第29話 英雄の娘②

 私が姿を見せると、紅蓮の瞳に牙を生やした、私より少し年上の少女が、声を上げる。

 禍々しい魔力から、この少女が魔族だと一目で分かる。


「お前は逃げろ!」


 魔族の叫びに反応し、二十代半ばくらいの女性の額で奴隷紋が光り、そのまま女性が逃げようとする。


 逃げる女性からは、何の魔力も感じない。

 だが、上位魔族が食事にせず、わざわざ奴隷にして飼っている人間だ。

 何かしらの能力を持っていて、離れたところから攻撃されるとまずい。


「魔族の奴隷か。気持ち悪い。逃がすわけないでしょ」


 私は後顧の憂いを断つべく、女性に向かって魔法を放つ。


「風よ。悪しきを貫く槍となれ。『風槍』」


 私が放った風の初級魔法は、逃げようとした女性の胸を貫く。


 初級魔法とはいえ、人並み以上の魔力を持つ私が放ったものだ。

 耐性のない人間の体など、簡単に貫く。


 胸を貫かれた女性は、血を撒き散らしながら床に倒れた。

 何か呟いたようだったが、よくは聞こえない。


 人を殺すのは、これが初めてだった。

 いくら敵とはいえ、いい気持ちがするのではない。

 だが、魔族に与する人間は、殺しても罪にはならない。

 罪でないなら、間違った行動ではない。

 私は気持ち悪さを飲み込みながら、魔族の方を向く。


 そこには呆けたように手を前に出す魔族の姿があった。

 その様子はさながら人間のようだ。


「お前ぇぇぇ!」


 そんな私達の横で、人間の子供が叫んでいた。

 仲間が殺されたことで、激昂しているようだ。

 人間の裏切り者であるにも関わらず、仲間の死に対する怒りの感情は持ち合わせているようだ。


 私に飛びかかろうとする子供を、魔族が抑える。

 飛びかかってきていれば、もう一人の人間と同じ姿になっているところだったから、命拾いをしたにも関わらず、子供はなおも激昂する。


「邪魔するな! 放せ!」


 上位魔族相手に、明らかに失礼な態度をとる子供。

 間違いなく殺されるだろうと思って見ていたが、魔族が何かを話すと、子供は大人しくなり、私が殺したもう一人の人間の元へと歩いて行く。


 何のつもりかは知らないが、今は戦闘中だ。

 いくら仲間が死んだとはいえ、敵である私に隙を見せていい場面ではない。

 結果的に、魔族の実力を警戒していた私は、攻撃できなかったのだが。


「今のを見て背中を見せるとはいい度胸ね」


 私はそう言って、子供に右手を向ける。


 だが、子供は私に一瞥だけくれると、死体のもとへ、そのまま歩いていった。


 戦闘中である以上、私が見逃す理由はない。

 『風槍』を発動しようと魔力を込めると、子供と私の間に、いつの間にか魔族が立っていた。


「親子の最後の別れにも水を差すとは、貴様らの神は、自分の子らに、随分な躾をするものだな」


 親子という言葉に、私は魔族に殺されたお母様を思い出す。


 私が殺した女は、この子供の母親だったようだ、

 私は、この子供の母親の命を、子供の目の前で奪ってしまったのだ。

 私のお母様を殺した魔族のように。


 私は、胸元の十字のネックレスを握りしめる。

 敬虔な信徒であるお母様から頂いた、大事なネックレスを。


「くっ……どうせすぐに後を追いかけることになるんだから関係ないわ」


 私は動揺を見せないように、そう言った。


 だが、口とは裏腹に、私は子供に対して何もできない。

 母親に最後の別れを告げる子供の背中を後ろから撃ち抜くことができない。


 そんな私を前に、さらに驚くべき言葉が聞こえてくる。


「俺が時間を稼ぐ。お前は母親の体を持って逃げていいぞ」


 餌か手下に過ぎないはずの子供に向かって、魔族がそう告げる。


「何を言って……」


「こいつは俺を狙っている十二貴族の娘だ。その十二貴族やその部下達に鍛えられたこいつは、正直今の状態の俺より強いだろう。今の精神状態のお前は戦力として考えられない。それなら逃げてもらった方が邪魔にならない」


 そんな魔族に対し、子供は反論する。


「それじゃあ、グレン様がやられてしまうじゃないですか!」


「勝負に絶対はない。俺が勝つ可能性もある。それに……」


 魔族は微笑みながら言葉を続ける。


「俺が死んだ方が、お前は奴隷から解放されていいじゃないか」


 私は目の前の出来事が分からない。


 人間の敵。

 残虐非道。


 そんな存在であるはずの魔族の言葉の意図がわからない。


 私が動揺を何とか表に出さないようにしていると、子供が立ち上がり、魔族の前に出る。


「何だ?」


 魔族が怪訝そうに聞く。


「グレン様は、人間を食べると力が増すんですよね? それなら……」


 子供は言葉を続ける。


「母さんを食べてください」


 魔族は目を見開き、言葉を発した子供を見る。

 私は子供の言っていることの意味が分からない。


 愛する母親を魔族の餌にする?


 ありえない。

 そんなありえないことをする意味が分からない。


「な、何を馬鹿なことを。お前にとって母親は何より大事だったんだろ?」


 子供は頷く。


「何より大事でした。でも、母さんが死んだ今、俺にとって何より大事なのはグレン様、貴女です」


「……えっ?」


 魔族がたじろぐ。


「俺が時間を稼ぎます。ただ、長くは稼げないと思いますので、急いでお願いします」


 魔族は何かを言いかけて、やめる。

 子供の目を、その覚悟を見て、言葉を発するのをやめる。


「……死ぬなよ」


 それだけ言うと、魔族は女の奴隷の死体のところへ行き……そして食べ始める。


「俺が相手だ」


 私の前に立ち、私を睨む子供の奴隷を前に、私は思考を整理しきれない。

 仕方なく私は口を開く。

 そんなことはないと分かりながらも、その気持ちを否定したくて口を開く。


「あなた、そこの魔族が怖くて味方してるだけなんでしょう? 助けてあげるからすぐにそこを退きなさい」


 奴隷の子供は微動だにせず答える。


「グレン様に味方するのは俺の意思だ」


 私は動揺を隠すため、わざとため息をついたそぶりを見せる。


「せっかく子供だから助けてあげようと思ったのに。やっぱり育ちが悪い奴隷は頭が悪いのね」


 私は何も考えないようにして、腰の剣を抜く。


 ……考えたらきっと、戦えなくなる。


 私は体に、そして手に持つ細剣に、魔力を満たす。


「一瞬で終わらせてあげる」


 相手は私と同い年くらいの奴隷の子供。

 英才教育を受けている貴族の中にも、私と同じレベルで戦える子供はいない。


 慢心ではなく、圧倒的な実力差があるはずで、言葉通り一瞬で楽にしてあげるのが、せめてもの情けだと思っていた。


 ……奴隷の子供の魔力を見るまでは。


 臨戦態勢に入った奴隷の子供は、体から魔力を放出し始めた。

 教育など受けられないはずの奴隷が、魔力を使えること自体、すごいことだが、問題はその量と質だ。


 まるで魔族のもののような禍々しい魔力。

 そして、何よりその放出量は私のものを超えていた。


「な、何、その魔力量は?」


 お父様の血と英才教育、そして誰にも負けない努力。

 それらが揃った私を凌駕する魔力を持つ人間の子供など、存在するはずがなかった。


 総量では負けているはずがない。

 きっと、漏れ出る魔力が多くて燃費が悪いだけだ。

 だが、そう思いながらも、焦りは隠せなかった。


「く、来るな!」


 上ずった声を上げながら、私は奴隷の子供に向かって右手を伸ばす。


「か、風よ! 悪しきを貫く槍となれ! 『風槍』」


 焦って放った魔法は、いつもより威力も精度も低かった。

 それでも人間一人の体を貫くには十分なはずだった。


 回避か、魔法障壁を張るか、同等以上の魔法で相殺するか。

 私ならいずれかの手段をとるが、奴隷の子供のとった行動はそのどれでもなかった。


 奴隷の子供は、右手を前に差し出すと、風の槍に向かって、その禍々しい魔力をそのまま放出した。

 魔力は、属性を纏わせ、呪文によって指向性を持たせ、魔法という形を取ることで、その威力を飛躍的に増大させる。


 属性も持たせず、呪文も唱えずに放出された魔力なんて、そよ風みたいなものだ。

 そのそよ風みたいな存在のはずの魔力は、私の放った風の槍と逆方向に渦巻きながら風の槍にぶつかる。


ーーブワッーー


 ぶつかった瞬間、風の槍は霧散して消えた。


「なっ!」


 驚愕のあまり、私は思わず声を漏らす。


「ば、馬鹿な。魔力による魔法の相殺など……」


 ありえない。


「魔力量に相当な差がなければ、ただの純粋な魔力で魔法の相殺などできないはず。私は、この国で一番血筋に恵まれ、誰よりも厳しい訓練を行ってきたわ。同年代で私より魔力量が多い人間などいない。まさか魔族が人間に化けてるの?」


 私は自分に言い聞かせるようにそう口に出した。

 もし相手が魔族だとしたら、莫大な魔力も、無詠唱かつ純粋な魔力のみで、私の魔法を相殺した理由も分かる。


 相手からの返答はない。

 返答がない以上、最悪を想定して戦うしかない。


「それならそれで戦いようはある」


 放出系の魔法が相殺されるなら、相殺されない方法を取ればいい。

 私は、手に持つ剣へ、さらなる魔力を込める。


「剣よ。その身に光を宿し、闇を切り裂く灯火となれ。『烈光剣』」


 光の中級魔法により、剣が輝く。


 剣に魔力を留めてしまえば、相殺はできない。


「滅ぶがいい」


 私は自分自身を鼓舞するためにも大仰な言葉を吐きながら剣を振り上げる。


 魔力で動きを強化した私の攻撃を、相手は躱す。


ーーブォンーー


 剣は、空を切ったが、動きは私の方が上だ。

 そのまま斬り返し、二太刀目を振るう。

 二太刀目も、後ろに大きく跳躍することでギリギリ躱されたが、相手の背中は壁にぶち当たっていた。


 この機を逃してはならない。

 私は三メートルほどの距離を一歩で跳躍して詰め、横薙ぎに首を狙う。


 その攻撃も紙一重で躱されたが、相手は大きく体勢を崩している。

 私はトドメを刺すべく、光の剣を上段に構える。


「滅びなさい」


 そのまま剣を振り下ろそうとした瞬間、私は魔力の塊が迫ってくるのを感じ、後ろに跳んだ。


 そんな私の目の前を、風の槍が通り過ぎる。


ーーシュッーー


 音を立てて通り過ぎた風の槍は、壁を貫いて外へと消えていった。


「よく耐えた」


 口から血を滴らせる悍ましい姿をした魔族は、そう言いながら口元の血をぬぐい、奴隷の子供に手を差し伸べる。


 少女から女性と言って差し支えない姿になった、悍ましくも美しい魔族は、奴隷の子供の頭を撫でる。


「あとは任せろ」

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