第72話 奪還の奴隷②

 途中、低位の魔物数匹に遭った以外、大した障害もなく、俺たちは王都に着く。


「これから、俺とヒナはすぐにリン先生の救出に向かう。リン先生を助け出せたら、合図の炎を上げる。その合図を見たら、レナとローザは正門から攻めてくれ。アレス様を救出できたら、再度炎を上げる。それを確認できたら、ヒナの跳躍で、三人ともすぐに王都を離れてくれ。王都から離れた後は、この一か月間、一緒に訓練してきたあの場所で落ち合おう」


 俺の言葉に、レナとローザが頷く。


「分かったわ」

「承知した」


 二人の返事を確認した俺は、ヒナの方を向く。

 ヒナは黙って頷いた。


「それじゃあ行ってくる」


 二人の元を離れた俺は、見張りのいないところから、ヒナの跳躍で王都の壁を越える。

 以前の潜入時に、安全な経路は確認済みだ。


 二十メートルほどの壁は、ヒナにとっては、障害にもならなかった。

 その辺りの石ころでも飛び越えるように、軽く壁を飛び越えたヒナと俺は、そのまま真っ直ぐ、リン先生が囚われているらしい貴族の屋敷へ向かう。


 屋敷へ向かう途中、俺たちは特に呼び止められることもなく、何事もないまま屋敷へ到着した。

 事前の調査通り、屋敷には大した警備はいないようだった。

 これといった強い魔力は感じない。


 屋敷の持ち主である貴族は、悪い噂が絶えなかった。

 財力にものを言わせ、奴隷の女性を買い漁っているとのことだった。


 そんな男のもとで、リン先生がどのような目に遭っているのか想像するのも恐ろしかった。

 もし恩師が酷い目に遭っていたのだとしたら、俺は自分を抑えることができるだろうか。


 前回の潜入時に、屋敷の間取りまでは調べられなかった。

 だが、侵入経路を探る時間も惜しかったので、俺とヒナは正面から屋敷へ乗り込む。

 正門には当然ながら門番がいた。


「おい。ここはガキの遊びに来るところじゃ……」


 職務を忠実に果たそうとする門番を、俺は魔力を込めた拳で殴り飛ばした。


ーードカッーー


 大きな音を立てて数メートル飛んで行く門番。


「なっ……」


 突然の襲撃に驚きを隠せないもう一人の門番を、今度はヒナが蹴り飛ばす。


ーードフッーー


 同じく数メートルは飛ばされる門番。


 そんな門番たちには目もくれず、俺はヒナへ質問する。


「他に警備はいるか?」


 ヒナは耳を立て、魔力を込める。


「ターゲットの女性とこの屋敷の主人と思われる男以外には、十名程度。あとは、奴隷と思われる女性も数名。ただ、いずれも魔力的には大したことがないと思われます」


 ヒナの索敵能力は、この一か月で更に精度を増していた。

 頼もしい限りだ。


「よし。それなら警備は無視し、リン先生の救出に向かおう」


 俺の提案に頷きながらも、ヒナの表情は冴えなかった。


「どうした?」


 尋ねる俺に、ヒナは言い辛そうな表情で応える。


「いえ。ただ、救出の際には、好ましくない光景をご覧になられるかもしれません」


 ヒナの言葉に、俺はそれ以上の質問をしなかった。


「……急ごう」


 ヒナの指示で敵との邂逅を避けながら向かった部屋で、俺が目撃したのは、ブクブクと太った豚の魔物のような男に、今にも犯されそうなリン先生の姿だった。


 部屋に足を踏み入れた瞬間、魔力が使えなくなるのを感じたが、そんなことは関係なかった。

 警戒を促そうとするヒナが、俺の腕を抑えるより早く、俺は動く。

 全力でその場を駆け出した俺は、かける勢いそのままに、脂の塊のような男を殴り飛ばした。


 間違いなく百キロは超えている太った男の体は、ボールのように飛んで行った。


 元の世界にいるとき、似たような経験をしたことがあった。

 クラスメートに脅され、無理矢理体を売らされそうになった子を助けた記憶がある。


 どこの世界にもクズとしか言いようのない男がいるのは仕方ないのかもしれない。

 だが、同じ男として恥ずかしい。

 せめて俺はそんな男にはなりたくない。


 リン先生がどれだけ酷い目に遭ったか分からない。

 でも、それを今この場でリン先生にそれを聞くのが間違いであることは、女心に疎い俺でも分かる。

 出来るだけ優しく、傷つけないように話しかけなければ。


 まずは笑顔からだ。


 そう思ってリン先生の方を見ると、脚を完全に開いた、真っ白な裸体が目に飛び込んできた。

 慎ましいが美しい形をした胸に、細くて綺麗な脚と、その付け根にある真っさらで綺麗な桃色をした秘部。

 上気した顔で、女性の匂いを漂わせるリン先生を直視することができずに、俺は思わず顔をそらす。


 とりあえずリン先生に自分のローブを渡し、肢体を覆ってもらった。


 リン先生は、醜い男から犯されそうになっていたにも関わらず、気丈に振る舞っていた。

 まるでそんな出来事などなかったかのように。

 俺と再会できたことを心底喜んでいるだけのように見えた。


 人と接することの少なかった俺には、それが本心なのかは分からない。

 無理をしているだけなのかもしれない。

 それでもリン先生が普通に振る舞っている限り、俺もそれに合わせることにした。


 リン先生からカレンのことを聞かれ、今はそばにいないことを伝える。

 その後、リン先生に今回の作戦に参加してもらうよう依頼した。


 醜い男に犯されそうになり、傷ついているだろう女性に対して酷なことをお願いしている自覚はある。

 そんな俺も最低な男なのかもしれない。


 断られることも覚悟していたが、リン先生は二つ返事でオッケーしてくれた。

 それどころか、世界中の誰より俺のことを信頼してくれると言ってくれた。


 自分が傷ついているときに、たかだか一ヶ月半くらい師事しただけの俺のために、命を賭けてくれる。

 そんな先生が元の世界にいただろうか。


 俺はリン先生のその小さな体を見る。


 わずか数歳しか違わない年齢。

 子供の自分と変わらない大きさの身体。


 そんな少女に尊敬の念を抱く。

 こんな人間に自分はなりたいと思った。


 もしアレスを無事救出できたら、またリン先生に師事したい。

 魔法については、だいたい自分でマスターしたつもりだが、リン先生からは人間としても、学ぶことが多そうだ。


 この世界に来て、俺はしみじみと思う。

 厳しい修行に耐えきったレナ、ヒナ、ローザもそうだが、人間として学ぶ点の多いリン先生も。

 元の世界ではほとんど出会うことのなかった、同世代の尊敬すべき人たち。

 俺もまだまだ頑張らなければならないと思う。


 その後、屋敷内の警護を全て昏倒させ、屋敷を物色してリン先生の服を見つけたところで、ヒナと別れることにした。


 俺は空に向けて、合図の炎の魔法を放つ。


「ヒナ」


 俺は、俺の初めての奴隷の名を呼ぶ。


「はい」


 まるで自分の身体かのように、心地よいタイミングで返事をするヒナ。


「レナとローザのことを頼む。時間の引き伸ばしより、生き延びることを優先してくれ」


 ヒナは俺の命に対し、珍しく少しだけ不満そうな顔をする。


「何か不満があるか?」


 俺はそんなヒナに対し、質問する。


「不満など。ただ、敵も恐らく、全くの無能ではございません。少しでも時間を伸ばさなければ、私たちの作戦に気付き、エディ様たちの方へ敵が殺到してしまうかと。私にとって何よりも大事なのはエディ様です。エディ様のためなら多少の危険など、取るに足りません」


 俺はそんなヒナの頭を撫でる。


「ヒナが俺を大事に思ってくれているように、俺にとってもヒナは大事だ。これは命令だ。自分の命も大事にしろ」


 俺の言葉にヒナは涙を目に浮かべて頷く。


「身に余るお言葉ありがとうございます。命に代えてもご命令に従います」


 ヒナの言葉に苦笑する。


「だから命に代えちゃダメだってば」


 思わず素で話してしまった俺の言葉に、ヒナは恥ずかしそうに笑う。


「申し訳ありません。嬉しさの余り混乱してしまいました……」


 一ヶ月前より少しだけ柔らかくなった表情のヒナを見て、俺は嬉しくなる。


 この笑顔を消させるわけにはいかない。


「すぐにアレス様を助け出してそちらへ向かう。それまで頼む」


「承知いたしました。エディ様に御武運のあらんことを」


 ヒナはそれだけ言うと、一礼して駆け出した。


 音もなく。

 風のように。

 脱兎のごとく。


 今回の作戦の結果次第では、これが最後の別れになるかもしれない。


 ヒナと過ごしたのはわずか一ヶ月だったが、命を削るような修行を一緒に過ごしたヒナには、過ごした時間以上の気持ちを抱いていた。

 何より、無条件で俺のことを一番に考えてくれるヒナに対して、俺はまだ、何もしてやれていない。

 俺は必ず生き延びて、ヒナに、まともな生活を送らせてあげたい。

 そのためにはまず、アレスを無事救出することだ。


 俺は見えなくなったヒナの背中から、リン先生へ視線を移す。


「それではリン先生、お願いします」


 リン先生は俺の言葉に笑顔で頷く。

 その一見可愛いだけのはずの笑顔に、なぜか怖さを感じてしまったのは、きっとリン先生のこれからの戦いに対する覚悟が籠っていたからだろう。

 

 リン先生と一緒なら、きっと大丈夫。


 俺は自分にそう言い聞かせ、アレスの監禁先へ向かうことにした。

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