第128話 獣人の王④

 ミーチャは私の予想通り、改めて私を誘いに来た。


 ……よりにもよって、私が務めるメイド喫茶へ。


 この場所でオーナーを否定すれば、誰が聞いているかも分からない。


 オーナーが黒だった場合、私やミーチャがどういう害にあるか分からないし、オーナーが白だった場合も、オーナーを疑った私は、店で孤立することになるだろう。

 どちらに転んでもいい方向には転がらない。


 私は、オーナーのことには触れずに、ミーチャに作戦を思いとどまらせるよう話をすることにした。


 普通に話したかったが、ここは店の中だ。

 言葉遣いを変えるわけにもいかず、語尾ににゃんをつけたまま会話する。


 だが、その言葉遣いが気に食わなかったようで、激昂するミーチャ。


 私は焦る。

 このままでは、ミーチャを説得することができない。


「……グルルルルッ」


 怒りから見境がなくなり、喉の奥を鳴らして威嚇するミーチャは、店内で悪目立ちしていた。


 ただ、ミーチャがここで血を流すような真似をするバカな獣ではないことは分かっていた。


 とりあえずミーチャをなだめることにする。


「ミーチャ。他のお客様に迷惑だからやめるにゃん」


 だが、ミーチャの怒りは収まらない。


「お前、それでも先代の王と王妃の血を継ぐ者か! 獅子の獣人たる誇りはないのか!」


 お父様とお母様の話を出され、少しだけ平常心を崩される私。

 つい、言わなくてもいいことを言ってしまう。


「国を持たない獣人に、王も王妃もないにゃん。それに、誇りじゃお腹は膨れないにゃん」


 しまったと思ったがもう遅い。

 私の言葉に心底失望したミーチャは、威嚇をやめる。

 仕方がないので、私はそのまま言葉を続ける。


「ミーチャも、無理をするのはやめるにゃん。獣人でもできる仕事に就いて、静かに生きるにゃん。なんならミーチャも可愛いから、リオにゃんがこの店の店長に推薦してあげるにゃん。一緒に猫耳メイドとして働くにゃん」


 だが、やはり私の言葉は、失望したミーチャの心には届かなかった。


「黙れ。何があろうと、私が人間に媚びることはない」


 ミーチャはそう言うと、しばらく私を見た後で席を立つ。


「お別れだ、リオ」


 私と言う存在そのものに別れを告げるミーチャ。

 もはや私の言葉は届かないだろう。


 それなら、せめてその無事を祈る言葉だけは届けたい。


「決して無理はしないで。死んだら元も子もないから」


 ミーチャは私の言葉には返事をせず、店を出て行った。


 ミーチャにどこまで気持ちが伝わったかは分からない。

 少しだけでも伝わったと思いたい。


 ミーチャへの忠告に失敗した以上、オーナーと貴族がミーチャに加担する理由の調査を、私自身が独自に行うしかない。

 

 だが、ミーチャの計画実行の日までは時間がなく、私はそういった調査が得意というわけではない。

 決行は明後日とのことだったので、翌日は店を休んで調査したが、なんの手がかりもつかめないまま、時間ばかりが過ぎていく。

 

 結局、全く成果を得られなかった私は、ミーチャの作戦決行の当日、いつも通りに店へ向かう。

 ただ、服装はメイド服ではなく、暗殺時に使っていた、戦闘用の動きやすい服だった。


 ミーチャに対する罠等は見つけられなかったが、不安は晴れない。

 それならせめて、近くでミーチャを守ってやろうと思った。

 そんな資格がないのは分かっていたが、他にいい手はなかった。


 もしオーナーがなんの関与もしておらず、作戦が失敗に終わった場合、私が作戦に参加することで、店に迷惑がかかる。

 そう考えた私は、退職のお願いをするために、店へ向かったのだ。

 長年働き、お世話になった店と仲間への、最低限の礼儀だろう。


 みんなが出勤し、開店の準備が始まるはずの時間に店に着いた私は、違和感に気付く。


 店から人の気配をほとんど感じないのだ。

 誰かがいるのは間違いないのだが、開店前の準備で十人はいるはずの店員の気配が感じられない。


 私は警戒しながら店の扉を開く。


「遅かったな、リオ」


 そう言って私を見つめるのは、店長だった。

 私は店を見渡したが、中には他の店員の姿は見当たらない。


「……ココたち他のみんなはどこにゃん?」


 私は店長に質問する。

 ……足の爪を床にかけ、いつでも動けるようにしながら。


 私の質問を聞いた店長は、ニヤッと笑う。


「昨日新しい職場へ行ってもらった。この店は昨日限りで閉店だ」


 私は店長から目を離さずに質問を続ける。


「新しい職場というのはどこにゃん?」


 店長は一度も見たことのない、いやらしい笑みを浮かべたまま答える。


「貴族様のお屋敷や、資産家に大商人。共通してるのは皆、この店の客だった方々のところという点だ」


 私は一縷の期待を込めて店長へさらなる質問をする。


「みんなはそこで何をするにゃん?」


 メイド喫茶で働いてたんだから、メイドに決まっているだろ。

 そんな答えを求めて、私は縋るように店長の目を見た。


「獣人のメスの仕事なんて決まっている。性欲処理以外にないだろ」


 衝撃の言葉。

 店長からだけは聞きたくなかった言葉。


「なぜそんなことをする? ココたちはみんなお前を信用していた。それに店だって儲かっていたはずだ。初めからみんなを売るつもりなら、なぜ客が私たちに触れることさえ禁じていたんだ?」


 店での口調を忘れ、私は素の口調のまま、店長を問い詰めた。

 店長は、やれやれと言った様子で返事する。


「人は、手に入らない、触れられないものにこそ価値を見出す。獣人のメスなんて、普通ならこの店のコーヒー一杯の値段で抱けるし、一ヶ月分の給料を払えば、その人生ごと買えてしまう。だが、外見がいいものだけを選りすぐり、何年もの間、いつでも会えるのに手さえ触れることさえできなかったらどうだ?」


 店長はそこまで言ってニヤッと笑う。


「いくら金を積んででも欲しくなる。本来二束三文に過ぎないお前たちを、だ」


 店長は店を見渡しながら話を続ける。


「確かに、このまま店を続けてもいい儲けにはなる。だが、そうも言ってられない事情ができた」


 店長はそう言うと、真面目な表情になり、私の目を見据える。


「お前のお友達が、今日この国へ叛逆を起こすという話が入ったからだ」


 私は店長の言葉の意味が分からず、首を傾げる。


「ミーチャが反逆を起こすことの何が関係あるんだ?」


 店長は、物分かりの悪い子供を見るような目で私を見ながら説明する。


「叛逆などという大それたことを起こした獣人全体の市場価格が暴落する。せっかく俺が時間をかけて作り上げたプレミアム価値が、全くの無駄になる。だから昨日が売り時だったんだよ」


 店長が言うことはもっともだった。

 ……私たちのことを商品としてしか見ていないなら。


「……ココたちはお前のことを信頼していた。自分たちを救ってくれた救世主のように。本物の家族のように。そんなココたちを裏切って良心は痛まないのか?」


 私の言葉に、店長はクククっと笑う。


「良心? 確かに愛着が湧いていないかといえば嘘になる。俺のことを慕う、外見だけは整ったメスたち。その顔を苦痛に歪ませながら犯したいという気持ちは確かにあった」


 店長の言葉に、怒りと同時に悲しみが湧く。

 ココたちだけでなく、私も少なからず店長のことは信頼していた。

 オーナーはともかく、いつも店に来ては、私たちの体調のことを気にし、セクハラ紛いのことをする客から守ってくれていた。

 それもこれも、きっと商品価値を落としたくないという理由からだったのか。


 店長はなおも言葉を続ける。


「だから、お前だけは手元に残した。お前のこともいくら出してでも買いたいと言う客は何人もいたが、お前だけは俺のものにするために」


 店長はニタリと笑ったまま、一歩こちらへ歩み寄る。


「俺は気の強い女が好きだ。自分は強いと勘違いした女を、服従させながら犯すのが好きだ」


 店長はさらに一歩歩み寄る。


「その点お前は最高だ。肉食獣の獣人であることを隠し、裏で人間を殺し、何食わぬ顔で働いていた。何度オーナーの意向を無視し、お前を犯そうと思ったことか」


 私は店長の言葉に動揺しそうになる。

 全てがバレていたことに驚き、なぜバレたのか問いただしそうになる。


「だが、昨日オーナーからの許可も出た。お前だけは手元に残すことも許してもらった」


 店長は、お母様を犯していた男たちのような卑猥な笑みを浮かべ、さらに一歩私へ歩み寄る。


 私は一歩後ろへ後ずさりながら、少しでも時間を稼ごうと質問する。


「私が人間を殺しているのを知っていながら、なぜ野放しにしていた?」


 店長は卑猥な笑みを浮かべたまま、一歩私へ近寄る。


「お前に渡ったリスト。その中には、オーナーの邪魔となる人間も紛れこまされている。お前は、この店に来る前からオーナーの手の内で踊らされていたんだ。まあ、とはいけこの店に来たのは偶然だがな」


 衝撃の事実に、私は思考が停止しそうになる。

 確かに、最近殺した人間の中には、覚えのない者もいた。

 もしかすると、何の関係もない人間を、私は殺してしまったのかもしれない。


「そろそろ話は終わりだ。……いい声で鳴いてくれよ」


 私は店長の言葉が終わると同時に跳躍した。


 せめてこの男を殺す。

 バカな私にできる、最低限のけじめだ。


 私は、爪を立てた右腕を、店長へ向かって力の限り振り下ろす。


ーーブンッーー


 だが、唸りを上げた右腕は、虚しく空を切る。


 店長は、私の攻撃を見切り、小さく後ろへ下がることで回避していた。


「見え見えなんだよ、お前の攻撃は」


 店長の言葉を無視し、さらに攻撃を加える私。


 左腕の振り上げも。

 両腕の攻撃に時折混ぜる渾身の蹴りも。


 全てが虚しく空を切る。


 くそッ。


ーーブンッーー


 くそッ。


ーーブンッーー


 くそッ、くそッ、くそッ!


ーーブンッ、ブンッ、ブンッーー


 メイド喫茶で働いている間、私は怠けていたわけではない。

 暗殺のない日は、常にその爪と牙を磨いていた。


 だが、そんな努力がまるで無駄とでもいうように、私の攻撃は、届きさえしない。


 私は、両腕両足の攻撃に加え、とっておきのつもりで、鋭い牙での噛みつきを図る。


 だが……


 ヒラリとかわした店長は、私の頭を掴む。


「もう満足だろ?」


 店長はそう言うと、私に足払いをかける。


 回避すら間に合わない、高速のその動きに、私はついていけない。

 無様に地に這いつくばり、店長に頭を掴まれたまま、地面に叩きつけられる。


「うっ……」


 思わずうめき声をあげる私。


「お前たちが他の人間に襲われず、この店で無事にすごしていられたのは、俺がいたからなんだよ。元傭兵団長だったこの俺が。俺がいる限り、誰もこの店には手が出せない。そんな俺が、魔力も使えないニャンコに、やられるわけがないだろ」


 店長はそう言うと、私の顎をぐいっと上に上げる。

 私はそんな店長を睨みつける。


「その目だよその目。その反抗的な目がいいんだ。これから俺に犯された後、どう変わるか楽しみだ」


 悔しかった。


 この男の本性を見抜けなかったことも。

 ココたちを助けられなかったことも。

 この男相手に手も足も出ないことも。


 お父様。

 お母様。

 ミーチャ。

 ココ。


 私には誰も救えなかった。

 自分の身すら守れない私に、誰が救えるというのか。


 私は観念し、目を閉じた。






ーーギーッ……ーー


 ……その時、誰も来ないはずの店で、扉が開く音が聞こえた。

 生気なく開いた私の瞳に、知らない誰かの姿が映った。

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