第25話 貴族の奴隷⑨

 追手の五人を倒した俺達は、再び逃げる前に、カレンに五人の死体を食べさせることにする。


 魔法には攻撃だけでなく、様々なものがある。

 俺はまだ戦闘に関する魔法しか使えないが、指定した相手の居場所を把握する魔法もあるかもしれない。


 五人の追手の誰かにその魔法がかけられていたとすれば、今後、より強力な追手が来る可能性もある。

 死体の隠滅と、強敵に備えたカレンの強化のためにも、食事は必要だった。


 カレンの食事の間、俺は地面に放置していたレナを抱き抱える。

 こちらの世界の母さんを殺した憎い相手ではあるが、俺とカレンに、ひと時とはいえ居場所を与えてくれた恩人の願いだ。

 ある程度安全だと思えるところまでは無事に連れて行ってやらなければならない。


 しばらくすると、食事を終えたカレンが、血だらけの口をぬぐいながらこちらへ歩いて来る。

 カレンの体はさらに成長し、完全に大人の女性となっていた。


「……待たせたな」


「い、いや」


 成長し、大人の魅力を漂わせているカレンから、つい目を逸らしてしまう。


 そんな俺を見たカレンは誤解したようだ。


「……すまない。やはり同族である人間を食べる魔族には抵抗があるよな」


 カレンは俯く。


「いや、それは俺が言ったことでもあるし、気にはしていない。俺自身、人間として何も思わないどうかとは思うけど」


 俺は多分おかしいのだろう。

 普通の人間からすると、裏切り者だと思われても、何も言い返せない。

 実際、世界中全ての人間とカレンを天秤にかけるとしたら、俺は間違いなくカレンを選ぶのだから。


「それじゃあ何で……」


 カレンはそう言いかけて、自分の胸を見る。

 俺の視線もカレンにつられて、カレンの胸に行く。

 五人もの人間を食べたことで更に成長し、大きく膨らんだ胸は、張り裂けんばかりだった。

 はっ、と俺の目線に気付いたカレンは、両手でさっと胸を隠す。

 俺は再度慌てて目を逸らす。


「た、確かにプロポーズはしたが、エディはまだ子供だし、私も心構えというものが……」


 完全に誤解されている。

 いや、完全には誤解ではないのかもしれない。


「と、とりあえず食事が終わったならこの場を離れよう。次の追手が来るかもしれないし」


 俺はとにかく誤魔化し、話を有耶無耶にすることにした。


「そ、そうだな」


 カレンの方も、これ以上話すのは抵抗があるようで、何の異論もなく、俺の案に乗った。


 俺とカレンは、五人の装備から役に立ちそうなものと換金できそうなものを拾い、残りを土魔法で隠して、その場を離れた。


 元の世界なら強盗殺人で極刑にされそうだが、背に腹は変えられない。

 これからどれだけ逃亡生活が続くか分からないのだ。

 備えはあってありすぎることはない。


 行くあてのない俺とカレンは、とりあえずカレンがもともと住んでいた家へと向かう。


 その先はレナも交えて話をすることにしよう。

 はぐれ魔族のカレンや、この世界に来たばかりの奴隷の俺には、どこに逃げればいいのか分からない。

 レナにもそれくらいは役に立ってもらわなければ。


 その後は何もなく、カレンの家には無事に着いた。

 俺たちが殺した五人の追っ手は、それだけの信頼を受けていたのだろう。

 他の追っ手は必要ないと思われる程に。


 確かに、一ヶ月前の俺たちだったら、間違いなくやられていた。

 それくらいの実力を持った相手だった。





 一ヶ月半前まで住んでいた家は、特に荒れることもなく残っていた。

 他に何もない山の中にある家だ。

 野生動物以外、周りを誰かが訪れることもなかったのだろう。


 この家を見ると、どうしてもこの世界の母さんのことを思い出してしまう。

 元の体の持ち主の記憶と、短いながらも今の俺自身の記憶。

 どちらの記憶の中でも、母さんの存在は特別だった。


 背中に背負っていたレナをベッドに寝かせ、母さんが殺された辺りを眺めていると、カレンがそっと手を握ってくれた。


「ありがとう。でも大丈夫だ。今の俺にはカレンがいるからな」


 俺の言葉を聞いたカレンは、寂しげに微笑んだ後、真面目な顔をする。


「エディの母親の分まで、私がエディを愛そう」


 俺がそんなカレンに返事をしようとすると、後ろから声がした。


「……穢らわしい」


 言葉を発したのは、レナだった。

 直立してこちらを見ているレナを、俺は睨む。


「……目が覚めたのか」


 だが、レナはそんな俺と普通に会話する気は無いらしく、俺を睨み返す。


「なぜ逃げたの?」


 その物言いにムッとしたが、言い争っても不毛なだけだと判断した俺は、仕方なくレナの質問に答える。


「俺たちがいても、大した役には立たない。それに、お前を逃がすことが、アレス様の願いだった。奴隷である俺は、その命に逆らえない」


 俺の答えを聞いたレナは、苦虫を噛み潰したような顔をした後、唐突に涙を流す。


「……そのせいでお父様は亡くなってしまった。何より大事なお父様が……」


 俺はそんなレナに言い返す。


「確かに不利な状況だったが、俺たちがいたところで大勢には影響がない。それに、死んだかどうかは分からないだろ」


 しかし、レナは首を横に振る。


「ダインとリンは分からないわ。……でも、お父様は恐らく亡くなられた」


「……なぜ分かる?」


 レナは涙を拭い、真っ赤になった目で俺を見る。


「お父様の権利が全て私に引き継がれたわ。十二貴族家の伝統魔法で、自分が死ぬか、もしくは間違いなく死ぬことを覚悟した時は、その後継者へ全てが引き継がれることになっている。領地の所有権も、配下の指揮権も、全てが私に引き継がれた」


 レナはそう言って下を向く。

 レナからはいつもの覇気が感じられない。

 生意気ではあるが、常に前を見据えているのがレナだったはずだ。


「……気持ちは分かる。だが、今は俺たちが生き延びることを考えよう」


 そう言って慰めの言葉をかける俺の胸ぐらを、レナが掴む。


「気持ちが分かる? 奴隷風情に何が分かるの!?」


 そんなレナの腕を、今度はカレンが掴む。


「分かるさ。同じく親を失ったばかりのエディならな」


 カレンの言葉を聞いたレナは、はっとなる。

 俺の母親を殺したことを思い出したようだ。

 人の親を殺しておいてそのことを忘れるなんて、つくづく救いようのないやつだとは思うが、今はそんな奴でも頼らざるを得ない。


「ありがとう、カレン」


 俺はカレンに礼を言い、このままではレナの腕を握り潰しかねないカレンの手を、そっと離す。


「今のは水に流してやる。まずは逃げるぞ。いつまでもこんなところにいたら、俺たちまで殺されてしまう。この中で一番逃げ道に詳しそうなのがレナだ。意見を聞かせろ」


 レナはそんな言葉をかける俺を睨みつける。


「奴隷の分際で私に指図しないで。逃げる? 馬鹿なことを言わないで。これからやることは、お父様の仇討ちに決まっている」


 俺は呆れる。


「敵討ちなどできるはずがないだろ。圧倒的に強いアレス様に、ダイン師匠とリン先生までいて勝てなかったんだ。俺たち三人で相手になるはずがない」


 レナはなおも俺を睨み続ける。


「できるできないじゃない。やるのよ」


 俺はこれ以上話しても無駄だと思い、レナから目を切り、カレンの方を向く。


「こいつの自殺行為には付き合えない。俺たち二人で逃げる方法を考えよう」


「そうだな」


 だが、そんな俺たちに対し、レナは不敵な笑みを浮かべる。


「あなたたちだけ逃げるなんて、そんなことを許すはずないでしょ」


 俺はそんなレナを一瞥する。


「許すも許さないも、お前には俺たちを縛る権限も力もない。今なら俺一人でもお前には負けない」


 そんな俺の言葉を聞いたレナは冷笑を浮かべる。


「そうでしょうね。何と言っても、我が家に伝わる秘術を掠め取ったのだから」


 レナの言葉に、俺は少しだけ動揺する。

 カマをかけたわけではないだろう。

 レナの目は確信に満ちていた。


 隠すのは得策ではないと思った俺は、事実を話す。


「掠め取ったわけではない。アレス様が俺のことを認めてくださっただけだ。だが、なぜ分かった?」


 レナは相変わらず冷笑を浮かべたまま答える。


「私が引き継いだ権利の中に、秘術の権利がなかった。私以外で権利を引き継ぐ機会があった者は、最後に何かしらの加護を与えられたお前しかいないわ」


 言われてみればレナにはバレて当然だ。


「確かに秘術は引き継いだ。だが、どうしても返せと言うのなら返してもいい。俺とカレンはこれから先、静かに暮らせれば、それでいいからな」


 俺の言葉に、レナはやっと冷笑をやめる。


「できることならやっているわ。でも、秘術は心の底から認めた相手にしか引き継げない。あなたは私のことを認めていないでしょ?」


 俺は答えない。

 だが、その沈黙をレナは是と受け取ったようだ。


「奴隷に見下されるなど屈辱以外の何物でもないわ。でも、秘術のことがなくても、あなたが力を持っているのは認めざるを得ない。その力、私のために使うことを許しましょう」


 俺は、偉ぶったレナの言葉に呆れ返る。


「なぜ俺がお前のために尽くさなければならない? アレス様には恩がある。だが、その恩はお前を逃したことで返した。無謀な敵討ちなど、恩返しでもなんでもない。俺はカレンと暮らす。この先、お前が敵討ちをするのは勝手だが、俺たちを巻き込むな」


 俺の言葉にレナは再度冷笑を浮かべる。


「立場が分かっていないようね。……跪きなさい」


 レナの言葉に、俺の体は俺の意思に反して跪く。


「なっ……」


「さっき言ったでしょ? お父様から全ての権利を引き継いだって。当然、奴隷の所有権も引き継いでる」


 俺は跪きながらも、レナを睨みつける。


「あなたは使えるから生かしてあげる。でも、魔族は別。お母様を殺した魔族と一緒にいるなんて、吐き気がする」


 レナはカレンを見る。


「あなたに最初の命令を与えるわ。そこにいる魔族を……」


 俺はレナが何を命令しようとしているか分かった。


 ……俺にカレンを殺させようとしている。


 愛する母さんの命を奪ったこの女は、今度は一生を共に過ごすと誓ったパートナーの命を、俺の手で奪わせようとしている。

 カレンはきっと、抵抗することなく、俺に殺されるだろう。

 考える時間はない。


「カレン! 俺のことは忘れて、遠くへ逃げろ!」


 レナが命ずるより早く、俺はカレンにそう命じた。


「エディ、私は……」


 何かを言いかけたカレンは、額を光らせて、家を飛び出していった。

 悲しそうな瞳で俺を見た後、飛び出していった。


 別れを告げる間も無く、愛するパートナーと切り離された。

 それはあっけない出来事だった。


「逃したか。まあいいわ。魔族狩りは、敵討ちの後、いくらでもできるし」


 そう言いながら、カレンの去っていった方を見つめるレナを、俺は背後から睨みつける。


 最近はほとんど思い返すこともなかった、この体の過去の記憶が、この女を殺そうと動き始める。


 この女は、母さんの命を奪っただけでは飽き足らず、俺とカレンの将来までも奪った。

 俺から二度も愛する人を奪ったこの女を、許せるはずがなかった。

 恩人であるアレスを謀殺した十二貴族なんかより、この女の方がよっぽど憎かった。


 レナがこちらを振り返る。


「私のことが憎くて仕方がないって顔をしてるわね。でも、あなたは何もできない。ここから逃げてあの魔族を追いかけることも。私に歯向かうことも」


 レナは笑みを浮かべる。

 元の世界で俺に嫌がらせをしていた奴らと同じ、醜い笑みだった。


「せいぜい私に尽くしなさい。いい働きをすれば、貴族に身分を上げてあげる。もっとも、一生私の奴隷なのは変わらないけどね」


 俺はレナの笑みを見て、今後の行動の方針を固めた。


 敵討ちには最大限付き合う。

 アレスを陥れた奴らが憎くないわけではないからだ。

 それにアレスを陥れた奴らは、会話の内容から察するに、恐らく俺と同じ転生者だ。

 俺の知らない情報を持っているかもしれない。

 一人くらい捕まえて、洗いざらい情報を吐き出させたい。


 その上で、レナは殺す。

 信頼を勝ち取り、そして殺す。

 奴隷契約魔法の穴を見つけ出し、必ず殺す。


 殺した後は、カレンを見つけ出し、カレンと暮らす。


 その為に今は、軽率な行動は控えなければならない。


 今すぐにでも殺してやりたい女ではあるが、しばらくは役に立ってもらわなければならない。

 殺すのはその後だ。


 俺は立ち上がり、レナを見る。

 睨みつけたくなるのを我慢し、怒りの感情を心の中へ押し込めて。


「こうなった以上は、貴女に尽くします。何なりとご命令ください」


 やっと見つけたやすらげる居場所を。

 その居場所を与えてくれた恩人を。

 尊敬できる、剣と魔法それぞれの師を。

 一生を共に過ごすと誓った最愛のパートナーを。

 もうすぐ得られるはずだった自由を。


 この日俺は全て失った。

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