第69話 小賢者⑨

ーードガッーー


 私が人生を諦めた次の瞬間、私の体の上で、大きく鈍い音がした。

 何が起きたか分からない私は、目を開く。


 すると、私に覆いかぶさるようにして目の前にいたはずの脂の魔物のような男が、視界から消えていた。


 ……代わりに目に映ったのは、この場にいるはずのない人だった。


「ユ……エディさん」


 両思いである美しい魔族と、幸せな生活を送っているはずの人が目の前にいた。

 私の全てだった、大好きな人が目の前にいた。


 夢にまで見たその姿は、初めは幻覚ではないかと思った。

 快感責めと絶望で、脳が狂ったのかと思った。


 でも、そこにいるのは間違いなくエディさんだった。


 その姿を見ただけで、全てのことが吹き飛んだ。


 この数十日間の苦痛も、気持ち悪さも、悔しさも、全てが脳裏から消えた。

 二度と会えないと思った大好きな人と、もう一度会うことができた。


 その事実だけで、私は幸せな気持ちになれた。


 自然と目から溢れて来る涙を、私は止めることができない。


 エディさん。


 元の世界でも。

 こちらの世界でも。


 私のピンチに現れてくれるヒーロー……


 ダメだ。


 諦めたはずなのに。

 カレンに譲ったはずなのに。


 気持ちがどんどん溢れてくる。

 好きな気持ちが溢れてくる。


 私はエディさんが好きだ。

 きっと、世界中の誰より、エディさんが好きだ。


 エディさんは、そんな私に微笑みかけようとして、目を逸らす。


「と、とりあえずこれを……」


 エディさんはこちらを見ないようにしながら、身に纏っていたローブを私の方へ差し出す。


 私は、一糸纏わぬ姿で、開脚していたことを思い出した。


 遠くで壁にぶつかってのびている男に盛られた薬のせいか、思考が鈍い。


 判断が遅かったり、おかしかったりする。

 普通に考えれば、自殺するなら犯される前だ。

 なんでわざわざ犯されるのを待っていたのだろう。


 そんな判断もできていない。

 まあ、今回はそのおかげで、エディさんが来るまで生きることができて、助かったのだけど。


 薬が薄れたのか、それともエディさんの言葉によって今の状況を脳が理解できたのか、今更ながら羞恥心がこみ上げ、顔が真っ赤になるのを感じる。


 慌てて足を閉じると、エディさんからもらったローブ身に纏う。


 少しだけ気まずい空気なってしまったので、私とエディさんはお互い沈黙してしまった。


 その沈黙を破ったのは、白くて長い耳をした綺麗な女性だった。


「のんびりしている時間はありません。すぐに次の行動に移りましょう」


 なぜか少しだけ不機嫌そうにそう言った女性。

 エディさんに気を取られて気付かなかったが、エディさんの後ろにもう一人いたようだ。


ーーまた新しい女か……


 少し目を離すと、すぐに新しい女性がくっついてしまうエディさん。

 強くて、カッコよくて、努力家で、優しいエディさんだから、仕方ないことではあるのだが。


 でも、私は肝心の女性がいないことに気付く。


「あれ? カレンさんは一緒じゃないんですか? あと、レナ様も」


 レナはともかく、エディさんとカレンとは常に一緒にいたから、今も一緒にいるものだと思っていた。

 私の問いかけに表情を曇らせるエディさん。

 その表情は、悲しみと怒りがないまぜになった、とても複雑な表情だった。


「……レナは別行動中だ。カレンは……いない」


 エディさんは、カレンがレナに殺されそうになった経緯を話してくれた。

 エディさんの命令で、今はどこにいるかも分からないことも。

 普段からは考えられないほど、弱々しく泣きそうな表情でカレンのことを心配するエディさん。


 エディさんはきっと、私がいなくなった時には、こんな顔はしてくれなかったのだろうと思うと少しだけ胸が痛む。


 それよりレナだ。


 なんてことをしてくれたのだ、と怒鳴りつけてやりたい。

 おかげで、エディさんの中のカレンの存在は益々大きくなってしまった。


 レナもエディさんに好意を持っているのは分かっていたが、まさかここまで恋愛下手だとは。

 近くにいてうまく牽制すればいいものを。


 まあ、私も今や精神年齢は三十歳近い。

 自分が十二歳の時にそこまで考えられたかというと怪しいから、あまり攻めることはできないか。


 カレンのことはこれから考えるにして、エディさんとはこれから一緒に居られるのだ。

 今はそのことを喜ぼう。


「エディ様。積もる話があるのは分かりますが、そろそろ……」


 そう言って私とエディさんの会話に入ってくるうさぎ耳の女性。

 エディさんとの再会のことばかりに気を取られ、この女性のことを忘れていた。


 うさぎの耳が飾りではないとすると、この女性は獣人というやつだろう。

 実物を見るのは初めてだが、耳以外は、人間と変わらないように見える。


 ……脚が凄まじく長く、スタイルがスーパーモデルのようなのは、人間離れしているといえばしているが。


「……あなたは?」


 私はうさぎ耳の女性へ尋ねる。


「私はエディ様の奴隷ヒナです。エディ様へ全てを捧げております」


 うさぎ耳の女性ヒナは、そう言って私を睨みつけるように見る。

 エディさんはなんとも思っていないようだが、ヒナがエディさんに好意を抱いているのは明らかだった。

 いや。

 もはや好意を通り越して崇拝に近いのかもしれない。

 人のことをとやかく言えないが、エディさんを見るその目は、常軌を逸しているようにさえ見える。

 だからこそ、ライバルである私に敵意をむき出しにしているのだろう。


 それにしてもエディさんのモテっぷりは凄すぎる。

 しかも、惹きつけられる相手はみんな凄まじく美人でクセがある。

 もちろんどんなに凄い女性が相手でも、エディさんを他の誰にも譲るつもりはないが。


「私はリン。エディさんの魔法の講師をさせていただいてました。何か急いでいるようだけど、どうかされたんですか?」


 私の質問に対し、ヒナの代わりにエディさんが答える。


「囚われているアレス様を救いたいと思っています。今まさに、レナと、アレス様の部下だったローザという女性が、陽動を仕掛けています。ここにいるヒナもこの後、レナ達の援護に向かってもらいます。その隙に、存在を知られていない俺がアレス様を救う、というのが作戦です」


 無謀な作戦、と言わざるを得ないだろう。


 警護は間違いなく厳重で、少なくとも二つ名持ちレベルが複数人はいるだろう。

 十二貴族が自ら防衛についていることも考えられる。


 レナは才能があるとはいえ、現時点はせいぜい普通の精鋭騎士程度の実力だし、ローザも二つ名持ちとして名前くらいは知っているが、一人で戦局を覆せるほどではないだろう。


 エディさんがいくら凄くても、まだまだ成長途中で実戦経験も少ない。

 正直、失敗は目に見えている。


 エディさんは馬鹿じゃない。

 そんなことは理解した上で作戦を組んでいるだろう。

 玉砕覚悟なのか、それとも勝算があるのか。


 エディさんはさらに言葉を続ける。


「ここから先は相談です。嫌なら断ってください」


 そう言ってエディさんは心底申し訳なさそうに頭を下げる。


「俺はこの作戦、リン先生にも手伝ってもらいたいと思っています」


 私はエディさんの申し出に、大きく目を見開く。


 エディさんの申し出は、一緒に死んでくれ、と言っているに等しい。

 普通の人ならこんな申し出受けるわけがない。


 ……ただ、私はあいにく普通じゃない。


「もちろん。私にできることなら何でもします」


 即答する私に、今度はエディさんが大きく目を開く。


「いいんですか? 俺、詳細を話してませんし、圧倒的に不利なのは間違いないんですよ」


 私はそんなエディさんへ笑顔で返す。


「可愛い弟子のために一肌脱ぐのに、何のためらいが必要でしょうか? それに、世界中の誰より、私が一番エディさんのことを信頼してますから」


 私の言葉に、エディさんは俯き、再度頭を下げる。


「……ありがとうございます。正直、リン先生が手伝ってくれるなら、本当に助かります」


 安堵と歓喜の入り混じった声のエディさん。

 エディさんが喜んでくれるなら、それだけでも命をかける価値はある。


「それで、具体的にこの後はどうするんですか? ダインさんも助けに行きます?」


 私を助け出したのと、同じ考え方なら、ダインも助けたほうが確率は上がるだろう。


 でも、私の質問にエディさんは首を横に振る。


「ダイン師匠は後にします。ここと違って警護が厳しいみたいですから。今回はスピードが命です。敵が、本気で防御を固めたら、俺たちは手も足も出ません。バレないうちに、奇襲を仕掛けます」


 理にかなった作戦ではある。

 あとは、エディさんと私の二人で厳重な警備を突破できるかどうかだ。


 私はエディさんの目を見る。

 少なくとも、無謀な特攻をする人間の目には見えない。


 そうと決まれば、確かにすぐにでも動いたほうがいいだろう。


 私が逃げ出したことが分かれば、敵もそれなりに防御を固めてくるはずだからだ。


「それじゃあすぐに行きましょう。細かい作戦は移動しながら教えてください。ただ、その前に……」


 私はエディさんとヒナを見ながら頭をかく。


「服を探させてください。股がスースーして、戦いに集中できそうにありません」


 私の言葉に顔を赤くするエディさん。

 そんなエディさんを眺める時間も好き。


 今度こそ、エディさんの役に立とう。

 そして、もう二度と、エディさんから離れないようにしよう。


 エディさんにもう一度出会えたこの奇跡。


 この奇跡を、今度こそ絶対に無駄にしない。



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