第33話 英雄の娘⑥

 私はその日以来、エディを目で追うようになっていた。


 奴隷の身にも関わらず、自分より努力し、恐らくすでに自分以上の実力を身に付けている少年。


 それまで自分以上に努力している人間はいないという自負があった。

 だが、そんな自分より遥かに厳しい努力を行なっている人間がいた。


 奴隷は卑しい人間だという私の認識は、エディのおかげで薄れていた。

 身分は大事だと思っていたが、それ以上に努力は尊い。


 恵まれた家庭に生まれながら怠ける他の貴族の子供達を見て、心底腹立たしく思っていたが、エディはその逆だった。


 奴隷という底辺の立場にも関わらず、掴んだチャンスを見逃さずに、人間の限界に挑んでいるかと思うほどの努力をする人間。

 尊敬こそすれ、蔑むことなどできなかった。


 努力こそ至上だと考えている私に、興味を抱くなと言う方が無理だった。


 だが、エディの目が私に向くことはない。

 エディにとっての私は、母親を殺した敵でしかない。

 たまに偶然目が合ったとしても、私に向けられる視線は冷たく、プラスの感情は感じられない。

 だからと言って、今更、素直に謝ることもできない。


 一方で、カレンに向けられる視線は暖かく、信頼に満ちていた。

 それに応じるカレンの目もまた、暖かく、とても人間の脅威である上位魔族のものには見えなかった。


 私はそんな二人を見る度に、胸がチクチクと痛むのを感じていた。

 ……感じてはいたが気付かないようにしていた。


 いくら尊敬できる相手だからと言って、身分への意識が薄れたからといって、私が奴隷なんかに特別な感情を抱くことなんてあるはずがない。





 いつものように家族と賓客扱いの者たちで食事を取っていたある日、転機が訪れた。

 それは人生最悪の日に他ならないだろう。


 お父様以外の十二貴族と、刀神ダインと並ぶ実力を持つ剣聖が、配下を引き連れて私たちを襲ってきたのだ。


 お父様を除けば、十二貴族と剣聖は王国でも最強に近い者たちだ。

 そんな相手に対し、こちらはお父様とダインとリン先生、それにエディとカレンと私のみしかいない。

 大抵の相手ならお父様とダインのみでどうにかなるということで、他の兵達を屋敷においていなかったのが仇となった。


 絶望的な戦力差の中、お父様は私を逃がそうとした。

 足手まといはいらないということだろう。

 もしかすると家の血筋だけは残したかったのかもしれない。


 いずれにしろ、猫の手でも借りたいはずのこの状況で、頼りにされないと言うのは悲しかった。

 それでも何とか残って戦おうとする私だったが、エディに鳩尾に拳を入れられ、気を失ってしまった。


 次に気が付いたのは、エディとカレンが誰かと戦闘している時だった。

 私を逃がそうとしているところで、敵に追いつかれたのだろう。


 私を気絶させたエディへの恨みはない。

 私の鳩尾を殴った時のエディの表情を思い出せば、エディもまた残って戦いたかったのは明らかだったからだ。

 きっと奴隷契約による命令のせいだろう。


 私は自分の気がついていることを隠した。

 エディとカレンが劣勢になれば、不意打ちで加勢に入るつもりだったからだ。


 気を失っていると思った相手からの不意打ちは、きっと効果があるはずだった。

 卑怯だとは思うが、背に腹は変えられない。


 だが、そんな私の考えは無駄に終わる。


 相手は、私も知っている騎士団の精鋭パーティー。

 上位魔族が相手でも十分戦えるメンバーであるはずだった。

 少なくとも私が一対一で戦って、間違いなく勝てると言える相手は一人もいないだろう。

 そんなメンバーが五人揃い、しかも同じ人間が自らの体を動かすかのような連携をとってくる。


 人肉を控え、万全の状態とは程遠い状態のカレンと、才能と努力のおかげでそれなりに強いとはいえ、実戦経験のほとんどないエディの二人では、厳しい戦いが想定されるはずだった。


 だが……


 戦いは一方的だった。


 最初こそ上級魔法を防がれたものの、その後は王国の精鋭たる五人の騎士達を、あっという間に血祭りに上げた。


 私は加勢どころか、言葉を上げることすらできなかった。


 最後の一人に対して、エディが話しかける。


「あんた自身に恨みはない。あんたはただ、国の為に戦っているだけだろう」


 エディはそう言いながらカレンを見る。


「だが、あんたを逃がすことで、俺の大事な人に害が及ぶ可能性があるなら、あんたを殺さなければならない。……俺は、カレンの為なら、悪くない人間でも殺せる男にならなければならない」


 エディはそう言いながら刀を振りかぶる。

 だが、エディが刀を振るより早く、魔法使いの女は膝をついて倒れた。


 女の胸を、カレンの手が貫いていた。


「エディ。気持ちはありがたい。だが、私のために殺したくない人間を無理して殺さなくてもいい。私の存在が重荷になるのなら、見捨ててくれて構わない。エディが私を思ってくれているのと同じように、私にとってもエディは特別だ。エディを苦しませるくらいなら、私は死を選ぶ」


 エディはそんなカレンに微笑みかけているようだった。


「もしカレンが死んだら、俺は心の底から苦しむことになる。俺も死を選ぶかもしれない」


 そこまで話を聞いたところで、エディの背後にいる私とカレンの目があった。


 カレンは微笑む。

 血に濡れて真っ赤になりながら、妖艶に微笑む。

 まるで私に何かを告げるように。


「それは困るな。それでは私は死ねないではないか」


 エディは頷く。


「ああ。主人としての命令だ。俺を残して死ぬな」


 カレンは頷く。

 その先の言葉は聞きたくなかった。

 胸が苦しい。

 なぜかは分からないが、締め付けられるように苦しい。


 私は今になって、やっと認めざるを得なかった。

 最悪のタイミングで気づかざるを得なかった。

 ……エディのことを特別な存在だと思っている、と。


「分かった。その代わりエディも私を残して死ぬな。死ぬ時は一緒だ。共に生き、共に死のう」


 エディはもう一度頷いて、笑う。


「俺の生まれたところでは、それはプロポーズになるぞ」


 カレンも笑う。


「ああ。そのつもりで言ったからな」


 カレンが告げる。

 私への死刑宣告のように告げる。


 そのまま二人は目を閉じ、お互いの唇が触れる。

 一瞬だけカレンの目が開き、私と目が合う。

 そして何もなかったかのように再び目を閉じ、エディと唇を重ね合う。


 私は気絶している振りをしているのも忘れ、胸を掻き毟る。


 何だ、この感情は?


 お母様を殺された時の悲しみでもない。

 その後抱いた魔族への怒りでもない。

 お父様から信頼されなかった悔しさでもない。


 今まで一度も抱いたことのない、ドス黒い感情が私の心を支配する。


 この時の私は、お母様を殺した魔族への復讐も、お父様を陥れた十二貴族達への怒りも忘れ、ただこの美しい魔族カレンを憎悪した。





 その後、私はエディに背負われた。

 エディの、小さいけれども暖かく、頼りになる背中。

 私はこの背中を独占したくなった。


 だが、この背中は私のものにはならない。

 美しく強い魔族のものになる。


 その魔族は、私が気を失っていないことに気付いているはずだったが、何も言ってこない。

 勝者の余裕だろうか。

 ヘドが出る。






 そのまま走り続けた後、小さな小屋のような家で、私はベッドに寝かされる。

 優しく寝かせてくれるエディの行為に、私はドキドキする。


 だが、そのドキドキはすぐに打ち消される。


 カレンがエディの手を握ったからだ。


「ありがとう。でも大丈夫だ。今の俺にはカレンがいるからな」


 カレンにそう囁くエディの声はひどく優しかった。


「エディの母親の分まで、私がエディを愛そう」


 そんなエディに対し、カレンは真顔で言葉をかける。


 その言葉に、私は耐えれなくなった。


「……穢らわしい」


 思わず立ち上がり、言葉を発してしまった。

 そんな私をエディは睨む。


「……目が覚めたのか」


 冷たい言葉に、胸が締め付けられ、つい私も睨み返してしまう。


「なぜ逃げたの?」


 適当な言葉が出てこない私は、とりあえずそう質問する。


「俺たちがいても、大した役には立たない。それに、お前を逃がすことが、アレス様の願いだった。奴隷である俺は、その命に逆らえない」


 エディが言うことはもっともだ。

 否定する要素はない。


 私が気にしているのは、口にした言葉とは別のことだっだ。


 このままでは、エディはカレンに取られ、お父様を亡くした私は一人になってしまう。

 私は思わず顔をしかめてしまう。


 そんなのは絶対に嫌だ。


 私は頭をフル回転し、作戦を考える。

 まずは涙を流して同情を誘う。


「……でも私達がいなかったせいでお父様は亡くなってしまった。何より大事なお父様が……」


 そんな私にエディは言い返す。


「確かに不利な状況だったが、俺たちがいたところで大勢には影響がない。それに、死んだかどうかは分からないだろ」


 私の涙を見てもエディが全く同情していないのを感じる。

 プラン変更だ。


 私は首を横に振る。


「ダインとリンは分からないわ。……でも、お父様は恐らく亡くなられたわ」


「……なぜ分かる?」


 私は涙を拭い、エディを見る。


「お父様の権利が私に引き継がれたからよ。十二貴族家の伝統魔法で、自分が死ぬか、もしくは間違いなく死ぬことを覚悟した時は、その後継者へ全てが引き継がれることになっている。領地の所有権も、配下の指揮権も、私に引き継がれた」


 それは嘘ではなかった。

 エディの背中に背負われながら、様々な権利が私に移ってくるのを感じていた。


「……気持ちは分かる。だが、今は俺たちが生き延びることを考えよう」


 私に慰めの言葉をかけるエディの胸ぐらを、私は掴む。


「気持ちが分かる? 奴隷風情に何が分かるの!?」


 そんな私の腕を、今度はカレンが掴む。

 どこまでも忌々しい魔族だ。

 だが、ここでこの魔族が絡んでくるのは想定のうちだ。


「分かるさ。同じく親を失ったばかりのエディならな」


 カレンの言葉を聞いた私は、一旦黙る。

 カレンが言うことはもっともだ。

 私もそう思っているから、反論しても意味がない。

 今は勝負どころではない。


「ありがとう、カレン」


 エディはカレンに礼を言い、私の腕からカレンの手を、そっと離す。

 掴みながらもいたわりを忘れない、その優しい仕草。

 その優しさが向けられているのは私ではない。


「今のは水に流してやる。まずは逃げるぞ。いつまでもこんなところにいたら、俺たちまで殺されてしまう。この中で一番逃げ道に詳しそうなのがレナだ。意見を聞かせろ」


 正しい判断をするエディに対し、私は彼を睨みつける。


 逃げてしまってはダメだ。

 私は捨てられ、エディとカレンが結ばれてしまう。


 本当はエディ自ら選んでくれるのがベターだったが、そうそううまくはいかない。

 プランを再変更だ。

 一旦嫌われるのはやむを得ない。


「奴隷の分際で私に指図しないで。逃げる? 馬鹿なことを言わないで。これからやることは、お父様の仇討ちに決まっている」


 私の言葉にエディは呆れたようだった。


「敵討ちなどできるはずがないだろ。圧倒的に強いアレス様に、ダイン師匠とリン先生までいて勝てなかったんだ。俺たち三人で相手になるはずがない」


 確かに勝ち目の薄い戦いだ。

 だが、それ以外にエディを私の元へ引き止める理由が見つからない。


 このまま一人惨めに生きるくらいなら、命の危険を冒してでも、エディと共に生きていきたい。


 私は心を隠し、エディを睨み続ける。


「できるできないじゃない。やるのよ」


 エディは私から目を切り、カレンの方を向く。


「こいつの自殺行為には付き合えない。俺たち二人で逃げる方法を考えよう」


「そうだな」


 私はそんな二人の会話を聞き、思わず笑みをこぼす。


「あなたたちだけ逃げるなんて、そんなことを許すはずないでしょ」


 エディはそんな私を一瞥する。


「許すも許さないも、お前には俺たちを縛る権限も力もない。今なら俺一人でもお前には負けない」


 エディの言葉に、私は再度笑みを浮かべる。


「そうでしょうね。何と言っても、我が家に伝わる秘術を掠め取ったのだから」


 私の言葉に、少しだけエディは動揺する。


「掠め取ったわけではない。アレス様が俺のことを認めてくださっただけだ。だが、なぜ分かった?」


 全く悔しくないと言えば嘘になるが、エディの努力と実力は私も認めている。

 お父様が私以上にエディを認めていたとしても、不思議ではない。


 だが、私は笑みを崩さないまま答える。


「私が引き継いだ権利の中に、秘術の権利がなかった。私以外で権利を引き継ぐ機会があった者は、最後に何かしらの加護を与えられたお前しかいないわ」


 私の言葉にエディは返す。


「確かに秘術は引き継いだ。だが、どうしても返せと言うのなら返してもいい。俺とカレンはこれから先、静かに暮らせれば、それでいいからな」


 カレンと暮らせればいいというエディの言葉に、私は笑みを崩してしまう。


「できることならやっている。でも、秘術は心の底から認めた相手にしか引き継げない。あなたは私のことを認めていないでしょ?」


 自分で言っていて悲しくなるが、今は仕方ない。

 今は。


「奴隷に見下されるなど屈辱以外の何物でもない。だが、秘術のことがなくても、お前が力を持っているのは認めざるを得ない。その力、私のために使うことを許そう」


 私の言葉にエディ呆れたようだった。


「なぜ俺がお前のために尽くさなければならない? アレス様には恩がある。だが、その恩はお前を逃したことで返した。無謀な敵討ちなど、恩返しでもなんでもない。俺はカレンと暮らす。この先、お前が敵討ちをするのは勝手だが、俺たちを巻き込むな」


 私はは再度笑みを浮かべる。


「立場が分かっていないようね。……跪きなさい」


 私の言葉に、エディの体は跪く。


「なっ……」


「さっき言ったでしょ? お父様から全ての権利を引き継いだって。当然、奴隷の所有権も引き継いでる」


 そんな私をエディは睨みつける。

 エディに敵意を向けられるのは辛かったが、今は仕方ない。


「あなたは使えるから生かしてあげる。でも、魔族は別。お母様を殺した魔族と一緒にいるなんて、吐き気がする」


 私はカレンを見る。


 美しく強く、そして邪魔で邪魔で仕方ない魔族。

 まずはここでこの魔族を排除する。


「あなたに最初の命令を与えるわ。そこにいる魔族を……」


 殺せ。


 そう命じようとしたところで、エディが叫ぶ。


「カレン! 俺のことは忘れて、遠くへ逃げろ!」


 私が命ずるより早く、エディはカレンにそう命じた。


「エディ、私は……」


 何かを言いかけたカレンは、額を光らせて、家を飛び出していった。

 そんなカレンの背中を見つめるエディの目は絶望に満ちていた。


「逃したか。まあいいわ。魔族狩りは、敵討ちの後、いくらでもできるし」


 殺せなかったのは残念だが、排除には成功した。

 これで邪魔者はいない。


 私はカレンがいなくなった方から、目をエディに戻す。


「私のことが憎くて仕方がないって顔をしてるわね。でも、あなたは何もできない。ここから逃げてあの魔族を追いかけることも。私に歯向かうことも」


 今の私に対するエディの評価は最悪だろう。

 だが、邪魔者はいない。


 これから二人で共通の敵と戦う中で、少しずつ私の方を向かせていけばいい。


 私はこれからのことを思い、思わず笑みを浮かべる。


「せいぜい私に尽くしなさい。いい働きをすれば、貴族に身分を上げてあげる。もっとも、一生私の奴隷なのは変わらないけどね」


 そんな私の言葉に、エディは頷く。

 悔しさを飲み込んで頷く。


「こうなった以上は、貴女に尽くします。何なりとご命令ください」


 お父様を失ったのは本当に悲しい。

 だが、代わりにエディを手に入れた。

 心までは手に入れられてはいないが、カレンが去った今、それも時間の問題のはずだ。


 私の容姿は、お父様とお母様の血のおかげで、王国でもトップクラスのはずだ。

 現に、街でそんな噂を聞いたことがあるし、幾人もの貴族から誘いを受けている。

 エディだって男である以上、身近に容姿の整った異性がいれば、惹かれるはずだ。


 ……そして何より、エディにも私にも、お互いしか頼る相手はいないのだから。


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