第77話 奪還の奴隷⑦

 俺は剣聖から失格の烙印を押されるのを覚悟していた。


 俺がやったことは師匠の真似事と、魔法によるズルの組み合わせだ。

 そしてそれも、剣聖には届かなかった。


 俺の覚悟って何だ?


 どんなことをしてでも大切な人を守れる人間になりたいと思っていた。


 だが、元の世界の母さんとは離れ離れ。

 こちらの世界の母さんはレナに殺され。

 生涯を共に過ごしたいと思った女性とも離れ離れ。


 そして今、恩人を救いに行くチャンスをふいにしてしまいそうになっている。


 そんな俺の気持ちなど知らない剣聖が口を開く。


「先に進め。俺から言えるのはそれだけだ」


「……えっ?」


 予想外の言葉に、俺は戸惑う。

 理由が分からない俺は、剣聖へ質問しようとする。


 そんな俺を、リン先生が止めた。


「気持ちが変わらないうちに行きましょう。私たちには時間がありません」


 リン先生が言うことはもっともだ。

 余計なことを話して、剣聖がやっぱりもう一度俺たちと戦いたいなどと言い出したら、たまったものじゃない。

 それに今は、一分一秒を争う時だ。

 無駄な時間は過ごせない。


 ……でも。


 今の気持ちのまま進むことはできなかった。


 俺はリン先生に頭を下げる。


「すみません、リン先生。リン先生がおっしゃられる通りですが、俺は今の気持ちのまま進めません」


 頭をあげた俺は、剣聖の方を向く。


「俺はあんたに完全に負けた。それなのになぜ俺たちを行かせてくれるんだ?」


 剣聖は一瞬ぽかんとした後、笑い出す。


「クククッ。お前、俺に勝つつもりでいたのか? 見たところ剣を握り始めて月日が浅い。せいぜい数ヶ月といったところだろ? そんな相手に負けるほど、俺の三十年は軽くない」


 剣聖は真顔になって俺を見る。


「だが、一年後は正直分からない。それにそこの嬢ちゃんを先生と呼ぶくらいだから、魔法の腕も立つんだろ? 剣はともかく、体の動きは一流と言ってもいい。お前の歳でそこまでの実力を身につけるのに、どれだけの努力をしたか分からないほど、人を見る目がないわけじゃない」


 剣聖は少しだけ柔らかい表情になる。


「その努力がお前の覚悟だと感じた。子供ながら頭が下がる。俺に覚悟を見せてくれたこと、感謝する」


 剣聖はそう言って頭を下げる。


 初対面の子供相手に、素直に頭を下げる剣聖を、俺はすごいと思った。

 こんなことができる大人が、元の世界にどれだけいただろうか。


 剣聖は頭を上げると、今度は俺を睨みつける。


「そもそも、剣聖である俺に手傷を負わせて落ち込むなんて、どれだけ自分に自信があるんだ? 横にいるこいつなんて、十年鍛えてるが、一度も俺に傷を負わせたことはないぞ」


 剣聖の言葉に、隣に立つ剣士の男はバツの悪そうな顔をする。


「立場上、手助けはできないが、これ以上邪魔はしない。こっから先にいるのは、二人の十二貴族だ。手合わせしたことはないが、どちらも俺に近い強さは持っていると思う」


 剣聖は、もう一度真顔になり、俺の目を見る。


「お前とはもう一度手合わせしたい。だから死ぬんじゃないぞ」


 俺は頷く。


「正直、もうあんたとは手合わせしたくないけど、死なないってことだけ約束する。俺には守らなくちゃならない人がいるから」


 俺はカレンを頭に浮かべながらそう言った後、ふとリン先生の顔を見る。

 リン先生も俺を見返して、なぜか顔を赤らめる。


「いちゃいちゃするのは、アレスを助けてからにしろよ」


 剣聖の言葉に俺は、慌てて否定する。


「リ、リン先生と俺は、そんな関係じゃない」


 そんな俺を見た剣聖は首を傾げる。


「お前の守りたい人はその嬢ちゃんじゃないのか?」


 剣聖にそう言われた俺は、すぐに否定しようとして思い留まり、リン先生の顔を見る。

 なぜか若干しょげているリン先生は、不安そうな目で俺を見る。


 リン先生のことは尊敬しているが、俺が惚れているのはカレンだけだ。

 その気持ちは変わらない。

 でも、守りたい人の中には、リン先生もいるし、ヒナやローザだっている。

 彼女たちのためなら、俺は自分の命も厭わないだろう。

 自分の目の前で、自分の大事な人が殺されるのは、もう二度と見たくない。


「……確かにその通りだ。俺はリン先生のことを、命を懸けてでも守りたい」


 その答えを聞いた剣聖はニヤッと笑う。


「それなら守れるような男になれ。……お前ならきっとなれる」


 俺は頷く。


「もちろんなるさ」


 なぜか目を輝かせて、涙を浮かべているリン先生の方を俺は向く。


「それでは行きましょうか」


 俺の言葉で我に返った様子のリン先生は、にっこりと微笑んで頷く。


「はい」


 その笑顔に、一瞬ドキッとしたが、俺はそんな自分の感情に気付かなかったフリをして、頷き返す。


 そんな俺たちを見つめる剣聖の横で、共の男が口を開きかけるが、そんな共の男の口を、剣聖が道が手で制す。


 共の男が何を言おうとしていたのか分からないが、代わりに剣聖がもう一言だけ呟く。

 俺たちの身を親身になって案じるように呟く。


「……死ぬなよ」


 ついさっきまで敵だった男の言葉に、俺は力強く頷く。





 残す敵はあと二人。


 最上級魔法を連発しているはずだが、リン先生の魔力はまだまだ十分残っていそうだ。

 この短期間で魔力が増えたのか、もともと隠していただけなのか分からないが、余力は十分。


 俺に至っては、一度も最上級魔法は使っておらず、同じく余力はあった。


 ほぼベストな状態での最終決戦。


 十二貴族の実力は未知数ではあるが、剣聖と同等の強さなら、格上ではあるが全く戦えないということもないだろう。

 やりようはある。


 俺は剣聖たちに背を向けた。

 そしてそのまま、広い部屋を次の間の扉に向かって歩く。

 

 俺とリン先生はお互いの顔を見合わせて、心と体の準備ができていることを確認した後、次の部屋へと続く扉を開いた。







 扉の先は薄暗く、やけに広い部屋だった。


 その真ん中にその男はいた。


 周りは暗いのに、その男の周りだけが浮き上がるように明るく見えた。


 その男から発せられる、空間が歪んでしまいそうほどの膨大な魔力。


 今まで出会った、どんな相手よりも強力な魔力をその身に宿す男が、俺たちの前に立っていた。


 俺もリン先生も、即座に体に魔力を流し、身構える。

 それなりに強力な魔力を持っているはずの、俺とリン先生。

 魔力量だけなら、二つ名持ちの騎士や魔道士はおろか、剣聖にもそう大きく劣ってはいないはずだ。

 その俺たちの魔力が霞んでしまうほどの圧倒的な魔力の前に、俺とリン先生は揃って唾を飲み込んだ。


 圧倒的な濃度と圧力を持って俺たちを覆う魔力は、同じ人間から発せられるものとは到底思えなかった。

 魔力に対する抵抗力のない人間なら、その魔力のせいで気を失ってもおかしくないだろう。


 次の瞬間、後ろの扉が閉まる。


ーーバタンッーー


 突然の事象に、俺とリン先生は思わず後ろを振り返る。


 そしてすぐに、扉が閉まるだけでなく、この空間が、魔力的な何かで封じられるのを感じた。


 リン先生のこめかみを汗が伝うのが見える。

 その表情にはこれまでの余裕はない。


 目の前に立つ男から感じるのは、魔力だけではない。

 尋常ではない殺気も溢れている。


 その殺気は俺とリン先生に向けられていた。


 剣聖の剣気も鋭いと感じたが、目の前の男の発するオーラは、その比ではなかった。


 相対しているだけでも、こちらが消耗してしまいそうな圧倒的な存在が目の前にあった。


 相手の男が、俺たちの味方としてここに立っているわけじゃないのは、その殺気からもすぐに分かった。


 だが、その理由が分からない。

 俺たちに敵対する理由が分からない。


 男は剣を抜き、剣に魔力を流す。


 最上級魔法並みの魔力が通う剣は、安易に切り結ぶことも許さないだろうし、魔法障壁で防ぐことも容易ではないだろう。


 俺は刀を抜き、刀に魔力を流しながらも、未だ頭の整理ができていないまま、男に尋ねる。


「なぜ俺たちに剣をむけるんですか、アレス様?」

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