第58話 小さな魔法使い⑧

 私が村を後にし、強大な魔力を感じる方へ向かおうとすると、道に立ち塞がる人影が見えた。


「お母様……」


 そこに待っていたのはお母さんだった。


 三十代半ばとは思えない、美しく若々しい顔に、少し小柄だが、引き締まったプロポーション。

 最低浮気男のお父さんにはもったいないお母さん。


 そんなお母さんが、険しい顔で私を見つめている。


「お母様……なぜここに?」


 質問する私に、お母さんは答える。


「貴女を止めるためよ」


 私は言葉に詰まる。

 でも、ここで行かないわけにはいかない。


「わ、私はお母様が思っている以上に強いと思う。だから大丈夫だよ」


 そんな私の言葉を聞いたお母さんは、深くため息をつく。


 それは当然だろう。

 お母さんは、お母さんに鍛えられている時の私しか知らない。

 お母さんの前では、実力を隠すため、最近ようやく上級にチャレンジし始めた程度の実力しか見せていないからだ。


「……知っているわ」


「……え?」


 お母さんの言葉に、思わず間抜けな声を出してしまう。


「貴女が私との訓練の時、手を抜いていることも。家を抜け出して毎日魔物狩りをしていることも知ってるわ」


 衝撃の告白に、私は言葉が出ない。

 これまで全く気付いているそぶりは見られなかった。


「貴女が私に気を遣ってくれる優しい子だと言うことは知っているわ。何かの目的のために、誰よりも強くなろうと頑張っていることも知っている」


 私は、何とか声を絞り出し、お母さんに質問する。


「な、何で分かったの?」


 私の疑問の声に、お母さんは笑う。


「ふふふっ」


 私はそんなお母さんに詰め寄る。


「笑っているだけじゃ分からないわ」


 お母さんは笑顔で私を見る。

 慈愛に満ちた笑顔で見る。


「貴女の母親だから、というのじゃ理由にならないかしら? 貴女だって十三歳とは思えないほど人を見る目には自信があるでしょ?」


 私は返事に困る。

 私が転生した人間であり、精神年齢が高いことを言っているのだろうか?

 それとも『観察者』の能力のことを言っているのだろうか?


「……だって、お父さんのことも分かっているでしょう?」


 お母さんの言葉に私は戸惑う。

 どうやら私の全てを知られているわけではなさそうだが、まさかお母さんから、お父さんの話が出るとは思わなかった。


「あの、どうしようもないクズ男が、どれだけ手当たり次第に女性へ手を出しているか、知っているでしょう? そんな貴女と同じくらい、人を見る目には自信があるわ」


 そこまで言われたら、私としても観念するしかない。


「わ、分かってるなら、何で別れないの? 世間体でも気にしてるの? 一人だとお金に困るから?」


 詰め寄る私に、お母さんは苦笑する。


「あの男の妻っていう時点で世間体は最悪。元宮廷魔導師としての腕は錆付かせてないつもりだから、お金も一人で十分稼ぐ自信はあるわ」


「だったら何で……」


 困惑する私に、お母さんは優しく微笑む。


「……貴女がいるからよ。クズな父親でも、いないよりはマシ。貴女に寂しい思いをさせたくなかったからよ」


 私は、再度詰め寄る。


「何で私なんかのためにそこまで……結婚に失敗したなら、やり直せばいいよ。お母様、まだまだ綺麗だし、私なんか気にせず、新しい相手を見つけて、自分の人生を幸せにした方がいいよ」


 そんな私の声に、お母さんは首を横に振る。


「あいつは最低だけど、結婚は失敗じゃないわ。貴女が生まれてきてくれたから。貴女さえいてくれたら、私は幸せだわ。だから……」


 お母さんは、そう言って強い目で私を見る。


「貴女を死なせるわけにはいかない」


 お母さんの目には、有無を言わせない力があった。

 何としても私を止めるという覚悟があった。

 それは、私のユーキくんへの想いにも、勝るとも劣らない強さを感じさせた。


 愚かだと思っていたお母さんが、愚かなのではなく、ただ私のことを思ってくれていただけだった。


 私への厳しさも、お父さんに向いてもらえないことの代償行為ではなく、本当に、私のことを思ってだろう。

 もはや過去の思い出となりつつある元の世界のお母さんも、もしかしたらそうだったのかもしれない。


 お母さんの気持ちは分かった。

 ただ、それでも私は引き下がれない。


「ドラゴン相手でも、私は負けないよ。だから行かせて」


 ここまで来て、お母さんは初めて表情に怒りの色を浮かべる。


「何を根拠に言っているの? 貴女はドラゴンと戦ったことはないでしょう? 今回暴れているのは、七段階あるドラゴンの内、上から五番目の『新緑の竜』よ」


 お母さんは、説得をするような目で見る。


「母さんは宮廷魔導師時代に、上から六番目のドラゴンと戦ったことがある。その時は、二つ名持ちの騎士二人と宮廷魔導師二人、さらに精鋭の騎士と魔導師二十人で挑んで、何とか勝てたというレベル。その時も二つ名持ちの騎士一人を含めて十二人の犠牲があったわ」


 お母さんは、再度厳しい目をする。


「貴女は、それより強い相手に、たった一人で勝てるとでも言うの?」


 ドラゴンが強いというのは理解していたが、それほどまでに強いというのは、想定以上だった。


 私は二つ名持ちの騎士相手でも一対一なら負けない自信はあった。

 だが、先ほどお母さんが話しした戦力相手となると、さすがに一人で勝つ自信はない。


 それでも私は行かなければならない。

 私のせいで多くの人が亡くなってしまったのを知った今、何もしないわけにはいかない。

 このままドラゴンを放置して、自分だけユーキくんと幸せになんてなれない。


「勝てないかもしれない。でも、私は行く」


 そんな私の返事を聞き、お母さんは呆れたような顔をする。


「誰に似たのか強情ね。それなら私も連れて行きなさい。一人で行くよりは、少しはマシでしょうから」


 私は慌てて首を横に振る。


「だ、ダメだよ。お母さんまで危険に晒すわけにはいかないよ」


 お母さんはまたもや呆れたように溜息をつく。


「貴女、私の話聞いてたの? こんなこと言うと重いかもしれないけど、私にとって、貴女は人生の全てなの。そんな貴女をみすみす死なせるような真似、するわけがないでしょう?」


 そしてさらに、お母さんは笑う。


「それに、実はお父さんに最上級魔法を教えて上げたのは私なの。今でもたまに魔物討伐のサポートをすることはあるし、正直、戦闘だけならお父さんにも負けない自信はあるわ」


 お母さんの告白を聞き、私は苦笑する。


「唯一、お父さんをすごいと思っていたところが、今の話でなくなっちゃった。それならもうお母さんが来るのは断らないけど、何でお母さんはお父さんを選んだの? 人を見る目はあるんでしょ?」


 お母さんは恥ずかしそうに笑う。


「お父さんは顔も悪くないし、話も面白くて、女性をいい気にさせるのもうまいの。魔法を鍛えるばっかりで、男の人を知らなかった私には、カッコよく見えたの。冷静になって見ればクソ野朗なんだけど、そんなことも見過ごしちゃうくらいお父さんに首ったけだった。まあ、恋は盲目とはよく言ったものね。さっきも言った通り、貴女が生まれてきてくれたから後悔はしてないけど、男選びには気を付けてね」


 お母さんの言葉に、私は自信満々に頷く。


「うん。私の好きな人は、最高にカッコいいけど、外見はそこそこだし、話も面白くないし、女性をいい気にもさせられないから大丈夫!」


 お母さんは私の言葉に苦笑する。


「それなら大丈夫そうだけど、思春期の女の子なんだから、もっとチャラチャラした人に惹かれてもよさそうなものなのに。アドバイスのしがいがないわ。ちなみにそれはどこの誰なのかしら?」


 私は返答に困ったので、誤魔化すことにする。


「そ、そんなことより、早くドラゴンを倒しに行こうよ。こうしている間にも、誰かが犠牲になっているかもしれないわ」


 私の言葉にお母さんは頷く。


「確かにそうね。その話は帰ってからゆっくり聞くことにしましょう」


 お母さんはそう言うと、首にかけていたネックレスを外す。


「これは、お父さんが私にプレゼントしてくれたネックレス。あの人の言うことだから、本当かどうかは分からないけど、命の危機に瀕した時、一度だけ身代わりになってくれるらしいわ」


 お母さんは説明した後、私の首にそのネックレスをかけてくれる。

 ダイヤモンドのような輝く石がついた、綺麗なネックレスだ。


 お母さんがつけてた方がいいんじゃないの、という無粋な話は、さすがにしなかった。

 母から子への温かな気持ちを、素直に受け取ることにする。


「こういうプレゼントとかのセンスはあるから、余計に騙されちゃったのよね……」


 お母さんのボヤキを聞き、私たちは揃って笑う。


「それじゃあ行きましょうか」


「うん」


 こうして、私たち母娘二人によるドラゴン退治が始まった。

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