第41話 エピローグ〜ある獣人の少女〜
その獣人の少女は、生まれた時から人生を諦めていた。
物心ついた時から両親に関する記憶はなく、誰かに愛を注がれることはなかった。
唯一の救いは、その容姿が整っていたことだ。
将来高値で売りつける為、最低限の健康には気を配って育てられ、貴族に売られることを想定し、失礼のないよう教育も施された。
たまに仕入れられる他の獣人や奴隷達が入荷されてすぐに壊れるのに対し、その獣人の少女は、こと生きるということに関しては、保証されていた。
……ただ、その身に自由がないというだけで。
もちろん、他の獣人や奴隷に比べればマシ、というだけで、安寧に生きられたわけではない。
傷物にされない範囲での嫌がらせは執拗を極めた。
高値で売るための貞操の確保と、後遺症の残るような傷は与えられないよう配慮されていたものの、それ以外のことは何をしても許されていた。
殴る蹴るは当たり前。
罵詈雑言は毎日の挨拶のようなもの。
通りすがりに唾を吐きかけられる。
服を隠され、裸で過ごさせられる。
排泄物に顔をつけられる。
数え上げればきりがない嫌がらせ。
それが彼女の日常だった。
救いのない日々。
気が狂わないのが不思議なほど、最低な扱い。
そんな彼女に手を差し伸べる者はいない。
唯一、彼女を不憫に思った若い男の奴隷が、優しく声をかけてくれていたことがあった。
だが、その奴隷は、村人達から、大切な村の資産に手を出そうとしたと見られ、半殺しの目にあった上で、去勢された。
それからはその奴隷も、声をかけてくれなくなった。
生まれてからずっと一人。
話し相手すらいない日々。
ただ、彼女の理解として、それは仕方のないことだった。
彼女が与えられた誰かのお下がりの本の知識によると、かつて、人間が魔力を使えなかった遥か昔、獣人は誇り高き種族だった。
魔法の使えるエルフ。
手先の器用なドワーフ。
そして野生動物の特性を受け継いだ獣人。
人間が魔力を使えるようになるまでは、どの種族も皆、人間から、尊敬される立場だった。
だが、人間が魔力の扱いを覚えたところで歴史は転換する。
魔法を使い、魔力で身体能力を強化することで、強大な力を得た人間は、魔族を除く全ての種族をその支配下に置いた。
魔法の扱えるエルフも、人間の数の暴力には敵わなかった。
器用な手先で様々な武器を作れるドワーフも、魔法の前では為す術がなかった。
そして、優れた能力を持ちながらも、魔力の使えない獣人も、魔力を覚えた人間には、歯が立たなかった。
以降、獣人は人間の家畜のような扱いになった。
名前すらない獣人の少女は、創作の物語を見て、夢を膨らませる。
囚われの姫が勇者に救われる物語。
貧困の少女を王子が妻にする物語。
無法者に乱暴されそうな少女が騎士に助けられる物語。
自分のところにそんな奇跡が起こらないことを、彼女は十数年の人生で悟っていた。
頭では分かっていた。
彼女の人生は、あと僅かで終わる。
生きるという意味では、まだしばらくは生きられるだろう。
だが、貴族の玩具になった時点で、人生は終了だ。
苦痛を耐え忍ぶだけの生など、意味がない。
今以上に救いのない日々が待っているだけだ。
少なくとも彼女はそう思っていた。
奇跡など起こらない。
そんなことは分かっている。
それでも祈らずにはいられない。
誰か助けてくれないか。
彼女はどうしてもそう思わずにはいられなかった。
見たこともない神に祈らざるを得なかった。
勇者じゃなくてもいい。
王子様などという高望みはしない。
人間でも魔族でも誰でも構わない。
誰か私を助けて。
しかし、彼女の祈りは届かなかった。
彼女が十四歳になる年、飢饉のために、売りに出されることが決まるまで。
受け渡しの日、彼女は全てを諦めていた。
結局、助けは来なかった。
どれだけ祈っても、運命は変わらなかった。
彼女は嘆く気力すらなく、ただ俯いていた。
だが、そんな彼女の耳に信じられない言葉が入ってくる。
「その子をどうするつもりだ?」
声の主は若い。
子供といって差し支えない年だろう。
その若い少年の問いに対し、奴隷商人はそんな子供を諭すように答える。
「奴隷として買い取ろうとしているところさ。どこかの貴族様に売り渡すことになる。獣姦が好きな変態貴族は多いからな。おかげで俺の仕事が成り立つんだから、文句は言えないが。この獣は容姿はいいし、まだ処女のようだから高く売れるだろう」
そんな奴隷商人に対し、少年は語気を強める。
「獣? どう見ても人じゃないか」
少年の言葉に、周囲は嘲笑する。
だが、獣人の少女の耳に嘲笑は聞こえなかった。
俯いていた顔を上げ、少年の方を見た。
恐らく獣人の少女より若い、子供がそこに立っていた。
身なりのいい、顔立ちの整った美しい少年だった。
子供では自分を救うことはできないだろう。
それでも、世界には自分を人として扱ってくれる人間がいる。
それを知れたことで、残りの人生、少しはマシに過ごすことができる。
獣人の少女はそう思った。
だからこそ、少年が怪我する前に、少年を退避させようと考えた。
こんなに素晴らしい考えを持った少年を、私なんかのために怪我させるわけにはいかない、と。
だが、そんな彼女の考えは無駄に終わる。
剣など握ったことなどなさそうな少年は、奴隷商人の警護で付いていた屈強な男二人と対峙すると、なんと一瞬で倒してしまったのだ。
それだけではない。
水不足に喘ぐ村に、天候を操って雨を降らせたのだ。
天候を操る魔法など、少女は物語の中でしか聞いたことはなかった。
ごく一部の者しか使えない上級魔法ですら、天候なんて操れない。
獣人の少女は、まさに奇跡を目撃していた。
自分の身には決して起こらないだろうと思っていた奇跡。
その奇跡を目の前の少年が起こしてくれた。
驚いたことに、その少年は自分のことを奴隷だと言った。
一流の魔導師ですら使えない魔法を使いこなす奴隷の少年など、少女は、物語の中ですら聞いたことがない。
少年は、ゆっくりと獣人の少女の方へ歩み寄っいく。
近づく少年を見て、少女の動悸が早くなっていく。
生まれてこの方、感じたことのない感情。
少女はそんな感情を、少年に対して抱いていた。
少年は刀に魔力を込めると、少女の首に繋がれた鎖を切断する。
そしてそのまま、地面に座り込んでいた少女へ手を伸ばす。
「立てるか?」
「……はい」
少女は、一度差し伸べた手を引っ込めた後、少年の目を見た上で、もう一度伸ばす。
少年はそんな少女の手を優しく握り、そっと微笑みかける。
少女は少年の笑顔を見て、胸の中が苦しくなる。
嬉しいはずなのに苦しい。
初めて感じる感情に、少女は戸惑う。
何だ、この感情は?
人との付き合いがない少女には、その感情の正体が分からない。
その後の話で、救出された少女は、少年が逃亡中の身だということを知る。
ただ、助けるだけでもあり得ないことなのに、自らの身を危険に晒してまで、自分の身を助けてくれた少年。
少女は誓う。
この少年のために全てを捧げようと。
身も心も、魂さえも捧げようと。
一度終わった人生。
少年が現れなければ、終わっていた人生。
その人生を少年のために捧げる。
少女にとってそれは当然のことであり、考える余地すらなかった。
誰かのために生きられるなんて、何と幸せなことだろうか。
その相手が、自分にとっての神のような、いや、神以上に尊い存在だとしたらなおさらだ。
少女は少年を見る。
少年のためなら何でもしよう。
誰かを殺せというのなら、進んで殺そう。
純潔を差し出せというのなら、喜んで差し出そう。
死ねと言われれば、すぐに舌を噛み切ろう。
少女の誓いはきっと強い。
魔法の契約よりも。
他の誰かの想いよりも。
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