第26話 エピローグ ある魔族
もともとは、どこにでもいる普通の魔族だった。
両親は共に上位魔族で、その子であるその魔族も、将来を嘱望されていた。
膨大な魔力に、類い稀な戦闘技術。
魔法の実力も優れていた。
力の源泉となる人間を、満足できるまで食べ、どんどん力をつけていった。
魔族の寿命は長い。
百歳でやっと独り立ち。
二百歳で一人前。
四百歳まで生きればその存在が重宝され始める。
そんな魔族の中にあって、二十歳という異例の若さで上位魔族と認められたその魔族は、羨望と嫉妬の目で周りから見られていた。
その燃えるような赤い瞳と、全てを焼き尽くす炎の魔法から、「紅蓮」の名を直接魔王から与えられたその魔族は、魔族としての自身の将来になんの疑問も持っていなかった。
将来の魔王も夢じゃないと言われたその魔族は、しかし、転機を迎える。
魔族が自分で食事を狩りに行くのは、独り立ちする百歳前後から。
魔族としての生き方を理解し、実力もついたその年齢から行うのが通例だった。
だが、人間との戦争で両親を亡くしてしまい、上位魔族にまでなったその魔族は、魔族としてのあり方について理解不十分なまま、狩りに出ることになってしまう。
それまで解体された食事しか食べたことのなかったその魔族は、食材となる人間を見て驚愕する。
自分達魔族とほとんど変わらぬ容姿。
自分達と同じ言葉を話し、自分達と同じように感情を持つ生き物。
そんな生き物が自分達の食事だった。
狩に連れてきてくれた他の魔族の手前、そのまま何もしないわけにはいかず、魔族は人間の血でその手を汚した。
人間の断末魔の声が忘れられないその魔族は、夜なかなか寝付けなくなり、食事も喉を通らなくなった。
食事を摂らない魔族の力は衰える。
さらに悪いことに、人間を狩るのを避けていることが、他の魔族にバレてしまった。
人間を狩れない意気地なしの魔族。
さらに、力まで落としたその魔族への周囲の対応は冷たいものになった。
魔族の社会に居場所がなくなってしまったその魔族は、人間の領域を彷徨うことになる。
人間の領域にも魔族の勢力図はあり、はぐれの魔族には、安全な場所で狩をすることなどできなかった。
できれば狩などしたくないその魔族も、何も食べなければ生きられない。
自己嫌悪と悪夢に苛まれながらも、最低限の狩を行なったり、人間との取引で何とか食事を得、命を繋げていた。
そんなある日、その魔族は、隠れて狩を行なっていたある土地で、自分が人間の討伐対象になっていることを知る。
狩の際、どこかで痕跡を残すようなヘマをしてしまったらしい。
討伐者は、最強の人間との噂もある、十二貴族のアレスという者。
人間で唯一、単独で四魔貴族とも戦えるのではないかと評判のあるその男に目をつけられていると知ったその魔族は、このまま生き延び続けることが難しいことを悟る。
何のための生だったのか。
魔族は自問しながらも、飢えには抗えず、人間の村や町を転々としながら、人間を脅して、人間側に自ら食事を提供させるようにしていた。
すでに目をつけられているその魔族は、もはやその存在を隠す必要はなかった。
人間自ら提供させるのにはもう一つ理由がある。
少しでも自分の罪悪感を減らすためだ。
腹いっぱいになるだけの量を提供させなかったのは、せめてもの気持ちだった。
アレスに見つかれば間違いなく殺される。
そんな自分に食べられる哀れな者達。
それでも食べるのをやめられない自分。
何もかもが嫌になり始めていたその魔族の前に、少年は現れた。
自分が役立つことをアピールし、何とか生き延びようとする少年。
これまでにもそんな人間は何人かいた。
だが、魔族は、そんな人間の全てを食べてきた。
その少年もそうなるはずだった。
すぐに魔族の食事となるはずだった。
ただ、その少年は、人間とは思えない身体能力を持っていた。
この少年を鍛えれば、逃げる際の時間稼ぎくらいには使えるかもしれない。
そう思った魔族は、人間に魔力の使い方を教えることにした。
だが、少年と会話するうちに、その少年が、母親を大事にしていることが分かった。
自分の命より、母親を大事にする少年。
そして、自分と同様に、いや、自分以上に過酷な人生を歩んできた少年。
そんな少年を見ていると、どうしても食事や身代わりにしようとは思えなくなっていた。
私の人生はこの少年のためにあったのかもしれない。
少年を鍛え、一人で生きていけるようにしよう。
その魔族を殺しに来る人間も、同じ人間である少年を殺そうとはしないはずだ。
少年を救うことが、これまで食事にしてきた人間達への、せめてもの償いになるかもしれない。
そう考えた魔族だったが、その思いは、自分を殺しにきた十二貴族アレスの娘のせいで無に帰す。
自分の命より大事にしていた母親を殺された少年。
自分のせいで少年の人生を台無しにしてしまったと後悔する魔族。
それでも自分が再び奴隷になることを条件に、その魔族の命を救ってくれた少年。
その魔族は、いつしか少年に特別な感情を抱くようになっていた。
いや、奴隷契約後、契約を確認するために告白した際に口にした様に、出会ってすぐに特別な感情を抱いていたのかもしれない。
少年と一ヶ月半程一緒に過ごした魔族は、少年の頑張りに驚く。
午前中は魔力が枯渇しそうな程の厳しい魔法の訓練。
午後は常に命の危機を感じながらの剣の訓練。
夜は深夜までひたすらその復習を行い、魔族相手に試行錯誤を繰り返す日々。
食事の時間と風呂の時間と睡眠の時間以外、常に己を鍛え続ける少年。
魔族は素直に少年のことを尊敬した。
この少年と共に生きられることを、誇りにさえ感じていた。
人間の勢力争いで、アレスのもとを逃げ出すことになった時も、何の問題も感じなかった。
どこに行っても、どんな境遇になっても、この少年と一緒にいられるなら、何の問題もなかった。
その魔族は、気付けば少年へプロポーズしていた。
魔族のプロポーズは、人間のそれより遥かに重い。
身も心も、全てを相手に捧げることを誓うというのが魔族のプロポーズだからだ。
その重みは魔王への忠誠以上。
だから、ほとんどの魔族は、結婚はしてもプロポーズはしない。
ましてや、人間にプロポーズした魔族は、長い魔族の歴史の中でその魔族だけだろう。
その魔族は、これから幸せな人生を送るはずだった。
常に命の危機と隣り合わせで、逃げ惑うばかりの人生だとしても、プロポーズするほどの相手と出会い、その相手と共に過ごす人生は、幸せ以外の何物でもない。
だが……
「……私は誰だ?」
その魔族は、森の中を一人歩きながらそう呟く。
魔族には名前があったはずだ。
だが、その名前が思い出せない。
魔王から与えられた「紅蓮」の名を捨ててまで得た、大事な名前があったはずだ。
だが、それが思い出せない。
無理に思い出そうとすると、頭が割れるように痛くなる。
名前だけではない。
魔族はここ最近の記憶が曖昧だった。
名前を与えてくれた少年の名前が思い出せない。
人生を捧げるプロポーズをした相手の顔が思い出せない。
握った手の温かみも、少年の笑顔を見た時のほわっとした感情も覚えている。
それなのに肝心の少年本人については、何も思い出せない。
狂おしいほどの感情が胸の中にある。
それなのに、その感情を向けるべき相手が分からない。
明らかにおかしい。
それなのにおかしい理由が分からない。
魔族は森を彷徨う。
途中、森の中で出会った人間を五人ほど食事にした。
人間を食べることには、未だに抵抗がある。
だが、魔族は強くならなければならなかった。
必ず生き延びて、プロポーズした少年に、再び会わなければならなかった。
記憶はないが、心がそう訴えていた。
顔も名前も思い出せない少年への想いだけを胸に、魔族は森を彷徨い続ける。
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