第74話 奪還の奴隷④

 俺とリン先生は、不意打ちや罠を警戒しながら、すぐに外の援護に行くためか、正門が開いたままの屋敷に入る。

 五感に加え、魔力を研ぎ澄ませば、不意打ちはかなりの確率で防げると思うが、罠については防ぐ手立てがない。

 常に魔力障壁を張れる用意をしながら進むことにする。


 最初のフロアには、敵が潜んでいる気配はなかった。

 リン先生にも視線で確認したが、無言で首を横に振ったので、恐らくこのフロアは大丈夫だろう。


 そのまま次の部屋へとつながる扉を開こうと、一歩踏み出そうとした俺の肩を、リン先生が静かに掴む。


「扉を開いた瞬間作動する罠もあります。扉は破壊しましょう」


 リン先生はそう言うと、呪文を唱え始めた。


「風よ。悪しきを貫く槍となれ。『風槍』」


 風の初級魔法を放つリン先生。


 リン先生の放った風の槍は、正面の大きな扉を難なく破る。

 扉から見える次の部屋は、テニスコートより少し広いくらいだったが、人の気配は感じない。


 しかし、リン先生はそんな俺をよそに、すぐさま無詠唱で魔法を放つ。


『窮奇!』


 風の刃が、正面奥の壁を切り刻むかと思った瞬間、見えない壁に当たって霧散した。

 魔法障壁による防御反応だ。

 壁に見えていた布が、その衝撃ではためく。

 翻った布の裏に立っていたのは、二人の男女だった。


「よく分かったな」


 二人のうち、若い男がリン先生に向かって言った。


「魔力と殺気は綺麗に消されていましたが、隣の女性の香水の匂いと、貴方の汗の臭いが微かに漂ってきました。汗は仕方ないにしても、香水はやめるべきですね。ただまあ、優秀な私の生徒でも気付けなかったみたいなので、待ち伏せとしては四十点というところですか」


 リン先生の言葉に、隣に立つ女性の顔が僅かに歪む。

 こちらも歳は若そうだ。


 相変わらず、リン先生には助けてもらってばかりだ。

 俺は全く匂いを感じなかった。


 罠に対する警戒も、潜んでいた敵を見つける能力も、俺は足りない。

 五感を研ぎ澄ましていたつもりの自分が恥ずかしくなる。

 集中して鍛えた戦闘能力以外は、この世界で生きていくにはまだまだ足りないということを痛感した。


「流石は小賢者といったところか。だが、そんな子供を連れて、俺たちの相手ができるのか? 二つ名持ち二人に、精鋭の騎士が五人だ。上位魔族やドラゴンだって尻尾を巻いて逃げるぞ」


 男がそう言うと、左右の壁から五人の騎士が現れた。

 男の言葉を聞き、壁から現れた五人を一瞥すると、リン先生は笑う。


「それは上位魔族の中でも最底辺の者や、低位のドラゴンだけじゃないですか? 少なくとも、私が倒した五階位のドラゴンよりは、貴方たちの方が弱そうですけど」


 さらっと相手を挑発するリン先生。

 いつものリン先生らしくない。

 なぜか分からないが、少し苛立っているようだ。


「たまたま鼻がいいだけのくせに調子に乗らないで。どうやって忍び込んできたのか分からないけど、今すぐ降伏するなら、見逃してあげる。さっさと尻尾を巻いて失せなさい」


 先頭に立つ女の方がそう告げる。


「外にいる貴女たちのお仲間を全員殺したのに、逃がしてくれるんですか? それはお優しいですね。そこまで見逃していただけるなら、アレス様を連れて逃げるのも見逃してくださいよ」


 リン先生の言葉に、相手は全員動揺した。


「馬鹿な! 外からは大規模な魔力の気配など感じなかったぞ。あいつらを倒すには、少なくとも上級魔法以上の魔力を使わなければならないはずだ」


 最初に現れた男の言葉を聞いたリン先生は笑う。


「それは自分の仲間を買いかぶりすぎじゃないでしょうか? 初級魔法の『風槍』一発でお亡くなりになられましたよ」


 リン先生の言葉に、左の壁から現れた男の一人がは激昂する。


「ふざけるな! あいつらが初級魔法なんかで死ぬものか!」


 リン先生はなおも笑みを浮かべながら話を続ける。


「嘘かどうかは、すぐに分かりますよ。あの世で皆さんに会えますから」


 リン先生はそう言って体に魔力を込める。

 それを見た相手の騎士たちも、同じように体に魔力を込め始める。


「王国十二騎士の一人、『雷鳴』のジーク。参る」


 最初に現れた男が、剣に魔力と雷を宿す。


 手袋は、絶縁体と思われる皮。

 その二つ名の通り、雷を操る戦闘スタイルなのだろう。

 皮だけでは高電圧には耐えられないが、魔力を通すことで、絶縁性能を上げられるのは、リン先生に教わって知っている。

 よく鍛えられた二の腕や、剣に込められた魔力を見るに、一筋縄で行く相手ではないだろう。


「王国十二騎士の一人、『迅雷』のリズ。参る」


 同じく先頭に立つ女が、脚に電気を宿す。


 こちらも靴は、絶縁体と思われる皮だ。

 二つ名から察するなら、電気で移動速度を上げる戦闘スタイルだろうか。

 もし、ローザの『閃光』並みの速度だとすると、かなり厄介と言えるだろう。


 周りを囲む騎士たちの魔力もそれなりに高い。

 王国十二騎士というのが何かは分からないが、二つ名持ちというだけで、最初に現れた二人が強力なのは分かる。

 苦戦は必至だろう。


 だが、リン先生は笑みを崩さずにいた。


「エディさん。少しだけ足止めをお願いできますか?」


「分かりました」


 確かに、役割分担上、純粋な魔道士であるはずのリン先生は後衛。

 剣も魔法も使える俺が前衛になって足止めし、後ろからリン先生が大打撃を与えるのが通常の戦略だろう。

 そうなると、リン先生が呪文を唱える時間を稼ぐのが俺の仕事だ。


 敵が動き出すより早く、俺は風の上級魔法を無詠唱で放つ。


『窮奇(きゅうき)!』


 無詠唱のため、本来の風の牙の形は成していないが、無防備な人を殺傷するのには十分な威力の真空の刃が敵を襲う。


 魔力を込めた剣で真空の刃を斬る『雷鳴』に、高速の移動で刃を躱す『迅雷』。

 後ろに控える五人の騎士たちも魔法障壁でしっかりと防ぐ。


 もちろん俺も、この魔法で敵を倒せるとは思っていない。

 あくまで敵の先制攻撃を防ぐための牽制でしかない。


 俺は右手を刀の柄にかけ、鞘の中に魔力を流す。


 抜刀術。

 所謂居合の要領で、刀を抜く。


 魔力を潤滑油がわりとしたその攻撃は、通常の居合より遥かに高速になる。


 狙いは『迅雷』。


 確かに動きは速い。


 恐らくリニアの原理を利用して、電気で発生させた磁力で動いているのだろうが、動くのが生身の人間である以上、本物のリニアモーターカーほどの速さは出せない。

 レールを幾重にも走らせ、先の動きを読ませない工夫も感じられるし、身につけるのに相当な苦労をしたのは察せられる。


 だが、瞬間的な速さはローザの『閃光』には遠く及ばない。

 そして、俺の居合は、ローザの『閃光』程ではないにしろ、それに準ずるくらいの速さはある。


ーーシュッーー


 空気を切り裂く音だけを残し、俺の一撃は空を切る。

 高速で動く相手に確実に攻撃を当てられるほど、俺の居合の技術は高くない。

 所詮付け焼き刃だ。


 だが、今回に限れば、それは問題なかった。

 直撃はしなかったものの、俺の攻撃は『迅雷』の足を止める。


 そしてそんな隙を見逃すリン先生ではなかった。


 すでに呪文を唱え終わっていたリン先生が、魔法を放つ。


 室内だから、俺も教えてもらった『火雷(ほのいかずち)』ではないだろうが、最上級魔法に準ずる攻撃が来るのは間違いない。


 二つ名持ち相手にでは、よほど工夫をしない限り、上級魔法以下は通じないのは、『剛腕』とローザで実証済だ。


 リン先生の方へ視線を送ると、リン先生の右手の後ろには、光輝くレールが走っていた。


『雷公(らいこう)!』


 リン先生が魔法を発した瞬間、前に立つ俺をかすめていった光の弾丸が、『迅雷』の頭を吹き飛ばした。


 おそらく電磁誘導によるレールガンの原理で放たれたのであろう一撃は、脅威としか言いようがない。

 『火雷』の天候を操る知識といい、リン先生は元の世界での現代科学に負けない知識を持っているようだ。

 天才としかいいようがない。


 敵の『迅雷』は、慌てて魔法障壁を張っていたようだが、その障壁を、障子でも破るかのように貫通していた。

 そのままの勢いで真後ろにいた『雷鳴』にも襲いかかる光の弾丸だったが、若干威力が落ちていたためか、『雷鳴』の魔力が込められた剣により、方向をずらされる。


 その結果、さらに後ろに控えていた騎士の一人が、巻き添えで胸に大きな穴を開けることとなった。


 頭を失った『迅雷』だった肉体は、フラフラと二、三歩歩いた後、地面へ倒れこむ。


 何が起きたか分からず、呆気にとられる敵の騎士たち。

 そして、そんな隙を見逃す俺たちではない。


 俺は刀に魔力を込め、『雷鳴』へ斬りかかる。


 俺の攻撃を難なく受け止める『雷鳴』。


 だが、今回の俺の攻撃の目的は、『雷鳴』を倒すことではなく、足止めすること。


『窮奇!』


 俺の意図を汲んだリン先生の放った真空の刃が、敵の騎士四人に襲いかかる。

 完全に虚をつかれた騎士たちは、即座に魔法障壁を張るが、そのうちの二名は反応が遅れ、真空の刃で無残にも切り裂かれる。


 本来ならリーダーだと思われる『雷鳴』がフォローするところなのだろうが、残念ながら彼は俺の攻撃を受けているため動けない。


 血飛沫が舞う中、俺は『雷鳴』を足で蹴り飛ばす。

 すかさず体に込める魔力を増した『雷鳴』に対して、ダメージは与えられていないが、体勢は崩した。

 これで『雷鳴』は、もう数瞬の間は動けない。


 俺は『雷鳴』へは追撃せずに、リン先生の攻撃を防いだことでホッと気を抜いている後ろの騎士二人へ襲いかかる。


 予想していなかった方向からの攻撃に、反応の遅れる二人の騎士。

 それでももう一度障壁を張り、俺の斬撃を防ごうとする二人。


 だが、込められた魔力量が同じなら、面より線が強いのは必然だ。

 そして、彼らにとっては更に残念なことに、魔力の総量も、攻撃に込めた魔力も俺の方が上だった。


ーーパリンッーー


 音を立てて砕ける敵の魔法障壁。

 そのまま連撃で、もう一人の障壁も砕く。


ーーパリンッーー


 相手にとって絶望の音が鳴り響く。


 そこへすかさず、リン先生の魔法が撃ち込まれた。


『窮奇!』


 魔法障壁が破れ、無防備となった二人の騎士へ、風の刃が襲いかかる。

 初球から中級程度の威力しか持たない、無詠唱での攻撃。

 魔法障壁さえ張れれば、なんてことはない攻撃。

 ……だが、それを張る余裕はない。


ーーズサザッーー


 ミキサーにかけられた挽肉のように、切り刻まれる二人の騎士。

 血と肉を至近距離で浴びた俺は、そのまま後ろを振り返る。


「ウオオーッ!!!」


 血相を変えた『雷鳴』が、上級魔法を遥かに超える量の魔力を剣に込めて、俺に襲いかかる。


 バチバチと音を立てる、雷の魔力を宿した剣を、『雷光』を使った俺は難なく避ける。

 頭に血が上った相手の剣は、スピードと威力はあるものの、単調であまり恐怖を感じなかった。


「な、何なんだお前らは! 『小賢者』がここまでの実力だなんて聞いていない。それにガキの方……なぜ精鋭たる我々がこうも無残にやられる?」


 ハアハアと肩で息をしながらそう叫ぶ『雷鳴』。


 そんな『雷鳴』を見ながら首を傾げるリン先生。


「何なんだと聞かれると、魔道士とその生徒としか答えられないかな……貴方もご存知の通り、一応私は『竜殺し』で、『小賢者』とか呼ばれてますけど。そうするとエディさんは『小賢者』の弟子って呼べばいいのかな? さらに言うと『刀神』の弟子も掛け持ちしてますけど」


 リン先生の言葉を聞いた『雷鳴』は驚愕の表情を見せる。


「竜殺しの『小賢者』の弟子で、さらに弟子を取らないことで有名な『刀神』の弟子も掛け持ちだと……?」


 固まって動けない『雷鳴』に対し、さすがのリン先生も、攻撃はしないようだ。

 代わりに、言葉をかける。


「もし今後一切我々の邪魔をしないと、騎士の名にかけて誓っていただけるなら、見逃してあげてもいいですよ」


 リン先生の言葉を聞いた『雷鳴』は激昂する。

 それこそ雷のように怒る。


「ふざけるな! 魔族に国を売った奴らに、降伏することなどあり得ない。私一人でも死ぬまで戦う」


 『雷鳴』の言葉を聞いたリン先生は、残念そうな顔をする。


「それなら仕方ないですね。この後に備えて魔力を温存しときたかったんですけど……」


 そんなリン先生の言葉に、ますます腹を立てる『雷鳴』。


「魔道士風情が……」


 『雷鳴』の魔力がどんどん高まっていく。

 肉弾戦は得意でないであろうリン先生を庇おうと、前に出ようとした俺を、リン先生が右手で制す。


「大丈夫です」


 笑顔でそう答えるリン先生に対し、俺は何も言えず、仕方なく引き下がる。


 次の瞬間、『雷鳴』の攻撃がリン先生を襲う。


ーーバリバリ……ドゴーンッ!!!ーー


 まさしく雷鳴と呼ぶにふさわしい音を立てて、『雷鳴』の上段からの振り下ろしが、大理石と思しき石でできた床を割る。


 だが、肝心のリン先生には当たらない。

 敵の攻撃をふわっと避けるリン先生。

 ……まるでどこに攻撃が来るか分かっていたかのように。


 避けながらも呪文を唱え続けるリン先生。


「くそッ! なぜ当たらない?」


 次々と繰り出される『雷鳴』の攻撃は、リン先生を捉えられずに、空を切り続ける。


 そうこうしている間に、リン先生の右手の後ろには、輝く光のレールが出来上がっていた。


 荒れ狂う雷のように剣を振り回す『雷鳴』へ右手を伸ばすリン先生。


『雷公!』


 次の瞬間、高速で射出された弾丸は光の帯を残して、空の彼方へと消えていった。


 ……『迅雷』の時と同様、『雷鳴』の首から上を跡形も残らず消しとばして。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る