第129話 獣人の王⑤
現れたのは、ウサギの獣人だった。
華奢な体に、色白で整った顔立ち。
この店がまだ営業していたなら、ぜひにでもスカウトしたい美少女だ。
……だがもう、私が好きだった店はない。
地面に押さえつけられた私にチラリと視線をやった後、少女は店長の方へ目を向ける。
店長はその顔から卑猥な笑みを消し、平静を装って少女へ視線を返す。
「この店は昨日で店仕舞いだ。どこで話を聞いたか知らないが、もう雇ってやることはできない。今は店に人がいないことをいいことに盗みを働こうとした元店員を取り押さえているところだ。店の問題だから君は出て行きなさい」
よくも都合よく言い訳が浮かぶものだと、ある意味感心しながら、私はこの店長の言い訳に乗っかるか考える。
否定した瞬間、店長は私を行動不能にするまで痛めつけた後、目の前の獣人を、口封じのために殺すだろう。
全くいいことはない。
店長の言い訳に乗っかれば、私の状況は変わらないが、この獣人は見逃してもらえるかもしれない。
そう思った私は、店長の言葉を肯定しようと、口を開こうとした。
だが、私が口を開くより早く、目の前の獣人が言葉を発する。
「ご冗談が得意なんですね」
ウサギの獣人の言葉に、店長が眉をひそめる。
「何?」
そんな店長へ、ウサギの獣人は微笑を浮かべながら言葉を続ける。
「だって、聞こえましたよ」
ウサギの獣人はそう言って笑みを浮かべる。
「俺は気の強い女が好きだ。自分は強いと勘違いした女を、服従させながら犯すのが好きだ」
その言葉を聞いた店長の顔色が変わるのが分かる。
「その目だよその目。その反抗的な目がいいんだ。これから俺に犯された後、どう変わるか楽しみだ」
くすくす笑いながらそう言うウサギの獣人を見て、店長の顔が見る見るうちに怒りに支配されていく。
「このお店では、盗みを働いた店員を罰するのに、店長が性欲を満たすために犯すのがルールなんですね。私、そんなお店では働きたくないです」
ウサギの獣人の言葉を聞き終えた店長は、私の顔を片手で掴んだまま立ち上がる。
「ぐっ……」
呻きを上げる私のことなど気にもかけずに、店長はウサギの獣人を睨む。
「人間様に舐めた口聞きやがって。俺は強い女は好きだが、勘違いした女は嫌いなんだよ。お前は足腰立たなくなるまで犯した後、殺してやる」
なおも、小馬鹿にしたような笑いをこらえもせずに、ウサギの獣人は、店長をからかう。
「好きでも嫌いでも犯すしか能がないなんて。人間って可哀想な生き物ですね。あれ? でもあの方はそんなことなかったから、人間だからってわけでもないですね。単に貴方が獣以下ってことなのでしょうか」
ーードンッーー
店長は、私を床に落とす。
尻餅をついたところが痛かったが、今はそれどころではない。
「誰だか知らないけど逃げて! この男はライオンの私でも敵わない。ウサギの貴女じゃ何もできずに殺されるだけだ!」
そんな私の言葉を聞いたウサギの獣人は、ニッコリと微笑む。
子に笑いかける母親のように。
「御心配ありがとうございます。ただ、女を犯すしか能のないケダモノなんかには、私は負けませんから」
ウサギの獣人の言葉に、今まで見たことのない形相で、怒りを隠さない店長。
「お前、元傭兵団長だった俺相手に勝てるとでも思ってるのか? 舐めるのも大概にしろ。お前みたいな小動物の獣人なんて、魔力を使わなくても殴り殺せる」
店長の言葉に、小馬鹿にしたような笑みを返すウサギの獣人。
「元ってことは今は違うんですよね? きっと団員を無理やり犯した罪でクビにでもなったんでしょう? 昔のことを自慢されても困ります。力があるなら、昔の肩書ではなく拳で示してください」
もはや私のことなど眼中にない店長。
ウサギの獣人の言葉を聞くや否や、まっすぐウサギの獣人へ殴りかかる。
先ほどの言葉通り魔力は使っていないようだったが、並の人間とは隔絶した動きで、ウサギの獣人へ襲いかかった。
一般的には人間の身体能力は獣人に劣る。
だが、限界まで鍛えた人間と、戦闘に向かない草食獣の獣人だと必ずしもそうはならない。
限界まで鍛えた人間の身体能力は、魔力を使わずとも、肉食の獣人にも迫ることがある。
流石に肉食獣の獣人の中でも上位の実力を持っている私が相手なら、たとえトップクラスの人間でも、魔力を使わなければ相手にならないだろう。
だが、今狙われているのは、戦闘のせの字も知らなそうな、華奢でか弱いウサギの獣人。
一撃で決着がつくだろうと思っていた。
だが……
ウサギの獣人は、顔面に迫っていた拳を後ろに倒れながら避けると、そのまま長い脚で、店長の顎を蹴り上げた。
ーードガッーー
攻撃を受ける瞬間、おそらく魔力で防御したらしい店長は、大きなダメージを受けた様子はない。
それでも、驚きは隠せない。
ギリギリまで攻撃を引きつけて回避する、目の良さと度胸。
相手が攻撃を繰り出したことで生まれた隙を逃さない判断力と思い切りの良さ。
たった一撃ずつの攻防だだったが、ウサギの獣人の戦いのセンスを示すには十分だった。
魔力という絶対的な壁がなければ、勝っていたのはウサギの獣人だろう。
「あらあら。女を犯すしか能のないケダモノは、自分が言った言葉すら守れないんですね。人間のくせに獣人以上にケダモノ並です」
絶好のチャンスを逃したにもかかわらず、余裕を失わずに店長を皮肉るウサギの獣人。
挑発を受け、ますます激昂する店長。
「黙れ。獣にケダモノ扱いされる筋合いはない。なぜ人間様が、獣などとの約束を守らなければならない?」
店長はそう言うと、おそらく魔力を体から滲み出させた。
魔力の使えない私には、店長の魔力は見えないが、獣人に残る野生の勘が、危険信号を発していた。
魔力を感じることはできなくても、絶対的強者を前にした時に感じる、肌のひりつく感じが店長が魔力を用いたことを示していた。
確かにこのウサギの獣人は、見かけによらず強そうだ。
私はそれでも戦って負けるとは思わないが、並の肉食獣の獣人となら、渡り合えるかもしれない。
だが、魔力を使われるとなれば話は別だ。
私ですら勝負にならない相手に、多少腕が立つだけのウサギの獣人では、結果は見えている。
ウサギの獣人も、店長の変化には気づいているようだった。
だが、それでも余裕は崩さない。
「なるほど。確かにそれなりの魔力はお持ちのようですね」
ウサギの獣人の言葉を聞いた店長は、その言葉の意味を考えもせずに、表情を緩める。
「そうだろ? 魔力を使えないお前たちでは、何人束になってかかってきても俺には敵わない」
私はそれでもなお表情を変えないウサギの獣人を見る。
ウサギの獣人は、店長を見て、『それなりの』魔力と言った。
魔力が使えない私には、店長の魔力量なんて分からない。
なのになぜウサギの獣人は、まるで店長の魔力量が分かるかのような言い方をするのか。
その疑問に対する答えは、目に見える形で帰ってきた。
「でも、私の方が多そうです」
ウサギの獣人がそう言うと、突然ウサギの獣人から強者のオーラが発せられた。
店長と同じかそれ以上の脅威。
日頃から戦闘に身を置く肉食獣の獣人としての勘が、ウサギの獣人に対してそう告げていた。
魔力を使える店長に対して脅威に感じるのは仕方ない。
だが、多少戦闘技術はあるにしろ、魔力が使えないはずの草食獣の獣人から脅威を感じるわけはない。
戦闘力に関しては肉食獣にも劣らないゾウやサイの獣人に対してですら、脅威を感じたことはない。
そんな私が、狩られるだけの存在であるはずのウサギの獣人に恐れを抱くなんて……
だが、この場に私以上に狼狽えている人物がいた。
「な、なんだ、その魔力は? 元傭兵団長の俺より多いだと? そもそも、なぜ獣人が魔力を使えるのだ?」
店長の質問には答えず、ウサギの獣人は一歩前に出る。
それに合わせて後ろへ一歩下がる店長。
「その質問には答えられません。それに、答えたところで無駄になるだけです」
ウサギの獣人はそう言うとニッと微笑む。
……まるでどう猛な肉食獣のように。
その笑みを見て、恐れが臨界点に達したらしい店長は、明らかに怯えを見せる。
「ふざけるな! 獣人が魔力を使えるなんて話、神話の中でしか聞いたことはない。きっと何かのトリックだろ?」
口ではそう言いながらも、顔には恐怖の色が浮かび、膝はガクガク笑っている。
ウサギの獣人は呆れたような表情を見せる。
「可哀想な方ですね。相手の実力を見極めるのは戦闘の基本。それができない方は死ぬだけですよ」
ウサギの獣人はそう言うと、閃光を残し、その場から消えた。
「えっ?」
次の瞬間、店長の頭部が弾け飛んだ。
ーードシャッーー
弾け飛んだ頭部から血や脳や骨が辺りに散らばり、放射線状に部屋を赤く染める。
私の顔にも生暖かい血か脳かわからない物体が降り注ぐ。
私は顔を拭うのも忘れ、その光景を見ていた。
数瞬後に、ウサギの獣人は、フワリと地面に降り立つ。
白くて長い右脚の先が、真っ赤に濡れていた。
その事実が示すのは、このウサギの獣人が店長の頭部を蹴り、そのあまりにも凄まじい蹴りが、店長の頭部を爆散させたということだろう。
頭部を失った店長だったものの体が、時間差で地面にパタンと倒れると、ウサギの獣人は、ニッコリと笑ってこちらの方を向く。
「服を汚してしまってすみません。あいにくこれ以外の戦い方を知らないもので」
さもこともなげにそう語るウサギの獣人。
衝撃の光景を前に、言葉が出ない私。
店長は間違いなく強者だ。
傭兵団長の座を退いたとはいえ、この店に関係する暴力沙汰は全て店長が、一人で解決していた。
店員をさらおうとした盗賊も。
酔って暴れた自警団の三人も。
全て店長が片付けた。
店長がいたからこそ、誰もが簡単にこの店に手が出せなかったのは紛れも無い事実だ。
そんな店長を、僅かひと蹴りで殺してしまったウサギの獣人。
ウサギの獣人は、私の方へ歩み寄ってくる。
地べたに尻をついた無様な私のそばまで来ると、すらりとした身体を折り曲げ、私に手を伸ばす。
「すぐに助けてあげられなくてごめんなさい。相手の男を見極めたくて、しばらく外から会話を聞いていたから……」
そんなことはどうでもよかった。
むしろ、助けてもらえたのが奇跡だ。
このウサギの獣人が来なければ、私には死ぬまで店長に犯され続けるおもちゃとしての人生しかなかった。
感謝こそすれども、不満に思うことなど一つもなかった。
だが、私の口から出たのは、感謝の言葉ではなかった。
「頼む。私にも魔力の使い方を教えて欲しい」
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