第30話 英雄の娘③

 奴隷の女を貪り、力を増した魔族。

 もともと辛うじて私の方が優位だった実力は、明確に逆転されていた。


 それでも私は諦めない。

 勝敗は実力差が全てではない。

 実力が上の者に打ち勝ってこそ、成長することができる。


「……覚悟はできてるな?」


 漆黒の魔力を纏いながら、魔族はそう尋ねる。


 私は魔族の方を向き、剣に込める魔力の量を増やす。


「あなたの方こそ。あなたを滅した後は、あなたの大事なペットも殺すわ」

 

 挑発の為にそう言った私に対し、魔族はフッと笑う。


「覚悟はお前の父親に狙われた時からできている。まあ、万全ではないとはいえ、お前みたいなガキには、油断をしても負けないけどな。ただ……」


 魔族は奴隷の子供の方を向く。


「エディは俺のペットじゃない。心の底から信頼できる、俺の大事な配下だ」


 私は魔族の言葉に動揺する。

 魔族の目は嘘を言っているようには見えない。

 強い信頼で結ばれた主従にしか見えない。


「奴隷契約で縛っておきながらよく言うわ。魔族の癖に人間のような台詞を語るなんて、気分が悪い。すぐに退治してあげる」


 私はそう返すのが精一杯だった。

 いい魔族なんているわけがない。

 魔族と人間が信頼関係で結ばれることなんてあり得ない。


 私は光の剣を構える。


「悪いが、それは無理だ。これまでは一人だったが、今の俺は一人じゃない。エディを守るためにも、俺は負けるわけにはいかない」


 魔族も、その体を纏う魔力の濃度を高める。


「滅びなさい!」

「食らえ!」


 光の剣を片手に、私は全速で駆ける。

 そんな私に対し、魔族は無詠唱で風の槍を放つ。


ーーシュッーー


 音を立てて近づく風の槍を、私は必要最小限の動きで躱す。

 走りながらでは完全には避けきれないことは分かっていたが、それよりも今は、距離を詰めることを優先したかった。

 無詠唱で強力な魔法を唱えてくる上位魔族相手に、中級魔法までしか使えない私では、遠距離戦では不利だ。

 風の槍は私の左脇腹を僅かに掠める。


 激痛が走ったが、痛みを我慢し、魔族に向かって駆けた。

 駆けながら、剣に込める魔力の量を限界まで増やし、体重を乗せた一撃を見舞うために、反撃のリスクを追いながらも跳躍。

 右手で剣を振りかぶると、横薙ぎに魔族を薙ごうとした。

 しかし……


ーーガキンッーー


 その剣は魔族の右手の前に張られた魔力の壁に、あえなく防がれる。


 防御されることは分かっていたが、スピードを乗せ、全魔力を込めた渾身の一撃を、こうも容易く止められるとは思っていなかった。


 そのまま剣を弾かれた私は、空中でバランスを崩す。


「しまっ……」


 なんとか体制を立て直そうとする私に、魔族は左手を向ける。


「食らえ」


 無防備になった私の腹部に、魔族は風の槍を放つ。

 私は咄嗟に左手で魔力の壁を張るが、上位魔族の魔法を受けるには、魔力を込めきれていない。

 直撃は免れたものの、衝撃を殺しきれず、後ろに吹き飛ぶ。


 圧倒的な実力差。

 たった一人、人間を食べただけでここまで変わるのか。


 魔族は右手を私の方に向ける。


「終わりだ」


 魔族の右手に魔力が収束する。

 渦巻く禍々しい魔力を見るに、次の一撃は、恐らく上級魔法以上。

 食らえばひとたまりもないだろう。


 それでも私は諦めない。

 よりにもよって魔族なんかに殺されたりはしない。

 心臓が鼓動を止めるその時まで、私は諦めたりなんかしない。


 なんとか打開策を模索していた時、魔族の手が止まり、その視線が子供の方に向けられた。


「この子供を殺されたくなかったら、大人しく降伏しなさい」


 そこには、全く気配を感じさせないまま、いつのまにか子供の奴隷の背後に回っていた刀神ダインの姿があった。






 ……そして私は助かった。


 ダインと、その後現れたお父様のおかげで。


 ダインが助けに現れた時、人間の奴隷なんて人質の価値などないと思って見ていたのだが、なんと、魔族は降伏してしまったのだ。


 魔族にとって人間など餌に過ぎない。

 にも関わらず、魔族は人間の奴隷を見捨てることができなかった。


 私は混乱していた。


 魔族は悪だ。

 人間の天敵だ。


 だが、この場にいる魔族はおかしい。

 これでは人間と変わらない。


 さらに私に衝撃が走る。


 ダインが奴隷の子供を預かりたいと申し出たのだ。


 私は何度もダインの弟子にして欲しいとお願いしてきた。

 だが、どれだけ頭を下げても、ダインが私を弟子にすることはなかった。

 同年代の誰より強くなっても、年上の貴族や兵士にも負けない実力をつけても、ダインは私に剣を教えてはくれなかった。


 そんなダインが、会ったばかりの奴隷の子供を自分の弟子にしたいと言う。

 私はその事実を認められなかった。

 思わず口を開いてしまう。


「何言ってるの? いくらダインでも、そんな願いは聞けないわ。魔族も、魔族に与した人間も、どちらも殺すべきよ」


 そんな私をダインは、蔑むような目で見る。


「貴女は自分に土を付けたこの二人が許せないだけでしょう? それとも、この魔族を殺して手柄を自分のものにしたいのですか? いずれにしろ、私が仕えているのは貴女ではなく、アレス様です。貴女の指示を聞く必要はない」


 図星だった。

 魔族はともかく、奴隷の子供を殺すべきだという私の意見に、自らが敗れた屈辱の気持ちがなかったかと言われると、確信を持ってノーとは言えない。


 その後、奴隷の子供を絶賛するダインの言葉を、私は悔しさと恥ずかしさで、まともに聞くことが出来なかった。


 しばらく奴隷の子供を褒め讃えた後、魔族の処遇の話になり、ダインが言葉を続ける。


「魔族は殺します。今の状態なら瞬殺できますが、十分に人間を食べた時のこの魔族の力は侮れません。この子供も、今は納得できなくても、しばらく月日が経てば、自分がどれだけ間違っていたか分かることでしょう」


 ダインの判断は当然だと思った。

 だが、その言葉を受けた魔族の反応は当然ではなかった。


「良かったな。俺以外にもお前を認めてくれる奴が見つかって。俺のことなら気にするな。この数日は人生で一番楽しかった。最期にいい思い出ができた」


 自らの死に対して何の憂いも感じさせず、残される奴隷の子供の幸せを願うその姿からは、慈愛すら感じた。

 私は不覚にも、その魔族の笑顔を美しいと思ってしまった。


 そんな魔族を生かすべく、奴隷の子供は提案する。


「グレン様を俺の奴隷にします。あなた達が俺のことも信用できないというのなら、俺のことをあなた達の奴隷にしてくれても構いません。奴隷契約の魔法なら、相手を縛れる。問題ないはずですよね?」


 奴隷の子供の言いたいことは分かる。

 だが、相手は誇り高き上位魔族だ。

 私はここで、少しだけ冷静さを取り戻して口を挟む。


「子供だから分からないだろうけど、魔族っていうのは、誇りで生きているような種族なの。人間の、しかも自分より弱い子供の奴隷になることなんてないわ」


 奴隷の子供はそんな私の言葉には何の反応も見せず、お父様とダインの表情を伺う。


「奴隷になると言うのなら、確かに安全は確保できます。私としては異存ありませんが」


 ダインはそう言ってお父様の意見を伺う。


「確かにそうだな。周りから批判は出るだろうが、奴隷ということなら抑えられないレベルではないだろう」


 お父様は奴隷の子供の方を向く。


「ただ、正直、私はまだ君のことがよく分からない。君のことを信用できるようになるまで、君とも奴隷契約を結ぶということで良ければその条件を飲もう。だが……」


 お父様は、今度は魔族の方を向く。


「私の娘が言う通り、上位魔族であるこの子が、君の奴隷なんかになるのかな?」


 子供の奴隷は魔族の方を、懇願するような目で見る。


「グレン様。俺の奴隷になってくれませんか? 俺は貴女と生きたい」


 上位魔族が人間の奴隷になんてなる訳がない。

 半ば確信を持って私はそう思った。

 だが……


「いやらしい命令は出すなよ」


 魔族は笑いながらそう言うと、奴隷の子供が差し出した右手を両手でしっかり掴んだ。


「命令じゃなく、お願いならするかもしれません。大人の姿になったグレン様、魅力的すぎるから」


 魔族は、子供の奴隷の右手からパッと両手を離すと、胸を隠す。


「お、お前がもっと魅力的な男に成長したら考えてやる」


 赤くなった魔族と、子供の奴隷が、微笑み合いながら見つめ合う。


 私は自分の中の魔族像が崩れて行くのを感じた。

 これでは、本当に人間と変わらない。

 魔族という種族は全てが悪ではないのかもしれない。

 そんな私の思いは声となって漏れ出す。


「あ、ありえない……魔王から直接名をもらった上位魔族が、人間の、しかも奴隷身分の奴の奴隷になるなんて……」


 そんな私に、魔族はトドメとなるような言葉を突き刺す。


「ふんっ。人を見る目のないガキが。エディは俺が認めた人間だ。魔族が人間に仕えないのは、人間の中に、仕えるに値する奴がいないからだ。仮にお前に仕えることが条件だと言われたら、全魔力をもって死ぬまで戦うか、首を切って自害してやる」


 私は何も言い返せない。

 ダインにも、魔族にも、私は奴隷の子供より劣っているという事実を突きつけられた。


 誰よりも血筋に恵まれ、誰よりも努力してきたはずなのに。

 私はまともな教育すら受けていないであろう、奴隷の子供にすら劣っている。


 その衝撃は、私の心を折るには十分だった。


 そんな私の頭をお父様がぽんぽんと軽く叩く。

 普段なら嬉しく感じるその行為も、今の私には惨めさを強調する鞭でしかなかった……


 その後、奴隷にするための契約を始めるお父様達。

 その様子は、憎き魔族に対するものではなく、仲の良い知り合いとのやり取りのように和やかだった。


 そしてそれは、私にとって許しがたいものだった。


「まあ、何にしろ、無事奴隷契約は終わったようだな。よかった、よかった」


 契約が終わり、そう言ったお父様を私は睨む。


「何もよくありません、お父様。お父様はなぜ、憎き敵である魔族の前でヘラヘラしているのですか? 魔族にお母様を殺されたのをお忘れですか?」


 お母さんが殺されたときの様子が頭に浮かぶ。


 魔族の手の中で脈打つお母さんの心臓が。

 血だらけの馬車の中が。

 何もできなかった自分の無力さが。


 頭の中でフラッシュバックする。


 私の言葉に、お父様は真面目な顔をした。

 私は言葉を続ける。


「被害を抑えるため、情報を引き出すため、奴隷にするのはまだ許せます。でも、馴れ合うのは許せない」


 私は魔族と奴隷の子供を憎しみを込めて睨む。


「私は認めない。卑しい奴隷が十二貴族の筆頭たる我が家に取り入るのも、憎き魔族と馴れ合うことも」


 そんな私にお父様は、普段からは考えられない程、厳しい目で私を見る。


「認める認めないを決めるのは、レナじゃない。この家の当主たる私だ。私は身分に関係なく、優秀なものは重用する。奴隷制度など、廃止したいと考えている。奴隷だろうが、このダインが認めた者を重用しないという選択肢はない」


 お父様はそう言うと、子供の奴隷を見てニッと笑う。


「それに、魔族だといっても全てが悪というわけではない。人間にだって人を殺す悪人はいる。魔族にだって飢えを我慢しながら人殺しを避けている者もいる。魔族は強力な力を持っているから、裏切りを考慮すると無条件に認めるのは難しいが、奴隷として安全が担保されている者まで敵対視する必要はない。母さんを殺したのは確かに魔族だ。だが、母さんを殺したのが人間だったら、レナは人間全てを滅ぼすのか?」


 お父様は鋭い目で私を見る。


「レナにはレナの考え方があるのは分かる。だが、レナは私の跡取り候補の筆頭だ。私の考え方が理解できないなら、私はレナを跡取りにするわけにはいかない。レナは私が言っていることが分からない子じゃないよな?」


 お父様が言っていることは分かる。

 頭では分かる。

 この魔族が、本当は人間と変わらないだろうことは、分かっている。


 でも感情が許さない。

 奴隷を認めることはともかく、魔族のことは絶対に許せない。


 でも、この場で何を言っても意味がない。

 お父様がそう言った以上、間違っているのは私なのだから。


 私は、悔しさに涙も我慢できないまま頷く。


「それなら一度考えて見てくれ」


 私はもう一度頷く。



 そして話は、私が殺した子供の奴隷の母親に移る。


 形見を拾い、項垂れる奴隷の子供にお父様が頭を下げる。


「君のお母様のことは本当にすまない。レナの修行のつもりでグレン君に挑ませたのだが、まさか無抵抗の人間を真っ先に殺すとは思わず、助けに入るタイミングを見損なってしまった。許してくれとは言わない。だが、償いとして君達二人の身分の保証は責任を持って行わせていただく」


 この件に関しては、結果的に私が悪い。

 なんの力もない人間を、リスク回避のためだけに殺してさしまったのだから。

 私がもっと場数を踏んでいて、相手の危険度をしっかり見抜けていれば殺す必要はなかった。

 

 そんな私を、子供の奴隷は睨みつける。


 私は思わず、逃げるように視線を逸らした。

 この子供の奴隷にとっての私という存在は、私にとっての魔族になっていてもおかしくないのだから。


 そんな私を見たお父様が項垂れる。


「レナにはよく言って聞かせる。そして、しっかり謝罪させる。今、無理やり謝らせることはできる。だが、心のこもっていない謝罪など、意味がないし、君に対して失礼だと思う。親の責任として理解させるから、少しだけ時間をくれないか?」


 お父様にこんなことを言わせてしまうのは心の底から申し訳なかった。


 謝らなければならないのは分かっている。

 でも、私にはそれができなかった。

 人間として間違っているのには気付きながら……


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