第75話 奪還の奴隷⑤

 フラフラと数歩歩いた後、『雷鳴』の首から下は地面に倒れる。


ーーバタッーー


 そんな『雷鳴』の身体を無表情のまま見下ろした後、リン先生は俺の方を心配そうな目で見る。


「エディさん、お怪我はありませんか?」


 リン先生の声に、俺は一瞬反応が遅れる。


「は、はい。俺は大丈夫です。リン先生は?」


「私も大丈夫です」


 そう言って微笑むリン先生を、俺はまじまじと見る。

 今の戦いでも、敵を殺したのは全てリン先生だ。


 恐らくリン先生は、意図して俺に人を殺させないようにしている。

 自分だけが手を汚すようにしている。


 二つ名持ちという、王国でもトップレベルの相手に、そんな配慮をしながら勝つなんて、並大抵のことではない。


 だが、リン先生はそれを成し遂げるだけの実力を持っている。


 非道な貴族に捕まり、心身ともにぼろぼろになっているはずのリン先生。

 そんな状態であるにも関わらず、俺に対して配慮まで見せる。


 人間的にも、戦闘能力的にも、間違いなく尊敬すべき人だ。

 この人が俺の先生で本当に良かった。


「先生、本当にありがとうございます」


 俺は心の底から頭を下げた。

 本当に尊敬する相手には自然と頭が下がるというが、その通りだった。


 そんな俺に対して、リン先生は困ったような笑顔を見せる。


「お礼を言うのは全て終わってからにしてください。まだ剣聖も十二貴族も残っています。今の戦闘で、間違いなく警戒されているはず。これからが本番です」


 リン先生が言うことはもっともだ。

 それでも俺は、今お礼を言いたかった。


 伝えたいことは、伝えたいと思った時に伝えておかなければ、伝えられないまま終わってしまうかもしれない。

 この世界では特にそうだ。

 これから数分後、自分やリン先生が生きている保証はない。


 ……そんな不吉なこと、口にはしないが。


 俺はリン先生の言葉に頷く。

 想いは伝えたのだから、これ以上の言葉はいらない。


「そうですね。恐らく次の間に控えるのが剣聖でしょう」


 俺の言葉にリン先生が首を傾げる。


「分かるんですか?」


 俺は頷く。


「はい。魔力も殺気も感じませんが、剣気とでも呼べばいいのでしょうか。研ぎ澄まされた刃のような鋭い気配を二つ感じます。剣聖とその弟子か何かだろうと思います」


 リン先生は感心したように頷いた。


「さすがはダインさんの弟子ですね。強い魔力を持った人が先にいるのは私も感じましたが、それが剣士かどうかは分かりませんでした。私は純粋な剣士との戦闘経験が少ないので、エディさんにも負担をかけてしまうかもしれません。決して無理はしないでくださいね」


 リン先生は申し訳なさそうにそう告げる。


 ここまではリン先生におんぶに抱っこだった。

 そろそろ俺も役に立たなければならない。


「任せてください。リン先生には指一本触れさせません」


 俺の答えにリン先生は苦笑する。


「無理をしないでとお話ししたつもりでしたが……エディさんの気持ちが嬉しいので、頼りにしちゃうことにします。よろしくお願いしますね」


 リン先生が嬉しそうな笑顔を見せる。

 自分を信用してくれる可愛らしい笑顔。

 俺は絶対にこの笑顔を守らなければならない。


 俺は先頭に立ち、次の間へと続く扉を開く。


 その奥には、推測通り二人の剣士が立っていた。


 堂々と立つ二人の剣士からは、思わず退いてしまいたくなるほどの鋭い気配が発せられていた。


「ここに来たということは、『雷鳴』と『迅雷』を倒して来たということか……」


 より鋭い気配を発している男がそう呟く。


 がっしりとした体躯。

 隙のない気配。


 ダイン師匠とはタイプは異なるが、そのオーラはとてもよく似ていた。


 本物の剣士。


 恐らくこの男が剣聖だろう。


 男は何気なく剣の柄に手を触れる。


ーーブワッーー


 その瞬間、部屋の中の空気が一変する。

 リン先生と俺は反射的に体へ魔力を流し、攻撃に備えた。


「なるほど。子供が二つ名持ちを二人も相手に戦えるわけがないと思ったが、今の反応と魔力量ならあり得なくもないか」


 つい反射的に反応してしまった俺は、その失態を悔いる。

 だが、リン先生には動揺するそぶりはなかった。


ーージワッーー


 お返しとばかりに、更に高濃度の魔力を発する。

 リン先生の魔力に、剣聖ではないと思われる方の男が、体に魔力を流し、身構える。


「……何だこの化け物みたいな魔力は?」


 剣聖と思われる男も、動揺はしないものの驚いたそぶりを見せる。


「退いて下さるんでしたら何もしません。道を開けてください」


 リン先生の言葉に、剣聖と思われる男は笑う。


「子供の割に面白い冗談を言うな。退くのはお前らだ。いくら広い屋敷だとはいえ、部屋の広さに制約はある。どれだけ魔力が高くても、この場では魔道士のお前は全力を出せない」


 剣聖と思われる男の言葉はもっともだ。

 この屋敷の中では、炎の魔法は火事や爆発の可能性があるから使いづらいし、最上級魔法『火雷(ほのいかずち)』も使えないだろう。


 それでもリン先生は余裕を崩さない。


「だから何でしょう? 全力なんか出せなくても、私が勝ちます」


 リン先生の言葉に、剣聖ではないと思われる方の男がカチンと来たようだ。


「剣聖様を前に馬鹿なことを。お前らごとき、私が刀の錆にしてくれる」


 剣聖の仲間の剣士の言葉に、俺は内心、笑ってしまいそうになるのをこらえる。


 戦力の分散は望むところだ。

 この男の実力は、見たところ二つ名持ちレベルだと思われる。

 剣聖と二人で連携されれば戦いづらくなる可能性が高いが、この男が単独で戦うなら、リン先生と俺で瞬殺だ。


 俺がさらにこの男を煽るような言葉を考えていると、先に剣聖が口を開いた。


「お前じゃこいつらには勝てない。特にそっちのお嬢さんは、確かに本気を出せなくても、お前相手なら余裕で勝てるだろう」


「なっ……」


 剣聖の言葉に反論しようとした男は、剣聖の真剣な顔を見て、下を向く。


 剣聖はそんな男から目を離し、俺たちの方へ目を向けた。


「本来ならお前らをここで殺さないといけないところだが……」


 そう言いかけた剣聖は視線を俺に集中させる。


「お前は何を目指す?」


「……えっ?」


 剣聖からの突然の問いかけに、俺は思わず声を漏らす。


「お前の剣の腕が立つのは見れば分かる。俺が目指すのは最強の剣士だ。お前は何を目指す?」


 剣聖の質問の意図が分からない。

 でも、適当な答えを返してはダメなのだけは分かる。


「俺は最強の剣士などに興味はない」


 俺の言葉を聞いた剣聖の表情に落胆の色が浮かぶ。


「でも……」


 剣聖の反応は気にせず、俺はリン先生をじっと見て、そして言葉を繋ぐ。


「大切な人を守るために最強になる必要があるのなら最強を目指す。剣士としての最強ではなく、本当の最強を」


 そんな俺に対し、剣聖は質問する。


「その先にいるのが、アレスや四魔貴族、そして魔王だとしてもか?」


 俺は即答する。


「相手が魔王でも、だ」


 俺の返事を聞いた剣聖はなぜか嬉しそうに笑い出す。


「クククッ」


 笑いながら鞘から剣を抜き、体に魔力を込める。

 膨大な魔力が剣気と混じり、その空間を支配する。


「その覚悟、俺が試してやろう」


 俺も刀の柄に手をかけ、体に魔力を流す。


 リン先生と剣聖の連れの男も、同様に魔力を込めようとする。

 だが……


「お前らは手を出すな」


 剣聖の言葉に対し、リン先生が真っ先に反論する。


「嫌です。貴方はエディさんと二人で倒させてもらいます」


 リン先生の反論は真っ当だ。

 二人で戦った方がこちらに有利になる。


「お嬢ちゃんが手を出すなら、俺も本気を出す。仮にお前らが勝ったとしても、消耗した状態でこの先の十二貴族を相手にできるのか?」


「それは……」


 剣聖の言葉に対し、リン先生は返事に詰まる。


「俺はこいつの覚悟が見たいだけだ。殺しはしないと約束しよう。こいつの覚悟が本物なら進ませてやる。紛い物ならこの先に進んでも殺されるだけだから、ここで止めてやるが」


 俺は考える。

 剣聖の言葉が本物なら、俺たちにとっては願っても無い話だ。


 覚悟というのが何か分からないが、剣聖に認められさえすれば、たとえ俺が消耗しても、リン先生を温存したまま、先へ進める。

 仮に剣聖の言葉が一対一で戦うための方便だったとしても、俺がやられなければいいだけだ。


「リン先生。俺はこの提案受けたいと思います」


 俺の言葉に、リン先生は不安な顔を見せる。


「剣聖の言葉は本当か分かりません。そんな状態で、エディさんを危険に晒すわけにはいきません」


 俺はそんなリン先生に微笑みかける。


「大丈夫です。仮に相手の目的が一対一で戦うことで、俺を殺すのが目的だったとしても、俺は負けませんから」


「エディさん……」


 それでもなお心配そうな目をするリン先生。

 心配を拭う方法は一つ。

 俺がみっともない戦いをしなければいいだけだ。


 俺は視線をリン先生から剣聖に戻し、刀の柄に手をやり、魔力を込める。


「望み通り、俺の覚悟を見せてやる」


 そんな俺の言葉を聞いた剣聖はニヤッと笑う。


「そう来なくちゃな」


 剣聖を取り巻く剣気とも呼ぶべき気配が、より鋭さを増す。


「……行くぞ」


 そして俺と剣聖の戦いが始まった。

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