第126話 獣人の王③

 それからも私は、メイド喫茶で働きながら、お母様を犯した相手を殺し続けた。

 誰にも感謝されない身勝手な復讐。

 その行為をひたすらに続けた。


 その間、ミーチャの噂は耳に入ってきた。

 獣人の未来のために動くミーチャの背中に、数多くの獣人たちが惹かれ、たくさんの仲間が集まっているようだった。


 メイド喫茶の店員と暗殺者の二重生活。


 店にいる間は猫なで声で人間に媚びる私。

 初めは抵抗のあった言葉遣いも、仕事だと割り切ってしまえば、なんてことはなくなっていった。


「ご主人様、今日もお疲れ様にゃん。リオが癒してあげるにゃん」


 作り笑顔でそう言いながら、サービスで肩を叩くと、顔を崩す人間の客。

 人間の客は、ほんの少しービスしてやると、簡単に金を払ってくれる。


 作り笑顔と、簡単なスキンシップ。

 それだけで、大体の客はカモになる。


 だが、それも誇りを捨てたからこそできることだ。

 誇りを捨てたからこそ、女という性を武器にすることができる。


 反吐が出そうな猫なで声も。

 笑顔を安売りすることも。

 汚らしい人間のオスに触れることも。


 誇りを捨てたからこそできることだ。

 誇りを捨てるだけで、体を売らずとも、こんなに簡単に金を得ることができる。


 ……でも。


 例え貧しくても、私は誇り高く生きたかった。

 ミーチャのように生きたかった。

 どうしても、その思いを消すことはできない。


 そしてその思いは、メイド喫茶で働いている時だけでなく、お母様を犯した相手を殺している時にも感じるようになった。


 初めの頃こそ、お母様を犯した人間の内、特に酷い仕打ちをしていた記憶のある者から殺していた。

 だが、最近ではそこまで酷い仕打ちをしていなかった者までを殺すようになってきている。

 先日殺した相手などは、名簿に名前はあるものの、顔すら記憶にない相手だった。


 そんな人間を殺すことに、私は疑問を感じるようになってきた。

 性欲を満たすために、金を払って女を犯す男を容認しているわけではない。

 だが、社会のシステムとして、そんな仕組みが必要だというのも、頭では理解できるからだ。


 性欲を発散できずに犯罪に走る者を抑止する効果はあるだろうし、金に困った女が手っ取り早く稼ぐ手段としても必要だろう。

 容認できないのは、犯される相手が自分の大事な人だということだ。

 それが単なる子供のわがままに過ぎないのは、ずっと前から分かっていた。


 分かった上で、それでも感情を優先して復讐を行なってきた。

 だが、憎しみの強い人間をほとんど殺してしまったことで、自分の行いを省みるようになったのだろうか。

 自分でも自分の気持ちがよく分からない。


 人間に媚びを売る生活に慣れてきた今、このままメイド喫茶の店員として、静かに生きていくのも悪くないのではないのではないか、という考えも生まれてきた。


 長い間働くことで、今や家族同然となった店員たち。

 中でもココは、今の私に欠かせない存在となっていた。


 私を慕い、いつもくっついてくるココ。

 可愛らしい彼女と、じゃれ合いながら生きていくのも、悪くはないかもしれない。


 容姿を売りにしている以上、いつまでも続けられる仕事ではないが、現時点で既にかなりの蓄えがある。

 他の亜人だったら、借金を返して自由を手に入れられるほどの蓄えだ。

 獣人として静かに生きていくなら、死ぬまで暮らしていけるだろう。


「リオにゃん。今日も一緒に頑張るにゃん」


 今日も笑顔で私の腕に抱きつくココ。

 この笑顔を見ると、薄汚れた私の心に、光が差す。


「ココにゃん。一緒に頑張るにゃん」


 普段は演技で使っている猫なで声も、恥ずかしい語尾も、ココと話す時は、違和感なく使うことができる。


 だが、私にはまだ、どうしても殺さなければならない人間がいた。


 お母様を犯した残りの人間や、お母様を魔獣に犯させる指示を出した人間も殺してやりたかったが、彼らはまだ、社会のルールには従っていた。

 絶対に殺さなければならないということもない気がしている。


 ただ、お父様を殺した奴は違う。


 己の趣味のために、残虐な拷問の末、お父様を殺してしまったことを知っている。


 相手は、隣の王国の貴族。


 この相手を殺すのはハードルが高かった。

 まず、商国の獣人が、その貴族のいる王都に行くこと自体、ほぼ不可能だった。


 誰かの奴隷でもない野良の獣人は、王都の門をくぐることができない。

 王都を囲う壁には、強力な防御魔法がかけられており、空を飛ぶことでもできない限り、壁から侵入することも不可能だ。


 その貴族が商国に来るタイミングで襲うしかないのだが、残念ながら滅多に訪れることがない。

 さらには、警戒心が強いのか、たまに訪れる際にも、必ず傭兵団長クラスの護衛を連れている。


 これまでのところ、この貴族を殺す手立てが全くなかった。


 だが、転機が訪れる。

 王国が魔族の手に落ちたのだ。


 四魔貴族スサにより、王国の守りの要であり、最強の人間と名高いアレスという者が殺された。

 その結果、王国から商国へ、大規模な人の流入があった。


 真っ先に魔族の食事とされてしまいそうな底辺の人間。

 魔族に主人を食べられてしまった奴隷や亜人。

 安全な土地への移住を図った富裕層の人間。


 そして、その富裕層の人間の中に、お父様を殺した貴族がいた。

 拷問が趣味のその貴族は、王国の貴族の中でも、トップレベルに位置するほどの資産を有していた。

 その資産をうまく使い、商国へと逃れてきたのだ。


 本来、民を守るべき立場にある貴族にあるまじき行為だが、資産家である彼を、責める者は誰もいなかった。

 むしろ、そのおこぼれに預かろうと、群がる者の方が多かった。


 私にとっては願っても無いことだった。

 ほぼ皆無だった暗殺の機会が、この移住のおかげで訪れる可能性が高まった。

 どんな人間でも、どれだけ警護を固めても、隙というのは必ず生じる。

 その隙を見つけるチャンスが大きく広がった。

 

 私は決める。


 暗殺はこれで最後にしよう。

 これ以上続けても終わりが見えない。


 お母様を犯した人間のうち、酷いやつらは殺し終えた。

 残りは覚えてすらいない人間ばかりだ。

 心に燻っていた復讐心も、ココたちと過ごす日々の中で、今や薄れてしまった。


 お父様を殺した拷問好きの貴族を殺したら、ココたちと一緒にメイド喫茶の店員に専念しながら静かに暮らそう。


 そんな生き方だってあるはずだ。


 血塗られた両手では、腕に抱きつくココを抱きしめ返す権利はなくても、一緒に働くだけなら、許されてもいいのではないか。


 私は、最後の復讐に向けて、準備を進めることにした。


 まずは、ターゲットの貴族の、普段の動きのチェックだ。


 決まった行動を取る人物なら、そこから付け入る隙が見えてくる。

 メイド喫茶で働いている日中を除き、私はターゲットの貴族に張り付いた。


 近づき過ぎると狙っているのがバレてしまう可能性があるため、一定以上の距離には近づかないのは鉄則だ。


 一週間ほど、仕事のない時間に張り付いてみて分かったことは、ターゲットの貴族には全く隙がないということだ。


 これまで殺してきた相手には、多かれ少なかれ隙があった。

 普段は警護をつけている相手もたくさんいたが、必ず警護が離れる瞬間がある。


 お忍びで女を抱く時。

 趣味に没頭している時。


 私はそういった隙をつき、これまで暗殺を繰り返してきた。


 だが、今回のターゲットに関しては、その隙が見つからない。

 メイド喫茶の仕事を休んで丸一日張り付いても見たが、それでも見つからない。


 唯一一人になるのは拷問を行う時だった。

 拷問を行う際には、地下の部屋へ一人で入っていた。

 だが、窓のない部屋の外には警護が付いており、部屋に侵入するのは難しかった。


 ターゲットの周りには、拷問の時以外でも絶えず警護が付いている。

 しかも、警護の人間の佇まいを見るに、恐ろしく強い相手に見えた。

 ちょっとでも不審者が近づこうものなら、致命傷になりうる攻撃が飛んできそうだった。


 魔力が使えない獣人の私には、相手の総合的な強さは測れない。

 ただ、多少でも魔力が使える相手だとすると、間違いなく私より格上だろう。

 ここまで警戒心の強い貴族が、魔力を使えない警護をつけるとは思えない。

 警護が、傭兵団長レベルの相手なのは間違いないことだった。


 隙探しは継続するとして、次の手段としては隙を見つけるのを諦め、警護の人間ごと排除することだが、これだけ強力な護衛相手では、それも難しい。


 もう一つ考えられるのは、敢えて拷問を受ける奴隷となって侵入するという手だが、私より屈強だったはずのお父様が殺されてしまったことを考えると、リスクが高過ぎる。


 まさに八方塞がりな状況だった。


 せっかく同じ国に向こうから来てくれるという幸運があったにもかかわらず、このままでは復讐は果たせない。


 それからもターゲットの貴族の様子を伺い続けたが、隙は全く見つからない。


 そんなある日、私は驚きの光景を目にする。


 私が働くメイド喫茶のオーナーが、ターゲットの貴族と会っているところを目撃したのだ。


 オーナーは、もともと王国メインで商売をしていたと聞いたことがあるから、よく考えてみると面識があるのはおかしなことではない。


 だが、素晴らしい店を開いてくれているオーナーと、お父様を拷問の末に殺した貴族に接点があったことに、少なからず衝撃を受ける。


 私たち一般の店員がオーナーと接することはほとんどないから、オーナーの人柄はほとんど知らない。

 だが、悪い人間であれば私たちの待遇はこんなによくないはずだから、悪い人間ではないと思っていた。


 私は、本来の目的と逸れるかもしれないが、オーナーの身辺についても洗ってみることにした。


 探って見て分かったことは、何も分からないということだった。

 ココたち店員に聞いてもほとんど何も知らないし、情報通の獣人に聞いてもよく分からないとのことだった。


 そんな折、二人の共通点に関する情報が一つだけ入ってくる。

 二人がミーチャを支援しているというのだ。


 確信は持てないが、嫌な予感がした。

 根拠のないただの勘だが、獣人の勘は人間の勘よりはよっぽどあてになる。


 ミーチャが、多くの獣人を引き連れ、大規模な計画を立てているとの噂は、最近では獣人の間で最も大きな話題の一つだった。


 私自身、ミーチャからそれとなく計画に誘われてもいた。

 返事はしていなかったから、きっとまたミーチャは誘いに来る。

 次誘われた際にオーナーや貴族のことを話そう。

 私はそう決めていた。





 ……だがその判断は大きな誤りだった。

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