第106話 太陽の国の魔族①

「フワちゃん。今日は何がいいことあったの?」


 仕事の帰り道、私は同僚のシャクネちゃんからそう聞かれました。


「えへへ。分かります?」


 自分でも分かるくらいに、顔を綻ばせながら答える私。


「フワちゃんはすぐに顔に出るからね」


「てへへ」


 そう言いながら頭をかく私に、シャクネちゃんはさらに尋ねます。


「で、何があったの?」


 尋ねるシャクネちゃんに、私は自慢するように答えました。


「今日、いつもみたいに掃除のお仕事してたら、テラ様から、頑張ってるね、お疲れ様、って声をかけていただいたの」


 私の話を聞いたシャクネちゃんは大げさに見えるくらい驚きます。


「ええっ! いいなぁ……」


 心底羨ましそうな顔で私を見るシャクネちゃん。


「テラ様のお姿を拝見できるだけでも貴重なのに、お声かけまでいただいたなんて……」


 私とシャクネちゃんのお仕事は、四魔貴族テラ様のお屋敷での、通いのメイドです。

 ただ、ご主人であるテラ様はご多忙で、ほとんどお見かけすることがありません。


 テラ様の本当の身の回りのお世話は、住込みのエリートメイドたちが行うので、私やシャクネちゃんのような通いのメイドにとってテラ様は、遠い存在なのです。


「これを機に、フワちゃんがテラ様から気に入られて、住込みのメイドになって、そのまま結婚なんてことに……」


 勝手な妄想を膨らませるシャクネちゃんに、私は慌てて首を横に振ります。


「わ、私なんかじゃ無理だよ」


 そんな私をじっと見るシャクネちゃん。

 その目線が妙にいやらしく、私の全身を舐め回すように見ています。


「でもフワちゃん、魔力も高いし、顔も可愛いし、胸だって大きいし。結構いい線いけると思うよ」


 私の胸のあたりで視線を止めながら、シャクネちゃんはそう言いました。

 私は両手で胸を隠しながら、再度首を横に振ります。


「そんなこと言ったらシャクネちゃんだって、魔力高いし、顔だって綺麗だし、すらっとしてスタイルいいし。テラ様だって惚れちゃうよ」


 そう言ってお互いを褒め合う私たち。


「でも、私、住込みは無理なんだよね。どうしても料理が苦手で」


 心底嫌そうな顔をするシャクネちゃん。


「私もそうなんだよ。住込みだと料理もしないといけないもんね」


 うんうんと肯き合う私たち。


「それに、住込みのメイドは夜のお相手もお仕事だって言うし。テラ様、夜は凄いらしいから、経験のない私じゃ耐えられるか不安だわ。いつかは私もお相手できればとは思うけど」


 うーん、と考え込むシャクネちゃん。


「よ、夜って?」


 ドキドキしながら尋ねる私。


「もう。フワちゃんだってもう百歳なんだから、そういう知識も持っておかないと。夜のお相手っていうのはね……」


 魔族は百歳になれば結婚が許されます。

 結婚したらそういうことをするっていうのは、知識では知っています。

 ただ、具体的な話はほとんど知りません。


 ごくんと唾を飲み込んで、シャクネちゃんの言葉を待つ私の前に、一人の魔族が現れました。


 気配もなく突然現れたその魔族。

 仄暗く、陰惨な魔力を放つその魔族は、同じ魔族である私から見ても美しく、そして恐ろしい存在でした。


 突然現れたその魔族に、慌てて頭を下げるシャクネちゃんと私。


「楽しそうな話をしてるわね」


 笑顔でそう語るその魔族の言葉に、背筋が凍るような思いを感じる私。


「い、いいえ。たいした話はしておりません」


 動揺を隠せないままそう答えるシャクネちゃん。


「そう? でも、テラ様の配下の女性として、テラ様に抱かれることを夢見るのは愚かなことではないわ」


 凍りつくような笑顔でそう話す魔族。


「そ、そんな恐れ多いことは。それよりリッカ様。なぜこのようなところへ?」


 リッカ様は、テラ様の配下の中でもトップレベルの魔力を持つ、幹部の一人です。

 重要なお役目を任されることが多くて、大変忙しく、私たちのような通いのメイドにお声掛けいただくことはほとんどありません。


「あなたたち二人にお仕事をお願いしようと思ってね」


 笑顔でそう言うリッカ様に、私たちは不吉な予感しか感じませんでした。


「わ、私たちのような何の取り柄もない通いのメイドに、務まるようなお仕事でしょうか?」


 恐る恐る尋ねるシャクネちゃん。


「もちろんよ。料理の具材をちょっととってきてもらうだけの、簡単なお仕事だわ」


 料理という言葉に、さらに不吉な予感を感じる私たち。


「そ、それは空腹を満たすための仮初めの料理のための具材でしょうか? それとも、本当の料理のための具材でしょうか?」


 シャクネちゃんの質問に、真っ赤な唇の口角を上げて、笑顔を作るリッカ様。

 その笑顔は、今まで見たことのあるどんな笑顔より恐ろしい笑顔でした。

 その笑顔が、私たちがとってこないといけないのか、仮初めの料理ではなく、本当の料理の具材であることを何よりも示していました。


「か、狩なら狩専門の皆様や、兵士の皆様の方がいいのではないでしょうか?」


 私の質問に、うんうんと頷くリッカ様。


「貴女が言うことは分かるわ。でも、今回の具材は特別なの。狩人や兵士、住込みのメイドはもちろん、私たち幹部でも調達できないわ」


 リッカ様の言葉に、顔を見合わせるシャクネちゃんと私。

 強大な魔力を誇る幹部の方々ですら調達できない具材を、私たちなんかが調達できるのでしょうか?


「……ちなみに、その具材とはどのような素性のものですか?」


 聞いてはいけない気がしました。

 でも、聞かないわけにはいきませんでしたので、私は思わず聞いてしまいました。


 私が質問すると、リッカ様の表情が急に真面目になりました。


「貴女たちも、隣の領地のスサが、人間の王国を支配下に置いたのは知ってるわよね? そして、その王国から定期的に食材を入手せていることも」


 質問の意図は分かりませんでしたが、その話自体は有名だったので、とりあえずシャクネちゃんと私は頷きました。

 テラ様とライバル関係にある隣の領地の四魔貴族の動向は、領民全ての一番の関心ごとであり、知らないというのはおかしな話でしたので。


「はい。大きなニュースになってますから」


 シャクネちゃんがそう答えると、リッカ様は再び微笑みました。


「貴女たちにお願いしたいのは、その食材を奪ってくること。スサが食べる予定の特上の食材をね」


 リッカ様が言っていることを、一瞬理解することができず、シャクネちゃんと私は、少しだけ固まった後、慌てて手を激しく左右に振りました。


「む、無理です! そんなことしたら、スサに絶対睨まれます!」

「特上ってことは大事に守られてますよね? そんな食材を奪う力はありません」


 それぞれ反論するシャクネちゃんと私。


「その点は大丈夫。スサには絶対にバレないようにするし、警護も調べたけど大したことないわ」


 リッカ様はそう言ったが、それでも反論するシャクネちゃん。


「でも、戦闘になる可能性があるなら、やっぱり私たちみたいな素人じゃなくて、専門の方の方がいいのではないですか?」


 シャクネちゃんの言葉に、首を横に振るリッカ様。


「いいえ。魔王決定の儀を控えてる今、私たち幹部はもちろん、兵士や住込みのメイドは領地をまたぐことはできないわ。その点、一般人は領地間の行き来を禁止されていないから大丈夫。テラ様の領地の一般人の中で、一番魔力があるのは貴女たちなの。貴女たち以上の適任はないわ」


 リッカ様の言葉に対し、反論に詰まるシャクネちゃんと私。

 それでもすぐにウンとは言えませんでした。


「魔王様に名前を与えられた貴女たちなら大丈夫。それに、今回のお仕事を成し遂げられたら、私が貴女たちを住込みのメイドに推薦してあげるわ。もちろん、貴女たちが苦手な、料理の仕事はしなくてもいいようにした上で」


 リッカ様の申し出は、願っても無いチャンスでした。

 料理が苦手な私たちが、テラ様のお側につけるなんて、夢でもない限りあり得ないでしょう。


「……もし断ったらどうなるんですか?」


 そう質問するシャクネちゃん。


「そうね……この話は誰にも知られちゃいけない話だから、関係ないのに知っている人には消えてもらうしかないわね」


 笑顔のままそう答えるリッカ様。


 サッと血の気の引くシャクネちゃんと私。

 リッカ様に対する恐ろしい噂は絶えない。

 シャクネちゃんや私のように、何の後ろ盾もない通いのメイドを殺すことくらい、何のためらいもなくやってしまうでしょう。


 今回の件は、私たちに拒否権はありませんでした。


「それでは謹んで受けさせていただきます」


 そう言って片膝をつくシャクネちゃん。

 それを見て、私も慌てて片膝をつきます。


「わ、私もです」


 そんな私たちを見て、ニッコリと微笑むリッカ様。


「そう。喜んで受けてもらえて助かるわ。詳細は追って伝えるから、メイドのお仕事は当面休めるよう調整しておいてね。くれぐれもこの件は、他のメイドたちには極秘にしながら」


 リッカ様の言葉に、こくこくと頷くシャクネちゃんと私。

 理由は分かりませんが、この話がどこかに漏れた瞬間に、シャクネちゃんと私の命はないのでしょう。


「それじゃあ」


 そんな私たちを見たリッカ様は、現れた時と同様、突然視界から消えました。


 ……こうして、平穏だった私の日々は、突如として終わりを告げたのでした。

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