第119話 商人の国の獣人②
商国の中心を貫くメインストリートから、一本奥に入った細い路地に、その店はあった。
立地的にそれほど恵まれているわけではないのに、やけに繁盛している喫茶店。
そのメインキャストが、私の求める人物だ。
寂れた道に似合わないオシャレで可愛らしい外装の店。
そんな店の扉の前で、私はこの後起こるであろう事象を想像し、一瞬扉を開けるのを躊躇する。
だが、目的のため、仕方なく私は扉を開いた。
「おかえりなさいませ、お嬢様!」
スカート丈の短いメイド服を着た、数名の女性が私に向かってそう声をかける。
もちろん、私はどこぞの名家のお嬢様などではない。
路地裏で生まれた野良猫と変わらない、人間からすると卑しい存在である汚らしい獣人だ。
そんな私がなぜお嬢様などと呼ばれているかというと、それがこの店のコンセプトだからだ。
男なら旦那様。
女ならお嬢様と呼ばれるのがこの店の決まりだ。
私には何がいいのか分からないが、一部の層にはそのコンセプトが受けたらしく、通常の店より遥かに単価が高くて、立地も悪いにもかかわらず大盛況に繋がっていた。
店員である美しいメイド姿の少女たちと仲良くなるべく、客のほとんどは男だ。
やけにキャピキャピした店員たちが、何やら魔法の呪文を唱えながら、卵で何かしらの穀物を包んで焼いた食べ物にハートマークを描いている横で、私は目的の人物を探した。
店内を見渡すまでもなく、私は目的の人物に気付いた。
美しい金色の髪に、同じく金色の瞳。
細身にもかかわらず、そのしなやかな筋肉は、理想的な付き方をしている。
何より、その身から感じる気品とでもいうべき気高さは、見るもの全てを魅力するだろう。
客の男たちはその姿にメロメロだし、同性であるはずの私でさえ、思わず息を飲んで見つめてしまう。
「今日もよく来てくれたにゃん。リオはとっても嬉しいにゃん」
だが、私の気持ちは、目的の人物が客に発したその言葉で吹き飛ぶ。
丸い耳に片手を当ててポーズをとった後、人間の男に媚びるように話す、ライオンの獣人。
気高き獅子であったはずのその獣人の言葉に、私は自身が憤っていることを感じた。
「あの店員を私につけろ!」
その獣人を指差し、そう告げる私に、恐らく羊の獣人だと思われる受付の店員が笑顔で返す。
「ご指名ですね。ただ今、別のお客様の接客中ですので、しばらくお待ちください」
当たり障りのない接客をする羊の獣人の言葉に、私は舌打ちをしながらも従うことにする。
「ちっ。仕方がない。しばらく待たせてもらう」
私は席に案内され、メニューを渡される。
メニューを開くと、安くない値段の飲み物や軽食が記載されていた。
基本的に貧しい獣人にとっては、バカにならない値段だ。
その中でも私は、一番安い「萌え萌えコーヒー」なるものを注文する。
私がメニューの字を読んで注文したことに、少しだけ驚きの表情を見せ、すぐに笑顔で注文を確認する店員。
店員が驚くのも無理はない。
人権のない獣人は、ほとんどの者がまともな教育を受けることができない。
必然的に識字率は低く、読み書きができない獣人は多い。
私は、たまたま先代の王妃様と親しかったおかげで、博識な王妃から字を教わっていた。
強くて頼りになる先代の王。
優しくて賢い先代の王妃。
共に獅子の獣人だった二人は私の憧れだった。
だからこそ、目の前で人間に媚びを売る獅子の獣人が許せなかった。
「お待たせしましたにゃん……って、ミーチャか。今からご注文の萌え萌えコーヒーを作るから、少し待って欲しいにゃん」
そう言って手を動かし始める獅子の獣人リオ。
「美味しくなーれ、萌え萌えキューン」
指でハートを作り、呪文のようなものを唱えながらコーヒーを注ぐリオ。
そんなリオを睨みつけ、投げつけるように言葉を放つ。
「……おい」
そんな私の言葉に、嫌な顔一つせず笑顔で返事するリオ。
「何でしょうか、お嬢様?」
リオの態度に、私の気分はますます逆撫でされる。
「……その気持ち悪い言葉遣いをやめろ」
私の言葉に首を横に傾げるリオ。
「何のことかわからないにゃん。リオにゃんはいつもこういう喋り方だにゃん」
あくまでしらを切ろうとするリオ。
「それなら仕方ない」
私は喉の奥をゴロゴロと鳴らすと、全力で威嚇した。
「……グルルルルッ」
今にも飛びかからんとする私を見ても表情一つ変えないリオ。
私がこのまま飛びかかられば、リオの整った顔立ちが私の爪によ明後日切り裂かれるのは確実だった。
私の殺気を感じた他の客たちは恐怖で固まり、お盆に食事を載せていた羊の獣人は、震えのあまり、そのお盆を落とした。
そんな中、一人平静を崩さないリオ。
「ミーチャ。他のお客様に迷惑だからやめるにゃん」
そんなリオに、私は牙をむき出しにして怒鳴る。
「お前、それでも先代の王と王妃の血を継ぐ者か! お前には誇りはないのか!」
猛る私に、リオはやはり表情すら変えずに答える。
「国を持たない獣人に、王も王妃もないにゃん。それに、誇りじゃお腹は膨れないにゃん」
リオの言葉に心底失望した私は、威嚇をやめる。
殺気から解放された他の客や店員がほっと胸をなでおろす中、リオは私の目をまっすぐに見据えていた。
「ミーチャも、無理をするのはやめるにゃん。獣人でもできる仕事に就いて、静かに生きるにゃん。なんならミーチャも可愛いから、リオにゃんがこの店の店長に推薦してあげるにゃん。一緒に猫耳メイドとして働くにゃん」
もちろん、リオの言葉は私の心には届かなかった。
「黙れ。何があろうと、私が人間に媚びることはない」
私はリオを見つめる。
かつてのリオは、私の憧れだった。
尊敬すべき両親のもと、愛情を持って育てられたリオは、子供ながらに強くて頼りになり、しかも優しくて賢い、最高の獣人だった。
何より、その身から溢れる気品は、誇り高さに満ちていた。
同い年の獣人として、私まで誇らしくなるほど完成された存在だった。
早くに親を亡くした私に、優しくしてくれたのはリオだった。
心ない人間に犯されそうになった時、助けてくれたのもリオだった。
暗くて弱かった私に、光を照らしてくれたのがリオだった。
そんなリオも、リオの父親である先代の王が死んでから変わってしまった。
稼ぎ頭であるリオの父が亡くなった後、リオや私、その他の親がいない獣人のために、自らの身体を人間に売ってまで、食費を稼いでくれたリオの母である先代の王妃。
そんな母親を、淫売だと軽蔑するようになったリオ。
……そして、そんな母親が死んでからは、完全に心を閉ざしてしまったリオ。
そんなリオに、今度は私が光を照らしてあげようと思った。
リオが私にしてくれたように。
……だが、ダメだった。
それならせめて私が強くなり、この理不尽な国そのものを変えてしまおうと私は誓った。
私が昔のリオにも負けないくらい、輝ける存在になれば、リオも立ち直り、一緒に理不尽と戦ってくれるかもしれないという打算もあったが。
だが、その決意は無駄になった。
リオは自ら立ち直った。
……誇りを捨て、人間に媚びることを選んで。
それでも私は信じていた。
私が立ち上がれば、かつて憧れた存在が、きっといつか戻ってきてくれるだろう、と。
そして、今に至る。
リオはもう、かつてのリオではなかった。
私が憧れた存在はもう、この世から消えてしまったのだ。
私は席を立つ。
「お別れだ、リオ」
私はリオに告げる。
同時に、どこかでリオに期待していた自分にも別れを告げる。
かつての憧れはもはや尊敬すべき存在ではなくなった。
獣人の扱いは相変わらず酷いままだ。
誰かが何かをしなければこの構図は変わらない。
きっと失敗に終わるのだとしても、それでも誰かが立ち上がらなければ変わらない。
それなら私が立ち上がろう。
かつての憧れに光を取り戻すことはできなくても、他の獣人みんなの心に光を取り戻そう。
席から立とうとした私に、悲しげな表情を見せるリオ。
今日見た初めての彼女らしい表情だった。
「決して無理はしないで。死んだら元も子もないから」
気持ち悪い語尾をなくした、彼女の心からの言葉。
誇りは失っても、その心根にある優しさは変わっていないようだった。
それが分かっただけでも、今日ここに来た意味はあったのかもしれない。
「私はこの国を変える。今日本当は、お前を誘いに来た。……だがもうい。私はリオなしでも立ち上がる。この国を変えることがどれだけ難しいことか、お前もわかるだろ? だから、無理をしないわけにはいかない」
なおも何か言いたげなリオに、私は背を向ける。
そしてそのまま、振り返らずに店を出た。
……傾きだしでもなお、空に輝く太陽が、やけに眩しく感じた。
まるで、かつて憧れたリオの姿のように。
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