第103話 逃亡の騎士⑧

 眼鏡の十二貴族は、倒れゆくアレス様の体から剣を引き抜く。

 スローモーションのように倒れていき、地面に衝突するアレス様。


 そんなアレス様を上から見下ろし、蔑むような視線を送る眼鏡の十二貴族。

 ……そして、アレス様が全く動かないのを確認すると、汚らわしいものでも払うかのように、剣についたアレス様の血を振り払った。


 前のめりに地面に伏したアレス様は、ピクリとも動かない。

 胸の傷から血が溢れ出し、地面を赤く染めていく。


 当然の出来事に、敵も味方も、しばらく誰も反応できない。


 あまりにも唐突に。

 あまりにもあっけなく。


 最強の人間は倒れた。


 沈黙がその場を支配する。


 しばらくの沈黙の後、最初に口を開いたのはスサだった。


「……クッ、クハハハハっ。人間はどこまで愚かなのだ。唯一私に届きうる剣を、自らの手で手折るとは」


 そんなスサの声が聞こえてか聞こえずか、フラフラとアレス様の元へ歩み寄るレナ様。


「お父……様?」


 そんなレナ様の問いかけにも全く反応せず、地に伏したままのアレス様。

 おびただしい量の血を流し、地面に伏しているアレス様の生死は、誰の目にも明らかだった。


 最強の人間の死。


 その事実をうまく飲み込めない、十二貴族以外の人間たち。


 スサが言う通り、唯一スサに届きうるはずだったアレス様。

 そのアレス様は、殺されてしまった。

 ……今は味方になったはずの、同じ人間である十二貴族の手で。


 この人を助けるために、私たちは命懸けでこの場に来た。


 私を一人前に育ててくれた人生で一番の恩人。


 そんな大事な人の命が今、尽きようとしていた。

 ……いや、もう、尽きていた。


 自分の命を投げ打ってでも助けたかった人。

 私たちは最後の最後で、その人を救うことができなかった。


「お前ぇ!!!」


 放心状態のレナ様や私に代わり、声をあげたのはエディだった。


 魔力を全開で放出し、眼鏡の十二貴族へ今にも斬りかかろうとするとエディの前に、残り四人の十二貴族が立ち塞がる。


 その全員を相手に斬りかかるほどは、冷静さを失っていなかったらしいエディは、ギリギリのところで踏み止まる。

 ここまで歯ぎしりの音が聞こえそうなほど、強く奥歯を噛み締めながら。


「お前たち! 自分たちが何をしたのか分かっているのか?」


 声を荒げるエディに対し、冷静な表情で言葉を返す眼鏡の十二貴族。


「もちろん。スサ様に歯向かおうとする愚かな者を処断しただけだ」


 眼鏡の十二貴族の言葉に、何を言っているか分からない、と言った様子で首を傾げるエディ。


「スサ……様?」


 そんなエディを無視し、五人全員が片膝をつき、スサの方を向く十二貴族。


「これで我々王国の人間は、貴女に危害を加える手段を失いました。……その上でお願いがございます」


 眼鏡の十二貴族の言葉を吟味するように考えた後、スサは口を開く。


「……申してみろ」


「ありがとうございます」


 スサの言葉に恭しく頭を下げる十二貴族たち。


「我々からのお願いは、スサ様たち魔族の皆様が召し上がられる人間の選別と管理を、私たちにお任せいただけないかということです」


 眼鏡の十二貴族の言葉に、ピクリと反応するスサ。


「私の自由を侵害し、好きなものを好きに食べるのをやめろ、と申すのか? 選別や管理など不要。今すぐ全ての人間を食い尽くしてくれるわ」


 スサの言葉に、低姿勢ながらも、力強い目で返す眼鏡の十二貴族。


「恐れながら申し上げますが、もし今人間を食べ尽くしてしまわれますと、三年後の魔王選定の儀の際に、スサ様が不利になられるかと。また、魔王に即位された後も、生きの良い食事にありつけなくなります」


 眼鏡の十二貴族の言葉に関心を示した表情をするスサ。


「選定の儀を知っているのか? ……話を続けよ」


「はっ!」


 スサの言葉に、まるで隷属する者のような返事をする眼鏡の十二貴族。


「先ほどももうあげた通り、もし今、良質な人間を食べ尽くしてしまわれますと、最も力をつけておきたい三年後の際に、人間が不足し、満足な食事を得られなくなってしまいます。我々にお任せいただければ、計画的に良質な人間を用意いたします。もちろん三年後までお待たせするつもりはなく、今すぐそれなりの量の人間は用意します。また選定の儀で魔王となられた後も、定期的に良質な人間を供給し続けましょう」


 眼鏡の十二貴族の言葉を真剣に考えるスサ。

 そんなスサに、スサの配下の青い瞳の魔族が進言する。


「スサ様。恐れながら申し上げますが、この人間の提案、悪くないかと思います。配下の兵たちをこの国へ連れてきた場合、これまで制限されていた分、際限なく食べ尽くしてしまう可能性がありますので」


 配下の魔族の言葉に、眼鏡の十二貴族が言葉を重ねる。


「まずはこの場にいる、私たち五人以外の人間から幾人かを提供いたしましょう。足りなければ同等の質の人間をすぐに何人か提供いたします」


 眼鏡の十二貴族の言葉に、スサはついに頷く。


「いいだろう。しばらくは貴様らに任せてやる。ただ、貴様の提供する食事の質や量が気にくわない時には、こちらはいつでも約束を反故にできることを覚えておけ」


 スサの言葉に、十二貴族の五人は深々と頭を下げる。


「必ずや、ご期待に添えるよう努めます」


 そんなやりとりに対し、最初に声を荒げたのはエディだった。


「ふざけるな! お前たちがやっていることは国を売ることに他ならない。唯一人間を救いうる存在だったアレス様を裏切って殺し、守るべき民を魔族へ差し出し、国を守る責任のある貴族が何を言っている!」


 そんなエディに対し、眼鏡の十二貴族の男は、侮蔑の視線を向ける。


「ガキは黙っていろ。スサ様にはどうあがいても人間では敵わない。だが、アレスがいると、ありもしない期待を胸に戦おうとする輩が出てくる。お前たちのようにな」


 眼鏡の十二貴族は、さらに言葉を続ける。


「アレスを排除することで、スサ様には我々が敵対する意志も力もないことを理解いただいた。スサ様に目をつけられた時点で、多少の犠牲が出ることはもはや仕方がないことだ。そんな状況の中で、国を存続させるためには、我々が提案した手段以外にはない」


 感情を抜きにすれば、眼鏡の十二貴族の言葉も分からなくはない。

 分からなくはないが……


「勝手に決めつけるな。四魔貴族だってきっと倒しようはある。それに、自分たちは安全なところにいるつもりだからいいのだろうが、いつ魔族の餌にされるかも分からない民は生きた心地はしない。弱者のことを気にかけないお前たちに、人の上に立つ資格はない」


 反論するエディに対し、眼鏡の男とは別の十二貴族の男が剣に手をかける。


「ガキが言わせておけば……」


 そんな十二貴族の男を、眼鏡の男が止める。


「やめておけ。このガキも魔力はそれなりにある。スサ様の大事な食事になるのだから、鮮度を落とすような真似をするな」


 眼鏡の十二貴族の言葉を聞いたスサは、獰猛な笑みを浮かべる。


「分かっているではないか。私は、肉や魔力の質もそうだが、このガキのような反抗的な人間を、絶望の表情に変えて、生きたまま食うのが好きなのだ」


 思わず背筋の凍るようなスサの笑みに対し、突然レナ様が口を開いた。


「スサ様。その点に関して一点お願いがございます」


 嫌悪していたはずの魔族を、様付けで呼ぶレナ様。

 そんなレナ様を訝しく思いながらも、私はその言葉に耳を傾ける。


「……いつもなら私の話を遮る者は、たとえ家畜でも殺すところだが、今日は特別だ。言ってみろ」


 スサは少し考えながらも、レナ様の言葉を聞くことにしたようだ。

 十二貴族同様、恭しく頭を下げるレナ様。


「ありがとうございます。私からもお願いです。私と、今そこで反抗的な言葉を吐いた子供。この二人を召し上がるのは、しばらく待っていただけないでしょうか」


 しばらくの沈黙の後、尋ねるスサ。


「なぜ私が待たねばならぬ。いつ食そうが、私の自由だ」


 少しだけ苛立たしげなスサに対し、冷静に言葉を続けるレナ様。


「私は……先ほど死んだアレスの娘です。そしてその子供は、父アレスより、父を超える器になると評価されている者です。今食べるより、もっと育ってから食べていただいた方が、質の良い食事となることができると思います。それに、私とこの子供が子を成せば、その子はさらに良い質になるかと」


 レナ様の言葉に、笑い出すスサ。


「ハハハッ。面白いことを言うな、お前。そこまでして長生きしたいか」


 スサの言葉に頷くレナ様。


「はい。できることなら一日でも長く」


 しばらく笑った後、真顔に戻るスサ。


「確かにその提案、悪くはない。だが、さっきから私とお前を睨んでいるそっちのガキは、お前の提案に納得しないだろう。そもそも、父親を殺されたにもかかわらず、冷静でいられるお前のことを信用できん」


 スサの言葉にすかさず返事をするレナ様。


「そちらの子供は私の奴隷なので反抗はさせません。父は私のことを後継者としてみておりませんでした。そんな父が死んだことについて、何とも思っていない……とまでは申しませんが、命を懸けて復讐する程ではないと考えています。自分の命の方が大事ですから」


 そんなレナ様の目を、吟味するかのようにじっと見据えるスサ。


「いいだろう。それならお前の言葉を証明してみろ。そのガキには、私に対して土下座させた後、足に口付けさせろ。お前はそこで転がっている父親の亡骸を踏みにじり、顔に唾を吐きかけろ。それができれば、しばらく生かしてやる」


 理不尽にすぎるスサからの指示。

 私の知るレナ様なら受けるはずがない。

 だが……


「エディ。土下座しなさい」


 エディにそう命じるレナ様。


「お前……」


 文句の言葉も言えないまま、額を光らせた後、その光った額を地面へ擦り付けるエディ。


「そのままスサ様の元へ行き、足に口付けしなさい」


 しばらく額を地面につけた後、土のついた額を払うことすらなく、エディはスサの元へ行く。

 そのまま再度土下座のような姿勢をとり、スサの足の甲へ口付けをする。

 ……その顔を、悔しさと憎悪の色に染めながら。


 そんなエディに視線すら向けず、スサはレナ様へ命じる。


「次はお前だ」


 私の命の恩人であるアレス様。

 返しても返しきれない恩のあるアレス様。


 そんなアレス様の亡骸の元へ歩み寄るレナ様。


 私はそれでもまだ信じていた。

 ……レナ様のことを。


 多少自己中心的なところはあるが、愚かではないはずだ。

 そして、父親であるアレス様のことを心から尊敬し、愛していたはずだ。

 アレス様もまた、レナのことを溺愛していた。


 いくら圧倒的強者である四魔貴族の前でも、そんなアレス様を足蹴にしたり、ましてや唾を吐きかけるなどできるはずがない。


 私は覚悟を決めていた。


 レナ様がアレス様を足蹴にできず、スサから殺されそうになった際は、私もスサに仕掛けてやろうと。

 レナ様だけを死なせずに、私もこの場で死のうと。


 だが、私の覚悟は無駄になった。


ーードフッーー


 鈍い音を立てて、レナ様の蹴りがアレス様の亡骸の横っ腹を捉える。


「なっ……」


 思わず声を上げてしまう私。


‪ そんな私をちらっと一瞥だけした後、レナ様はアレス様の亡骸の胸のあたりを踏みにじる。

 そしてその顔へ、ぷっ、と唾を吐きかけた。


 その様子を見て、スサは満足そうな笑みを浮かべる。


「クハハハハっ。やはり面白いな、お前。いいだろう。お前とこの足元の奴隷は生かしてやろう」


 そんなスサへ、深く頭を下げるレナ様。


「レナ!!!」


 思わず大声で、しかも呼び捨てで呼んでしまう私。


 でも、それくらいは許されるはずだった。


 命を懸けてでも救おうと思っていた恩人をあっけなく殺された。

 そして、その恩人の亡骸をあろうことか、実の娘が己の命惜しさに辱めているのだ。

 あんまりではないか。

 私は怒りを通り越し、憤怒のあまり血管が切れそうになるのを感じながら、レナ様を睨みつける。


 そんな私を、再度ちらっとだけ見た後、レナ様……いや、レナは私のことを無視し、スサへ進言する。


「差し出がましいお願いですが、父アレスとともに現れたあちらの魔道士の女性。この人についてもしばらく延命させていただけないでしょうか。私は初潮も迎えていないので、まだ子供ができません。早くその奴隷の子供を献上するには、こちらの女性が使えるかと。魔力も高く、いい母体になると思います」


 レナの言葉を聞いたスサは、今度は考えることなく返事をする。


「私は今、気分がいい。いいだろう。お前の提案をよしとする。但し、少しでも歯向かうそぶりを見せたら、すぐに殺す。気分が変わってすぐに食したくなったとしても、殺す。それは頭に入れておけ」


「もちろんでございます。寛大な対応に感謝いたします」


‪ 四魔貴族スサが気分良くレナと話をしている間、私はレナを睨み続けていた。


 私の恩人である父親のアレス様の亡骸を辱め、己の命だけを優先し、仲間を道具のように考えるレナ。

 そんなレナをもはや仲間とは見れなくなっていた。


 小賢者リンの延命は申し出ても、ヒナや私のことには触れもしなかった。

 

 ただ、仮に私も母体になれと言われたとしても断っていただろう。

 いくらエディとの子供だとしても、この先魔族の家畜として、魔族に食べさせるための子供を作り続けるような生活は、ごめんだった。

 それならここで戦って死んだほうがマシだ。


 だから、延命の申し出をされなかったこと自体は問題ない。

 問題は、レナだ。


 私がアレス様のことを慕っていたから、仮に母体にした場合、今後勝手に反抗してスサの気分を害すことを恐れたのだろうか。

 それとも、エディとの関係のことを、実は未だに根に持っていたのだろうか。


 どちらでも関係ない。

 分かっているのは、レナが私の命を見限り、小賢者リンというおまけはあるものの、ヒナと私とレナの三人の中で自分だけ抜け駆けしてエディと結ばれようとしていることだ。


 これで私の死はほぼ確定的だ。

 最期にエディと結ばれたかったが、そんなことをスサもレナも許しはしないだろう。


 悲しげな目で私を見るエディの気持ちを少しでも楽にできるよう、私は笑顔で返す。

 惜別の意を込めて、自分にできる最高の笑顔を返す。


 このまま黙って食べられるつもりはないが、奴隷契約の主人の主人であるレナがいるこの場では、反抗すらできない。


 ……それでも私は願う。


 魔族たちに連れ去られても、死ぬ前に一矢報いてやることを。


 そして、願わくば魔族の元から抜け出して、恩人であるアレス様を殺した十二貴族や、その十二貴族へ帰順する姿勢を見せるレナへ復讐することを。


 レナのことは今すぐ殺したいほど憎かったが、エディがしばらくは無事であろうことだけが救いだった。

 エディが生きていてくれるなら、私自身についてはもともと一人で玉砕しようとしていた命。

 今さら惜しくはない。


 握った拳から滲む血と、噛み締めた下唇から流れ出る血が、復讐への道標とならんことを神へ祈り、私は目を瞑って天を仰いだ。

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