第94話 閑話 『剛腕』
その男は生まれつき腕力が強かった。
掃き溜めのようなスラム街で生まれた男は、八歳になる頃には一人で生きていた。
母親に捨てられたのだ。
体を売って生計を立てていた母親は、客の一人に見初められ、邪魔になった八歳の男を置いていったのだ。
男は絶望しなかったし、母親を恨みもしなかった。
その街では親が子を捨てるなんて当たり前だったし、むしろその歳まで育ててもらったことを感謝した。
親のない子供が一人で生きていく術なんて限られている。
体を売るか、盗みを働くか、誰かの庇護に入るか。
いずれにしろ、ロクな選択肢はない。
だが、男は違った。
街の外に出ては、素手で獣や魔物を狩る。
狩った魔物を食事にしたり、素材を売って金にしたりしていた。
もちろん、いくら腕力に優れているとはいえ、八歳の子供に狩れる獣や魔物なんてレベルが知れている。
売っても大した金にはならないが、それでも子供一人が生きていくには十分すぎる額は稼げていた。
男は、自分が生きてく上で必要な額以外は、他の子供たちに恵むことにした。
弱者が金を持ちすぎてもロクなことにならないのは、スラム街に住む者として当然の知識ということもあったが、何より、困っている者や弱いものを見過ごせない性分だったからだ。
そんな男は、同じく身寄りのない子供たちから、すぐに慕われるようになった。
明日の命も知れないスラム街で、力が強く、面倒見のいい男が慕われるのは、必然と言えるだろう。
十歳になる頃には、その年齢を超える数の子供たちの命を背負うことになっていた男。
その男の元へ、訪れる者がいた。
ある十二貴族家の当主だった。
その当主は告げる。
「お前は類稀なる腕力の持ち主だと聞いた。お前にその気があるなら、王国を守る騎士として、育ててやってもいい」
何の気まぐれかは分からなかったが、基本的に、騎士には優れた家柄のものしかなれない。
平民ですらチャンスは多くないのに、スラム街の貧民にこんな奇跡が巡ってくることなど、通常ならあり得ない。
だが、男はすぐには了承しなかった。
「俺みたいなスラムのガキにそんな話を持ってくるってことは、何か裏があるんだろ?」
十歳とはいえ、十人を超える子供の命を背負い、二年もスラム街を生き抜いてきた男は、うまい話をそのまま鵜呑みにするほど世間知らずではなかった。
十二貴族は表情を崩さずに答える。
「裏などない。ただ、私がお前を育てようとしているのは、お前のためでも、お前が守っている子供たちのためでもない。王国を守るため、お前が役に立ちそうだと思ったからだ」
真面目に聞き入る体勢に入った男に対し、十二貴族はさらに言葉を続ける。
「野盗から。隣国から。魔物から。魔族から。私たちは国を守らなければならない。国に暮らす民を守らなければならない。そのためには、命を賭して戦う者が必要だ」
十二貴族は男の目を見る。
「騎士になれば、三十まで生きられないかもしれない。それでも、誰かがやらなければならない仕事だ。そして、誰にでもできる仕事ではない。だが、素手で魔物を倒し、スラムの仲間からも慕われているお前ならできると思った。だから声をかけている」
初めて会ったスラム街の浮浪児にそう言葉をかける十二貴族。
普通の貴族なら絶対にそんなことはしない。
スラム街の子供なんて、ゴミ以下にしか思っていない者がほとんどだ。
当然、そんな貴族たちのことをスラム街の子供たちもよく思っていなかった。
男も例外ではない。
だが、真摯に話をする十二貴族のことを、男は信用し始めていた。
「ありがたい話だが、断らせてもらう。俺がいなくなれば、ここにいる大勢の子供が死ぬことになる。俺はそいつらを見殺しにはできない」
信用はしたし、いい話だとも思ったが、男は断ることにした。
理由は言葉の通り。
自らを慕う子供たちを見捨てることなどできなかった。
「なるほど。君の考えは分かった」
十二貴族はそう言うと、男に背中を見せ、その場から去っていった。
男はそんな十二貴族の後ろ姿を見て下を向いた。
自分が申し出を断ったのだ。
悔やむ気持ちも、騎士になりたかったという気持ちも、全て自分が断ったせいだ。
男はしかたがない、と自分にそう言い聞かせた。
しばらく俯いていると、去っていったはずの十二貴族が戻ってきた。
十二貴族は無言で、男へ小さな袋を渡す。
男は十二貴族の行動が何なのか分からないまま、その袋を受け取る。
ずっしりと思いその袋を開いてみると、中には金貨が詰まっていた。
金貨が一枚あれば、普通の家族が一カ月は楽に暮らせる。
それが見たこともない枚数詰まっていた。
「こ、これは?」
男は十二貴族へ尋ねる。
「君の給料の前借りだ。それで子供たちを養いたまえ。その代わり、必ず立派な騎士になってその金は返すように」
十二貴族はそういう言って、その日初めて笑顔を見せた。
男は、袋を握りしめ、涙を流しながらも力強く答える。
「必ずなってみせる」
その言葉を聞いた十二貴族の笑顔は、より深くなった。
それからの男の努力は凄まじかった。
貴族の子息たちが殆どの騎士候補生の中で、同期の誰よりも厳しい鍛錬を己に課した。
十歳という年齢は、剣を始めるにも、魔力を増やすにも、魔法を覚えるにも、通常より遅い開始時期だった。
それでも騎士になるため、剣の腕を磨き、精神修行に臨み、文字も覚えて魔法も勉強した。
一秒も無駄にすることなく己を鍛える男。
そんな男に対し、初めは身分違いから蔑んでいた周りの者たちも、いつしか一目置くようになっていた。
十五になる頃には、一流と呼べるほどの実力を備え、二十歳を超える頃には、正式に騎士となり、精鋭部隊に加わった。
二十五になる頃には、二つ名も持つようになった。
騎士となるきっかけとなった腕力を称えてつけられた『剛腕』の二つ名は彼の誇りだった。
立派な騎士となった男は、自分を拾ってくれた十二貴族へ金を返したいと思っていたが、それは叶わなかった。
その十二貴族が帰らぬ人となっていたからだ。
代わりにその十二貴族の息子へ返そうとしたが、息子である十二貴族アレスは、頑なに受け取らなかった。
金を受け取れないなら、別の形でもいい、と申し出たが、それも断られた。
「恩を感じるなら、その気持ちは王国民へ返して欲しい」
それが彼の言葉だった。
騎士になった以上、全身全霊をもって王国民に尽くすのは当然であると思っていたが、そうでない騎士が多いのも事実だ。
「命を懸けて王国のために尽くします」
男は敢えて言葉にして誓う。
「頼む」
アレスも男を見据えて、優しく微笑むと、そう告げた。
それから十年余りが経過した時、アレスが魔族と組んで王国へ叛逆したとの話が入った。
男は俄かにその話が信じられなかった。
男へ王国へ尽くすよう話をしたアレスの言葉に、嘘があったとは感じられなかった。
だが、十年という月日は、人を変えてしまうには十分な時間だ。
当時は高潔な男だったアレスも、今は変わったのかもしれない。
男はそう思うことにした。
……そう思うしかなかった。
アレスの娘が魔族と共に逃げているとのことで、男には魔族の討伐と、娘の捕獲の命令が下った。
魔族の討伐については異論はなかったが、娘の捕獲に関しては、思うところがあった。
男にとっては、恩人の孫だ。
命令とはいえ、感情的には乗り気がしなかったが、男は王国の騎士だ。
命令には従わなければならない。
事前の情報によると、討伐対象の魔族は、パーティーとしてなら二つ名持ちにも匹敵する実力を持ったメンバーを、全滅させたとのことだ。
一筋縄で済む相手ではないだろう。
何隊か組まれた討伐隊のうち、男は『軍師』と呼ばれる男と共に百名の精鋭を率いる隊を任された。
男は、『軍師』とは何度か戦場を共にしたことがあったが、『軍師』の実力を認めていた。
本人の戦闘力はそれほどではないが、兵の運用に関しては、王国でもトップレベルだろう。
これなら余程の相手でもない限り、遅れをとることはないはずだ。
ある村で、天候を操るほどの魔力を持った者が現れたとの情報を掴んだ男。
天候を操るほどの莫大な魔力を持つ者は限られている。
その者が魔族かもしれないと考えた男は、その村に向かう途中の街で、アレスの元配下の男の妻だという女に呼び止められた。
アレスを助けようとして殺された配下の男の妻は、男と『軍師』へ告げる。
「私の夫は、アレスの娘と懇意にしていました。身寄りのないアレスの娘は、かなり高い確率で、この村へ訪れると思います」
討伐側としては助かる話だが、主を助けるために命を落とした男の妻が、その主の娘を売り渡そうとするのは、聞いていて気持ちのいい話ではない。
噂の村へは、斥候を派遣して情報を掴めばいいだろうということで、男が率いる討伐隊は、『軍師』の判断の下、しばらくその街へ留まることになった。
アレスの元配下の男の妻の予想が外れればいいのに、そう思っていた男の元へ、元配下の妻が訪れたのはそれからすぐのことだった。
「魔族はいないようですが、アレスの娘が子供と獣人を連れて私の屋敷へ来ました」
歪んだ笑みを浮かべながら、嬉しそうにそう告げるアレスの元配下の妻を苦々しく見ながら、男は立ち上がる。
「アレスの娘はそれなりに腕が立つとのことだから、俺が相手する。残りの子供と魔力が使えない獣人相手ならよっぽど大丈夫だと思うが、警戒するに越したことはない。何より魔族が潜んでいる可能性もある。残りはお前たちに任せるから警戒しながら任務に当たれ」
そう告げながらも、男は残りの二人が大した実力があるとは思っていなかったし、近くに魔族の気配も感じていなかった。
男がアレスの娘との一騎打ちを望んだのは、アレスの娘を説得する時間が欲しかったからだ。
魔族と手を切り、王国に従えば、命は助けられるかもしれない。
叛逆者の家族とはいえ、十をいくつか超えたばかりの子供だからだ。
十二貴族たちも人の子だ。
無条件で殺すようなこともないだろう。
男はそう考えたが、その思いは他ならぬアレスの娘本人によって踏みにじられる。
アレスの配下の妻によって、自分たち討伐隊に囲まれたアレスの娘とその仲間二人。
男が自身の作戦通りアレスの娘と対峙した際に向けられたのは、覚悟に満ちた目だった。
この目をした人間に、説得が通じないことは、戦士として短くない人生経験から身に染みて分かっていた。
まずは力でねじ伏せる。
説得はそれからだ。
それが男の知る中で一番可能性のある方法だった。
十二、三歳に過ぎないはずのアレスの娘の剣は見事というしかなかった。
魔法との連携も、精鋭の騎士にも劣らない素晴らしいものだった。
勉強はしたが、結局魔法の才がなかった自分とは比べ物にならない才能。
しかも、その才能を腐らせることなく磨き上げる努力。
アレスの娘だということを差し置いても、今ここで殺すのは惜しい逸材だった。
だが、いくら強くとも子供は子供。
二つ名持ちの男の前では、やはりまだ力不足だった。
上級魔法まで使うのには驚かされたが、それだけだった。
魔力が尽き、それ以上の戦闘が困難になったアレスの娘。
そんな少女に対し、男は声をかける。
「降参するならお前の命は助けてやる。十二貴族家の権限を全て俺に譲るなら、俺の女にして一生可愛がってやろう」
十二貴族の権限を持ったままだと、今後襲われる可能性は無くならないし、この少女にしても十二貴族に対する復讐の気持ちが消えないだろう。
また、男の女だということにすれば、他から手を出しづらくなるという読みもあった。
男には、権力に対する欲も、子供に性欲を感じることもなかった。
ただ、少女のことを第一に考え、今後、自身が欲にまみれた男だと非難されることも厭わず、そう声をかけた。
だが、少女はなびかない。
寿命を削ってでも魔力を絞り出し、戦おうとする。
「それなら仕方ないな。力尽くでねじ伏せてやるか。お前を殺して別の人間が王選の資格を得るのは困るから、殺しはしない。人格が壊れるまで痛めつけて、その後は奴隷にでもなってクソみたいな変態貴族の玩具にでもなればいい」
男は仕方なく、言葉と力で、一旦心を折りにかかる。
納得は後からさせればいい。
だが、少女の心は折れない。
仕方なく、物理的に気絶させようとした時、獣人の少女が突然視界に現れ、そしてアレスの娘を抱えると、もう一人の少年も抱えて飛び去ってしまった。
突然の出来事にあっけにとられながらも、どこかでホッとする自分がいることに気付く男。
きっと追っ手はかけられるだろうから、なんの解決にもなっていないのだが。
それから一ヶ月程、アレスの娘の所在は掴めなかった。
アレス処刑の日が近づいて来たことで、一旦王都に戻っていた男は、アレスの娘追跡の任を解かれ王都の門近くで待機する任を担っていた。
王都内の不穏な分子は既に排除済み。
誰かがアレスを救出に来るなら、恐らく外部から。
それが王国側の判断だ。
男もまた、その判断は正しいと考え、門の近くに待機していた。
男の脳裏にあったのは、一ヶ月前に対峙し、逃してしまったアレスの娘の姿だった。
娘の覚悟は本物だった。
男の推測では、娘は間違いなくアレスを奪還しに来ると踏んでいた。
同じく逃亡中だという二つ名持ち『閃光』と合流すれば、王都の門くらいは、門番を上手くかわして突破してくるかもしれない。
そうなった時、殺さずに捕らえてやるのが、自分の仕事だと考えていた。
男の推測通り、アレス処刑の前日、『閃光』を伴ったアレスの娘が、王都の門を突破して来たとの知らせが入った。
……推測と違ったのは、門番を全員殺して来たことだ。
娘の実力では難しいだろうから、恐らく『閃光』によるのだろうと男は推察した。
ただ、こうなってしまうと、男の権限で助命するのは難しいかもしれない。
男はどうやってアレスの娘を助命しようか考えようとする。
だが、考える間もなく、突破された門の元へ赴き、成り行きで再びアレスの娘と一対一で対峙することになった男。
考えるのは後にしよう。
そう男は考える。
実力には開きがあるとはいえ、油断すると不覚をとりかねない程度には実力があることを、一ヶ月前に確認していた。
まずは無力化して捕獲した後、命を助ける算段を考えればいい。
男はそう思いながら、剣を構える。
……僅か一ヶ月で、自分に匹敵する実力を身につけているとは、夢にも思わずに。
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