第125話 獣人の王②
私の採用が決まると、猫の獣人は、まるで自分のことのように喜んでくれた。
「やったぁ! 私、同じネコ科の友達が欲しかったの!」
猫の獣人はそう言うと、私の手を握る。
「ここは、獣人が虐げられる外の世界と違って、獣人も人として扱われる。これからは安心して生きていいんだよ」
私は店内の様子を思い出す。
確かにどの獣人も、人間の客に向けた営業用の笑顔とは別に、店員同士で話す際には屈託のない笑顔を浮かべていた。
一部いる人間の店員との間でも、その笑顔に差はなかった。
きっとこの店での獣人の待遇は、本当に恵まれたものなのだろう。
ただ、それはこの店が特別なだけだ。
オーナーと店長が変わっているだけだ。
他の店では獣人は差別されているし、獣以下の扱いを受けているところさえある。
全ての店がこの店のようなら、私は手を汚す必要はないのかもしれない。
だが、そうじゃない。
私は笑顔を作る。
「そんな素晴らしいお店で働けて幸せです。よろしくお願いしますね」
明日から勤務開始ということで、その日は何もせず店を出た。
店を出た私は、顔に貼り付けた偽りの笑顔を剥がす。
オーナーの雰囲気は多少気になったが、身をひそめるならこの店は最適だ。
待遇までいいというのなら言うことはない。
私は手を開き、じっと見つめる。
人間を殺した手。
血塗られた手。
爪で肉を切り裂いた感触が残っている。
忘れようとしても忘れられない感触。
決して消えることのない感触。
まだ殺すべき人間は数多く残っている。
全ての人間を殺し終えた時、この手に残っているのは何だろうか。
私は私のままでいられるのだろうか。
考えても仕方のない疑問を飲み込みながら、私は拳を握りしめ、家へと帰った。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
私は、店へと入ってきた客へ向け、笑顔を向けながら声をかける。
メイド喫茶なる店に入店してから三ヶ月。
仕事にもだいぶ慣れてきた。
私を店に誘った猫の獣人ココが、私に笑顔を向ける。
「リオ、才能あるよ! リオの笑顔見ると、私も癒されるもん」
ココの言葉に、私は笑顔を返す。
「そんなことないよ…にゃん。ココの方が可愛い…にゃん」
恥ずかしがりながら語尾ににゃんをつける私に、ココは目を尖らせる。
「リオ。ちゃんと語尾ににゃんをつけて話せるようにならないとダメだよ。リオはとっても可愛いけど、口調が強すぎるから。リオと喋ってると、なぜか思わず、ははーって土下座したくなるもん。せっかく可愛いんだから、話し方も可愛くしようよ」
ココの言葉に頭をかきながら、私は答える。
「言ってることは分からなくもないが、語尾に『にゃん』なんて言葉をつけるのは流石にちょっと……」
反論しようとする私に、ココは首を横に振る。
「ダメ。やりたくないことでもやらなきゃいけないのが仕事だよ。こんなにいい待遇で働かせてもらってるんだから、プロらしく最善を尽くさなきゃ」
ココが言うことはもっともだ。
体を売らずとも、獣人が人間並の給料がもらえる職場は、この国でここだけだろう。
その上で、人間の店員と差別されることもなく、パワハラやセクハラを受けることもない。
客すらも、尻や脚を撫でてくれば、出入り禁止となる。
獣人にとって天国のような職場だ。
だからこそ、若くて美しい獣人がたくさん集まっていた。
それが噂を呼び、客もたくさん集まる。
この店のオーナーは本当に商売がうまい。
私がこの店で働くのはあくまでカモフラージュのためだ。
人間狩りの犯人と疑われないためだ。
だが、だからこそ疑われないように、最善を尽くすべきなのかもしれない。
「わかったにゃ、ココ。頑張って喋るにゃん」
私の言葉を聞いたココが笑顔を浮かべる。
「可愛い! リオ、大好き!」
そう言って抱きついてくるココ。
私はココに、自分がライオンの獣人だとは伝えていない。
臨戦態勢に入らなければ、猫の獣人もライオンの獣人も、見た目は大きくは変わらない。
そしてもちろん、私が人間を狩っていることも伝えてはいない。
この三ヶ月、人間の捜査の手が私に届くことはなかった。
二週間前には、もう一人殺しているのに、だ。
殺したのはお母様を犯す度に、暴力を振るっていた男。
この男に犯された後、お母様は顔に痣を作っていることもしばしばだった。
人間の腕力で殴ったところで、魔力がこもっていなければ、素手ではほとんどダメージは与えられない。
だからこの男は道具を使ってお母様を殴っていた。
隣の部屋でうずくまって待っている間、鈍い音が聞こえてくるのを、耳を塞いで我慢していたのを覚えている。
二ヶ月半ほど経っても特に身の回りに捜査の手が届いているように感じられなかった私は、仕事の後、この男を攫った。
普段から特に警護はつけていなかったようで、攫うのは簡単だった。
この男には爪は使わず、顔の原型がなくなるくらい殴り続け、そしてそのまま殴り殺した。
次の日何食わぬ顔で出勤した私に、同僚の誰もが、その変化に気付かなかった。
毎日ベタベタとくっ付いてくるココも、それは同じだった。
穢れない瞳で私を見つめてくるココに対して、私は胸が痛んだ。
私の爪も拳も血で汚れている。
本当ならココと一緒にいる資格はない。
それでも私は笑顔を返す。
自らの身を守るため。
人間狩りの犯人と自分が結びつかないように。
それからの私は、同じようなことを繰り返していた。
普段は猫の獣人として店で働き、笑顔で人間に媚びを売る。
その影で、数週間から数ヶ月に一度、お母様を犯した人間を殺す。
捜査の手が私の元へ伸びてくることは全くなく、殺した人間の数が十に迫る頃、ある人物が私の元へ訪れた。
虎の獣人ミーチャだ。
ミーチャは、お父様とお母様が死ぬ前に、何度か助けたことがある。
同胞が虐げられていたら身を呈してでも助ける。
当時の私にとってそれは、当たり前のことだった。
だが、ミーチャにとってそれは特別なことだったらしい。
私に対して、心の底から感謝し、憧れのようなものを抱いたようだ。
私のようになりたいと公言し、いつも私の後ろをついてまわっていた。
身寄りのなかったミーチャに対し、お父様もお母様も自分の子供のように接していた。
私も、姉妹であるかのように接した。
だが、それもお父様とお母様が亡くなるまで。
亡くなってからは、私はミーチャを突き放し、ほとんど会うこともなくなった。
そんなミーチャが私の家に来た。
ミーチャは口を開く。
「ねえ、リオ。私も頑張って強くなった。獣人の未来を明るくするため、一緒に戦おう。リオの力が必要なの」
決意と輝きに満ちたミーチャの瞳。
私はそんな瞳を直視できない。
私はミーチャの誘いに首を横に振る。
「私には今の生活があるの。獣人の未来を明るくするなんて、魔力を使えない私たちには無理。無理なことをするのに命は賭けられない」
できることならミーチャの手を取りたかった。
たとえ失敗して死んでしまっても、お父様とお母様に胸を張って報告できる、誇り高い生き方をしたかった。
ミーチャがやろうとしていることは、限りなく不可能に近いことだ。
獣人の先人たちが、どれだけ犠牲になってでも成し遂げられなかったことだ。
例え私が手伝ったところで、なんの足しにもならないかもしれない。
ミーチャだってきっとそれは分かっている。
分かっていても獣人のために立ち上がろうとするミーチャは、とても誇り高い。
でも、私にはもう無理だ。
私怨でこの手を汚してしまった私に、そんな資格はない。
血に塗れたこの汚らしい手で、ミーチャの手を汚すわけにはいかない。
明確な否定の意を伝えた私に対して、ミーチャは首を横に振る。
「初めから諦めてたら何もできない。どんな困難にだって立ち向かいさえすれば、いつか何とかなるかもしれない。それを身をもって教えてくれたのはリオだよ」
ミーチャは、熱のこもった目で私を見る。
「ハイエナの獣人たちからいじめられていた時も。人間の大人に犯されそうになった時も。人攫いに攫われそうになった時も。リオは私を助けてくれた。ただの子供に過ぎなかったリオが、傷だらけになりながらも助けてくれた。私はそれを忘れない。そして、私は、私がリオにしてもらったことを、今度は他の獣人たちにしてあげたい」
私はミーチャから目を逸らした。
あまりにも真っ直ぐなミーチャの視線が、私の心を抉る。
「昔の話だ。今の私は、何の思いも持たない、ただの飼い猫だ。与えられた餌を食べ、生きていくだけで十分なんだ。だから私の生活の邪魔をしないでくれ」
お父様とお母様が殺される前なら、喜んで手を取っていた。
例え失敗して命を失うのだとしても、笑って死ねる人生を送ることができただろう。
でも、今の私には無理だ。
「今、うんと言ってくれなくてもいい。私は何度だって誘いに来る。だから、考えてみて」
ミーチャはそう言い残すと、私の家を後にした。
ミーチャの言葉が心を揺らす。
復讐など忘れて、ミーチャの手を取りたい。
それができればどんなにいいか。
ミーチャはかつての私だ。
誇り高く生きようとしていた、小さな頃の私だ。
私もミーチャのように生きたかった。
獣人の未来のために命を懸けて戦いたかった。
でも、それは許されない。
他ならぬ私自身が許すことができない。
血で穢れた復讐者に、獣人の未来を背負うことなど許されない。
私は、奥歯を噛み締め、天を仰いだ。
せめて私は祈りたい。
ミーチャの身に神の加護があらんことを。
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