第101話 逃亡の騎士⑥

 初めて聞く、ヒナの思い。

 私は、心が震えるのを感じた。

 私たちのために、自らの本能に逆らってまで、絶対的強者に相対するその姿は、尊敬に値した。


「お前の思いなどどうでもいい。これ以上調子に乗るなら殺すぞ?」


 そう言ってヒナを睨むスサ。


 スサの気が長いとは思えない。

 このままでは、ヒナが殺されるのは時間の問題だ。

 私は気付けば、全身の魔力を高めていた。


 スサが恐ろしい目で私を睨む。

 それだけで、身動きが取れなくなりそうになる程の威圧を感じる。


「……何だ? お前も死にたいのか? 今は腹が減ってないが、別に今すぐ食ってやってもいいのだぞ」


 私は、震える剣先を何とかスサに向けながら、なおも魔力を高め続ける。


 攻撃した瞬間、私は殺されるのだろう。

 それは、本能で分かっていた。


 だからと言って、黙って捕まって、食べられるのを待つという選択肢はない。


 私はヒナの方を向く。


「同じエディの奴隷として、君のことを誇りに思う」


 それに対して、ヒナも答える。


「私も。エディ様以外の人間で、貴女ほど素晴らしい方がいらっしゃるとは思いませんでした」


 私とヒナは目を合わせて微笑み合う。

 エディにもう一度会えずに死ぬのは残念だが、心を許せる仲間と死ねるのなら、そう悪くはない。


「……愚か者どもが」


 スサがそう呟いた瞬間、私の体を押しつぶすような何かが発せられた。

 その場にいるだけで、吐きそうになり、立っていることすらままならない状態になる。


 私だけではない。

 精鋭であるはずのエルフィンや、宮廷魔道士筆頭の『光弾』。

 レナ様やヒナも膝をつき、口を押さえていた。

 騎士や魔道士たちの中には失禁や嘔吐している者さえいる。


 その場を支配する圧倒的な魔力。


 初めてアレス様の魔力を見た時は、同じ人間とは思えず、驚愕した。

 だが、今感じている魔力は、その比ではない。


 ただ、スサの魔力を感じるだけで、人間としてかなりの高みにいるはずのメンバー全員が、圧倒されていた。


「少しは身の程が分かったか。私が魔力を解放するだけで、貴様らは戦闘どころか立っていることすらままならない状態になる」


 スサはそう言いながら、さらに魔力の圧を高める。


「思いを語る資格があるのは、その実力がある者だけだ」


 気を失ってしまいそうな魔力の圧の中、私の前に立つ者がいた。


「ねーちゃん。それは人間を舐めすぎだな」


 そう言ったのは『剛腕』だ。

 スサの魔力に圧倒されて、顔を真っ青にしながら、それでも気丈に立つ『剛腕』。

 そんな『剛腕』を、汚物でも見るような目で一瞥するスサ。


 次の瞬間、スサが右手を振ると、真空の刃が生また。


ーースパッーー


 真空の刃は、まるで野菜でも切るかのように、魔力で保護されていたはずの『剛腕』の右腕を落とす。


「……ぐっ」


 うめき声をあげる『剛腕』。


「食料は食料らしく黙っていろ。舐めてお釣りがくるほどの実力しか持たぬくせに。殺すと鮮度が落ちるから、できれば今殺したくない」


 先ほどまでと違って不機嫌な様子のスサ。


「無礼な物言いは構わないが、無駄な抵抗で手を煩わすのは好きではないし、せっかくの食事が自らの手で台無しになるのも嫌だ。さっきも言った通り、大人しくしていれば、しばらくはそれなりの待遇でもてなし、その後苦しませずに食ってやる」


 腕を落とされて膝をつく『剛腕』の腕をそっと拾い、ゆっくりと回復魔法を施し、腕をくっつけようとし始めたのは、レナ様だった。


「私は回復魔法は得意じゃないわ。魔力も残り少ないし、貴方も自分で何とかしなさい」


「お前……」


 さっきまで敵だったはずの『剛腕』。

 だが、今はもはやそれどころではない。

 王国の、人間の存亡をかけた危機だ。


 レナ様もそれは分かっているから、こんな行動をとっているのだろう。


 ヒナの脚が回復次第、私とレナ様だけなら、逃げることは可能かもしれない。


 でも、そうすると、王国はこの魔族に蹂躙されるだろう。

 民たちは皆、魔族のエサとなってしまうだろう。


 私は目を瞑る。


 エディは私たちに死なないで欲しいと言った。

 命令ではなかったが、その言葉は重い。

 何より重い。


 私自身も生きてエディに会いたかった。

 こんなところで死にたくはない。


 その願いを叶えるなら、逃げる以外の選択肢はなかった。


 でも……


 国を見捨てて逃げてきた私を、エディはどう思うだろうか。

 国を見捨てて逃げた自分を、私は許せるのだろうか。


 ……答えは否だ。


 仮に生きてこの場を離れたとしても、他人の犠牲の上に生きる人生など、私は受け入れられない。


 ……ありえないかもしれないことだが、もしエディが私を選んでくれたとしても、私はその思いを受け止められなくなってしまうだろう。

 そんな資格があるとは思えなくなってしまうだろう。


‪ そして何より、この魔族を放置しておけば、きっとエディにも危害を加えるはずだ。

 スサの言うことが本当なら、アレス様を無事助け出せたとしても、アレス様ですら敵わないのがこのスサだ。


 そんな相手をこのまま残して、自分たちだけ逃げるわけにはいかない。


 私なんかじゃ全く相手にならなくても、かすり傷くらいは負わせられるかもしれない。

 その傷のおかげでエディが助かることもあるかもしれない。


 エディには、私の気持ちを誤解されたままだ。

 死ぬ前にせめて、その誤解は解きたかった。

 フラれるのだとしても、気持ちをちゃんと伝えてからフラれたかった。


 だが、それは高望みのしすぎだろう。


 身寄りのなかった私が。

 ひたすら剣にしか興味を持てなかった私が。


 異性を好きになるという気持ちを味わえただけでも奇跡だ。


「ヒナ。こいつはこの後、エディにも危害を加えかねない。だから私は、こいつを見逃すわけにはいかない」


 私の言葉にヒナは頷く。


「貴女が戦うなら、私も残って戦いましょう。エディ様に害が及ぶかもしれないというのならなおさらです」


 ヒナの言葉に私は微笑む。


「このセリフを言うのがエディじゃなくて申し訳ないが、ヒナ、君にはこの場で、私と一緒に死んでもらう」


 私の言葉にヒナも微笑む。


「喜んで」


 ヒナはそう答えると、すぐ近くで不機嫌な様子をしているスサに目を向ける。

 私もゆっくりと歩を進め、ヒナの横に並ぶ。


 近づくことでより圧を増す魔力。

 象に向かうアリの気分だ。


 でも、ヒナの隣に来たことで、震えが少しだけおさまる。


 一人じゃないことがこんなにも気持ちを落ち着けるとは。

 同じ思いを持つ者がいることが、こんなにも心強く感じるとは。


 私とヒナは目を合わせる。

 お互いの膝が笑えるくらいに震えているのを見て、本当に笑いながら、スサの方を向く。


 最上級魔法ですら、かすり傷一つ付けることのできなかった相手。

 そんな相手に、私とヒナは挑む。


 今のアイコンタクトで、二人での攻撃手段は決まった。

 もとより、わずか一ヶ月の訓練では、二人で一緒に使えるようになった技は少ない。


 その数少ない技の中で、一番強い攻撃手段を取ることにした。

 後先考えない、私たち二人の最強の攻撃。


 攻撃の後、防御が取れないのが弱点だが、この相手には関係ないだろう。

 この攻撃が失敗した時点で、私たちには死しかないのだから。


 私とヒナは二人とも脚へ魔力を集中させる。

 魔力が高まり、今まさに飛びかかろうとした時だった。


「待て」


 何もない空間から誰かの声がした。


ーーメリッーー


 続けて、何かが破れる音が聞こえてくる。


ーーメリ、メリメリッーー


 今度は、音と共に空間がひび割れる。


 突然の出来事に、私たちだけでなく、スサすらも初めて驚きの表情を見せる。


 空間が破れ、そこから人が出てくる。

 次々と現れる人間たち。


 出てきたのは、全部で五人。

 会話をしたことはないが、全てが見知った顔だった。


 全員が私以上の魔力の持ち主。

 魔力だけでなく、実力も私以上だろう。


 アレス様を除けば、最強に位置する人間たち。

 剣聖や刀神、賢者に大神官。

 それらに並ぶ王国最後の砦。


 そして、アレス様を陥れ、今回の件の原因を作った人間たち。


 十二貴族のうちの五人がこの場に到着した。

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