第130話 獣人の王⑥

 私の言葉を聞いたウサギの獣人は、じっと見定めるように私の目を見る。


 私も目を逸らさず、しっかりとその目を見返した。


 このウサギの獣人に、私がどう映っているかは分からない。

 自分が一撃で倒した人間にさえいいようにやられる、弱者にしか見えていないのかもしれない。


 それでも私は食い下がるしかない。


 私が求めて止まなかったもの。

 人間を倒すための力。


 その根源である魔力を、このウサギの獣人は使っていた。

 少なくともこの数百年の歴史の表舞台で魔力が使える獣人はいなかったはずだ。


 このウサギの獣人が、どうやって魔力が使えるようになったかは分からない。

 だが、どんな手段でも、何をしてでも、私はその力を手に入れなければならない。


 胸から消えていた気持ち。

 人間に負けない力を身につけ、人間から自分たちの自由を勝ち取る。


 魔力が使えれば、その一歩が踏み出せるのだ。


 ウサギの獣人は、真面目な表情のまま、口を開く。


「簡単に魔力が使える方法があるわけじゃありません。それに、私が使えるようになった方法を貴女に施しても、貴女が使えるようになるという保証はありません」


 ウサギの獣人の言葉に、私は目を見開いて答える。


「それでも構わない。魔力が使えるようになる可能性があるなら、何だってする」


 私の言葉に、ウサギの獣人はピクリと反応する。


「……本当に何でもできますか?」


 今までより一段低い声での質問。

 それだけに、ウサギの獣人が本気であるのが分かる。


「もちろんだ」


 私は即答した。

 ウサギの獣人はしばらく考えた後、再度私の目を見て答える。


「それなら二つ条件があります。一つは、私と奴隷契約を結び、私の奴隷になること。魔力が使えるようになった瞬間、私に襲いかかってこられたりしたらたまりませんから」


 奴隷契約は非常にリスクの高いものだ。

 自らの人生を売り渡すに等しい。


「……もう一つは?」


 それに対しては返事を保留し、次の質問を待つ。


「王国で暮らす私の大切な方を助け出すのに協力すること。私一人では助けることができません」


 四魔貴族スサの牧場と化している隣の王国。

 将軍クラスが輪番制で統治している王国から誰かを助け出すのは、並大抵のことではないだろう。


 私は二つの条件に対する答えを考える。


 どちらも無条件で飲むには厳しすぎる条件だ。

 だが、もしこのウサギの獣人が現れなければ、私は店長の玩具となり、その人生は終わっていた。

 そう考えると、今から先の人生はこのウサギの獣人に運良く与えてもらっただけのものだ。

 恩人のために尽くすのは、きっと間違いではない。


 ただ、私にはどうしてもやらなければならないことがある。


「その条件を飲むなら、私からも条件を出させてほしい」


 私の言葉に、ウサギの獣人は眉をひそめる。


「貴女は条件を言える立場じゃない、と言いたいところですが、内容次第では考えてあげましょう。貴女には私が目的を果たすまで付き合ってもらわなければならないので、少しでもいい関係を築きたいですからね」


 私はウサギの獣人に感謝の礼をしつつ、条件を伝える。


「私からの条件も二つ。一つはこの店の元店員たちと、罠に嵌められ窮地に立っているはずの大勢の獣人たちを助けに行くのを許可してほしいこと。もう一つは、貴女の大切な人を助け出したあとは、獣人の自由を勝ち取るために、私が戦うのを許してほしいこと。この二つをお願いしたい」


 私の言葉に、ウサギの獣人は無言のまま深く考え込む。


 そして、しばらく考えた後、重々しく口を開いた。


「私のご主人様を助けた後は自由にしていいです。この店の元店員を助けるのも構いません。でも、今罠に嵌められている仲間たちを助けるのは許可できません」


 私はウサギの獣人へ質問する。


「……なぜだ?」


 ココたち元店員を助けるのもダメだというなら分かる。

 だが、窮地に陥っている仲間たちを助けるのだけダメだと言われると、理由が分からない。


「私たちだけじゃ助け出すことができないからです。罠に嵌めた人間たちは、強力な傭兵団を雇っています。主要な十人ほどのメンバーは、小さな傭兵団なら団長を務めていてもおかしくないレベル。団長に至っては、隣国の王国でなら剣聖や賢者と遜色ないレベル。二、三人は倒せても、その後私たちが捕まってしまうでしょう」


 ウサギの獣人の言葉を聞いた私は、冷静に考える。


 先程の店長との戦いを見るに、信じられないことだが、このウサギの獣人は、一対一なら、並の傭兵団長くらいは倒せてしまうのだろう。

 だが、確かに一人で十人を相手にするのは無理があるだろうし、剣聖や賢者というのがどれほどの強さが分からないが、ウサギの獣人の口ぶりから格上なのは間違いない。


 そんな相手に挑むのを躊躇する気持ちは分かる。


 だが、私は引き下がるわけにはいかない。


「それは君が一人だった場合だろ? 私はライオンの獣人だ。私が魔力を使えるようになれば、きっと君より強くなる。そうすれば救い出せるかもしれない」


 私の言葉には、全く根拠がないわけではない。

 実際お互い魔力が使えなければ、私がこのウサギの獣人に負けることは決してないだろう。


 しかし、ウサギの獣人は頷かなかった。


「それは無理でしょう。将来的には分かりませんが、魔力が使えるようになっても、すぐに強くなれるわけではありません。私も、私の大切な方に鍛えていただいたからこそ、ここまで戦えるようになりました」


 ウサギの獣人の言葉は、己の経験からくるまぎれもない真実なのだろう。

 それでも私は頷くわけにはいかない。


 仲間を。

 ミーチャたちを助けられるかどうかは、私にかかっている。


「それは、君がウサギだからだ。戦うために生まれてきた私なら、きっとすぐに強くなれる」


 ある意味侮辱と取られても仕方ない発言。

 もちろん、今の私の言葉は本心ではない。


 ウサギという食物連鎖の底辺に位置する動物の獣人にもかかわらず、恐らく並外れた努力によってここまでの強さを持った相手を、尊敬はしても侮辱するなんてとんでもなかった。

 魔力を使わずとも相当な実力を持っているこのウサギは間違いなく強者だ。


 だが、私は、私の目的がある。

 その目的のためなら、例え偽りの言葉でも、平気で話さなければならない。


 ウサギの獣人は、特に苛立った様子もなく、私の目を真っ直ぐ見る。


「いいでしょう。貴女が魔力を使えるようになったら私と手合わせしてください。そこで現実を教えて差し上げます」


 ウサギの獣人の言葉に、私は自らの目を光らせる。


「そこで君より強いことを証明できれば、助けに行っても構わないな?」


 私の言葉に、ウサギの獣人は頷く。


「そんなことはあり得ませんが、もし証明できればいいでしょう」


 ウサギの獣人の言葉を聞いた私も頷く。


「それなら交渉成立だ。すぐにでも魔力を使えるようにしてくれ」


 そうお願いする私に対し、ウサギの獣人は首を横に振る。


「その前にやることがあります。……私の奴隷になっていただかなければなりません」


 確かにそれは条件の一つだった。

 もしこのウサギの獣人が悪意を持った者だったら、その瞬間に私の人生は終わる。

 このウサギの獣人の言動を見る限り大丈夫だとは思うが、店長の本性を見抜けなかった私としては、自分の人を見る目に自信がない。


 だが、私にはこのウサギの獣人に賭けるしかない。

 もともと終わっていた人生。

 例え騙されているのかもしれないとしても、今回賭けをすることに悔いはない。


「もちろんだ。約束だからな。私は何をすればいい?」


 肯定の返事をした後、質問する私に、ウサギの獣人は安堵のような笑みを浮かべながら答える。


「貴女はただ、私の奴隷になることを受け入れてくれるだけで大丈夫です。契約に必要な魔法は私が施します」


 今更だが、獣人が奴隷契約の魔法を使えるという事実に少しだけ驚く。

 奴隷契約の魔法は、人間の専売特許だと思っていた。

 そもそも普通の獣人は魔法が使えないのだから当たり前といえば当たり前なのだが。


 忌まわしい契約も、同じ獣人が行えば多少マシに思えると考えたが、そういうわけでもないらしい。

 どれだけ強く決意したとしても、自分の全てを売り渡すに等しいこの契約は、本能的なところで受け入れ難いものがある。


「嫌ならやめても大丈夫ですよ」


 そんな私の心情を見透かしたかのごとく、ウサギの獣人はそう言った。


「まさか。獅子の獣人である誇りに誓って、私は自分の言葉を違えたりしない」


 その言葉を聞いたウサギの獣人は、私の爪を使って己の指を切り、血を滲ませると、その血で私の額に紋を書いた。

 その紋に手を触れ、知らない言葉を呟くと、そっと手を離した。


「これで貴女は私の奴隷です。私の出す命令に逆らえなくなってしまいました」


 そう言いながら複雑そうな顔をするウサギの獣人。

 奴隷に対してこんな表情を見せるウサギの獣人は、やはり悪い者ではないと信じたい。


「気にするな。魔力を与えた途端反抗されたり、約束を守らず逃げ出されたりするリスクを考えれば、君の選択も頷ける。私も納得した上だから問題ない」


 私の言葉に、ウサギの獣人は、少しだけホッとした顔をする。


「そう言っていただけると少しだけ救われます。次は魔力を使えるようにしましょう。私の大切な方が私に施してくださった方法ですが、成功率は三割です。念のためにお伝えしますが、残りの七割は命を落とすか、廃人になってしまうとのことです。……それでもやりますか?」


 私は即答する。


「もちろんだ」


 私の返事に、真剣な顔で頷いたウサギの獣人は、私の手を握る。


「今から今まで感じたことのないくらいの激痛が全身に走ります。そして、その激痛を乗り越えれば、魔力が使えるようになるはずです」


 ウサギの獣人はそう言った後、私の目を真っ直ぐに見据える。


「ただ、脅すようで申し訳ありませんが、命が懸かっているとはいえ、こんな簡単な方法で獣人も魔力が使えるようになるなら、私以外にも魔力が使える獣人がいてもおかしくありません。もしかすると私か、私の大切な方が特別だっだけで、貴女は魔力が使えないかもしれません」


 そう説明するウサギの獣人。

 私はこのウサギの獣人の奴隷になったのだ。

 騙されていたってなんの文句も言えない。

 だが、このウサギの獣人は影響とリスクを丁寧に説明してくれる。

 その真摯な態度に、私は思わず笑みを浮かべた。


「ありがとう。どんな結果になっても私は君を恨まない。ただ、もし私が死んだら可能な限り、私の仲間を助けてほしい」


 私の願いに、ウサギの獣人は頷く。


「ええ。必ず」


 その返事を聞いた私は、ウサギの獣人の手を握り返す。


「……それでは頼む」


 私の言葉にウサギの獣人が無言で頷くと、握った手を通じて、体の中に何かが流れ込んでくるのを感じた。


 私はウサギの獣人の言葉を舐めていた。

 痛みには慣れており、激痛とはいえ、耐えられないことはないと思っていた。

 メイド喫茶で働くまで、人間から暴力を受けることは日常だったし、暗殺をする際に、護衛から反撃を受け、命に関わるほどの重傷を負ったこともある。

 その時の痛みにも耐えられた。

 だから大丈夫なはずだと、たかをくくっていた。


 ……だが、次の瞬間、私は今まで感じたことのある痛みが、どれだけ生ぬるいものだったかを痛感する。


「ぐあああああああっ!」


 みっともなく声を上げる私。


 想像を絶する痛みが、全身を襲う。


 沸騰し、煮え滾った血が、全ての血管を焼き尽くすかのような痛み。

 細かい神経の一本一本を、全て踏みにじった上で、電気を流し、火で炙られたかのような痛み。


 何かを考える余裕など与えてくれない、激烈な痛みが私を襲った。

 痛みで私の気を狂わそうとしているようにしか思えない激痛の中で、それでも私は願う。


 この痛みに耐えて生き残り、仲間を助け出すことを。


 そしてすぐに、その願いも、痛みの奔流の中に飲み込まれていった。

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