第67話 小賢者⑦
自分の戦闘に集中する余り、私は忘れていた。
この戦いは、私だけが勝てばいい、というものではないということを。
声が聞こえてきた方に目を向けると、膝をつき、剣を手放したアレスが、首元に剣を突きつけられていた。
単独の戦闘力としては、人間最強と言って間違いのないアレスも、さすがに自分に準じる実力の持ち主を十人も相手にしては、勝てなかったようだ。
致命傷は負っていないものの、完全に戦意を失ったアレスの姿が、そこにはあった。
数々の伝説を残した英雄とは思えない、弱々しい男の姿が、そこにはあった。
「すまない……私が弱いばかりに……」
絞り出すような声で、私にそう謝罪するアレス。
アレスの周囲を見ると、アレスと戦ったであろう十二貴族たちも、大怪我はしていないものの、疲労困ぱいの様子だった。
人間としてトップクラスの敵である十二貴族を、たった一人で十人も相手にしたのだ。
破れたアレスを責めるのは酷だろう。
私は、練り上げていた魔力を弱める。
一人や二人を相手にするならともかく、いくら疲れているとはいえ、十人もの十二貴族を相手に一人で戦うのは困難だ。
人間最強との呼び声高いアレスですら敵わなかった相手。
そんな相手を一人で倒せると思うほど、私は自惚れていないし、戦力と戦局の見極めはできる。
「随分派手にやってくれたな。このガキはここで殺すか?」
十二貴族の一人であるチンピラ風の男が、体に魔力を込めながらそう言った。
「か、彼女は関係ない……教え子を守るために、戦ってくれただけだ」
そう言って私を庇おうとするアレスを蔑むように見下しながら、学者然とした眼鏡の青年が私を見る。
「確かに、私たちの部下をいいように殺してくれましたが、私に考えがあります。この場は殺さずにおきましょう」
眼鏡の青年は、そう言って私を見ると、ニヤッと笑った。
私の背筋を嫌な予感がよぎる。
だが、この場は従うより他になかった。
戦っても負けるだけ。
相手に殺す気がないのなら、ここはあえて捕まるというのもやむを得ないだろう。
とりあえず、生きてさえいればどうにでもなる。
自惚れているわけではないが、十二貴族レベルの相手が、複数人でつきっきりで見張りでもしていない限り、私を捕えておくことはできないはずだ。
彼らも暇じゃない。
常につきっきりとはいかないと思われる。
逃げ出すチャンスはいくらでもあるだろう。
「お前がそう言うなら従うけどよ」
チンピラ風の男は、そう言って大人しくなる。
粗野で誰にも従わなそうな感じだったが、この眼鏡の青年には、一目置いているようだ。
私はふと、ダインの方を見る。
ダインもまた、戦いの途中で十二貴族によって静止させられたようだった。
珍しくいつもの無表情を崩し、悔しさで顔を歪めながら、刀を地面に置いて立ち尽くしている。
傍にいる剣聖は、戦いに水を差され、不満をあらわにしながら、十二貴族の一人に突っかかっているようだった。
私は今日、無傷で数十人の敵を葬った。
一番被害が多かったのは、私の相手だろう。
局地戦で見れば、私の勝利は間違いない。
でも、そんな勝利に意味はない。
アレスが負けた。
イコール、私たち全員の負けだ。
「この後はどうするの?」
キツめの顔つきをした、美しい女性の十二貴族がそう尋ねる。
……顔も声を違うのに、私はその女性が誰だか分かった。
『観察者』の能力を使わずとも分かった。
元の世界で、私を虐めていた同級生の女の子だ。
私だけでなく、私の大事なユーキくん……エディさんへの嫌がらせを加速させたヤツだ。
私は、相手の今の顔を脳裏に焼き付ける。
……いずれ復讐するために。
私への行為は許せても、エディさんへの仕打ちは絶対に許せない。
「アレスは王選前日、民衆の関心が一番高まったタイミングで殺します。魔族と手を組んだ人間の裏切り者として」
眼鏡の青年が、アレスを見ながらそう言った後、ダインを見る。
「刀神のお爺さんは、私たちがアレスを殺した後、心を改めて、私たちの味方になるようなら部下にしましょう。そうでないなら殺します。しばらくは牢に閉じ込めておいでください」
眼鏡の青年はその後、私を見る。
「このガキは、私が大事に育てた、優秀な手駒たちを殺しすぎました。ただ殺しはしません。表向きは自由にしたことにしますが、対応は私に任せてください」
私を見据える冷酷な目に、嫌な予感しかしなかったが、今はどうしようもない。
私たちは負けたのだ。
逃げるだけなら、きっとどうにかなるだろうが、今ではない。
この先は、自分の身を守ることだけ考えなければならない。
私の手で焼け野原と化した地面に立ちながら、私は今後の手立てを考え始めた。
アレスの家での戦闘後、私は二人の十二貴族に監視されながら、眼鏡の青年の屋敷まで連行された。
アレスの家と同じくらい立派な屋敷の一室で、三人の十二貴族に囲まれながら、眼鏡の十二貴族から告げられる。
「お前はこれから、ある貴族に受け渡される。その貴族の元で暮らすといい」
私は眼鏡の青年の意図が分からなかった。
私の実力が分からないわけではないだろう。
実力の全てを見せたわけではないが、それでも並の実力じゃないことは伝わっているはずだ。
そんな私を、十二貴族ですらない一貴族に渡して大丈夫だとでも思っているのだろうか。
意図は分からないが、これはチャンスだ。
例えその貴族が、それなりの実力の持ち主だとしても、逃げ出す機会はいくらでもあるだろう。
私たちの様子を見ていた他の二人の十二貴族も、意図がわかりかねた顔をしていた。
そんな二人に、眼鏡の青年が呟く。
「マルムのところにやる。問題ない」
その言葉を聞いた二人は納得した表情を見せると同時に、私に対して、哀れみの目線を向ける。
そのマルムというのは、相当な実力者なのだろうか。
仮にそうだとしても、相手がアレス級でもない限り、どうにかなるだろう。
そして、この国にはアレス並に強い者はいないはず。
十二貴族や剣聖が相手でも、相手が一人なら逃げ出すことくらいできる。
だから大丈夫だ。
この三人は、私の本当の実力を知らないだけだ。
もちろん、わざわざ自分の本当の実力を教えてあげるような義理はない。
思わず笑みが出そうになるのを抑えつつ、深刻そうな顔で私は俯く。
「最後に、確認だ。お前の実力は正直捨てがたい。奴隷契約を結び、私に忠誠を誓うなら、今回の件は不問にするがどうする?」
眼鏡の青年の申し出に対し、私は鼻で笑う。
「あなた、もてないでしょ? 女性を口説くなら、もっと相手のツボを押さえることね。私が忠誠を誓う相手はもう決まってる。あなたとは、比較にならないくらい素敵な男性よ」
私の言葉を聞いていた残りの二人は、お腹を抱えて笑いだす。
「確かにモテないわ」
「間違いネェ」
ポーカーフェイスを装っていた眼鏡の青年は、仲間の二人を睨みながら、こめかみをヒクつかせる。
「……後で後悔するがいい」
負け惜しみにしか聞こえないセリフを残し、部屋を出て行った。
眼鏡の青年が去った後、残った二人のうちの一人であるチンピラ風の男が、私を見る。
つい先ほどまでとは違い、真面目な顔で私を見る。
その目には哀れみの色が籠っていた。
「あの眼鏡の奴隷もオススメはしないが、マルムんとこはもっとヤバい。あんたにも譲れないものはあるんだろうが、覚悟はしとくんだな」
もう一人の仲間である、真面目そうな女性も、無関係を装っていたが、その目に同じく哀れみの色が宿っているのが分かる。
私の身を心配してくれているのだろうか。
それなら逃してくれればいいのに。
まあいい。
今の私を単独で抑えられる人間なんて、ほとんどいないはず。
自惚れではなく、事実そうだと思う。
逃げる方法は、マルムとかいう人のところに行ってから考えればいい。
二人に間を挟まれるようにして、部屋を出ながら私はそう思っていた。
二人相手なら逃げられなくはないかもしれない。
でも、万が一ということもあるし、他の人間たちが集まってきたら、さすがにしんどい。
今後チャンスなんていくらでもある。
そのチャンスを狙えばいい。
その時はそう思っていた。
……そして、その選択が間違っていたことに、すぐに気付くことになる。
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