第78話 閑話 最強の剣士

 父親は剣聖。

 母親は先代剣聖の娘。

 兄弟も剣聖の弟子。

 叔父も叔母も先代剣聖の弟子。

 従兄弟も再従兄弟も剣聖の弟子。

 友達も全員剣聖の弟子。


 物心ついた頃から、剣と剣に携わる人のみに囲まれた生活。

 それが今代剣聖の日常だった。


 目がさめるとすぐに庭へ赴き剣を振る。

 走り込みを行い、筋肉を鍛え、友と剣を交える。

 一日のうち、剣に関係しない時間を過ごすことはない。


 食事も剣の修行の一環。

 睡眠も剣の修行の一環。

 勉強も遊びも剣に関連づけて行われる。


 最高の血筋。

 最高の環境。


 そんな中で剣の腕を磨き続けてきた今代の剣聖に対しては、歴代最強との声も多かった。


 だが、そんな剣聖の名を脅かす存在が二人いた。


 一人目は十二貴族筆頭との呼び声高いアレス。


 十二貴族が数人がかりでも倒せないと言われる四魔貴族相手に、たった一人で渡り合ったとの噂まである実力者だ。

 人間の歴史上、最も強いと言われる人間。

 それがアレスだ。


 並の上位魔族にも負けない魔力。

 その上、剣の実力は剣聖並、魔法の実力は賢者並と言われるアレス。


 それでも、純粋な剣の実力だけなら、負けない自信が剣聖にはあったが、そのことに意味はない。

 実際には剣の実力だけでの勝負など起こり得ないのだから。


 膨大な魔力に魔法まで織り交ぜられたら、間違いなく敵わない。

 剣の世界だけでの最強。

 その言葉に虚しさを感じているのは間違いなかった。


 そんな剣聖に、さらなる追い討ちをかける存在が、『刀神』だった。

 使っている武器こそ、『刀』と呼ばれる東から伝わってきた片刃の武器だが、『刀神』はアレスとは異なり、剣士であることには間違いないだろう。


 その剣士である男が、事もあろうに、剣聖と変わらぬ実力の持ち主だというのだ。

 『剣聖』は王国建国当時から存在する由緒正しい存在であるのに対し、『刀神』などという者は、これまでの歴史に現れたことがない。

 今代の『刀神』その人のためだけに存在する言葉だ。


 ある意味異常な存在であるアレスよりむしろ、『剣聖』にとっては、同じ剣だけの世界で自分の事を脅かしかねない『刀神』の存在が気にかかっていた。


 誰より血に恵まれ、誰より才に恵まれ、誰よりも努力してきた。

 そんな己の自負を否定し兼ねない『刀神』という男の存在に、剣聖は危惧を抱くと同時に、大きな興味を抱いていた。


 自らの存在だけでなく、先人達が積み重ねてきた全てを亡き者にされるかもしれない存在に対し、ぜひとも会いたいと思っていた。

 そして、できる事なら手合わせをし、どちらの腕が上か確かめたいと思っていた。


 異常な存在であるアレスを除けば、王国内に敵はいないというのが、剣聖の認識だった。


 今代の剣聖は今や、先代剣聖の教え子や一族の中では、頭一つ抜けた存在になっていた。


 また、十二貴族についても、王国トップレベルの実力者が揃っているとの話だったが、剣聖が見る限り、彼らの剣と魔法の実力では、自分に及ばないというのが、彼の評価だった。

 もちろん、十二貴族には各家に伝わる秘術と、全貌は知れないが、何やら得体の知れない力があるようなので、実際の戦闘になるとどちらが勝つかは分からない部分があるのは理解していたが。


 賢者や大神官については、そもそも戦いの領域が異なるし、二つ名持ちの騎士や魔道士たちは、力不足な感が否めない。


 自らと同じ分野で、自らに匹敵しうるかも知れない存在。

 先人たちの積み重ねや血筋による才能ではなく、己の努力のみで、自身と、少なくとも評判の上では対等なレベルまで上り詰めた存在。

 もはや魔族以外で、戦いたいと思える者は王国にはいなかった剣聖の前に現れた、神か悪魔からの贈り物のような存在。


 そんな唯一の存在である『刀神』との本気での手合わせを望んでいた剣聖だったが、いまいち所在の掴めない『刀神』と戦う機会はなかなか訪れなかった。


 ……そして、所在が分かった時には手遅れだった。


 なんと、『刀神』が、アレスの配下になったというのだ。

 アレスの配下になったということは、アレスの許可がなければ手合わせをすることができない。

 貴族の配下に、戦闘の自由はないからだ。

 主人の許可なしに戦闘を行えば、クビにされても文句は言えない。


 お互い本気でない、稽古のような手合わせなら許可が出るかも知れないが、そうでなければ許可などおりようがない。


 稽古のような手合わせなど望んでいない。

 お互いの全てをさらけ出すような本気の戦い。

 剣聖が望むのはそんな戦いだった。


 だが、剣聖と『刀神』が本気で戦えば、無事で済むわけがない。

 せっかく配下にした貴重な戦力である『刀神』を失い兼ねない提案をアレスが飲むわけはなかった。


 それでも未練を断ち切れない剣聖は、アレスへ打診にしに行った。

 しかし、アレスの返事はこうだった。


「君も私の配下になるなら戦わせてあげても構わないよ」


 論外だった。

 多くの弟子たちを持つ剣聖という立場上、誰かの下につくことはできない。

 例え、間違いなく相手の方が上だと自身が認めた相手であってでもだ。


 結局、『刀神』との手合わせは諦めざるを得なかった。


 ……あの日、他の十二貴族たちが、剣聖のもとを訪れるまでは。


「お前、『刀神』と戦いたいらしいな』


 チンピラ風の十二貴族がそう言った。

 こんな口の利き方をする相手、斬り捨ててやろうか、と剣聖は思ったが、その後の面倒を考え、何とか踏み止まった。


「俺たちなら戦わせてやれるぞ」


 赤髪の十二貴族の言葉に、剣聖はピクリと反応する。


「私たちはこれからアレスを倒しに行く。その際、貴方には『刀神』の相手をお願いしたい」


 眼鏡をかけた青年が剣聖の目を見てそう依頼する。


 アレスを倒す、という言葉に、剣聖は眉をひそめる。


「王候補が、他の王候補を倒すというのはルール違反では?」


 至極真っ当な剣聖の質問に、眼鏡の青年はふっ、と笑う。


「貴方はそのようなことは気にせず、『刀神』を倒すことだけ考えていればいい。……まあ、倒す自信がないというのなら、他を当たりますが」


 安い挑発。


 剣聖はそう思った。

 だが、剣聖は、あえてその挑発に乗る。


「俺以外に『刀神』を倒せるとすれば、それこそアレス様くらいのものだろう。その挑発、乗ってやる。ただ、俺は『刀神』にしか興味ないし、その他のことには一切手を貸さない」


 剣聖の返事を聞いた眼鏡の青年は、ニヤッと笑う。

 端正な顔を崩し、口元を歪ませ、笑う。

 ……伝説上の悪魔のように。


「もちろんそれで構いません。交渉成立です」


 眼鏡の青年とその仲間の十二貴族たちは、日時だけを告げて剣聖の元を去る。


 もとより今回の提案に対し、断るという選択肢はなかった。

 もし断れば、アレスと一緒に、もしくはアレスより先に殺される運命になっていただろう。

 計画が漏れ、敵が増えるようなリスクを奴らが犯すわけがない。


 剣聖はそう見ていた。


 一対一で負けるつもりはなかったが、十二貴族を複数人相手にして勝てると思うほど、剣聖は自分の力を過信してはいなかった。

 それでも、自分一人なら命を懸けて奴らと戦うのも面白そうだが、一族や弟子たちをその巻き添えで死なせるわけにもいかない、というのが剣聖の思いだった。


 十二貴族たちの言葉は不穏そのものだ。

 だが、剣聖はそのことを考えないことにした。


 『刀神』との戦いの準備のことだけ考える。


 家族旅行前の夜の子供のように。

 惚れた相手との初めてのデート前のように。

 恋い焦がれた恋人との再会を待つかのように。


 昂る気持ちを抑え、剣聖は『刀神』との戦いだけに備える。


 『刀神』の実力も戦い方も未知数だ。

 だが、これまでもそんな相手はいくらでもいたし、その悉くを退けてきた。


 剣聖は、相手の実力を自分と同等程度に想定して、イメージトレーニングを繰り返す。

 あらゆる攻撃パターンをシュミレーションし、イメージ通りに体が動くか試すことを繰り返す。


 自分の体がイメージを超えたことを確認できた頃、ちょうど十二貴族たちが、アレスを襲う日付になった。


 十二貴族たちは、剣聖以外にも大勢の部下を連れてアレスの屋敷へ向かう。

 屋敷に着くと、十二貴族たちは問答無用で門番の二人を殺し、門へ魔法で攻撃した。


 その音を聞きつけ、屋敷の中から出てくるアレスとその配下たち。

 その中に、『刀神』はいた。


 魔力は抑えているが、只者でないのはすぐに分かった。

 魔法使い風の小さな子供や、白髪の子供、さらにはやけに美しい妖艶な女性からも、只者ではない雰囲気を感じたが、噂を聞くに、『刀神』ではないだろう。


 剣聖は、初老の男性に目を向ける。


 ーー剣鬼。


 その鋭い眼光を見た剣聖の頭に浮かんだのは、そんな言葉だった。

 その目を見た瞬間、剣聖は周りのことなどどうでも良くなった。

 ただ一人の剣士として、この初老の男性と手合わせしたくなった。


 襲撃から程なくして、剣聖と『刀神』との一騎打ちは実現する。


「……手を引いてはくれないか?」


 『刀神』からの申し入れに対し、剣聖は鼻で笑う。


「怖気付いたか? 剣を折るか、俺の門下に降るなら、見逃してやってもいいぞ?」


 剣聖の言葉を聞いた『刀神』は、鬼のような眼光をさらに厳しくして、剣聖を見据える。


「剣を折る時は死ぬ時だ。そして、主人を変えることは死ぬまでない」


 剣聖はそんな『刀神』を睨み返す。


「それなら余計な言葉は不要だ。主人の助太刀をしたいのなら、さっさと俺を倒していけばいい。もちろん……」


 剣聖はそう言って剣を構える。


「負けてやるつもりなどさらさらないが」


 剣聖の言葉に、『刀神』はもはや説得を諦めたのか、刀の柄に手をかけて、腰を落とす。


「せっかく情けをかけてやったものを……手加減はできぬぞ」


「ほざくな」


 次の瞬間、『刀神』の鞘から抜かれた刀が、剣聖の横っ腹を襲う。


 剣の世界の頂点に位置するはずの剣聖ですら、殆ど視界に収められない速度の剣撃。


 音すら置き去りにして迫り来るその斬撃を、剣聖はもはや勘のみで躱す。


ーーブンッーー


 一瞬遅れて届いた音を聞いて、剣聖はその攻撃を紙一重で躱せたことを認知する。


「……ちっ」


 剣聖の耳に、『刀神』の舌打ちが聞こえてくる。


 並の相手なら、いや、王国トップレベルの手練れでも、今の攻撃を避けるのは困難だろう。

 今の舌打ちを聞くに、『刀神』は、今の一撃で剣聖を仕留めるつもりだったのかもしれない。


「舐めるな!」


 言葉とは裏腹に、剣聖は相手が決して自分を舐めてなどいないことは分かっていた。

 相手には時間がない。

 だからこその必殺の一撃。

 自身の勘が働かなければ、両断されていただろう一撃。


 『刀神』の本気を引き出せたことに、剣聖は今回の件が無駄ではなかったことを思い、安堵する。


 そこからの剣技の応酬は、互角といってよかった。


 スピードもパワーも魔力も剣聖が上だが、技の組み合わせや剣戟の隙間をついた攻撃など、経験を活かした技術でその差を埋めてくる『刀神』。


 一瞬の隙が敗北に繋がりかねない斬り合い。

 魂を削るような本気の仕合い。


 剣聖が求めて止まなかったものがそこにあった。

 自分の人生はまさにこのためにあったと剣聖は思う。


 人生を賭けて磨いたその技術が。

 全てを費やして鍛え上げたその肉体が。


 今日この場で、最高の剣士と闘うためにあったのだと。


 だが、剣聖にとっての至福の時は長くは続かなかった。


「そこまでだ!」


 十二貴族の誰かの声が響く。


 終戦を告げる声だった。


 アレスを倒し終えた十二貴族が『刀神』を取り囲む。

 『小賢者』と戦っていた兵達もその周りに控えている。


 その様子を見た『刀神』が観念したように刀を鞘へしまう。


「まだだ! 俺たちの決着はついていない!」


 剣聖の言葉に対し、『刀神』は冷めた視線を返す。


「アレス様が敗れた以上、私が刀を振るう理由はない」


 『刀神』の言葉に剣聖は激昂する。


「ある! どちらが最強の剣士か決めることだ!」


 剣聖の言葉に、『刀神』は呆れた顔を返す。


「そんなものに何の意味がある? 剣士という枠組みの中の最強など、最強でも何でもない。最強を目指したいなら、お前の狙うべき相手は私などではなく、生きとし生けるものの頂点に立つ魔王か、少なくとも最強の人間であるアレス様だ」


 そんな捨て台詞を残して去る『刀神』の背中に、剣聖は返す言葉がなかった。


 魔王やアレスなど、初めから規格外として、目指すべき対象に含んでいなかった。






 十二貴族の命でアレスの警護に任命された剣聖は、警護の間中、『刀神』の言葉を反芻する。


 最強とは何か。

 自分の人生は何だったのか。


 答えの出ぬ問いかけに、剣聖はただ苦悩する。


 そんな時に出会った少年。

 荒削りだが、確かな実力を秘めた少年。


 まだまだ今なら、例え魔法を使われたとしても剣聖の方が強いと思う。


 それでも守る者のためなら最強を目指すと。

 魔王すら越えると豪語する少年。


 薄っぺらな言葉でなく、覚悟を持って宣言する少年を前に、『刀神』の言葉を思い出す剣聖。


 剣聖は天を仰ぐ。


 今からでも遅くはないだろうか。

 本当の最強を目指しても。


 その問いに対する答えはない。

 答えを決めれるのは自分のみ。


 剣聖の中で、答えはもう出ていた。


 剣聖は剣を握りしめ、今以上に強くなるため何ができるか考え始めていた。

 最強の剣士ではなく、本当の最強になるために。

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