第124話 獣人の王①

 お父様とお母様がまだ生きていた頃、私は常に、強く優しく誇り高くあるよう心がけていた。


 誰よりも強くなれるよう、物心ついた頃から己を鍛えるようにしていた。

 仲間が人間に虐げられていれば、酷い目に遭うと分かっていても、身を呈して助けるようにした。


 尊敬するお父様とお母様のように。

 みんなに安心をもたらし、幸せにできる王となれるように。


 私は、自分の全てを費やして、自分が目指す自分になれるよう頑張った。


 だが、私が病に罹ったせいでお父様とお母様が、死んでしまってから、私の意識は変わってしまった。


 大好きなお父様とお母様を貶めて殺した人間を許せなくなった。

 かつての理想を忘れ、復讐のために生きるようになってしまった。


 ……そんなことを、死んだお父様もお母様も求めていないということは分かっていたのに。


 私は常に、どうすれば人間に復讐できるか考えるようになった。


 誇りを持って生きること。


 それがお父様とお母様が私に求めていることだ。


 復讐に生きることは誇りでもなんでもない。


 それでも私は、復讐を考えずにはいられなかった。


 大好きで尊敬するお父様とお母様を酷い目にあわされた上で殺されて、何もせずにいられることなんてできなかった。


 ……復讐が何も生まないことなど、誰に言われるまでもなく、自分自身がよく分かっていたけれど。


 まず私は、お父様を殺した人間を特定することから始めた。


 その相手は簡単に見つかった。


 隣の王国に住む、ある人間の貴族。


 その貴族は拷問好きで有名だった。


 大枚を叩いて奴隷を買っては、ありとあらゆる拷問を試し、その奴隷を殺すか、廃人にすることを繰り返しているらしい。


 最近では、すぐに壊れる人間に飽き、獣人の奴隷を購入しては、人間に対するものより激しい拷問を繰り返し、そして壊す、ということを繰り返しているようだった。


 獣人の中でもトップクラスに丈夫なお父様相手に、並の獣人を相手にするより残酷な拷問を楽しんでいる中で、行き過ぎた拷問によって殺してしまったらしい。


 ただ、その貴族は金持ちだった。

 魔力が使える屈強な護衛を幾人も雇い、自らの警護に充てていた。


 私は殺すべき相手と、そのハードルの高さを把握した上で、一旦この拷問貴族は後回しにし、次の対象を探すことにした。


 私には殺すべき人間がいくらでもいる。

 いずれは殺すが、まずはすぐに殺せるものから殺す。


 次の対象は、お母様を犯した人間たち。


 お母様を物のように扱い、性欲のはけ口にした人間たちも全員殺すことにした。

 金を払って合意した上での行為だというのは分かっている。

 人間たちからすれば、納得のいかない恨みだろう。

 だが、頭は分かっていても、心が理解しなかった。


 獣人より人間の方がよっぽど獣に近い。

 美しかったお母様を汚したケダモノどもを、私はただ許せなかった。


 お母様を犯した相手全員を特定するのには時間がかかった。


 なかなか情報が手に入らなかったからだ。

 近所の人や、他の体を売ることを商売にしている獣人に話を聞いても、大した情報は集まらなかった。


 そこで私は、売春斡旋人を脅すとこにした。

 斡旋人は何度か会っているので分かっていた。


 喉に爪を突きつけて、小さな引っかき傷を作り、睾丸を一つ潰してやると、斡旋人は簡単に口をわった。

 本当はこの男も殺してやりたかったが、情報を吐くなら殺さないと約束した上で話をさせた。


 約束を破るのは誇り高い者のすることではない。

 もはや誇りなど消え失せた私にとっては、焼け石に水ですらないが、せめてもの心がけだった。

 汚れる覚悟はしていたが、出来るだけ両親の言葉は守りたかった。

 だから、殺すのはやめた。


 ただ、この男が斡旋人の立場を利用して、一度だけお母様を犯したことを私は知っている。

 命を奪わない代わりにもう一つの睾丸を潰し、二度と女性を犯せないようにした。

 あまりの痛みに失神したようだが、きちんと手当すれば死にはしないだろう。


 美しく強いお母様を犯すには、獣人相手としては破格の大金が必要だったようで、顧客は身分が高い者が多かった。

 ほとんどの者が魔力が使えるか、本人が使えなくても精強な護衛を雇える者ばかりだった。


 今の私は、獅子の獣人とはいえまだ子供。


 魔力持ち相手に戦うには時期尚早だ。

 今すぐ殺してやりたい気持ちを何とか抑えて、まずは己をさらに鍛えることにした。


 ライオンの武器は牙と爪と腕力だ。

 だが、牙と爪は鍛えようがないので、腕力と戦闘技術をひたすらに磨いた。


 商国にいる、他の肉食獣の獣人の大人たちの、誰にも負けないくらい強くなったと確信した時、私は最初の復讐を果たした。


 殺したのは中年の汚らしい小太りの男。

 私が体を売る芝居をして誘うと、男は簡単に騙されてついてきた。

 しかも、自ら勝手に護衛を外し、二人きりの場を作ってくれた。


 もちろん、脳の大半が性欲に支配されているこの男が、女性を犯す時、護衛を遠ざけることを分かっていたからこそ、最初のターゲットに選んだのだが。

 その腐った性癖は、護衛ですら吐き気を催すようなものだったかららしい。


 お母様の客とは、基本私が顔を合わせないようにお母様が配慮していたが、何人かは顔を見たことがある。

 そのうち最も忘れられないのがこの男だ。

 特徴的な醜い外見もそうだが、この男と会った後のお母様は、とても目を当てられる状態ではなかったからだ。


 私は、そんな間抜けで醜い男を、嬲り殺した。


 人間を殺すこと自体に後悔も抵抗もなかった。


 最初に性器を切り離す。

 その上で、謝罪の言葉を促した。

 そこで素直に謝罪すれば殺すつもりはなかった。

 そして、私が道を外すこともなかったかもしれない。


 だが、男はカケラも反省を見せなかった。


「娼婦を、金を払って抱くことの何が悪い。確かに俺のプレイは激しいから、人間は耐えられない。だから、丈夫なお前の母親には、多少手荒なことをしたかもしれない。だが、その分の金は上乗せしている。それにお前の母親もよだれを垂らして喜んでいた。だから俺は悪くない。それなのに、あぁ……俺のアレをどうしてくれるんだ!」


 反省する意思がないのを確認した私は、最後まで言葉も聞かずに、男の首をかき切った。


 生温かい血が私に降りかかる。


 男が言う言葉は、世間的には正しいのかもしれない。

 神国ならともかく、商国では金で性を売り買いすることは、罪でもなんでもない。

 

 だが、そんなこと私には関係なかった。


 私がやっていることはただの私怨による復讐だ。

 そこに正義なんてない。

 どちらが正しいかなんて関係ない。


 私の大好きで尊敬すべきお母様を汚した。


 それは、私にとって、命でも贖えない罪だ。

 だから殺す。


 謝れば去勢だけで許そうと思っていたはずの私の気持ちは、いつのまにか変わっていた。


 この男を殺したことで、もはや私は、誇り高き獅子には絶対に戻れない。


 お母様の遺言は果たせなくなってしまった。

 ただの、人殺しの獣だ。


 私は動かなくなった醜い男を上から見下ろしながら、爪についた血を払う。


 次からは返り血には気をつけなければならないな。


 それが、男の亡骸を見た私の感想だった。








 それから一週間ほど経ったが、次の機会はなかなか訪れなかった。

 男を殺したことにより、身動きが取りづらくなってしまったからだ。


 商国の治安を守る役割もある自警団は、男を殺したのが獣人の女だと言うことまで突き止めているようだった。

 もしかすると、安易に漏らしていないだけで、ライオンの獣人だということまで分かっているのかもしれない。


 直接私の下まで捜査の手が伸びてきたわけではないが、このまま復讐を続ければ、いずれ捕まるのは目に見えていた。


 捕まるのも処刑されるのも怖くはなかったが、復讐を果たせなくなるのは困る。

 何か手を打たなければならない。


 要は、私が疑われないような人物になればいいことだ。


 そう考えた私は、獣人の王の遺児ではなく、害のない平凡な獣人であることを示すことにした。


 人間に迎合してしっぽを振る、私の最も嫌いな獣人になる。

 それが私の導き出した答えだ。


 一番簡単なのは、お母様と同じように体を売ることだろうが、それだけは絶対に嫌だった。

 気持ち悪さのあまり、相手を殺してしまいかねない。


 他に何かいい案がないか考えながら道を歩いていた私に、短いスカート丈のメイド服を着た獣人二名が、ビラを配っているのが目に入った。


 私はビラを手に取りながら、メイド服の獣人を見る。

 私にビラを渡した猫の獣人と思われる少女が、そんな私を笑顔で見返す。


「お店に興味がありますか? 貴女くらい綺麗な方なら大歓迎ですよ」


 私は手渡されたビラをじっと見る。


『最高の癒し空間をあなたへ』

『可愛いメイドたちが皆様を夢の世界へご案内します』


 広告を読んだ私は、ビラを投げ捨てる。


「私は娼婦になる気は無い。他を当たってくれ」


 私の言葉に目を丸くする猫の獣人。


「ち、違いますよ。私だって体を売るのは嫌です。だからこの店で働いています。オーナーは少し変わってるけど、いやらしいことはしないし、させません。給料も人間と変わらないくらいもらえますし、ぜひ一度来てください」


 猫の獣人はそう言うと、ビラを配っていたもう一人の獣人の少女へ告げる。


「私、この子を店長に紹介してくる! しばらく一人で頑張ってて!」


 猫の獣人は残されたもう一人の返事も聞かず、私の手を引っ張りながら、ズンズンとその場を離れていった。


 人に手を握られたのはいつぶりだろうか。

 私の手に触れる柔らかい肉球が、お母様のことを思い出させる。


 猫の獣人に連れられて着いたのは、大通りから外れた路地にある店だった。

 

 扉を開くと、若い女性の獣人たちが、メイド服を着て接客していた。


「お帰りなさいませ、お嬢様!」


 店に入った途端、メイドたちが全員口を揃えてそう言った。

 私は、私を連れてきた猫の獣人を見る。

 メイド服を着ていたから、勝手に使用人だと思い込んでいたが、複数のメイドを抱える店の、お嬢様だったようだ。


 私が人は見かけによらないものだと思っていると、店のいたるところから声が聞こえてくる。


「美味しくなーれ、萌え萌えキューン」


 指でハートを作り、意味不明な呪文を唱えるメイド服を着た獣人たち。

 そんな獣人たちを見て、顔を赤らめたり、私服の笑みを浮かべたりする人間たち。


「な、なんだこの空間は?」


 思わず尋ねる私に対し、猫の獣人は答える。


「メイド喫茶って言うらしいです。その中でも、ケモ耳メイド喫茶がこの店のコンセプトみたいですよ」


「ケ、ケモミミ?」


 聞き慣れない言葉に首をかしげる私。


「メイド喫茶もケモ耳も、元オーナーの生まれた国では大人気らしいです。確かに、このお店もかなり繁盛してますし」


 猫の獣人の言葉に、私は店の中を見渡すが、確かに広めの店内は、大勢の客で賑わっていた。

 客のほとんどが人間の男で、変な呪文を聞きたいのか、多くの飲食物を注文しているようだった。


 チラッと目に入ったメニューを見る限り、この店の商品は、他の店に比べてかなり割高だ。

 普通の獣人ではとても手が出ない。

 こんなものに大金を出すなんて、人間という生き物は理解不能だ。


「とりあえず奥に入ってください。そこで店長に面接してもらいましょう」


 私は案内されるがままに、店の奥へと入っていく。

 扉一枚隔てた小さな部屋に、三十前後の妖艶な女性と、眼鏡をかけた同じく三十歳くらいの優男が座っていた。


「あれ? オーナーもいらっしゃったんですか? 珍しいですね」


 猫の獣人は、女の方へ向かってそう言った。


「ええ。たまにはお店にも顔を出さないとね」


 女はそう言いながら、じっと私の目を見る。

 この女は決して強いわけではない。

 だが、油断ならない何かを女から感じた。


「……こちらの方は?」


 猫の獣人へ尋ねるオーナーと呼ばれた女。


「あっ。そうなんです。今日はこの子にうちの面接を受けてもらおうと思ったんです」


 猫の獣人の言葉を聞き、オーナーの女性はニッと笑う。


「やっぱりたまには来て見るものね。こんな掘り出し物に出会えるなんて」


 猫の獣人の言葉に、オーナーの女性は全てを見透かすような目で私を見る。


「採用よ。いいわね、店長?」


「オーナーがおっしゃるならもちろんです。オーナーの目以上に信頼できるものはこの世にございませんから」


 何やら私の意思の外で話が進んでいく。

 だが、案外この話は悪くないのではないかと思い始めていた。


 体を売るわけではなく、変な呪文やポーズを取るだけの店。

 その上で、人間に媚びを売る姿勢は見せられる。

 人間狩りを行なっている血濡れた獣が、まさかこんな店で人間に媚びを売っているとは思われないだろう。


 ほとぼりが冷めるまでこの店で働き、その間に今後のことを考えよう。


 そう考えた私は、慣れない笑顔を作り、オーナーの女性と店長の男性へ頭を下げる。


「ありがとうございます。精一杯働きますので、よろしくお願いします」


 こうして私は、メイド喫茶という変わった店で働くことになった。

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