第134話 亡国の奴隷②

「イヤーーッ!!!」


 人通りのない道に響き渡る悲鳴。


「ママーーッ!!!」


 聞くに耐えない絶叫が続く。







 しばらくして悲鳴が聞こえなくなると、今度は別の音が聞こえてくる。


ーーグチャグチャ、グチャグチャ……


 その後、絶えず聞こえてくる咀嚼音。


「痛い……よ……」


 徐々に弱まっていく二人の声。


 血を見慣れ、人の命が失われるのも何度も見たことはあるが、目を背けても吐き気を催すほどの凄惨な現場。


 二人の体が全て消えて無くなるまで、その光景は続いた。








 二人の親子が魔族に貪られる様を見せ続けられた俺は、やり場の無い怒りをレナへぶつける。


「なぜ止めた! お前が俺を止めなければ、あの二人は死なずに済んだ!」


 詰め寄る俺に対し、レナは表情すら変えず、淡々と答える。


「だから何? あの二人を助けたところで、他にも大勢の人間が殺されるのは変わらないって言ったでしょう? そして、あの二人を助ければ、貴方も私もリン先生も殺される。殺された親子には申し訳ないけど、彼女たちの代わりに、私たちが死のうとは思えない」


 レナが言っていることは頭では分かる。

 分かってはいるが、心が受け付けない。


 俺は血溜まりを見つめながら呟く。


「俺はもう……俺が無力なせいで誰かが死ぬのは嫌なんだ」


 そんな俺に、レナが言葉を返す。

 まるで自分に言い聞かせるように。


「貴方は無力なんかじゃ無い。……でも、スサにはどんな人間も敵わない。そんな相手を前にして生き延びるには、誇りも生き方も捻じ曲げなければどうしようもないわ」


 レナは俺の目を見る。


「エディ。貴方は私が死なせない。他の誰を犠牲にしても。例え、どれだけ貴方に嫌われ、憎まれようとも」


 レナがなぜそんなことを言ったのかは分からなかった。

 俺が死ねば、自分も死ぬからだろうか。

 憎しみのあまり殺そうと思っていた相手からの、予想外の言葉に、俺は正直なところ戸惑っていた。


 レナは俺に背中を向ける。


「……付いてきて」


 そう告げると、レナは無言のまま俺の前を歩いた。


 途中、出くわす人は殆どなかった。

 ごく稀にすれ違う人も、下を向き、帽子で顔を隠すようにしてそそくさと歩いていた。


 少しだけ見えたその顔に生気はない。

 死んだように生きる。

 そんな表現の似合うような表情だった。


 道中気になったのは血の跡だ。

 道の途中途中で見かける黒ずんだシミ。


 恐らくこれは、魔族が人間を食事にした跡だろう。

 無数の血の跡が、この場で起きたことを物語っている。


 家々は扉を固く閉ざし、全ての人が死んでしまったかのように静かな街並み。


 今日、この街を歩いて分かったことは、王国はもう国として終わってしまっているということだ。


 魔族側、人間側共に、比較的秩序が保たれているはずの王都でさえこの惨状だということは、王国内の他の街や村は、もっと酷い有様だろう。

 つまみ食いが横行し、殺された人間の数は王都の比ではないはずだ。

 

 もはやこの国は、魔族に食事を供給するために存続を許されているに過ぎず、そこで生きる人間には尊厳も生きる権利すらない。


 スサの手に落ちてからわずかな時間しか経っていないにもかかわらず、荒んで活気をなくしてしまった王都。


 この街を俺に見せて、レナは俺が立ち直るとでも思ったのだろうか。

 それとも、希望がないことを分からせるのが目的だったのだろうか。


 俺にはレナの意図が読めなかった。


 しばらく進んだところで、俺とレナは、緑の芝生が広がる公園に着いた。


 無人の公園にポツンと置かれたベンチに、レナは腰掛けると、俺を呼ぶ。


「エディ。隣に座りなさい」


 契約を用いた命令ではなかったが、反抗することでもないので、俺は言われるがままにレナの横へ腰を下ろす。


「見ての通り、この国はもう滅んでいると言っても言い過ぎではないわ。誰もスサには逆らえないし、スサに権限を与えられている十二貴族たちにも逆らえない。……その結果、街の惨状は見ての通りよ。」


 レナは遠くを見つめながらそう話す。


「私は生まれ育ったこの国が好き。そして、その好きな国をこのままにしてはおけない。でも、今は地位も力もない」


 レナはそう言いながら悔しそうに唇を噛む。


「四年後の王選で私は王を目指す。それまでに、スサとも戦える力を身につける」


 レナはそう言うと、俺の目を真っ直ぐに見つめる。

 今まで見たことのない真剣な視線で俺の瞳を貫く。


「だからエディ。それまで私を支えてほしい。エディが私に好意がないことも、それどころか殺したいほど憎んでいることも、よく分かっているつもり。それでも、この国のため、この国で暮らす人々のため、力を貸してくれないかしら。私だって、さっきみたいに誰かを見殺しにするのは嫌。でも、今、怒りに身を任せて私が死ねば、この国はずっとこのままだから」


 レナの言葉に戸惑う俺。


 レナが言う通り、俺はレナとい人間には、憎しみしか抱いていない。

 レナという存在は、いずれ殺すべき存在でしかない。


 だが、今、目の前にいるレナを、すぐに殺すか迷っていた。

 つい先ほどまで絶対に殺そうと思っていた人間に対して、本当に殺していいか迷っていた。


 俺は自分の意思の弱さを実感する。


 俺は、現代日本に生まれた普通の高校生だ。

 人より多少厳しい環境で育ったかもしれないが、この世界の奴隷に比べれば遥かに恵まれた生活だった。


 そんな環境で生まれ育った俺は、当然人を殺したこともなければ、国民の命を背負った決断を迫られたこともなかった。


 でも、この世界に来て俺は、人を殺した。

 愛する人と自分を守るため、他人の命を犠牲にした。


 殺した相手が悪だったかどうかは分からない。

 十二貴族に命令されているだけの、何の罪もない人間だったかもしれない。

 そんな相手の命を、俺は奪った。


 殺した相手の家族は、友人は、恋人は。

 きっと俺を憎んでいるだろう。


 俺がレナを憎んだように。


 自分の対応が間違っていたとは思わない。

 あの時あの場で捕まってしまっていれば、レナは分からないが、俺とカレンは殺されていた。


 だが、同じ人間の命を、この手で刈り取った感触はいまだに消えない。


 レナはどうだろうか。


 少なくとも、しばらく一緒に暮らしてみて、人の命を蔑ろにする奴には見えなかった。


 俺の母親を殺したのは悪い魔族の仲間だったと思い込んでいたからだし、カレンを殺そうとしたのも、カレンのことを信用しきれていなかっただけかもしれない。

 レナにとっては、国民の命は等しく平等で、共に戦った仲間であるローザやヒナの命も、大多数の国民を救うためには、切り捨てざるを得なかったのかもしれない。


 国を背負ったことのない自分に、レナの気持ちは読み取れない。


 俺は自分に、レナを憎み、殺す資格があるのか分からなくなっていた。


 俺だけの視点から見れば、レナは殺すべき悪だ。

 だが、この国の国民から見たときはどうだろう。

 客観的に見れば、俺の母親とカレンは当然疑われるべき存在で、ローザやヒナも、大多数の国民の命と比べれば、大した犠牲ではないのかもしれない。


 平時に人を一人殺せば犯罪者だが、戦争時に百人殺せば英雄になる。

 人間の敵である魔族と魔族に与しているかもしれない人間を殺したレナは英雄なのだろうか。


 この国の歴史が後にも残るかは分からないが、歴史が語り継がれるのであれば、もし今レナを殺すと、悪になるのは俺の方かもしれない。

 歴史でどう語られようと構わなかったが、今すぐレナを殺さなければならないという気持ちが鈍っているのは確かだった。


 俺はレナの申し出を受けるかどうか考える。


 俺が今一番やりたいことは、カレンを探しに行くことだ。

 どこにいるかも分からない、生きているかどうかさえ分からない愛する人を、今すぐ探しに行きたい。


 ……死んでいるなら死んでいるで、その事実を確認したい。


 だが、レナはそれを容認しないだろう。

 魔族から国を救おうとしているのに、ただでさえ嫌悪している魔族を助けに行くのを許すはずがない。


 カレンを探しに行くなら手段は二つ。


 レナに従い国を救ってから改めて頼むか、レナを殺して行くかだ。


 少し前までは、レナを殺すことに何の疑問もなかった。

 人を殺すことには未だ抵抗があるが、レナは殺されても文句を言えないだけのことをしている。


 しかし、今の俺は迷っていた。

 この絶望的な国から、僅かとはいえ、光り輝こうとしている希望を摘んでもいいのかと。


 これまで考えていた俺の人生の優先順位の中に、国と、そこで暮らす大勢の国民というのは入っていなかった。

 ただの高校生に背負うことができるものではなかったからだ。


 迷う俺に、レナは語りかける。


「すぐに決められないならそれでもいいわ。もし、逃げるというなら、それも止めない。私がもう少し力をつけてからなら逃げる算段もつけるわ。今すぐ逃げられると、私も殺されてしまうから、それは許容できないけれど」


 俺は自分の優柔不断さが嫌になる。


 必ず殺すと決めたはずなのに。

 絶対に許さないと誓ったはずなのに。


 国を思うレナに、今の俺は純粋な殺意が抱けない。

 憎しみは消えないが、殺していいのか判断がつかない。


 しばらくその場を沈黙が包む。

 人通りのないこの街では、お互いが話さないと、静寂に包まれる。


 改めて真剣に考えてみるが、俺には決断が下せない。

 レナの提案を受け入れるには、レナに対する憎しみが大きすぎるし、レナを殺すには、レナの国を思う気持ちを切り捨てることができない。


 いつまでも結論が出せない俺に対し、レナは突然笑顔を見せる。


「やっぱりすぐには決められないみたいだから、この話はまたにしましょう。私を支えてくれる場合も、逃げる場合も、さっきも言った通り、貴方のことは私が守るからその点は安心して。それより、貴方を連れて行きたかった場所に、まだ行けてないわ。少し遅くなっちゃったけど、今から行きましょう」


 久しぶりに見たレナの笑顔。

 悔しいことに、レナの笑顔は綺麗だった。

 苦しい境遇に、若干のやつれは見えるものの、それでもなお見る者を魅了する美しさがあった。


 本当にレナがただの最低な人間なら、きっと今の表情はできない。


 こんな表情を向けられると、憎むべき、殺すべき人間であっても、そんな感情が揺らいでしまう。


 こちらの世界の母さんにも、カレンにも、ローザにも、ヒナにも、このままでは顔向けできない。

 それでも俺は、今すぐレナを殺すことはできなくなっていた。


 いずれにしろ、リン先生を生かす手段が思いついていない以上、すぐにはレナを殺せない。

 答えの先延ばしでしかないが、俺はしばらく考えよう思い、立ち上がった。


 前を歩くレナについて行こうとしたその時、突然後ろから声がした。


「レナ様!」


 大声に振り向いた先にいた声の主は、レナと俺の住む屋敷の使用人だった。


 尋常ではない様子で駆けてきた使用人は、レナを前にすると、肩で息をしながら告げる。


「レナ様、大変です!」


 顔色を真っ青にした使用人に対し、レナは落ち着いた声をかける。


「とりあえず落ち着きなさい。何があったの?」


 レナの言葉を聞いてもなお、取り乱した様子の使用人。


「屋敷が、リン様が」


 それだけ言うと言葉を探し始める使用人。


 レナと俺は顔を合わせる。


「すぐに屋敷に向かいましょう」


「ああ」


 リン先生の身に何かあったのではないかという不安を抱えながら、俺はレナとともに屋敷へ向かって駆ける。

 魔力を込めて走れば屋敷までさほどの時間はかからない。






 すぐに屋敷へとたどり着いたレナと俺。

 だが、俺たち二人は、そこで言葉を失ってしまう。


 戦場も血も見慣れたはずだったが、その慣れが甘かったことを、またもや思い知りながら。

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