 血塗れの顔とのギャップに思わず、ゾッとしてしまう。


 リン先生は言葉を続ける。


「十二貴族の配下たちが、私たち三人を捕らえに来ました。私一人であれば、素直についていってもよかったのですが、大事な教え子である二人まで魔族の餌にするわけにはいきませんでしたので」


 リン先生はそう言うと、ニコッと笑う。


「だから、全員殺しました」


 さも当然であるかのようにそう告げるリン先生に、レナが反論する。


「リン先生。この人たちを殺すということは、十二貴族に、ひいてはスサへ反抗することに他なりません。もはや私たちには、スサに殺される以外の道はないでしょう。仮にこの人たちに捕まったとしても、必ずしも殺されるとは限らなかったのでは? 今度こそちゃんとエディに子作りの相手をしてもらえば、殺されずにすんだのではないですか?」


 そんなレナに、リン先生は今まで見たこともないくらい、暗く冷たい視線を返す。


「私は、自分の命可愛さに、お情けで、エディさんに抱いてもらいたくなんてない。そんな惨めな思いをしてまで、生き残ろうとは思わない」


 あまりに強いリン先生の言葉に、思わず一歩後ろへ下がるレナ。


「エディさんには、愛する人と結ばれてもらいたい。そして、エディさんが愛しているのは私じゃない。気持ちがないエディさんに抱いてもらうなんて、私は耐えられない」


 リン先生は、まるで自分に言い聞かせるかのようにそう言うと、レナと俺、それぞれへ視線を送る。

 そして、いつもの表情に戻ると、ニッコリ笑って俺たちに告げる。


「でも、安心してください。二人には害が及ばないようにします。エディさんが私を抱かないのは、私が拒絶したから。レナさんとエディさんの間では、レナさんが大人の女性の体になったら問題なく子供ができるはずだと伝えます。だから……」


 リン先生は、これまで見た中で、最もいい笑顔で微笑む。


「殺されるのは私だけです」


 リン先生の目は本気だった。

 本気で死にに行く目だった。


 俺は反射的に口を開く。


「ダ、ダメです! リン先生を見殺しにするくらいなら、スサや十二貴族に戦いを挑んで殺された方がマシです!」


 俺の言葉に首を横に振るリン先生。


「エディさんには、私のことよりもっと大事な人がいるでしょう? 私なんかのために、命を捨てちゃダメです」


 リン先生の言葉に、今度は俺が首を横に振る。


「確かに俺には、今はここにいない大事な人がいます。でも、リン先生も俺にとって、大事な人なんです」


 家族と恋人の命、貴方ならどちらを選びますか、という問いを、元の世界の漫画で見たことがある。

 自分の身に当てはめたとき、どれだけ考えても、答えは出なかった。


 行方不明の愛する人と、俺のために平気で命をなげうってくれる、人生で初めてできた恩師と呼べる人。

 俺にとっては、どちらも大事だった。


 人生において、優先順位のつけ方を間違うことは、大きな失敗に繋がる。

 今まさに、俺はその間違いを犯そうとしているのかもしれない。


 でも、今ここでリン先生を見殺しにして生き延びたとしても、俺にはもう、カレンを愛する資格はない。


「一緒にスサを倒しましょう。そうすれば、問題は全て解決です」


 驚きなのか、安堵なのか分からない。

 だが、リン先生は目を見開き、涙を浮かべて小さく頷く。


 そんな俺とリン先生に対し、今度はレナが苛立ちを隠さずに否定する。


「それができないからこうやって屈辱を飲んでるんでしょう!」


 レナは睨みつけるように俺を見る。


「さっきも言った通り、私はいずれはスサを倒すつもりだわ。でも、それは今じゃない。今戦っても、かすり傷一つ負わせられずに殺されるのがオチよ」


 そんなレナに、俺も睨みつけるような視線を返す。


「でも、今戦わなければリン先生は殺される。母さんはお前に殺された。カレンもお前のせいでいなくなった。ヒナもお前のせいでいなくなって、ローザもお前に見殺しにされた。お前にも譲れないものがあるのかもしれないから、過去のことはこれ以上、今は言わない。だけど、リン先生まで見殺しにはさせない。命に代えても、リン先生は俺が守る」


 痛いところを刺されたような表情をするレナ。

 それでも、レナは反論する。


「……あ、貴方は私の奴隷なの。どうしても私の言うことを聞けないというのなら、契約魔法で行動を制約するわ」


 確かに、レナに行動を制約されたら、俺一人ではどうしようもない。

 今のところ、契約解除の方法の目処が立っていないからだ。


 ……だが、今は俺一人ではない。


「その時は、リン先生にお前を殺してもらう。この三人の中で一番強いのはリン先生だ。例えお前が俺を操って二人がかりになったとしても、リン先生ならお前を倒すのは可能だろう」


 俺の言葉を聞いたレナは、次の言葉が見つからないようだ。

 今までの気丈な態度から一変し、年相応の少女の顔になるレナ。


「……エディ。私がどんな気持ちでこんな話をしているか分かるの? 私だって命に代えても貴方を守りたいと伝えたはずよ。私は貴方のことが……」


 そこまで話して、レナは口を閉ざす。


 俺のことがなんだというのだろうか?


 大事だとでもいうのだろうか?

 俺の大事な人はリン先生以外殺すか追放するかしておいて。


 惚れているとでもいうのだろうか?

 奴隷魔法で行動を縛り、種馬なんかにしようとしたくせに。


 俺はレナの言葉の続きを待たず、レナに背を向ける。


「行きましょう、リン先生。ここにいてはすぐに追っ手が来ます」


 リン先生は、ちらっとレナに視線を送った後、俺を見て頷く。


 俺とリン先生は横に並ぶと、レナには言葉すらかけずに、その場を後にした。


 ……レナの瞳に浮かぶ涙には気づかぬふりをして。

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