第93話 最強の人間⑤
天候を操り、嵐を呼ぶ魔法。
大気中の水蒸気を水の魔法で増やし、風の魔法と火の魔法で上昇気流を生むことで、人為的に局所的な積乱雲を作り、大雨と強風と雷を起こす魔法。
当然、普通なら室内で使うような魔法ではない。
使おうとしても使えない、というのが正しい。
上昇気流で水蒸気を集めるのにも、積乱雲そのものにも、かなり大きな空間が必要だからだ。
限られた魔力を補うために、自然の力を借りるこの魔法。
もしこれを、自然の力を借りずに、自分の魔力だけで対応しようとすれば、今の俺の魔力が何倍あっても足りないだろう。
だが、それを小さな規模で行えばどうか。
雷は雲の中の氷の粒がぶつかって起きる静電気が蓄積されたものだ。
その自然現象を、魔法によって起こせばいい。
本物の嵐を起こすほどの規模で行うには莫大な魔力が必要だが、人間一人を行動不能にするくらいの雷を起こすだけなら、そこまでの魔力は必要ない。
とは言え、いくつかの魔法を複合で行うため、最上級魔法並の魔力は必要になる。
何もない空間から魔法を発生させることができれば、こんな回りくどいことは必要ないが、魔法は基本、自らの手から放たれる。
敵の頭越しに攻撃を行うには、『火雷』における積乱雲のように、一旦何かを介さなければならない。
攻撃を迂回させるだけでは、手を起点にしなければならない以上、アレスに読まれる。
どこから攻撃が発生するか、アレスに読まれないようにするために自然現象を応用する。
今から放つのは、今回の特殊な状況でしか意味をなさない魔法。
一般の家に比べれば、はるかに大きいとはいえ、せいぜい十数メートルの高さしかない部屋。
俺の魔法により、その部屋の天井ぎりぎりまで雲が広がった。
雲の中では摩擦が生じ、静電気が発生し始める。
もちろん、普通の雲ならこの程度の大きさでは雷なんて発生しない。
魔法で構築し、式通りに動くからこそ起きている事象。
静電気の量が増え、雲の中では蓄えられなくなった時、雷が起きる。
所詮この程度の大きさの雲で起きる雷なんて、いくら魔法の補助があるとはいえ、たかが知れている。
本物の雷のように何億ボルトもの電圧は生み出せない。
それでも、発生源からの距離と空気放電による減衰の有無を考えれば、電圧は小さくとも電流値はそれなりになる見込みで、威力はある程度保てる計算だ。
生身で受ければ、死には至らずとも行動不能にはできるはず。
アレスも帯電している雲には気づいているようだが、どうすることもできない。
流石のアレスでも、リン先生を相手にしながら雲を全て吹き飛ばすことは困難だろうし、雷が発生して仕舞えば、電気より速く動くこともできないだろう。
もちろん、魔法を使用した本人である俺ですらどこから雷が発生するか分からないので、先読みして魔法を放って相殺するのも無理。
そして、電気を蓄えきれなくなった雲から、ついに雷が発生した。
ーーゴロゴロッ……ドガーン!ーー
稲光を発し、十二貴族めがけて落ちる落雷。
本来の『火雷』の威力に比べると明らかに弱い。
だが、アレスは反応できなかったようだ。
無表情に、雷が落ちた先を見ている。
雷は十二貴族に届いていなかった。
男女二人の十二貴族は、頭上に魔法障壁を張り、直撃を免れたようだ。
最上級魔法の応用ではあるものの、威力はせいぜい中級程度。
ダメージは全く与えられていないだろう。
あとは、彼らが魔法障壁を張ったことによる影響だ。
リン先生の言葉が正しければ、十二貴族の特殊能力を使うためには、魔力を用いた他の行動はできないとのことだったが、果たしてどうか。
実は、そんな制約はなかったのだとすると、万事休すだ。
リン先生はもうアレスを引きつけることはできないだろうし、仮に引きつけられたとしても、俺には打つ手がない。
先程、ダメ元で放とうとした『雷公』を試してみるくらいだが、まず効果はないだろう。
俺が魔法で作った雲が晴れていく。
だが、今のところ、アレスにも空間にも変化は見られない。
……失敗か。
それなら動きがない今しかない。
俺は一か八かで『雷公』の呪文を唱えようとする。
そんな時、アレスの視線がこちらを向く。
「エディ君!」
名前を呼ばれるだけで萎縮してしまいそうな、力のこもった声。
聴くものを虜にしてしまいそうな、魅力ある声。
さっきまでの力ない声とは違う、本当のアレスの声。
「よくやった」
アレスが言葉を発するのと同時に、空間にヒビが入っているく。
閉鎖されていた空間が、開かれていくのを感じる。
ーーパリンッーー
部屋の中を覆っていた何かが割れた音が響いた。
「アレス様、もう操られていませんか?」
俺の質問にアレスは力強く頷く。
「もう大丈夫だ。迷惑をかけた」
まだ実は操られていて、無理やり今の言葉を言わされているという可能性もゼロではないが、その可能性はかなり低いだろう。
そんなことをせずとも、先ほどのままゴリ押ししていれば、俺たちは倒されるしかなかったのだから。
俺はリン先生の元へ歩み寄る。
魔力を大量に消費し、小さな切り傷だらけのリン先生に声をかける。
服が破れ、血のにじむ腕に、胸が痛む。
そんな俺の顔を見たリン先生が優しく微笑む。
「そんな顔しないでください。最強の人間相手に苦手な接近戦を挑んで、たったこれだけで済んだんですから。よくやったと言って頭を撫でてくれれば、それでオッケーです」
俺は、年上にも関わらずそんなに身長の変わらないリン先生の頭を優しく撫でる。
「さすがリン先生です。よくやってくれました」
俺に頭を撫でられたリン先生は顔を真っ赤に染める。
「ほ、本当にやらないでくださいよ! 照れるじゃないですか……」
まんざらでもない様子のリン先生に微笑みかけた後、俺はアレスを見る。
「アレス様。まだ戦えますよね?」
俺の質問の意図を察したアレスは、子供を見守る親のように俺たちに向けていた緩んだ顔を引き締めて、真顔で答える。
「もちろんだ。十二貴族の一人や二人なら、簡単に倒せるほどの余力は残っている」
俺とアレスは揃って奥にいる二人の十二貴族の方を向く。
歯を食いしばり、こちらを睨みつける男の十二貴族。
観念したように目を閉じ、ため息をつく女の十二貴族。
共通しているのは、どちらも敗北を覚悟していることだろう。
怖いのは、再びアレスを操られることだが、その制約条件はどうなっているのだろうか。
「アレス様。あいつらに操られる時、何かされましたか?」
俺の質問にアレスは頷く。
「一度、彼の言葉通りに体を動かしたところ、体の自由がなくなった。恐らくそれが条件の一つだろう。他にもあるのかもしれないが、彼の言葉通りに動かなければ、条件を満たさないと思っていいはずだ」
アレスの言葉に俺は頷き返す。
非常に恐ろしい能力ではあるが、その分、条件も厳しいのは間違いない。
操っている最中に魔力を使ったら、能力が解除されたのがいい例だ。
「お……」
喋りかけようとした十二貴族の男の元へ、目にも留まらぬ速さで駆け寄ると、首元へ剣を向けるアレス。
今更ながら、アレスの動きは人間離れしている。
普通の人間が工夫と努力で生み出した『閃光』や『迅雷』のような動きを、地で行ってしまう。
改めて、こんな男と接近戦で渡り合ったリン先生にも敬意を表したくなる。
首元へ剣を突きつけられた十二貴族の男は、言葉を継ぐことができない。
「お前は喋るな。どこで条件が発動するか分からない。話すなら君の方だ」
アレスはそう言って、女の十二貴族の方を向く。
女の十二貴族は、真っ直ぐにアレスを見ると、ストレートに言った。
「私たち二人は降伏する。お前みたいな化け物相手に、たった二人で挑むのは自殺行為だ」
女の十二貴族の言葉に、アレスはフッと鼻で笑う。
「降伏する相手を化け物呼ばわりか。心外だし、その降伏を私が断るとは思わないのかい」
アレスが化け物という点に関しては、女の十二貴族に同意だが、アレスの気分を害せば殺されても文句は言えない状況なのに、女の十二貴族の態度は尊大そのものだ。
アレスの問いに、女の十二貴族は答える。
「戦力の均衡を保つために、自ら捕まってまで私たちを殺さなかった貴方が、今ここで私たちを殺すはずがないでしょう?」
女の十二貴族の言葉に、アレスは苦虫を潰したような顔をする。
「どこまでも人をコケにしているんだね、君たちは。確かに君たちの戦力は重要だが、野放しにしておくわけにはいかない。明日もし私が王になったら、全員貴族位を剥奪して私の奴隷にする」
アレスの言葉に、女の十二貴族は表情を変えずに頷く。
「計画に失敗した以上、仕方ないでしょう」
男の十二貴族はこの期に及んでそっぽを向いていたが、従うより他に仕方ないだろう。
「明日まで、こいつらの扱いはどうしますか?」
俺はアレスに尋ねる。
一時逃亡するには、連れて行くのは邪魔になるし、放置しておくのも問題だろう。
「一番確実なのは、死なない程度に痛めつけて行くことだが……」
アレスはそう言って、二人の十二貴族を見る。
女の十二貴族は毅然を装っていたが、恐怖に震えているのは、傍目にも明らかだった。
「敵とはいえ、無抵抗の女性を痛ぶるのは趣味じゃない。君たちから甘いと言われるかもしれないが、魔力を込めた縄で拘束し、呪文を唱えられないよう、口を塞いでおこう。誰かが来れば解放されてしまうだろうが、我々がこの場を離れる時間稼ぎくらいにはなるだろう」
アレスの提案に俺は頷く。
「そうと決まれば、さっさとこの場を離れ、明日の王選まで身を潜めましょう。そうすればきっとアレス様が王にならはずだから、俺たちの勝ちです」
俺の提言に、アレスも頷く。
俺とアレスが話をしている間に、リン先生は土の魔法で手枷足枷と猿轡を作ると、そこに魔力を込めて二人の十二貴族を拘束する。
「都合よく縄が落ちてはいなかったようですので、代わりに魔法で拘束しました。最上級魔法以上の力でなければ拘束は解けません。この二人にアレス様以上の力がない限り、誰かが来るまでは大丈夫でしょう」
リン先生の言葉にアレスは頷く。
「君は本当に優秀だな。もし明日、私が王になれたら、ぜひ側近として召し抱えたい」
そんなアレスの言葉を受けたリン先生は、ちらりと俺を見る。
「せっかくのありがたいお誘いですが、私にはやらなければならない仕事があるので……」
次期国王の誘いを断ってまでやらなければならない仕事とはなんだろうか。
リン先生は、レナや俺の魔法の先生以外でも、重要な仕事を担っているのだろう。
リン先生ほど優秀で、人間性も優れた人なら当然だが。
リン先生の言葉を聞いた後、なぜかアレスもちらりと俺を見て微笑む。
「もちろん、彼にも私の側で要職についてもらうつもりだ。流石に若すぎるから、初めは見習いという形にせざるを得ないだろうが、きっとすぐに認められるだろう」
そんなアレスの言葉を聞いたリン先生の顔が、ぱっと華やぐ。
「それなら前向きに考えさせていただきます」
そんなやり取りをぼんやり見ていた俺は、二人のやりとりについて深く考える前にハッと気づく。
「アレス様。お言葉ですがあまりのんびりしている時間はございません。レナ様とローザ、それに新たに仲間になったヒナの三名が、陽動として動いてくれています。彼女たちに、撤退の合図を送らなければなりません。それに、我々も早急にこの場を離れ、明日の王選まで、身を潜めなければならないかと」
俺の言葉にアレスが頷く。
「そうだな。私が助かっても、レナやローザが倒れたり、捕まったりしてしまえば、元も子もないからな。まずはすぐに屋敷を出よう」
俺とリン先生は揃って頷き、身動きの取れない十二貴族二人を残して屋敷を出る。
途中すれ違った剣聖と剣聖の弟子の二人は、一瞬驚いたように目を見開いたが、特に邪魔立てはせず、アレスに対して黙って頭を下げていた。
アレスの救出には成功したものの、まだまだ正念場は続く。
アレスも魔力を大きく削られており、リン先生は魔力が枯渇寸前。
俺も半分くらいの魔力を消費しており、もし今それなりの戦力と遭遇してしまうと、苦戦は必至だ。
早急にこの場を離脱する必要がある。
陽動のレナたちの様子も気になった。
ヒナが付いているから、よっぽどのことはないと思うが、戦場では何が起こるか分からない。
王国の全戦力の目を引いているのだ。
万が一がないとも限らない。
俺は不安を胸に抱きながらも、空に向けて炎を放つ。
あとは祈るのみ。
必ず無事でいてほしい。
そんな言葉を心の中で唱えながら、王都を脱出するため、俺たち三人は駆け出した。
……そのまま王都を脱出できなくなるとは、夢にも思わずに。
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