第123話 商人の国の獣人⑥

 そのまま眠りに落ちそうになった私だが、唇を己の牙で噛み、痛みで何とか眠気をこらえる。


 そんな私を見て、少しだけ驚いた表情を見せるアマンダ。


「あら。魔力を持たない者ならみんな耐えられないって聞いてたのに。この魔法も万能じゃないのね」


 そう言って、こちらもいつのまにか後ろに控えていた魔導師らしき人間へ視線を向けるアマンダ。


 どうやら睡魔を誘う魔法をかけられたようだ。

 私はどうにか回避できたが、この魔法の効果は絶大で、この場にいるほとんどの獣人がバタバタと眠りに落ちて倒れていた。


 なおも立っているのは十数名ほど。

 私と同じように、自傷行為による痛みで耐えた者もいれば、強い精神力のみで耐えた者もいるようだ。

 残った十数名は、いずれも昨夜私が集めた精鋭たちだった。


 何が起きたか分からず動揺を隠せない獣人の仲間たち。

 そんな仲間たちへ私は叫ぶ。


「敵の魔法でみんなは眠りに落ちた! この場で助け出すのは困難だ。幸い、倒れたみんなはすぐには殺されないはず。助けるのは後にし、今立っている者だけでも逃げろ!」


 そんな私の言葉に、感心した様子のアマンダ。


「こんな状況でも的確な判断ね。でも……」


 そう言って悪魔的な笑みを浮かべるアマンダ。


「貴女たちに逃げることなんてできるかしら?」


 私の前に立ち塞がる、傭兵風の男。

 先ほど私の爪による攻撃を受け止めた人間だ。


 その立ち居振る舞いは、強者のそれだった。

 未だ立っている獣人の仲間たちの前にも、数人の人間が立ち塞がっていた。

 いずれも、かなりの手練れのようだった。


「相手は間違いなく魔力が使える精鋭だ。出来るだけ戦わずに逃げろ! 仕方なく戦う場合も、一対一では戦わずに、近くの者と一緒に戦うようにしろ!」


 叫びながら私も、近くに誰かいないか探す。

 すぐ側にいたのは熊の獣人リラクだった。


 リラクは私と傭兵風の男の間に入ると、拳を構えた。


「ミーチャ。お前は逃げろ。お前は俺たちの希望だ」


 リラクの言葉に、私は首を横に振る。


「ダメ。私はリーダーには相応しくない。私のせいで作戦は失敗した。私のせいでたくさんの仲間が捕まっちゃう」


 私の言葉に、今度はリラクが首を横に振る。


「確かに失敗はした。だが、お前がリーダーだったからこそこれだけの仲間が立ち上がったんだ。失敗したならやり直せばいい」


 リラクは拳を振り上げる。


「だからお前は逃げろ!」


 そう言って傭兵風の人間に向かって振り下ろされる拳。

 リラクの拳は、私も受けられない。

 その鍛え上げられた拳は、岩をも砕く。


 だが……


ーードンッーー


 リラクの拳は、目に見えない壁のようなもので遮られる。

 傭兵風の男に触れることすらなく、宙で止まるリラクの拳。


 傭兵風の男は、そんなリラクの手首を掴む。


「ふんっ!」


 傭兵風の男が、力を入れてリラクを投げた。

 ボールのように飛んでいくリラク。


ーードカッーー


 二十メートルほど離れたところにあった倉庫の壁にぶつかることでようやく止まるリラク。


「グハッ……」


 背中を強打し、立ち上がれないリラク。

 二メートルはゆうに超えて、相当な重さのあるはずのリラク。

 そんなリラクが、百七十センチ程度の細身の男に軽々と投げられるという衝撃。


 これも魔力によるものなのだろう。


 虎の爪も通用しない。

 熊の怪力も通用しない。


 こんな相手をどうすればいいというのか。


 選択肢に迷う私に、傭兵風の男の手が伸びてくる。

 身動きが取れない私に、傭兵風の男の手が触れそうになった瞬間、男の手が弾かれた。


ーーパチンッーー


 ダメージは与えられていない。

 だが、虎の爪の鋭さでも、熊の怪力をもってしても、触れることすらできなかった相手に、攻撃が通った。


 攻撃を加えた黒い影は、四つん這いの姿勢で、なおも臨戦態勢を取っている。

 いまにも飛びかからんとする姿勢のまま、黒い影は声を荒げる。


「ミーチャには指一本触れさせない! お前の相手は私がする!」


 黒い髪に赤い瞳。

 口から鋭い牙をのぞかせ、傭兵風の男を威嚇する狼の獣人。

 家族が死んでしまった今の私にとって何より大事な妹のような存在。


「ルー! 私のことはいいから逃げなさい!」


 ルーは私の言葉に首を横に振る。


「逃げるのはミーチャよ。ミーチャに救ってもらった人生、ミーチャに返す時が来ただけだよ」


 ルーは本気で私のために人生を投げ打つ気だろう。

 ルーのその目を見れば、私が何を言ったところで、言うことを聞かないだろうことは分かった。


 だが、ルーが捨て身の攻撃をしたところで、きっと事態は好転しない。

 不意打ちの攻撃でさえ、ダメージは与えられなかった。

 仮に攻撃が通ったとしても、ダメージを与えられなければ、倒しようがない。


 それなら、ルーが言う通り、ルーが時間を稼いでいる間に、私だけ逃げる?

 そんな選択肢はあり得ない。


「ルー。気持ちはありがたいけど、勝ち目はないわ。私はルーのことが大事なの。お願いだから、貴女だけでも逃げて」


 理屈で攻められないと思った私は、感情に訴えることにした。


「それを言うなら、ルーにとってもミーチャは大事だよ。だからミーチャを置いていくことなんてできるわけない」


 やはり、ルーを説得することはできなそうだ。

 それなら二人で戦うしかないが、ルーと私の組み合わせでは、うまい戦略が立てられない。


 ルーは弱いわけではない。

 一般の獣人と比べれば単独でも強い部類に入るだろう。


 だが、狼の獣人の力が活きるのは、集団戦だ。

 私とルーは連携を行ったことがなく、ルーの力が活かしきれない。

 どうしても個別に戦うことになる。

 そうなれば、単独での戦闘力で劣るルーが最初に狙われるのは明らかだった。


 私が戦略を立てられず、困り果てたその時だった。


「ルー。わがまま言うな。にいちゃん、ルーをそんな妹に育てたつもりはない。そんなにわがままだと、嫁に行けないぞ」


 悩む私の後ろの塀の上から、聞きなれた声がした。

 ここにいるはずのない、狼の獣人の声が。


「ロー! どうしてここに?」


 ローには声をかけていなかったはずだ。

 この場にいるはずがない。


「可愛い妹と、夜のご主人様のピンチだ。助けに来るのは当たり前だろ」


 相変わらずの軽口を叩くロー。


「私が聞きたいのは、そんな話じゃなくて……」


 問い詰めようとする私に、ローは笑みを浮かべる。


「まあ、本当はこの人間たちが、妙な動きをしてるのが、伝わってきたからな。様子を伺ってたら案の定ってことだ」


 ローはそこまで話すと、真面目な顔になる。


「ルー! 俺とお前でこいつの魔力を削る。魔力だって無限にあるわけじゃない。狼の連携と持久力を見せつけてやろうぜ」


 ローの言葉に頷くルー。


「ミーチャ。お前は隙を見て重い一撃を頼む。俺とルーじゃ、致命傷は与えられない」


 ルーと同じく、ローの言葉に頷く私。

 絶体絶命のピンチに、己の命を省みず現れたロー。

 圧倒的に不利な状況は変わらないのに、張り詰めていた気持ちが少しだけ緩む。


「なんて顔してるんだ、ミーチャ。お前の女らしい顔なんて見たくない。どんな時でも強気で上から目線なのがお前のいいところだろ。頼むぜ、ご主人様」


 色々言い返したくなる言葉だったが、ローの存在と言葉のおかげで、絶望的な気持ちからは解放された。


「私は上から目線じゃないし、いつでも女らしい。そしてローのご主人様になったつもりはない。だが……」


 私は笑顔を作り、心の底から礼を言う。


「ありがとう」


 私の言葉に、一瞬固まった後、いつもの表情に戻るロー。


「へっ。それじゃあルー、行くぞ!」


 塀の上から跳躍する、漆黒の狼。

 それと呼応するように、地を這うように跳躍するもう一つの漆黒の影。


 二頭の黒い影が、傭兵風の男へ飛びかかった。


 二人は、二筋の黒い旋風となって代わる代わる敵を襲う。

 まるで同じ意識を持った一匹の生き物のような連携を見せるローとルー。


 私は二人が連携して戦うのを見るのは初めてだった。


 少なくとも、過去に私がローとルーを人間の手から助けた時、二人はこんなに強くなかったはずだ。

 ルーはそもそも戦おうとしたことなんてなかったはずだし、ローも誰かと連携することなんて知らない一匹狼だった。


 短期間での見違えるような成長。

 私はそれを目の当たりにしていた。


 だが……


ーーガキンッーー


 ローとルーの攻撃は、傭兵風の男へ届くことなく受け止められる。


 見えない壁に止められるか、魔力の込められた剣で受け止められるか。

 いずれにしろ、わずかなダメージすら与えられないまま、ひたすら攻撃を防がれ続けるローとルー。


 その合間に繰り出される傭兵風の男の攻撃。


 その鋭い斬撃を、ローとルーは受けることすらできずにただ避ける。

 しかし、一方的に劣勢かといえば、そうでもない。

 ローとルーの連携した攻撃により、傭兵風の男はなかなか攻撃を繰り出すことができない。


 さらには、ノーダメージに見えていたルーの最初の不意打ちが効いているのか、私を掴もうとした右手の動きが悪いように見える。


 つまり、見えない壁や剣以外の場所を攻撃できれば、ダメージを与えられる可能性があるということだ。


 ローが言う通り、人間の魔力も無限ではないはず。

 狼の持久力と、人間の魔力。

 どちらが先に切れるかの勝負だ。


 もちろん、私もそれまでのんびりと構えているつもりはない。


ーーブンッーー


 ローとルーが時折作ってくれる隙を見逃さず、爪を振り下ろす私。

 私の攻撃は、見えない壁や剣では受けず、回避する傭兵風の男。


 先程は私の攻撃を剣で受けていた。

 恐らく、私の攻撃を見えない壁や剣で受けるのはいつまでも続けられないのではないか。

 魔力障壁や武器に魔力を込めるのは魔力の消費が激しいと聞いたことがある。

 魔力の底が見えてきたのかもしれない。


ーーこれなら行ける!


 そう思った時だった。


「おいおい。魔力も使えない獣相手に苦戦するような部下は持った覚えはないぞ」


 野太い男の声が聞こえてきた。


「す、すみません。思いのほか連携がやっかいで……」


 ルーの攻撃を受けながら謝る傭兵風の男。


「言い訳はいい。今回、お前だけ減給な」


 男の言葉に、戦いながらも肩を落とす傭兵風の男。


 気付くと、野太い声の男以外にも、数人の男たちが私たちの周りを囲んでいた。


「まあ、他の獣の駆除は終わったところだ。こいつらは、皆んなで捕まえることにするか」


 そう言って私とルーの顔を見た後、安全な位置まで下がっていたアマンダを見る野太い声の男。


「おい、アマンダ! このメス二匹は俺の報酬に追加だ。ここまで上玉の獣はなかなかいない。獣なら俺の相手でも体力が持つだろう」


 野太い声の男の言葉に対し、アマンダは肩をすくめる。


「私が相手してあげるから我慢して」


 アマンダの言葉に、少しだけ考える野太い声の男。


「そいつは無理だ。この二匹を壊れるまで遊んでやった後、お前も相手してやるよ」


 野太い声の男の言葉に、肩をすくめるアマンダ。


「もう。本当にしょうがない男ね、あんたは」


 アマンダの言葉を了承と受け取った野太い声の男は、舌舐めずりをしながら、私たちの方を向く。


「それじゃあさっさと終わらせてお楽しみの時間と行きますか」


 下卑た笑みを浮かべ、戦斧を振り上げる野太い声の男。

 それに従って私たちを囲む輪を縮める残りの傭兵風の男たち。


 三対一でようやく互角だったのに、人数が逆転してしまった。

 勝ち目はほぼない。


 ローとルーの瞳に絶望の色が浮かぶ。


 それでも私は諦めるわけにはいかない。

 私が諦めてしまったなら、獣人の未来も終わる。

 何としてもローやルーを連れて逃げ延び、再起を図らなければならない。


 私は足の爪に力を入れ、そして野太い声の男に向かって跳躍した。

 その跳躍が、敗北への跳躍になるかも知らないと思いながらも……

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