第32話 英雄の娘⑤

「お前の訓練を見学させてほしい」


 翌朝、私の申し出に対し、エディは少しだけ怪訝そうな表情を見せたものの、特に拒むことなく了承してくれた。


 私はカレンの横に並び、まずはダインの元での剣の修行を見学する。

 昨日風呂を共にしたせいか、魔族そのものへの憎しみは消えないものの、カレン個人に対する嫌悪感は心なしか薄れた気がする。

 上位魔族という人の理解の及ばないと思っていた存在が、実は人間と変わらない、ただの少女だったというのもあるかもしれない。


 少し離れたところでは、なぜかリン先生も修行の様子を見守っていた。

 見守っているというよりは、なぜか表情が硬く、魔力も張り詰めており、臨戦態勢のように見えたが。


 初めて見学する私をチラッと横目に見た後、特に気にする様子もなく、ダインは修行を開始する。


 ダインが刀の柄を握った途端、場の空気が緊張するのが分かる。


 そのままダインが少しだけ腰を落としたかと思った次の瞬間、目に魔力を込めていなければ、視界に収めることすらできないほどのスピードで、鞘から刀が解き放たれる。


 真剣によるその斬撃は、訓練とは思えないほどの威力とスピードをもって、エディの大腿部を襲う。


「……クッ」


 エディは後ろへ一歩飛び下がることで、紙一重でその攻撃をかわす。


ーーブォンーー


 刀が通り過ぎた後、一瞬遅れて空気を切る音が私の耳に届く。

 その音が耳に届くかどうかのタイミングで、ダインの刀が次の斬撃を繰り出す。


ーーガキンッーー


 上段から振り下ろされたその斬撃を、エディは両手で持った刀で受け止める。


 この一撃も手を抜いているようには見えない。

 少しでも反応が遅れていたら、エディの体は真っ二つになっていただろう。


「……いつもこんな修行を?」


 私はカレンに尋ねる。


「ん?」


 カレンは軽く首を傾げる。


「修行? まだ始まっていないぞ? 今のはまだ準備運動だ」


「……え?」


 カレンの言葉に私が疑問の声を漏らすと、ダインとエディ、二人の動きが止まった。


 ……そして、修行の本番が始まった。


 ダインの体から漏れ出す、体を突き刺すような魔力。

 離れたところから見ているだけの私ですら、思わず怯んでしまいそうになる。


 そんなダインに対し、多少の緊張は見えるものの、表情を変えずに刀を構えるエディ。

 エディが纏う魔力もまた、抜き身の刀のような鋭さを持っていた。


「……行くぞ」


「はい」


 ダインの言葉にエディが応じると、ダインの体が視界から消えた。

 目にそれなりの魔力を込めていたにも関わらず、視界にすら捉えることのできないスピード。


 そんなスピードでの斬撃に対し、エディはなんとか対応する。


ーーガキィーンーー


 刀はエディの右肩の上で交錯していた。

 私は、集中力を上げ、戦闘中と変わらないほどの魔力を目に込める。


 一撃目を止められたダインは、すぐに一歩後ろへ下り、そのままエディの左肩へ突きを放つ。

 集中力を上げたことで、視界に捉えることはできたが、私はその動きを、目で追うだけで精一杯だった。


 そんな鋭い攻撃を紙一重で躱すエディ。


「甘い!」


 そんなエディに対し、怒声を浴びせるダイン。


ーーザシュッーー


 次の瞬間、エディの右足は、大腿部からエディの体を離れ、体だけが後ろへ倒れる。


「ぐわぁぁ!!」


 悲鳴を上げるエディ。


 大量の血が吹き出すかと思われた瞬間、斬られたエディの傷跡と、体から離れた右足のそれぞれが、凍りつく。

 横を見ると、右手を前にしたカレンが氷の魔術でエディを凍らせたようだった。


「ぐっ」


 バランスを崩して尻餅をついたエディの首筋に、ダインは刀を添える。


「今の避け方はなんだ? 避けることに意識が行き過ぎて、体勢が崩れている。それでは次の行動に移れない。だから簡単に斬られることになる。身体が勝手に反射するのを、上手く制御しろ」


「はい!」


 ダインの言葉に素直に頷くエディ。


「リン殿。すぐに治療を。貴女に引き継ぐ前に、回避の仕方を叩き直さなければなりません」


 そんな様子を見ていた私は、思わずカレンにこぼす。


「こ、こんなの修行じゃない。ダインかお前かリン先生。誰かが少し誤れば後遺症を残すし、最悪命を落とす。お前は大事なあの奴隷が死んでも構わないの?」


 私の言葉に、カレンは苦笑を浮かべる。


「俺もそう思うがな。実際に痛みと恐怖を、体へ覚えさせることで、鍛えるらしい。まあ、実戦では確かにほんの一瞬の反応が生死を分けるのは間違いがない。後遺症が残る可能性は確かにあるが、その時は俺が死ぬまで面倒見てやる。もし死んだとしたら、その時は俺も一緒に死ぬだけだ」


 私は、その言葉を聞き、これ以上カレンに質問するのはやめた。

 その後も修行という名の実戦にしか思えない手合わせは続き、エディの四肢は幾度となく切り離され、その都度悲鳴と治療が繰り返された。


 四肢を切り離される痛みは尋常ではないはずだ。

 それを幾度となく、しかも毎日繰り返しているのだとしたら、いくら魔法で回復しているとはいえ、心身への負担は甚大だ。


 数時間そんな修行が続いた後で、修行は終わる。


「これからやっと私の時間ですね」


 笑顔で話すリン先生に、私は恐怖を覚える。


 人格を破壊されかねないほど厳しく激しい修行を数時間も繰り返した後で、リン先生の授業を受ける。

 そんなこと、できるわけがない。


 リン先生の授業も決して楽ではない。


 魔力が枯渇するまで魔力を練る必要があるし、高度な集中力も求められる。

 更には、魔力を高める為に、辛い精神修行まで行う。


 私も同じ授業を受けているが、正直、リン先生の授業だけでいっぱいいっぱいだった。

 とてもではないが、先ほどのダインの修行を受けた後で、リン先生の授業に耐える自信はない。


 エディのことを考えると、いつもは全身全霊をかけて、一言一句漏らさぬように受けているリン先生の授業に、今日は集中できなかった。


 リン先生の授業が終わり、食事と風呂を終えてあとはゆっくり過ごすだけだと思っていると、カレンが私の部屋を訪れた。


「一日はまだ終わっていない。これから続きをやるから見に来い」


 続き?


 私はカレンの言葉の意味が分からなかった。

 エディも私同様、リン先生の授業で魔力が枯渇しているはずである。

 まだ一割も回復していないはずだ。

 体も朝の修行で疲労困憊のはずだ。

 そんな状態で何の続きをするというのだ。


 カレンの後について、ダインが作らせた道場へ行くと、そこでは黙々と刀を振り続けるエディの姿があった。


 しばらく見ていると、ただ刀を振っているわけではなく、朝のダインの動きを思い出しながら動いているのがよく分かった。

 見えないダインの姿が浮き上がってくるかのようだ。


 二時間ほど刀を振り続けた後、今度は魔法式の構築を始めた。


 先ほどリン先生に教わった魔法式のようだった。

 魔力がほとんど込められていない分、正確さにこだわっているようだ。

 次々と構築される芸術のような魔法式。

 とても限界まで集中力を使い切った後のものには見えない。


 更には、魔力を高める為の精神修行まで行った後、エディは自分の部屋に戻っていった。


「この後は、部屋で書物を読んで勉強だ」


 カレンが私に告げる。


「……あの奴隷はこれを毎日?」


 私は思わず質問する。


「いや」


 私はカレンの言葉にホッと安心する。

 これを毎日繰り返しているのなら、エディは人間ではない。


「剣術の復習だけは数日おきに休む。休息も修行だと言って。他は毎日繰り返し、剣術を休む日には、その時間を魔法の訓練か勉強に充てている。今日は行わなかったが、二日に一回は俺との実戦訓練も行う」


 カレンはそう言うと、エディが戻って行った部屋の方へ、蕩けたような目を向ける。


「凄いだろ、エディは」


 カレンは私の目を見る。


「俺も昔はそれなりに自分を鍛えていた。だが、魔力も体力も精神力も、全てが人間より上回っている魔族の俺でさえ、エディほど厳しく自分を鍛えることはできなかった」


 そしてカレンは、上位魔族などではなく、ただの恋する乙女のように、優しく、美しい笑顔を作る。


「俺はそんなエディを心の底から尊敬し、心の底から惚れている」


 私はそんなカレンから目を逸らす。


「……今日は一日すまなかったわね」


 私はそれだけ言い残すと、その場を離れた。


 エディはきっと魔族ではない。

 誰よりも努力してその力を手にした、純粋な人間だ。


 私も、誰よりも努力しているつもりだった。


 リン先生の授業は、間違いなくどの魔法の先生より厳しい。

 その授業を何とかこなしているだけでも、王国の誰より努力しているつもりだった。


 私はその授業だけで満足していた。

 もっと努力している人間が、すぐ側にいるのさえ気付かずに。


 エディと私の差は、才能の差ではない。

 私の努力が足りないだけだ。


 自分の努力が足りないことに気付きすらせず、自分より頑張っている相手のことを魔族だなんて疑う私は、最低だった。


 最近、お父様が私よりエディの方を後継者にしたがっているのは、薄々感じていた。

 そんなお父様に怒りにも似た感情を抱いていたが、エディの努力と私の愚かな考えに気付いていたのなら、当然の判断だろう。


 私は下を向き、道場を後にする。


 自分の愚かさに気付き、けれども今後どうしたら良いかも分からぬまま……

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