第92話 最強の人間④

 消えたリン先生の行方を探す俺に対し、アレスはどこにいるのか分かっているかのように、頭上に剣を構える。

 消えたかに見えたリン先生が、次に現れたのはアレスの眼前だった。


 よく見ると、いつのまにか、さっきリン先生がいたところから、アレスのところまで、光るレールのようなものが敷かれている。

 先ほど『迅雷』が使っていたのと同じレール。


 リン先生が使ったのはそれだ。

 本家とは異なり、レールは一本だけだが、不意打ちにはそれで十分。


 不意打ちとして成立しなかったのは、相手の方が上手なせいだ。


 だが、振り上げた右手をアレスにふり落す直前、リン先生は微笑んだ。


ーードンッーー


 振り上げた右手ではなく、前蹴りがアレスの胸を押した。


 アレスはとっさに障壁を張ったので、ダメージは与えられていない。

 リン先生も格闘のプロではないようで、前蹴りの威力自体は大したことはなさそうだ。


 ただ、アレスを押すように繰り出されたその蹴りは、障壁ごとアレスを一瞬よろめかせた。


『窮奇!』


 もちろん、俺はその隙を見逃さない。


 無詠唱の上級魔法を今度はアレスではなく十二貴族めがけて放つ。


「くっ……」


 声を上げるアレスを横目に、戦う二人を迂回しながら十二貴族へ向かって飛んでいく風の刃。


 初級レベルの威力しかないその魔法も、魔力が使えない無防備な人間を倒すには、十分だ。


 しかし、その風の刃は、十二貴族には届かなかった。


『窮奇!』


 同じく風の上級魔法を無詠唱で放ったアレスによって防がれた。


 だが、まるでアレスが魔法を放つのが分かっていたかのように、リン先生はニヤッと笑った後、振り上げていた右手を、今度こそ振り下ろす。


ーーバリバリッ!ーー


 振り下ろす直前、リン先生の右手が雷に包まれる。

 魔法剣を生身で行なっているようだ。


 魔力による絶縁フィールドを手の周りに作れば、理論上は不可能ではないと思うが、相当複雑な式を運用しなければならないはずである。

 先ほど倒した『雷鳴』のように、革の手袋に魔力を流して、もともと絶縁性能がある物の絶縁耐久値を上げるなら、努力次第で普通の人間にも可能だ。

 それを完全な素手で、上級魔法並みの雷を纏いながら行うのは、普通の人間の脳の処理能力では無理だ。


 右手は魔法を放つために使われていたため、アレスが剣を持つ手は左手のみ。

 片手で受けるには重いと思われるリン先生の手刀による魔法剣。

 そんな高度な攻撃を、難なく左手一本で持った剣で受け止めるアレス。


 リン先生の手が切れないところを見るに、手の硬度も魔力で剣並みに強化しているようだ。

 さらに複雑な式を用いているに違いない。


 手を鉄の剣並みに強化。

 魔力による絶縁フィールドの構築。

 雷の上級相当の魔法剣。


 どれか一つだけでも難しいものを、三つも組み合わせた攻撃。

 味方ながら恐ろしくなる。


 片手で受けたためか、素手のリン先生の攻撃を弾き返すことができないアレスは、さらに体勢を崩す。


 その隙を見た俺は、今度は直接十二貴族の側まで行くことにした。

 生半可な魔法は恐らく、先ほどのように片手で防がれる。

 だからと言って、普通に移動してもアレスに阻止されるのは間違いない。


 ただ、リン先生のように、先ほど見たばかりの『迅雷』の技を使って高速移動できるほど、器用でもない。

 それなら、一ヶ月間繰り返し見た技を真似するだけだ。


『閃光』


 足に込めた魔力が爆発によって発光し、周りの景色が高速で移動する。

 ローザのものに比べれば、同じ名前を名乗るのも恥ずかしほど完成度の低い技。

 魔力の燃費も悪いし、スピードも遅い。


 だが、それでも普通に動くのとは雲泥の差だ。

 『迅雷』にすら劣っているだろうが、それでも速いものは速い。


 アレスを横目に見るが、未だ体制は崩れたままだ。

 千載一遇のチャンスと思った俺だったが、そんな俺をあざ笑うかのように、アレスは魔法を放つ。


『窮奇!』


 またしても放たれた無詠唱での風の上級魔法。

 アレスからこちらは見えていないはずなのに、その攻撃は的確に俺の進路上へ放たれる。


 『閃光』を使っている最中は、魔法障壁も他の魔法も使えない。

 そんな技の弱点を見抜いているかのような攻撃。

 ……いや。

 実際、ローザのことはアレスも知っているはずだから、弱点は見抜いているのだろう。


 仕方なく俺は、無理矢理止まるべく、柔らかい魔法障壁を何枚か張り、自分の体にぶつける。

 障壁により、ダメージなく止まる俺の体。

 魔力のロスも大したことなかったが、今のチャンスを活かせなかったのは痛い。


 リン先生も、俺を責めることはないが、少しだけ焦った表情を浮かべている。

 これだけのチャンスを作ることは、なかなかできないだろう。


 こうなってくると、こちら側は手詰まりになってくる。

 隙だと思ったものが隙になり得ない。


 リン先生も、もともとは接近戦が得意ではないはずだ。

 そう長くは戦えないだろうし、今以上のチャンスを作り出すのも難しいだろう。


 俺には打つ手がほとんど残っていない。


 最上級魔法を放つか、未完成の『とっておき』を使うかしかないだろう。


 だが、隙のない状態で最上級魔法を放ってもアレスに相殺されるに違いない。

 アレスと俺の魔力量が同程度ならそれでも意味はあるが、かなりの魔力を消費したにも関わらず、アレスの魔力量は、俺とリン先生を合わせたものより多い。

 消耗戦はこちらが不利だ。


 最上級魔法を使うには、隙をつく必要があるが、隙を見つけてから呪文を唱えても間に合わないし、俺が呪文を放つタイミングで、リン先生がぴったり隙を作るのも無理だろう。


 そうなってくると、『とっておき』を使うしかないのだが、集中できるはずの修行中ですら一度も成功したことがないものを、いきなりこの場で成功させられるとは思えない。

 失敗するとその後動けなくなってしまうので、この場で使うにはあまりにもリスクが高すぎる。


 俺が選択肢を考えている間にも、アレスとリン先生の戦闘は続く。


 アレスの怒涛の攻撃を、リン先生はヒラヒラと躱しているが、段々とその動きに余裕がなくなってきているように見える。

 リン先生の回避能力は素晴らしいが、肉体はほとんど鍛えていないのか、持久力には難がありそうだ。

 最初に「二分」と言ったのは、体力の限界を示してのことだろう。


 もうすでに一分半は過ぎている。

 俺に残された時間はあまりにも短い。


 二つの選択肢のうちどちらかに絞るしかない。


 脳をフル回転させて考えた結果、『とっておき』については選択肢から外す。

 成功の可能性が限りなくゼロに近いものを、選択肢に入れられない。


 そうなってくると、選択肢は、どの最上級魔法を使うか、だ。


 俺が使える最上級魔法は限られている。


 まずは十二貴族が放っていた『劫火(ごうか)』だ。

 ただ、一ヶ月前より強力にはなってはいるが、まだ本家には一歩及ばない。

 本家のものですらアレスには通用しなかったから、仮にアレス本人を迂回させて攻撃したとしても、相殺される可能性が高いだろう。


 相殺するためには、先ほどの無詠唱での『窮奇』とは違い、かなりの魔力を練る必要があるはずなので、隙を突ければ可能性はある。

 だが、たまたま俺が魔法を放つタイミングで、リン先生が隙を作れるかどうかは運任せだ。

 とは言え、可能性はゼロではないので、選択肢としては切り捨てずに残す。


 もう一つは『火雷(ほのいかずち)』だ。

 俺が最初に覚えたこの最上級魔法なら、アレスの頭越しで相手を攻撃可能だが、いくら普通の家より広いとはいえ、室内では小規模とはいえ積乱雲もどきは作れず、嵐は起こせない。

 選択肢としては外さざるを得ないだろう。


 あとは、先ほどリン先生が放った『雷公(らいこう)』だ。

 高速で、二つ名持ちの魔法障壁すら貫通できる威力も持ったこの魔法なら、いくらアレスでも魔力だけで相殺するのは難しいだろう。

 防ぐためには、直接剣で叩き落とすしかないだろうが、リン先生がアレスの動きを抑えてくれれば、可能性は一番高そうに思える。

 あとは、初見の俺がいきなり使えるかどうかだ。


 呪文はさっき聞いた時に覚えたし、レールガンの仕組みも分かってはいる。

 だが、単純に炎に酸素を送り込んで強化する『劫火』と比べれば、その仕組みはかなり複雑だ。

 一発で、頭の中の式を組み立てる自信はない。


 だが、運任せの『劫火』よりは、自分の責任に起因するところが大きいのが『雷公』だ。


 迷っている時間はない。

 俺は、自分を信じ、『雷公』を唱えようと、右手をアレスの後ろにいる十二貴族の男と思しき人影に向ける。


 だが、ここで俺は妙な感覚に襲われる。

 このままでは失敗しそうな気配。

 そんな感覚が俺を襲う。


 アレスなら、超速の光弾にでも対応してしまいそうな、そんな予感に包まれる。

 だからと言って止めることはできない。

 他に選択肢はないからだ。


 ……本当にそうだろうか。


 テスト中に答えに迷った時のような、そんな自問自答を繰り返す俺。

 そんな余裕はないのに。


 刻一刻と過ぎゆく時間の中で、俺はもう一度右手を十二貴族の方へ向ける。


 迷いに迷った後、やはり『雷公』しかない、そう思って呪文を唱えようとした瞬間、俺の頭の中で、電気が走ったような閃きが起きる。


 手持ちの札では対応できないはずだった。

 たがら仕方なく、手持ちの札の中で一番可能性がありそうなものを選んだはずだった。


 ……本当にそれでいいのだろうか。


 いや、それではよくない。

 手持ちの札で足りないなら、新しい札を用意するか、それも無理なら今ある札を変えればいい。


 俺が選んだのは、最初に切り捨てた選択肢だった。


 頭の中で構築し始めていた『雷公』の式を中断し、別の式を構築し始める。


 アレスの攻撃が、リン先生を掠めるようになってきた。

 今のところ致命傷は追っていないようだが、致命傷を負うのは時間の問題だろう。


 軽傷とはいえ、傷つくリン先生を見て、焦りそうになる心を諌めながら、俺は呪文を唱える。


 唱えた呪文は、繰り返し唱え、一番と言っていいほど慣れ親しんだものだ。


「天なる豪雷よ。畏れ深き姿を。その猛威を。全てを焼き尽くす炎を。その力を我が前に示し、天に背きし愚かなる者に、報いを与え給え」


 唱えたのは、俺が初めに覚えた最上級魔法。

 リン先生から授けられた、大事な魔法。

 最強の人間相手にたった一人で戦い時間を稼ぐ、尊敬すべき人との絆の証。


 呪文の詠唱が終わった俺は、アレスであろうと阻止できないだろう魔法を放つ。


『火雷(ほのいかずち)!』

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