第120話 商人の国の獣人③
店を出た私は真っ直ぐに、ある屋敷へ向かう。
先ほどリオには一人でも、と言ったが、流石に本当に一人でこの国をどうにかできるとは思っていない。
獣人が人間と変わらない生活を送れる国。
そんな国を目指すには、協力者が必要だ。
協力者はこの国に不満を持っている者か、もしくは何らかの形でこの国を変えたいと思っている者でなければならない。
獣人はもちろんこの国に不満を持っているし、この国を変えたいと思っている。
だから獣人の協力者ならいくらでも集まる。
だが、獣人だけではダメだ。
魔力の使えない獣人では、例えトップレベルの強さを持つ肉食獣の獣人だとしても、魔力が使える相手だとなんとか雑兵を倒せるかどうかだ。
魔力持ちの指揮官クラスには太刀打ちできない。
魔力という絶対的な壁の前にはなす術がないからだ。
それに、軍資金もない。
獣人はまともな職につけないし、仮に仕事にありつけたとしても、ほとんどの場合は人間に比べて圧倒的な低賃金だ。
力もない。
金もない。
あるのは今の状況をなんとかしたいという気持ちだけ。
もちろん、何事をなすにもまずは気持ちがなければ始まらない。
だが、気持ちだけでは何もできないのも事実だ。
戦うためには、力も金も必要だ。
しかし、力は諸刃の剣でもある。
自分たちより強い力を持つものに頼ってしまうと、その相手に支配される可能性がある。
だから、力については厳しくはあるが自分たちでどうにかするしかない。
だが、金は違う。
大陸一賑わっていると言っても過言でもない商国の首都。
その首都の一等地に、私の目指す屋敷はあった。
この屋敷に獣人が出入りしていると知られてしまうのはあとあとよろしくない。
私はフードをかぶって耳を隠し、尻尾を服の中にしまった上で、手袋をして爪も隠した状態で屋敷に入る。
門番も私のことは知っているので、出入りはフリーパス状態だ。
私は、屋敷の大きさの割に、そこまで華美さを感じない応接の間へ通される。
もう何度目かだから慣れてきたが、私のような獣人を応接の間へ通す人間など、この屋敷の主だけだろう。
甘い香りのするお茶には手をつけず、私は屋敷の主人の到着を待った。
しばらく待った後、部屋に入ってきたのはこの屋敷の主人である女商人だった。
「よく来てくれたわね、ミーチャ」
女商人の言葉に、私は立ち上がる。
「本日はお招きいただきありがとうございます、アマンダ様」
私の言葉を聞いたアマンダはひらひらと手を横に振る。
「そう畏まらなくてもいいわ。貴女と私はビジネスパートナー。同じ目的を果たすために手を組んでいる対等の関係よ」
アマンダはそう言って微笑む。
アマンダは、一般的には美しい部類に入るのだろうが、絶世の美女というわけではない。
だが、その身にまとう妖艶さは、凡百のものではなかった。
同じ女性でも生唾を飲みたくなるような艶めかしさを持った女商人。
それがアマンダだった。
「ありがとうございます。獣人である私にそのようなお言葉をかけていただけるのはアマンダ様だけです」
アマンダの言葉をそのままの意味に捉えて礼節を欠くような私ではない。
アマンダは自分の言葉の裏で、相手を推し量っている。
ここで不躾な態度を取れば、獣人である私など、よくて見下されるか、悪ければすぐにでも切り捨てられるだろう。
協力者を得るために同じような場を何度も経験してきた私は、それくらいのことは分かるようになっていた。
「でも、そんな世界を覆すのが貴女の目的でしょう?」
アマンダはそう言って艶めかしく微笑む。
男なら蕩けてしまいそうなその笑顔に、私は表情を変えずに答える。
「はい。その通りです」
国側の人間に聞かれたら、それだけで処刑されかねない発言。
だが、その言葉を聞いてもアマンダは表情を変えない。
アマンダは、何も慈善の気持ちから私に協力しようとしているわけではない。
アマンダはもともと王国の商人だ。
商国にも基盤は持っているが、王国でのそれに比べれば、弱い基盤だと言わざるを得ない。
王国で、人間が魔族の家畜となってしまったことは有名な話だ。
王国での基盤が揺らいだアマンダとしては、是が非でも商国でその基盤を確立したいところだろう。
だが、凄腕商人のアマンダでも、すでに基盤の確立している商国で、一気にその勢力を拡大するのは難しい。
不可能ではないのだろうが、時間がかかる。
では、どうすればいいのか?
答えは簡単だ。
今ある基盤を壊してしまえばいい。
そのための私たちだ。
獣人がこの国で叛旗を翻す。
そうすれば、たとえ成功しても失敗しても、今の基盤にヒビが入る。
ヒビさえ入れば凄腕のアマンダだ。
いくらでも勢力を拡大することなど可能だろう。
アマンダにとっては私たち獣人のことなど、どうでもいいに違いない。
自分の利益を生み出すための駒に過ぎないだろう。
私たちが成功すれば獣人とコネができてハッピーだし、失敗すれば切り捨てればいいだけだ。
だがそれでいい。
私としても、アマンダを信用しているわけではない。
お互いの目的のためにタッグを組んでいるだけの、利害だけで結びついた関係だ。
下手な勢力と手を組んでしまうと、たとえ作戦に成功しても、飼い主が変わるだけの結末になりかねない。
だから、パートナーは出来るだけ利害だけで結びつける存在を選んでいた。
狙い目は王国から避難してきた人間だ。
元の国ではそれなりの地位だった者が、この国ではただの一般人となる。
それでも普通に生きて行くだけなら何の問題もないはずなのだが、一度でも高い地位に就いた人間は、その地位に執着を持つらしい。
商国でも要職に就きたい王国出身の人間が、幾人も私への支援を申し出てくれていた。
中でも、アマンダと懇意にしているらしいある王国貴族は、多額の軍資金を私たちへ提供してくれていた。
穏やかな表情とは裏腹に、目つきは陰惨で、血の匂いを感じる信用できない男だったが、背に腹は変えられない。
先立つ物の欲しかった私は、警戒はしつつもその軍資金を受け取ることにした。
協力者の人間は、皆目つきが怪しかったり、好色そうな笑みを浮かべていたり、手放しで信用できる者はいない。
だが、目的の為には、毒だと分かっているものでも飲み込まなければならなかった。
「それで、貴女の方は戦力は集められたの?」
アマンダは私へ尋ねる。
アマンダからすれば当然の質問だ。
もしこれで私が、ごく少数しか集められていなかったら、アマンダからすればふざけるな、と言いたくなるところだろう。
多額の資金を用意して反乱を起こさせることで、自らの商圏拡大を目論んでいたのに、結果少人数しか集められませんでした、では意味がない。
「……はい、数の上では」
私はリオや、ローとルーの兄妹を思い浮かべながらそう答える。
リオとは決別したばかりだし、ローとルーは誘ってすらいなかった。
集団戦闘の指揮が得意なローは、個人的な気持ちを抜きにすれば誘っても良かったのだが、やめておいた。
ローを誘えば、間違いなくルーが付いてくるからだ。
ルーにはその手を血で汚して欲しくはなかった。
「数さえ揃えば私としては問題ないわ。あとは貴女が頑張ればいいだけだから」
アマンダはそう言ってにっこりと笑う。
もっとも、笑っているのは口元だけで、目は全く笑っていなかったが。
「そうですね。私が頑張りさえすれば」
確かに、アマンダにとっては、私たちの作戦に必要なのは数だけだ。
混乱が大きければ大きいほど、商業の基盤は崩れる。
混乱の大きさは、大抵の場合、その規模によって表される。
規模の大きさは数だ。
死傷者の数。
破壊された建物の数。
それらは復興に必要な費用に繋がる。
そして、それらの基礎となるのは叛乱者の数だ。
叛乱者の数が大きくなればなるほど、基本的にはその被害は大きくなる。
それは仮に、獣人が一方的に負けた場合でも同じだ。
獣人の遺体の処理費用。
死んだ獣人が担っていた仕事の代替。
それらは全て、アマンダが商国の基盤に食い込むための取っ掛かりになる。
もちろん、私たち獣人としては、むやみに仲間の骸を増やすつもりはない。
だが、数を集め、叛乱を大きくするという点に関しては、利害が一致していた。
国相手に正面から戦って勝てるとは思っていない。
私たち獣人には、自衛団の各隊長や、各傭兵団の隊長クラスに勝つ術がないからだ。
だからこそ、数の力でそれらの主力を引きつける。
商国は連邦国家だ。
七つの小国が集まって王国や帝国に負けない規模を維持している。
国の方針は七つの国の首長の合議制で決められていた。
獣人の扱いを決めているのもこの七人だ。
だが、七人のうち、獣人の扱いを低くしようと主張しているのは、実は二人に過ぎない。
残りの五人のうちの一人は獣人も他の亜人と同等にしても良いと主張しており、残りの四人はどちらでもいい、という考えだった。
今は獣人迫害派の二人の勢いが強い。
つまり、たった二人を排除すれば、獣人の扱いが変わる可能性がある。
もちろん、叛乱を起こした獣人への風当たりがさらに酷くなる可能性もあったが、その点に関しては、協力者の貴族たちがどうにかしてくれる予定だった。
私たちの作戦は、大多数の獣人を陽動として、国の主戦力を鎮圧に向かわせ、その隙にその二人を殺す。
二人の暗殺のためには、少数精鋭で動く必要があった。
だからこそ、獣人の中でもトップクラスの才能を持つはずのリオには、是非とも仲間になって欲しかった。
だが、いない者をいつまでも引きずっても仕方ない。
私を中心とした現有戦力でどうにかする術を考える。
それが私の役目だった。
決行は明後日。
その日は、各国の首長が集まる会合があり、その後、警護が薄い状態で酒を飲むことが分かっている。
それも、アマンダから伝え聞いた情報だった。
普段の七人には、基本的にそれぞれ、傭兵団長クラスの手練れが複数人ずつ警護についている。
魔力が使えない私たち獣人には付け入る隙がなかった。
この千載一遇のチャンスを逃す手はない。
私に協力してくれる獣人の顔を一人一人思い返す。
この作戦に参加するということは、命を捨てるに等しい行為だ。
獣人の未来のために、自らの命を投げ出す勇士たちの顔は全員覚えている。
そのうち何人が生き残れるか分からないが、もし私が生き残ったなら、生死にかかわらず全員の名を語り継ぎたい。
ーー私が生き残ったなら。
自分でそう思ったにもかかわらず、思わず自嘲の笑みが浮かぶ。
いくら普段より警護が手薄になるはずだとはいえ、傭兵団長クラスの警護がどこかで見張っている可能性は高い。
作戦が成功し、上手く隙をついてターゲットの殺害に成功したとしても、その後間違いなく殺されるだろう。
成功しても成功しても、ほぼ間違いなく死ぬ役目。
それが私の役目だった。
ただ、結局のところ、アマンダが言う通り、例え死んだとしても、私がうまくやりさえすればこの作戦は成功するのだ。
ーー語り継ぐ役目は誰か他のやつに任せるしかないな。
そう思いつつ、私とともに必ず死ぬことになる、作戦の本命メンバーの名前を頭の中で反芻する。
これ以上ない名誉と命。
彼らはどちらを大事にするのだろうか。
最終的には明日各メンバーに役割を告げた後、彼らの反応を見て役割を確定させよう。
私はもちろん名誉を選ぶ。
その覚悟は先代の王と王妃が死んだ時にできていた。
ーー必ずこの作戦を成功させる。
改めてそう強く決意し、アマンダの屋敷を後にした。
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