第60話 小さな魔法使い⑩

 絶望に打ちひしがれる私の手を、お母さんがそっと握る。


「大丈夫。リンはお母さんが守ってあげるから」


 そんなこと無理だ。


 そう返そうとしてお母さんの顔を見ると、お母さんは何かの覚悟を決めたような、決意に満ちた表情をしていた。


 お母さんは私の手を握る力をキュッと強める。


「私はリンのことが大事。この世界の何よりも大事」


 そのまま私を抱きしめるお母さん。


「急にどうしたの?」


 疑問の声を上げる私に、お母さんは優しく微笑みかける。

 その笑顔は、美しく、慈愛に満ちていて、とても儚かった。

 透き通るように消えてしまいそうな笑顔を見せるお母さん。


「今まで厳しくしてきてごめんなさいね。貴女に一人でも生きていく力を身につけて欲しかったから」


 そう言って申し訳なさそうな顔を見せるお母さん。


「でも、もう大丈夫ね。貴女は十分強くなった。それこそ私なんかより遥かに。貴女はもう、一人でも生きていける」


 もう一度笑顔を見せるお母さん。


「お母様、何を言っているの?」


 お母さんが言いたいことを理解できない私。


「貴女に、私の全てをあげる。これから死ぬまでに私が得られるはずだった魔力も。魔力消費が激しすぎて理論だけしか築けなかった魔法式も。全てを貴女にあげるわ」


 お母さんはそう言って私の手を握る手に力を込める。


『サクリファイス』


 お母さんが呪文を唱えると、枯渇していたはずの魔力が流れ込んでくるのを感じる。

 しかも、もともと私が持っていた魔力を遥かに超える量が流れ込んでくるのを。


「本来は自分の命を魔力に変えて、誰かの命を蘇らせる禁忌の魔法。でも、死んでいない相手に、魔力だけを渡せるよう、式をいじってみたの」


 お母さんの身体が輝き、さらなる魔力が流れ込んでくる。


「魔力が全てなくなる前に、この式も渡しとくね」


 お母さんがそう告げると、『雷公』より、遥かに複雑な魔法式が頭の中に刻まれる。


「貴女ならきっと使いこなせる。この魔法を使えば、ドラゴンなんて目じゃないわ」


 そう言ってウインクをするお母さん。


「嫌だ……」


 私は手を振りほどこうとする。

 しかし、しっかりと握られた手は、ピタリとくっついて離れない。


「お母さんがいなくなっちゃうなんて嫌だ」


 私は、いつものようにお母さんを様付けで呼ぶのも忘れ、子供のように駄々をこねた。


「わがまま言わないの。私だって別れたくなくなるじゃない」


 そう言って目に涙を浮かべるお母さん。


「私の分までしっかり生きて、幸せになって。貴女なら大丈夫だと思うけど、お父さんみたいなダメ男じゃなくて、ちゃんとした男を捕まえるのよ」


 私は頬を伝う涙を拭い、笑顔を作る。

 お母さんが人生の最期に見たのが、私の泣き顔なんて、そんなのは嫌だ。


「それについては大丈夫。私はもう、世界一素敵な男性を見つけてるから」


 私の言葉にお母さんは満面の笑みを浮かべる。


「それは良かった。その人の顔を……見れない……のは、残念……だけど」


 お母さんの身体から輝きが失われ、ゆっくりと力が抜けていく。

 私はそんなお母さんを抱き抱える。


「愛してるわ、リン」


 最期にはっきりとそう言うと、お母さんは動かなくなった。


 厳しいばかりだと思っていたお母さんと分かり合えた。

 自分のことを愛してくれていると痛感することができた。


 ……でも、そのお母さんはもう動かない。


 私はそんなお母さんを地面にそっと寝かせる。


「私はきっと、お母さんの分まで幸せになる」


 私はお母さんにそう誓い、すぐ目の前に迫っていたドラゴンと対峙する。

 目前で見ると、その巨体に圧倒されそうになる。

 もはや、生物というより、山にしか見えない。

 それでも私は怯まない。

 怯んじゃいけない。


 私は魔力を練る。


 身体の底から湧き上がる力。

 魔力タンクがもう一つできたかのように、どこか別の場所から魔力が供給される感覚。


 お母さんの魔力。

 お母さんの命。


 これまでの私の全開を、遥かに上回る膨大な魔力が溢れてくる。


 異変を察したドラゴンの歩みが止まる。


 恐らく私を、虫けらのように潰そうと思っていただろうドラゴンは、慌てて私に背を向ける。


「遅い」


 私は右手を前に向けた。


 そして、お母さんに託された魔法式を頭に浮かべる。


 複雑極まりない式。

 その式を理解しようと、脳の回路が焼き切れそうになるのを感じるが、それでも理解できなくはない。

 それもお母さんの厳しい教育のおかげだ。


「天を支配せしめる豪雷よ。畏れ深きその姿を。猛きその怒りを。天の覇者たるその力を。神速の光となりて、我が敵の前に示せ」


 私は右手を前に出す。


 右手の後ろには、光るレールが生み出される。


 一本、二本、三本……


 次々と生み出される光のレール。

 大きく広げた羽根のように、私の後ろへ開く無数の光のレール。

 そこへ次々と装填されていく、光弾。


 翼を広げ、飛び立とうとするドラゴンへ私は右手を向ける。


 光のレールが大きな束となり、回転を始める。


 レールガンによるガトリング砲。

 それが、お母さんが私に託した最期の魔法だ。


『雷帝』


ーーガガガガガガガ……


 私が呪文を唱えると、大音量とともに、無数の光がドラゴンを襲う。


 一撃でも十分強力なレールガン。

 それを大量に打ち込む。


 普通なら魔力がいくらあっても足りない魔法。

 でも今の私には、恐らく魔王にも匹敵する魔力がある。


 魔力量に任せた力任せの攻撃に、なす術なく撃たれるドラゴン。

 数秒間、レールガンを放った後、私は魔力の供給をやめ、ゆっくりと右手を下ろす。


ーードスンッーー


 大きな音を立てて、ドラゴンの足が倒れる。


 足だけが倒れる。


 レールガンの雨により、ドラゴンの胴体より上は、跡形もなく消し飛んでいた。

 そこにはもはや、ドラゴンが存在した証を示すものは、倒れた足しかない。


 私はそんなドラゴンの残りカスには目もくれず、地面に横たわるお母さんを見る。


 美しいお母さん。

 厳しくも優しいお母さん。


 私は、そんなお母さんの犠牲の上に生きている。


 膝をつき、お母さんの顔を見ながら、お母さんとの約束を思い出しながら、改めて誓う。


「私は幸せになる」


 私は、命をかけて誓う。


「ユーキくんを見つけて、ユーキくんと両想いになって、ユーキくんと死ぬまで一緒に暮らして、幸せになる」

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