第114話 太陽の国の魔族⑨

 リッカ様の体に全力で魔法をかける私。


 リッカ様の体が、少しだけカクンと沈み込むのを見た私は、すぐさま今度は私自身の体に魔法をかけます。


 重力の向きを変え、リッカ様の体めがけて、高速で落下するように移動する私の体。

 リッカ様のすぐ手前で体を軽くして跳躍した後、さらに重力の向きを変え、リッカ様の方へ体が落ちるようにします。

 その上で、体重を重くし、何倍にもなった体重の全てと、私が一回で放出できる最大限の魔力を右の拳に乗せて、私はリッカ様へ殴りかかりました。


 そんな私の攻撃を、左腕に魔力を通して受けるリッカ様。


ーーミシッーー


 軋んだ音を上げるリッカ様の左腕。


 骨を折るには至らないものの、少なくとも私の攻撃が全く効かないということはないようです。


 リッカ様の反撃が来る前に、今度は空に向けて自分の体を「落とす」私。


 二十メートル程落ちたところで、今度は体を反転させ、さらには自分の重さを何倍にも増した上で、再びリッカ様へ向けて落下します。

 受け身のことは考えず、何倍にも重くなった体重を乗せた蹴りを、リッカ様めがけて放ちました。


 腕で受けてくるのであれば、その腕を折るくらいのつもりで攻撃を放ったのですが、今度は魔法障壁を用意していたリッカ様。


ーードンッーー


 私の攻撃は、リッカ様の魔法障壁へそれなりの衝撃は与えたものの、障壁を破るには至りません。

 将軍クラスの魔力量を持ったリッカ様と、大隊長クラスに過ぎない私の間では、四階級分の差があります。

 いくら魔法の補助があるとはいえ、相手が本気で備えて来れば、埋められる差ではありません。


 それでも、私は引き下がる訳にはいきませんでした。

 私の全てだったシャクネちゃんの命を奪ったこの女性を、許す訳にはいきません。


 せめて一矢報いなければ。

 そう思いながら、ない頭をフル回転させる私に対し、リッカ様がおとなしく待ってくれるわけはありませんでした。


 リッカ様が右手を私の方へ向けると、周囲の氷が凍てつき、私の周りを氷の鋭い刃が取り囲みます。


 気付くと、そのうちの一本は、私の喉元へ突きつけられており、一歩も動けない状況になりました。


 それでも。


 例え自分が死んだとしても、何より大事な人の命を奪った相手を、このままのうのうと生かしておく訳にはいきません。

 身動きが取れなくても一矢報いる方法を必死で考える私に、リッカ様が話しかけます。


「……この子はまだ生きてるわ」


 リッカ様の言葉に、私の思考は止まりました。

 でも、すぐに冷静になり、私は首を横に振ります。


「そんなはずありません。氷漬けになったら人は死にます。例え解凍しても死んでいた、という話は、何度も聞いたことがあります」


 リッカ様は頷きます。


「確かに貴女が疑う気持ちは分かるわ。凍らせた人を生き返らせるには、冷凍によって固体化したせいで膨張した水分による脳細胞の破壊と、凍らされた肉体を温めて解凍する際の細胞破壊がネックになる。でも、私は試行錯誤の末、魔法式をいじることで、その問題を克服したわ」


 リッカ様が言っている言葉の意味は分かりませんでしたが、不思議と嘘を言っているようには思えません。


 試行錯誤という言葉の通り、きっと幾人もの魔族を凍らせては溶かし、死なせない方法を見極めたのでしょう。


「自然解凍させたり、熱で無理やり溶かしたりしたら、この子は死ぬ。でも、私が私の魔法で、魔法的にこの子の氷を溶かしたら、この子は死なない」


 リッカ様は、まっすぐに私の目を見ながら命じます。


「そこの人間二人とともに『名無し』を殺しなさい。そうすれば、貴女は大事なこの子を救うことができるし、人間たちも、無事お家に帰れる」


 リッカ様の言葉を聞いた私は、リッカ様にかけていた魔法を解き、自分の体に纏わせていた魔力も弱めました。

 リッカ様も、私の周りを覆っていた氷の刃を消します。


「交渉成立ってことでよかったかしら?」


 不敵な笑みを浮かべながらそう尋ねるリッカ様を、私は睨みつけます。


「交渉? ただの脅迫じゃないですか」


 そんな私の視線など、意に介さず、リッカ様は笑顔で答えます。


「あら。脅しもまた、交渉の重要なカードの一つよ。私は目障りな女が消えて幸せ。貴女も大事な人が救えて幸せ。人間たちも命が助かって幸せ。みんな幸せなハッピーエンド。ウィンウィンな結果じゃなくて?」


 私は、リッカ様の言葉には答えず、シャクネちゃんの方を見ます。


 もともと綺麗だったシャクネちゃんは、氷漬けにされたことで、よりその綺麗さが際立っていました。


 シャクネちゃんを助ける。

 そのためだったら何だってやる。


 もしシャクネちゃんが今話せたら、テラ様に害を及ぼすくらいなら死ぬ、と言うかもしれません。

 例えそれが彼女の意思だとしても、私はそれには応えられません。


 もちろんテラ様のことは大事ですが、私にとってシャクネちゃんは、テラ様以上に大事な存在でした。


 シャクネちゃん自身が嫌だったとしても、私はシャクネちゃんを助ける。

 シャクネちゃんなしの人生なんてありえない。


 私はリッカ様の方を向きます。


「でも、本当に私たちは、『名無し』さんを倒すことなんてできるのでしょうか? 現に私は、リッカ様に手も足も出ませんでした」


 リッカ様は、余裕のある笑みを浮かべて答えます。


「もちろん勝てるわ。将来的な潜在能力はともかく、今の『名無し』の実力は旅団長レベル。貴女と比べたら二階級ほど格上の相手ということになる」


 魔族において、二階級の差は絶望的です。

 一階級ならやりようはありますが、二階級も違えば、数人がかりでも勝てるかどうかです。


「そして、貴女には『魔王殺し』の魔法がある。それを用いて、人間二人もうまく使えば、十分勝算はあるわ。勝算がなければ、私もわざわざ面倒な真似までして貴女たちを集めたりしないでしょ」


 リッカ様の言葉には、いつも説得力があります。

 理屈もしっかり通っています。

 でも、何か引っかかるものがあるのも事実でした。


 だからと言って、私にできることは何もありません。

 シャクネちゃんの命を握られている以上、リッカ様の命令に従うしかありません。


「……リッカ様のご命令に従います」


 シャクネちゃんを救うためなら、私は何だってします。

 ……例え悪魔にだって魂を売ります。


「貴方たちもそれでいいわね?」


 私に向かって話し終えたリッカ様は、人間二匹の方を向きました。


「俺たちには、お前に従う以外の選択肢はない。逃げようにもここがどこかも分からないからな。聞くまでもないだろ」


 アルベルトさんの言葉を聞いたリッカ様は軽い笑みを浮かべながら頷きます。


「それなら決まりね。今すぐ『名無し』の元へ行って殺してきなさい」


 リッカ様の言葉に、私たち三人は全員が驚きました。


「お言葉ですがリッカ様。私たちはお互いの実力もよくわかってません。それに、スサの領地の連隊長クラスと戦ったばかりです。少なくとも数日は戦略を考えるのと、連携の強化のための時間に充てさせてください」


 私の言葉に、納得した様子の人間に引きに対し、リッカ様は不機嫌そうな顔をします。


「これは命令よ。貴女たちには、今すぐ戦いに行く以外の選択肢はないの。戦略は移動しながら考えればいいし、実力はスサの部下との戦いで、お互いある程度分かったでしょう?」


 全く話を聞いてくれる様子のないリッカ様に、私はこれ以上の説得を諦めました。


 でも、人間たちは違いました。


「えーと、リッカ様でいいのか? 俺たちもこの巨乳のねーちゃんの言う通りだと思う。魔族と違って俺やローザは長距離の移動で疲労してるし、この巨乳のねーちゃんの正体不明の魔法を活かした戦略も立てたい。数日とは言わないが、一日くらいは日にちをおいてもいいんじゃないか?」


 アルベルトさんの言葉を聞いたリッカ様は、それでも首を横に振ります。


「いいえ、ダメよ」


 頑なに拒否するリッカ様の考えが、私たち三人には分かりませんでした。


「それならせめて、急ぐ理由を教えてくれないか?」


 ローザさんがリッカ様へお願いします。


「理由なんて簡単よ。日にちを置けば置くほど、『名無し』は強くなる。テラ様から極上の食事を毎晩与えられ、魔力が日に日に高まっている。今は旅団長クラスという情報だけど、近いうちに師団長クラス、下手すると将軍クラスになるかもしれない。そうなる前に一刻も早く殺しておきたいの」


 確かに、旅団長ならまだしも、師団長クラスにまでなってしまうと、私たちの勝算は、限りなくゼロになってしまうでしょう。

 リッカ様の言葉に、私と人間二人は従わざるを得ませんでした。

 目障りな女に一刻も早く消えてほしいだけかと思いましたが、一応理由はあったからです。


「分かったところで、さっさと出発しなさい。『名無し』はここから少しだけ離れたところに住んでいる。地図を渡しておくから、暗くなる前に向かうことね」


「……分かりました」

「……分かった」


 私と人間たちが心の底から納得はできないものの、とりあえず頷くのを見たリッカ様は、満足したように牙を見せて笑った後、氷の椅子を魔法で作ってシャクネちゃんの氷像の横に座りました。


「この子の顔でも眺めながら、楽しみに待ってるわ」


 そう言ってシャクネちゃんの氷像を撫でるリッカ様を睨んだ後、私はリッカ様たちへ背中を向けました。


 シャクネちゃんのことは心配でしたし、リッカ様に触れられるのは嫌でした。

 私の大切なシャクネちゃんを凍らせ、その命を盾に命令する。

 そんなリッカ様が憎くて仕方ありませんでした。

 自分の中にそんな黒い感情があるのを知って驚くくらい、私の心は黒く塗りつぶされていました。


 リッカ様が憎い。

 殺してやりたい。

 でもそんな力はない。

 力のない自分が憎い。


 ただ、それも『名無し』さんを倒すまでの辛抱です。

 リッカ様に命じられた『名無し』さんの討伐さえ終われば、シャクネちゃんは帰ってくる。

 リッカ様をどうするかはそのあと考えればいい。


「それでは行きましょう」


 私は、気持ちを切り替え、人間二人に声をかけ、『名無し』さんの元へ向かうことにしました。

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