第100話 逃亡の騎士⑤

 四魔貴族。


 小さな国ならたった一人で滅ぼせるほどの実力を持つと言われる、脅威の存在。

 かつて四魔貴族が人間を攻めて来た際には、当時の剣聖や賢者を始め、十二貴族や二つ名持ちが総動員で臨んだらしい。

 それだけの戦力が多大な犠牲を払い、それでも仕留めることはできなかったという。


 そんな四魔貴族に、人間で対抗できるのはアレス様のみ。

 アレス様は単独で四魔貴族に遭遇し、退けることができたというが……


 目の前にいる女魔族の強さが、正直測れない。

 途轍もなく強いのは分かるが、どれほどの高みにいるのかが見えない。


 私たちが相手の強さを測る時、ほとんどの場合、まずは魔力の量を見る。

 魔法を主体に戦うにしろ、剣や拳を武器に戦うにしろ、基礎となるのは魔力だからだ。

 その上で、魔法の運用や剣術や体術の運用がどれほどの実力なのかを測る。


 この女魔族からは、魔力をほとんど感じない。

 攻撃も、手を振って風を起こしているだけなので、魔法の実力も、肉弾戦の実力もよく見えない。


 それだけの動作で王国屈指の戦力を、子供と遊ぶかのように圧倒するのだから、恐ろしく強いのは間違いない。

 だが、それだけならまだ救いがあった。


 どうしようもないのが、その耐久力だ。

 宮廷魔道士筆頭の最上級魔法や、王都守護隊の隊長の渾身の一撃ですら通用しない相手にダメージを与えるのは難しいだろう。


 だが、時間を稼ぎ、逃げることはできるかもしれない。


 私は、改めて四魔貴族を名乗る女魔族を見る。


 見たところ、普通の女性と変わらない。

 普通と違うのは恐ろしく美しいところくらいだ。


 見た目だけなら、人間の天敵である魔族の、頂点近くに位置する存在には見えない。


 そんな女魔族に対して、エルフィンが口を開く。


「よ、四魔貴族がなぜこんなところにいる? 王都には十二貴族や剣聖、賢者もいる。たとえ四魔貴族でも無事では済まないぞ」


 エルフィンの言葉を聞いた四魔貴族スサは、笑い話でも聞いたかのように大笑いする。


「ハハハッ! お前、面白い話をするな。人間なぞ何匹いたところで、この私が遅れを取るものか。今この場にいる貴様らが、鈍くて力のないカタツムリだとすると、せいぜいそいつらもカブトムシ程度だろ? 多少力があっても、所詮は虫けら。虫けらがどうやって私に勝つ?」


 全くもって人間を警戒しない四魔貴族スサ。


 そんなスサに対して、エルフィンはなおも言葉を返す。


「十二貴族の一人アレスは、四魔貴族相手に一人で渡り合ったはずだ。その四魔貴族がお前かどうかは分からないが、四魔貴族同士でそんなに力の差はないのだろ?」


 エルフィンの言葉を聞いていたスサ。

 そのスサの表情が初めて変わる。

 それまでの余裕を持った笑みから、怒りの表情へ。


「……アレス」


 低い、腹の底まで響きそうな声で、スサがその名を口にした。


「あの憎き人間め。何が己と同じ力を持つ者が十二人もいる、だ。あいつだけが特別で他は雑魚ではないか。おかげで私は四魔貴族の恥さらしだ」


 相変わらず魔力は感じない。

 だが、魔力は感じずとも、今ここでスサに触れてはいけないことは、分かった。


 それまでスサへ言葉をぶつけていたエルフィンも同じことを感じたらしく、黙っていた。


「スサ様。そのアレスは人間の手で処刑されました。だからこそ、今日私たちがここに来たのではありませんか」


 そんなスサへ声をかけたのは、青い瞳の男だった。

 男の言葉を聞いたスサの表情が元に戻る。


「そうだったな。我々に唯一届きうる力を持ったアレスが処刑されるとの噂を聞いたから確かめに来てみれば、先ほど奴の魔力が消えたからな。人間とは本当に愚かだ。自らの手で、自らの命を守っていたものを殺すとは」


 先ほどまで絶対的な余裕を見せていた四魔貴族を名乗るスサ。

 そのスサを動揺させるほど、アレス様の存在は大きいらしい。


 そう思った私の希望を打ち砕くように、スサが言葉を続ける。


「奴ほどの実力を持つ者が四、五人もいればさすがの私も苦戦する。だからこそ、奴の言葉に騙され、前回は撤退したのに……まあ、死んだ奴のことを言っても仕方ないか」


 アレス様が死んだ?

 スサの言葉を聞いた私は、回復に努めるヒナの方を振り返る。

 ヒナなら、広範囲の魔力が検知できるはずだから、スサの言葉が本当か分かるかもしれない。


 私の視線から意図を察したヒナは、一旦脚を回復するのをやめ、耳に魔力を注いでいるようだ。

 どのような仕組みかは分からないが、ヒナは耳に魔力を注ぐことで、遠く離れた位置にいる相手の魔力も感知することができる。


 しばらく魔力を拾っていたらしいヒナの顔がどんどん青ざめていく。

 その顔を見るだけで、よくないことが起きているのが分かった。


「ア、アレス様の魔力が感知できません。アレス様だけでなく、リンさんも、何よりエディ様も……」


 普段のポーカーフェイスが嘘のように、泣きそうな顔でそう告げるヒナ。

 その原因はアレス様のことよりむしろ、エディについてだろう。


 ヒナにとってエディは全てだ。

 その感情は、恋愛というよりも崇拝に近い。

 エディがいなくなるということは、神がいなくなることに等しいだろう。

 一か月一緒に過ごして、私はそう感じていた。


 魔力が消えた、イコール死ではない。

 だが、何かしらの異常が発生したのは間違いないだろう。

 すぐにでも駆けつけたいところだが、残念ながら、今はそれができる状況にない。


 最悪の想定は考えておくべきだろう。

 アレス様が死んで、エディも死んでいるという想定。


 もしそうだとしたら、私にこの世を生きる意味はあるのだろうか。


 今の私にとっての全ては、アレス様の救出だった。

 それは間違いない。


 でも、その後は?


 その後のことなど、元々は頭になかった。

 救出の途中で命を落とすことが、恐らく無意識のうちに頭の中にあったからだ。


 でも今は、エディのおかげでその先への可能性が見えてしまった。

 エディとの甘い未来に期待を持ってしまった。


 エディに対して、ヒナほど切実な思いを持っているわけではない。

 だが、恋心と呼んで差し支えない程度の気持ちは持ってしまっている。


 今の私にとっての全てであるアレス様の救出。

 救出後の未来に欠かせない存在であるはずのエディ。


 もしその二つが同時に失われたのだとしたら。

 果たして、私の生きる意味はあるのだろうか。


 四魔貴族を名乗るスサと、仲間であるヒナの言葉で思考停止に陥る私。

 そんな私の思考を引き戻してくれたのはレナ様だった。


「二人ともしっかりなさい! お父様はともかく、エディは死んでないわ!」


 乙女の勘、というわけではないだろう。

 レナ様はそんなものは信じない。


 なぜ分かるのか問おうとした私に対し、レナ様は自らの額を指差す。

 額で思い当たるのは、奴隷契約の魔法だ。

 レナ様はエディの主人。

 私も詳しくは知らないが、主人には奴隷の状態を知る方法があるのかもしれない。

 それならレナ様の言葉の信憑性は増す。


 エディが無事なら、私たちがやることは変わらない。


「ヒナ、状態は?」


 私は、自分たちの狙いがスサたちにバレないよう、部位を伏せて尋ねる。

 私の意図を察したヒナも、状態についてだけ答える。


「あとほんの少しです」


 ヒナの答えに私は小さく頷く。


 そんな私たちのことは気にも止めずに、スサは話を続ける。


「それにしても、最初から極上の食事が大量に手に入った。オスは配下の食事。そこの三匹のメスと、オスの内、目に力がある奴は私の食事だ。メスの方が肉が柔らかくて美味いし、意志の強い奴が抵抗する様を見ながら食うのは面白いいからな」


 そんな勝手なことを青い瞳の男に対して言いながら、舌なめずりをして私たち三人の方を見るスサ。

 普通なら下品なその行動も、美しいスサが行うと、まるで上品な仕草のように見えてしまう。


「……おや?」


 私たち三人を見比べている途中、ヒナを見て目を止めるスサ。


 ヒナの怪我が回復次第、跳躍して逃げようと考えていた私たちの作戦がバレたのか?

 唯一の私たちが生き残る手段が断たれてしまったかと思い、焦る私をよそに、スサがヒナの横へと歩み寄る。


 ヒナの元へたどり着いたスサは、ヒナの長い耳を優しく手に取る。


「……お前、獣人か?」


 スサの問いかけに頷くヒナ。


「……そうですが、何か?」


 毅然と答えるヒナの姿に、私は畏怖の念を抱く。

 圧倒的強者であるスサに対してそのような態度を取れるのは、この場でヒナだけだろう。


「魔力持ちの獣人は七百年生きて初めて見る。だが、我が国の法では獣人は食えぬ。試してみたい気はするが、やめておこう。お前は去るがいい」


 確かに、魔族は人間を食べるが、獣人は確か、魔族と敵対していない。

 魔族にも、人間以外は食べない程度の分別はあるようだ。


 ヒナにとっては願ってもないことだろう。


 一方でレナ様と私は、きっとこの四魔貴族から逃れる術がない。


 だがまあ、仕方ないことだ。

 ヒナだけでも生き延びることができたら、エディにとっては三人全員が死ぬよりいいことのはずだ。


 ヒナ抜きでこの場を切る抜ける方法を考えようとする私に、驚きの言葉が聞こえてくる。


「せっかくのお言葉ですが、私はこの場を去りません。仲間を見捨てるわけにはいきませんので」


 そんなヒナの言葉を聞いたスサは……激昂した。


「身の程をわきまえぬ獣が! 私の言葉に従わぬ存在など、あってはならぬ。私が人間に寛容なのは、奴らが食事に過ぎぬからだ。貴様は違う。獣人を食ってはならぬという法はあるが、無礼な者は、獣人だろうが、魔族だろうが、殺しても構わぬのだぞ」


 相変わらず魔力は発していない。

 それでも、肌をピリピリと刺す威圧感が、スサと私たちの、生き物としての絶対的な差を示していた。


 直接向けられていなくても、失禁してしまいそうになるほどの威圧感。

 それを直に浴びているヒナは、毅然として立っていた。

 ……脚を震わせ、青ざめた表情をしながら。


 獣人は、人間より野生の本能が強い。

 草食動物の獣人であるヒナは、絶対的強者を前に、人間以上に威圧感に対して敏感なはずだ。


 それでもなお、立ち続けるヒナ。

 負傷している脚もまだ治りきっていないはずなのに、決して屈することのない意思を示すかのように。


 ヒナは再度告げる。


「何度でも言います。私は仲間を捨てて逃げたりはしません。例え会って一ヶ月でも。……例え殺したいほど憎くなる仕打ちをされたとしても。私は生まれて初めてできた仲間を。私の全てである大切な方から託された仲間を、見捨てることなどできません」

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