第40話 元英雄の娘⑦

「獣の分際で人間様の戦いを邪魔するな」


 アルベルトが私の隣に立つ人影へ声をかける。

 私の横に立っていたのはヒナだった。


「あなたは下がってて。相手は私でも全く敵わない相手。魔力を使えるようになったばかりのあなたが敵う相手じゃないわ。相手も、獣人のあなたをどうにかしようとは思わないはず。私達が敗れたらすぐに逃げて好きに生きなさい」


 そんな私の言葉に対し、ヒナは無表情で答える。


「私はエディ様に人生を捧げることに決めました。一応エディ様の主人であるあなたを見捨てることはできません」


 私は、ヒナの言葉にため息をつく。


「気持ちは分かる。だからといって、あなたにできることは何もないわ。言われた通り後ろに下がってなさい」


 そんな私の言葉に、ヒナは首を横に振る。


「いいえ。確かに今の私は戦えません。でも、できることはあります」


「え?」


 疑問の声を上げる私の脇腹を、ヒナの腕が抱き抱える。


「な、何を……」


 私が問いかけようとした瞬間、ヒナと私の体は、その場から消え去った。


 高速で飛び去っていく、ヒナと私の体。

 着地したのは、エディの隣だった。


 ヒナは、今度は、エディの脇腹に手を回す。


「跳びます」


 ヒナは一言だけそう言うと、私とエディを抱えて跳躍する。


 空高く舞い上がる私とエディとヒナ。

 敵の兵士たちの姿が、遠く引き離されていく。


 突然の出来事に、私も敵も声を上げることすらできない。


 驚異的な跳躍力。


 一度の跳躍で敵の包囲を軽く飛び越えると、休む間も無く三度ほど跳躍した。

 わずか数回の跳躍で街から遠く離れ、敵の姿は全く見えない。


「すみません、魔力がだいぶ無くなりました。念のためあと一、二回分は跳躍できる魔力を残しておきたいので、ここからは走っての移動とさせてください」


 申し訳なさそうに話すヒナへ、私は思わず言葉をかけそうになる。


「あ、あなた、今のは……」


 そんな私の肩に、エディは手を当てる。


「話は後だ。敵からもっと離れておきたい」


 エディの言葉に、我に帰った私は頷く。


「そ、そうね。とりあえずここからさらに離れましょう」


 私は魔力がほぼ枯渇しており、今敵に出くわせば、実質的にエディ一人で戦ってもらわなければならなくなる。

 さすがにそれは無謀極まり無い。


 私達三人はそれからさらに二時間ほど走ったところで休むことにした。


「敵が近づけば、私の耳で分かります。今のところ、周囲一キロ以内には敵はいなそうです」


 ヒナの言葉に、私とエディは頷く。


 落ち着いたところで改めて考えると、私たちがどれだけ窮地に立たされていたかが分かる。


 今回の襲撃に関しては、ヒナがいなければ間違いなく私達は全滅していただろう。

 そもそも、毒なのか睡眠薬なのかは分からないが、おじ様の奥様に薬を盛られた時点でアウトだった。


 私はヒナの方を向く。

 これまで獣と侮っていた獣人という存在。


 そんな存在に命を助けられた。


「今回はありがとう。あなたのおかげで助かったわ」


 私は素直に感謝し、ヒナへ頭を下げる。


 獣人が人間と対等だとはまだ思えない。

 でも、助けてもらった相手に礼を言うのは人として当然だ。

 それに跳躍力も、敵の感知能力も、役に立つのは間違いない。

 相手の優れた点は、認めるべきだ。


「いいえ。そもそも私を助けなければ、あの街へ泊まり、襲われることはありませんでしたから」


 ヒナの回答に、私は首を横に振る。


「確かに今回だけに限ればそうかもしれないわ。でも、遅かれ早かれ、敵と交戦する可能性は高かった。あなたがいてくれて助かるのは間違いないわ」


 私は改めてヒナの目を見る。


「私達がやろうとしているのは、国を相手の戦いになる。死ぬ可能性も高いわ。それでも手伝ってくれるかしら?」


 獣人相手にお願いするなど、今までの私からすると考えられなかった。

 だが、これだけの活躍を見せられて、助けを借りないという選択肢はない。

 お父様を助けられる可能性が少しでも上がるなら、頭などいくらでも下げよう。


 足手まといはいらないが、役に立つ者なら、頭を下げて招き入れたい。


 耳が良いことによる索敵能力。

 嗅覚が良いことによる毒物の感知。

 驚異的な脚力による敵からの離脱。


 どれを取っても、役に立つこと間違いない。


 私の質問に対し、ヒナは跪く。


「私のような獣に、ありがたいお言葉です。もとよりエディ様へ捧げた命。あなたが拒まれないのなら、命の限り尽くさせていただきます」


 私は、そんなヒナへ手を差し伸べる。


「そんなに自分を卑下しないで」


 ヒナは恐る恐るといった感じで、私の手を掴む。


「お父様は種族の平等を目指していた。魔族は無理だけど……あなた達とならやっていけそうな気がする」


 ヒナは私の手を借り、立ち上がった。


「私はあなたを受け入れる。これからは仲間として一緒に戦ってほしい」


 ヒナは目に涙を浮かべながら頷く。


「はい」


 歓びに満ちた笑みを浮かべるヒナ。

 素直に喜ばれると、私は対応に困ってしまう。


「い、今は猫の手でも借りたい状況だから、仕方なくだからね!」


 私の照れ隠しに、エディは苦笑する。


「借りるのは猫の手じゃなくて、兎の脚だけどね」


 エディの言葉に、私は目を丸くする。


「あなたもそんな冗談が言えるのね……」


「う、うるさい!」


 私の言葉を聞いて恥ずかしそうにするエディ。


 十二貴族どころか、十二貴族より格下の二つ名持ちの騎士相手に対してですら、逃げるのが精一杯の現状。


 状況は絶望的だ。


 でも、ヒナが加わったことで、エディと二人だけの時より可能性が広がった。

 少なくとも、索敵と逃亡に関しては、かなり条件が良くなった。


 私自身、上級魔法が使えるようになったのも大きい。

 格上との実戦により、確実に成長できた。

 あと一ヶ月でものにできれば、戦術の幅も広がるはずだ。

 エディには大きく遅れを取っているが、私だってまだまだ成長できると信じたい。


 そして、エディと私の関係も、今回のことで、少しだけ良くなった気がする。


 母親を殺し、愛する人を殺そうとして追い出したのだ。

 私に対して、エディがすぐに心を開くことはないだろう。


 それでも、同じ目標を目指し、一緒に時を重ねることで、変わってくるものもあるはずだ。


 これから少しずつでも心を開いてもらえるように。

 私のことを向いてもらえるように。


 精一杯、頑張るしかない。


 お父様のことも。

 エディのことも。


 どれだけ困難でも、私は諦めない。


 逃亡の間に夜はふけていた。

 私は剣を握って、星空を見上げる。

 亡きお母様が見守ってくれていると信じ、私は誓う。


 お父様の救出と、エディとの恋の成就を。


「夜も遅いけど、敵から距離も取りたいし、まずはすぐにローザの元を目指しましょう。もうそんなに遠くないところにいるはずだわ」


 エディとヒナが揃って頷く。


 どれだけ困難でも。

 どれだけ絶望的でも。


 それでも立ち向かうしかない。


 今までも。

 これからも。


 私はそういう生き方しかできないのだから。



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