第113話 太陽の国の魔族⑧

 リッカ様の「お願い」を聞いた瞬間、シャクネちゃんの表情が変わります。


「それはテラ様の命令ですか?」


 真剣な顔で質問するシャクネちゃん。


 シャクネちゃんがそのような質問をしたくなるのも無理はありません。

 リッカ様から殺すよう指示の出た『名無し』については、テラ様の領民の中で、かなりの話題になっていたからです。


 魔王様からいただいた名前を捨てた。

 人間の奴隷になっていた。

 どの領地にも属していないのに、旅団長並の強さを持っている。

 魔王様にも負けないくらい美しい。


 全て噂ですが、一、二ヶ月前にテラ様の領地に現れたこの魔族は、領民の噂の中心でした。


 その中でもまことしやかに話されている噂が、テラ様が正妻に迎えようとしている、というものです。


 住み込みのメイドの皆さんを始め、幾人もの女性がテラ様のお側にはいらっしゃいますが、本命と言われる女性はいません。

 そんなテラ様が、『名無し』と呼ばれているその女性にぞっこんになっているというのが、もっぱらの噂です。


 そんな女性を殺す、というようなことをテラ様がおっしゃるでしょうか。


「いいえ。私の独断よ」


 テラ様の命令ならば、例え命の危険があろうとも、私たちは従わなければなりませんが、リッカ様の独断ならば話は別です。


「それでは命令に従うわけにはいきません。『名無し』はテラ様の正妻候補との噂がございます。それでなくとも、もしテラ様の味方になれば強力な戦力になる可能性がある方を、勝手に殺すわけにはいきません。それはテラ様に対する叛逆行為になります」


 きっぱりと断ろうとするシャクネちゃんに、リッカ様が氷よりも冷たい視線を向けます。


「だから? 私はそんなこと知った上でお願いしているの。貴女たちには、『はい』という返事以外の答えはないわ」


 視線だけで相手を凍らせてしまいそうなリッカ様の圧力に対して、シャクネちゃんはなおも反論します。


「できません。私たちはテラ様の領民です。将来的にテラ様の利を損ねるような命令を聞くことはできません」


 圧倒的な強者であるリッカ様に対して、真っ直ぐに反論するシャクネちゃん。

 やっぱり私のシャクネちゃんは凄いです。


「利そうと利すまいと、『名無し』を殺せ。それが命令よ。私が数百年かけて積み上げてきたものを全て奪い去ろうとするあの女を殺せ」


 リッカ様を纏う空気が変わります。

 冷たさを感じる魔力も、より一層冷たさを増し、立っているだけで凍えそうになります。


 それでもシャクネちゃんは強い視線でリッカ様へ言い返します。


「できません。それがリッカ様の私情による命令ならなおさらです」


 シャクネちゃんの言葉を聞いたリッカ様の中で、何かが切れたような感じがしました。


「……あっそう」


 リッカ様はそう言うと、右手をシャクネちゃんへ向けました。


「……凍てつけ」


 リッカ様の言葉に従うように、周りを支配していた冷たい魔力が収束し、シャクネちゃんへ襲い掛かります。

 慌てて炎をめぐらそうとするシャクネちゃん。

 しかし、そんな炎ごと凍てつかせるリッカ様の魔力。


「あっ……」


 私が何もできず、ただ言葉を漏らす間に凍りついていくシャクネちゃん。


 下半身が凍りつき、シャクネちゃんは身動きが取れなくなりました。


「もう一度だけ言うわ。『名無し』を殺せ。そうすればその氷を溶かしてあげる。もし断れば、その綺麗な顔を、より美しい氷の彫像に変えることになるわ」


 そう言ってシャクネちゃんの頬を撫でるリッカ様。


 恐怖に奥歯を震わせながらも、それでも毅然と構えるシャクネちゃん。


「できません。どんなことがあろうとも、テラ様の利を損なうことはできません」


 そんなシャクネちゃんを冷めた目で見るリッカ様。


「たとえ死んでも、かしら?」


「たとえ死んでも」


 ダメ!


 その言葉が私の口から出てきません。

 シャクネちゃんが死ぬなんて絶対に嫌。

 それなのに口が動きません。


「それなら死になさい」


 そう言って右手をシャクネちゃんに向けるリッカ様。

 冷たさを感じていた魔力が、再び本物の冷気に変わり、リッカ様の右手の周りを渦巻きます。


 リッカ様は自分に逆らう相手に容赦なんてしないでしょうし、シャクネちゃんも自分を曲げたりしないでしょう。


 素人の割には魔力が多いとはいえ、シャクネちゃんの魔力量は大隊長レベル。

 対するリッカ様はシャクネちゃんの四階級も上の将軍レベル。

 加えてリッカ様は戦闘の経験も豊富で、テラ様の配下の中でも一、二を争う実力の持ち主です。


 もちろん、属性の関係だけで言えば、氷の属性のリッカ様に対し、炎の属性のシャクネちゃんの方が有利ではあります。

 ただ、その優位さを打ち消して余りあるだけの実力差があることは、シャクネちゃんの下半身が凍りついていることからも明らかです。

 ……このままではシャクネちゃんは、間違いなく殺されてしまいます。


「……待ってください!」


 あと少しでシャクネちゃんが死んでしまう。

 その瞬間になって、ようやく私の重い口が開きました。


「……何かしら?」


 見るだけで凍りついてしまいそうなリッカ様の視線を浴びて、思わず黙ってしまいそうになる心を奮い立たせて、私は言葉を続けます。


「わ、私も正直、リッカ様の命令に従うことが正しいとは思えません。でも、従わなければシャクネちゃんを殺すと言うのなら、私はリッカ様の命令に従います」


 私の言葉に耳を傾けるリッカ様。

 でも、目は相変わらず冷たいままです。


「……で?」


 とりあえず話を聞いてもらえたことに少しだけ安堵しながら、それでも気を抜かずに私は次の言葉を選びます。


「シャクネちゃんのことも私が説得します。『名無し』さんを倒すなら、シャクネちゃんは私なんかより貴重な戦力になります。シャクネちゃんをここで殺してしまうのはもったいないです」


 私の言葉を聞いたリッカ様は、少しだけ無表情に固まった後、声を上げて笑い出しました。


「あはははっ。何を言うかと思えば、面白い冗談ね。この子が貴女より貴重な戦力になる? 貴女、この子と私のことをバカにしているのかしら? それとももしかして、本気で言ってるの?」


 私には、リッカ様の反応が理解できませんでした。

 私がシャクネちゃんをバカにするわけがないですし、いつもシャクネちゃんに助けてもらっているのは本当のことです。

 さっきの戦闘もシャクネちゃんのおかげでなんとか戦えました。


「バカになんてしてません。シャクネちゃんはいつも冷静で的確な判断ができて、炎の魔法もすごい、とても強くて優秀な魔族です」


 私の言葉を聞いて、なぜか俯くシャクネちゃん。

 リッカ様も呆れたように肩をすくめます。


「魔王様から名前をいただいておきながら、己を限界まで鍛えもせず、人間も食べず、たかだか大隊長レベルの魔法しか持たないこの子が強くて優秀? この子が優秀なら、私の配下だけでも、優秀な魔族は掃いて捨てるほどいるわ」


 リッカ様の言葉に、俯いたままのシャクネちゃん。

 でも、私は引き下がりません。

 ここだけは引下っちゃダメです。


「シャクネちゃんが優秀じゃないなら、私なんてゴミです。シャクネちゃんなしじゃ何にもできませんから」


 私の言葉を聞いたリッカ様は、呆れを通り越し、子供を諭すような態度で私に話しかけます。


「貴女は自分の価値が分かってないわ。確かに人間を食べて魔力を増やさないのはいただけないけど、それを補って余りある魅力が貴女にはある」


 リッカ様はそう言ってニッと笑います。


「……『魔王殺し』の魔法が」


 リッカ様の言葉に私は動揺します。


「な、何でそれを……」


 そんな私を尻目にリッカ様は笑います。


「ふふふっ。テラ様の領地で、私に分からないことはないわ。貴女の魔法があれば、使い方次第で、強者も弱者になり、弱者も強者になれる」


 リッカ様の言葉に、私は何も言い返すことができない。


「それなのに。そこの半分氷になっている子は、せっかくのその力を活かせていない。貴女の魔法を活かすには、炎の魔法なんかを鍛えるより、直接戦闘の能力を鍛えるべきだわ」


 リッカ様はそう言いながらシャクネちゃんを侮蔑の瞳で見た後、その視線を、黙って様子を伺っていた人間の方へ向けます。


「その点、そこの人間二人は、剣での戦闘に特化して鍛えているから、貴女の魔法を最大限活かせる」


 リッカ様の視線は再び私の方を向けました。


「私が欲しかったのは、『名無し』を殺し得る戦力。旅団長並の強力な魔族に匹敵する、軍に属さない戦力。例え失敗しても私に害が及ぶことのない戦力。私自身も、私の息がかかった者たちも、直接『名無し』を殺すと、バレた時、軍での立場も、テラ様の信頼もなくなってしまう。その点、貴女とそこの人間二人。貴女たちは直接私と関係ない。これ以上ない戦力だわ」


 あまりにも身勝手な理由。

 でも、魔族の世界では、力ある者が絶対です。

 力があれば、何を言っても許されます。


 でも、私にだって譲れないものはあります。


 一つはテラ様への忠誠。

 もう一つはシャクネちゃんへの友情。


 シャクネちゃんを役立たずと切り捨て、テラ様の力になるかもしれない魔族を殺しにいく。


 私の譲れないもの、その両方が脅かされている今、引き下がるわけにはいきません。


「シャクネちゃんの氷を溶かしてください。それができないなら、『名無し』さんを殺しにはいけません」


 氷さえ溶けてしまえば、最悪、『名無し』さんを倒しにいくふりをして、シャクネちゃんと二人で逃げてしまえばいい。


 スサのいる北はともかく、人間の国がある西へ行けば大丈夫でしょう。

 西にある人間の国は、商業が盛んで、異種族にも寛大だと聞きました。


 テラ様に報告するのもありかもしれません。

 テラ様が大事にしようとされている『名無し』さんを勝手に殺そうとしていたのが発覚すれば、リッカ様と言えども、罰せられるかもしれません。


 そんな私の言葉を聞いたリッカ様は、ニヤッと笑いました。


 そして、右手をシャクネちゃんの方に向けます。


「私はね、指図されるのが嫌いなの。もちろんテラ様は別だけど」


 次の瞬間、リッカ様の右手に渦巻く冷たい魔力。


「凍てつけ」


 リッカ様の言葉に従うように、凍りついていくシャクネちゃんの体。


「シャクネちゃん!」


 シャクネちゃんへの攻撃を逸らそうと、私は思わず、リッカ様の右手に向けて魔法を放ちました。

 リッカ様の右手は一瞬だけカクンと下を向きましたが、すぐに元の位置に戻り、再びシャクネちゃんの体を凍らせていきます。


「フワちゃん、私のことは本当に気にしなくていいから」


 すでに胸のあたりまで凍らせながらも笑顔でそう告げるシャクネちゃん。


「そんなことできるわけない!」


 自分のものとは思えないくらい大きな声が出だ私に対して、笑顔に悲しみの色を交えながら、言葉を続けるシャクネちゃん。


「お願い。フワちゃんは、私の全てだから。私のせいでフワちゃんに迷惑をかけてしまうなんて、死んでも死に切れない」


「死ぬなんて言わないで!」


 私はリッカ様の右手に向けて放っている魔法の強さを強めます。

 でも、リッカ様の右手はピクリとも動きません。


 寒さのせいか、虚ろになった目で正面を見据えながら、シャクネちゃんが口を開きます。


「フワちゃん……大好……き」


 その言葉を最後に、シャクネちゃんは何も喋らなくなりました。

 ……その全身を氷の像に変えて。


 私の感情を今まで感じたことのない感情が支配します。


 私の最も大事な存在が。

 私の全てが。


 今、物言わぬ氷の像に変わりました。


 身体中から魔力が湧き上がります。

 度し難い怒りの感情とともに。


「リッカァァァッ!!!」


 怒りのままに言葉を発した私は、自分の体に魔法をかけ、そのままリッカ様へとびかかりました。

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